第二章 -1
虎視眈々と目をギラつかせる花畑やらクラスメートやらから弁当を守りつつ、昼休み。
顎をさすりさすり、K.O.から回復した花畑が、懲りずに机を寄せてくる。
「……まさか箸の目つぶしがフェイクで、膝が真下から飛んでくるとは、な」
「唐揚げを狙うなら、万死を覚悟してからにするんだな」
その最後の唐揚げをかみ砕きつつ、弁当を死守。
「……ッ!」
視線でフェイントを掛けつつ、花畑の箸が卵焼きへと延びる。
「――やらん」
冷静に弁当の蓋でいなしつつ、同時に目で強烈に威嚇する。
「おう……、ヒコよ」
威嚇が本気と悟ったか、伸ばしかけた箸を逸らす花畑。
「なんだ?」
箸は決して休めない。それが昼食休みの正義。
「餓鬼道って知ってるか?」
「……ふつーは知らんと思うぞ」
物欲の亡者が落ちるとされる地獄の一つで、主に食欲絡みの責め苦が待っている、という。
和風ロープレゲーも守備範囲なもんで、以前に調べた覚えがある。
つか、弁当を分け与えないなら俺がそこに堕ちるぞ、と言いたいんだろうが……この場合、餓鬼道が真に相応しいのは花畑の方だろう。
「ボクはな、ヒコ。何も腹が減ってお前の弁当に箸を伸ばしてる訳じゃ無いんだ。分かってくれるな?」
ちゃちゃっと閉じたり開いたりして箸を鳴らす。パワー系マッチョのくせに、あいかーらず無駄に器用な。
「花畑。俺も、な。お前が単に腹減っただけなら、分けてやらん訳でも無いんだ」
箸と視線でフェイントをかけつつ、ラストスパート。
「おう。……そうだろうな」
フェイントと実体の応酬。視線と箸と弁当箱の蓋が火花を散らす。
そもそも弁当箱を抱え込んでいる俺に分があることは、ヤツも重々承知のはず。……それでも決して諦めない、その心意気だけは認めよう。
だが、勝負は非情。
「はい、ごちそうさまー」
満腹、満腹。手を合わせて感謝。誰に?――小鳥に、かな。
「ぬおおぅ。米粒まで一粒のこらず……」
「お百姓さんの八十八もの苦労の結晶だ。やらん」
とゆーか、小鳥の手料理を食わせたくないだけな訳だが。そこは花畑も一緒で、米粒一つでも欲しいのだろう。やらん。
血涙を流さんばかりに嗚咽する阿呆から弁当箱と蓋を奪還し、手洗いへ。ちゃんと洗わないと弁当箱ごと傷む。
弁当箱が傷むと、たぶん俺も傷めつけられる。主に物理的に。
……手入れは、とても重要。
*
「それはそうと、ヒコ」
ついでとばかりに手洗いについてきた花畑が、律儀に手を洗いながら切り出す。
「あん?」
蛇口を捻り、弁当箱と水筒を洗う。
「朝のアレ。……ガーディアンズ、な」
あの、みょーなアプリゲーのケダモノのことらしい。
「小鳥は、ンなこと言ってたな。知らん」
よう、とか。一緒に弁当を洗う同類達と挨拶。
「知らんてヒコ、キミな……」
「んー、あれだ」
下手にはぐらかすと面倒そうなんで、本音でたたみかけておく。
「コンピュータゲームは据え置き型でもって、ギリギリのアクション操作と駆け引きを競うか、極端に広いオープンワールドを舞台に遊ぶべきだ」
据え置き型万歳。ゲーセン最高。
ケータイゲームなぞ河馬にでも喰われてしまうがいい。まぁ、実のところあれはあれで良いものなんだろうが。
「そのポリシーは分からんでもない。ただ、ガーディアンズは別だろう」
――それは、分かる。
別だ、というのは『官製ゲーム』ということだ。
携帯端末の所持が公私の別無く、小学生でもごく必然の日常となったのは、俺らが物心つくずっと以前の話だ。
子供の携帯端末用ゲームやソーシャルネットワークによるトラブルを本格的に防ごうと思えば、完全に禁止してしまうか、手取り足取り差し障りの無い使い方を教えるしかない。
長いこと行政は前者の立ち位置を採っていたが、やがて生活に必須の道具だとさんざん批難されて重い腰を上げ、『個人用携帯端末の使用訓練』が初等教育の正式科目へと採用されるに至った、らしい。
そこでスマホの遊び方や問題点を学習させるための授業と、そのための教材ゲームが必要とされた。
まあ、導入当時の詳しい事情は知らん。昔の事だし。『ガーディアンズ』はその学習用ゲームの最新フォーマットだ。
「……そうか。そーいや、それで勝手に送りつけて来たのか、アレ」
ゲームの遊び方を学ばせるための官製ゲームである以上、規格は統一されている。
俺はそもそもスマホもケータイもほとんど使わないが、それでも出席やら各種申請やらには個人用携帯端末を使わない訳にはいかない。おおかた、そのへんからアドレスが漏れて集中配信サーバに引っ掛かったのだろう。
……それにしたって、こっちの承認も取らずに強制配信てのは、マジでウィルスじみた動きだよなー。高等部にもなったらゲームの必修授業なんてもう無いのに。さすが官製。無茶しやがって。
手を洗いつつ花畑が応じる。
「……キミがガーディアンズを嫌うのは、別な理由だろう?」
また、今日は随分と踏み込んでくる。目が笑っていない。一息ついて、素で返す。
「……ゲームはそれ自体を楽しむべきだ。授業だの順位付けだの知ったことか」
ああ、だめだ。少しは気を使ったつもりだったのだが、それも吐き捨てるような口調になっている。
標準の学習ゲームは全生徒が等しく持つ。
故に、それを利用した順位付けにも使用される。
何しろ学習用だから完全無料。ゲーム内通貨やアイテムはやりとりされるが、金銭やクレジットは消費されない。何より保護者もそうそう止められないし、生徒の間で流行らない道理がない。
運動が上手いやつ、頭がいいやつ、そして、ゲームが上手いやつ、と。
たかがゲームが、今度は現実社会での諍いに利用される。
「キミは、ゲームが好きだから、な」
――それだけじゃない。
花畑もそれは百も承知のはずだ。それを分かっていて、わざと話をズラしている。だったら何で話を振ってくる、と、思わないでもない。
「俺が餓鬼なだけだ」
「……そうか」
――そうだ。
*
教室に戻ると、またしてもケータイがぶんぶん唸り始める。
やはり小窓には意味をなさない文言が踊る。開いてみると案の定、例のガーディアンズが起動している。ユーザ登録を促す初期画面。ちかちかとうるさく瞬くカーソル。
「うざ」
パタン、とフリップを閉じる。どーしたもんかね。
「ちゃんと設定しとかないと定期的に要求されるぞ……おぅ、ちょっと待て」
窓からケータイを投擲しようとした俺を、花畑が羽交い締めで止めにかかる。
「ユーザ登録して定期起動を停止するだけだろう!?。なんでそこまで嫌がる」
「たるい。面倒い。うざい」
一息吐いて一応どーにかならんもんか試してみる。
フリップを開き画面を覘く。例のケダモノがのっそりと投影される。――寝てる。俺も寝たい。くそう……ちょっと本気で殺意が宿る。
消そうとしても初期登録のキャンセルが効かない。操作が初期情報登録画面に固定されている。
カバンから無線キーボードを取り出し、優先ショートカットで普段使いのツールを強制起動。低レイヤから割り込みをかけて管理インタフェースを直接叩き、動作情報を取得。作動中アプリ一覧を呼び出しても、ガーディアンズの本体ファイルが見当たらない。
予想はしてたが。
どうもOSの直接操作権限を取らないと、動きを止める止めない以前に存在すら確認できない仕様らしい。
……さすが官製、ほんっとに無茶しやがって。
「なぁ、花畑」
「なんだ?」
「おまい、ガーディアンズやってるよな?」
「お?おぅ」
妙な表情でこっちを見る花畑。
……まぁ、高等部にもなるとさすがにゲームの授業はないにしても、やってない方が珍しいのだろう。一部の授業じゃ今でもチュートリアルに使う事もあるし。
俺はそーゆーの、かったるいからフケて寝てるけど。
「てきとーに設定しといてくれ。俺、寝る」
ケータイを放り、あくびを一つ。そのまま机に伏せる。
「おい、ちょっ……」
寝る。
「ったく。……個人情報は触われないからな?。基本情報だけだぞ」
体勢を崩しながらケータイを受け取り、呆れたように花畑が呻く。
寝ながら掌を上げてひらひらと振って合図。勝手にしてくれ。
これこそ個人情報インシデントそのものだろうに、とか何とか、まーだぶつくさ呟いている。こいつも妙に根が真面目なんだよな……HENTAIのくせに。
春の風がそよぐ。甘い香り。桜?まさかね。
暖かな日差し。授業開始のチャイム。知るか。
――寝る。