第八章 -2
視界全てを覆い尽くす、爆炎。
怠惰からやや離れた、斜め後ろにいる俺にすら爆風が襲いかかってくる。
とっさに腕で顔を覆うが、髪や服が熱気で焦げそうになる。……ていうか、たぶん少し焦げた。
髪の毛の焼けた臭いするし。くっそ。
花畑は?と観ても、炎の壁の向こうで、様子は窺えない。
チラと後ろを見ると植木鉢の中は問題なさそうで、小鳥とクィンには特に影響は見当たらない。
少しほっとする。
やがて、ぼっぼっとガス欠の様な音をたて、炎が消える。
フンと鼻を鳴らし、怠惰が満足げに一息いれている。
炎と煙が晴れると、その向こうには立ち尽くしているケンタの姿。
身体のアチコチが焦げて燻っている。
それでも予想したより、断然に被害が少ない。見ると、上半身の腕に加えていつの間にかクマの手の方も白熱している。
おそらく、さっきの花びらによるブーストをもう一度使ったのだろう。
四本の白熱する腕を縦横無尽に振るって炎から身を守り、直撃だけは避けた、といったところか。
とはいえ、相当に消耗した様子は見て取れる。だが……それでも花畑の様子は落ち着いたものだった。相変わらず仁王立ちで腕組みを続けている。
*
「言ったろう、ケンタ。出し惜しみは、無しだ」
苦笑混じりの口調。……まだ隠し球があるのか?。
「もうちょっと楽しみたかったんだけど、ネ。これはさすがに続けられないカナ」
降伏宣言……てことは無いだろうな。
存在意義として相克を義務づけられた石板には、原則的に喰うか喰われるか、しかない。
ガーディアンズによる時間切れ判定負けってのも、本来はルール違反ギリギリのトコだろう。怠惰のやらかしているサボタージュに至っては、普通の石板にはまず無理だ。
つまり……。
【いいだろう。ならば……】
不敵に嗤い、尻尾を揺らす怠惰。
【貴様の底を見せてみるがいい】
ケンタも花畑も、ここまでは遊びで、本気を出す、と言っている。
即ち、自分には怠惰を圧倒できる手段がある、と主張したに等しい。
恐らく、ほぼ確実にブラフだろう。
さっきまでの一連の攻防ですら、植木鉢から手も足も出したケンタは、それでも怠惰に手も足も出ない有様だった。
おそらく今のまま、距離を取ってさっきの大火球で少しずつ削ってしまえば、そのまま判定勝ちの可能性が高い。このケダモノ、HPのお化けだしな。削り合いになったら勝負にならない。
ケンタを戒めようとする花畑の態度すら、それを防ごうとするためのブラフだろうと、俺には見えた。
俺と怠惰は、繋がってしまっている。
俺がそう判断している事も怠惰には伝わっているし、怠惰自身の判断も同じだと、俺に伝わっている。
頭が痛いことに、そうであってすら、ケダモノは花畑とケンタの思惑に乗ってやる、と宣言してしまっている訳である。
ほんっとコイツ、怠惰だ効率だと言いながら、無駄に高いプライドのせいで面倒なとこ選んでくよなー。
花畑もしてやったりのドヤ顔でこっちを見ている。
まるっと思惑通り、なのだろう。ケンタも白熱させた二対の両手を開き、来い、と誘っている。
やはり“接近戦をやりたい”のは間違いない。
【向日比古。貴様は言ったハズだな?。こんな小物に楽勝できなくてどうする、と】
かかか、と笑って向き直る怠惰。そこまで言ったっけかな。
……言ったよーな気もするな。
ふと脇を見やると、植木鉢の中で小鳥とクィンが何やらコソコソ話をしている。
その中で何が出来るとも思えんのだけれど。小人閑居して何とやらとも言うし、念のためケータイに『悪巧みは止めとけ』と打ちこんで外から見せる。
小鳥は唇を尖らせ、べっと舌を出してくる。
【貴様の方はどうした?“勤修”。吾を何時まで待たせるつもりだ?】
ケダモノが改めてケンタと対峙し、煽る。花畑が応える。
「ケンタ、全力だ」
「オウ!」
裂帛の気合いと共にケンタの両手足へ力が入り、強烈に息む。
反射的に小鳥を庇う位置に身体を動かし、身構えてしまう。
怠惰は……笑っている。心底から面白がっている。
そして、ポンッ!と軽い音を立て、ケンタの頭頂部にあるつぼみが満開の花を咲かせた。
*
「……」
【……】
……いやまぁ、予想はしてたよ?つぼみなんだし、そりゃいつかは咲くよね?。
クマの身体。
クマの手足。
首から上には、禿頭の筋肉マッチョな人体が腰から植わっている。
頭の上には、薔薇みたいな花が咲いている。
二対の白熱した両手は一層に眩く光り、凄まじい熱量を予感させる輝きを放つ。咲き誇る花の影響なのか、その上半身もクマの身体も、筋肉が数割がたバンプアップし、パンパンに張って見える。
あー……どーしたもんかね?。
【吾が知るか。というか、此方を見るな】
うーんと。
~~♪
鼻歌交じりでポージングを始めているケンタ。白熱した四本の両手を上手い事振り回し、次々とポーズを決めている。
えーーーっと。
腕を組んでうんうんと頷きつつ、超ドヤ顔の花畑。これも話にならん。
「……」
「……」
小鳥とクィンは茫然自失の体に見える。
んーーーと……。
【だから、此方を見るなと先刻】
「いやな、このまま小鳥たち連れて、家に帰って良いか?」
テンションだだ下がりどころの騒ぎでは無かった。やっぱり精神攻撃か!?。
実のところ、ケダモノもほぼ同様なのは判っていた。それでも受けて立つと宣言した手前、プライドが邪魔して引くに引けなくなっているだけだ。
ご愁傷様なこったが、コイツのプライド云々なら俺、関係ないし。
「さァ、掛かってくるがいいヨ、怠惰。逃げも隠れもしないヨ?ボクは、ネ」
ようやく気が済んだのかポージングを止め、両手脚を拡げてケダモノを挑発するケンタ。
頭頂の花が髪飾りのように優雅に揺れる。
どこからかサクラの花びらまで飛んできて舞っている。
直上から降り注ぐ月光の中で、男前っぷりすら数段上がって見えた。
……どーしよーかね、ホント。コレ。
ゆらり、と。怠惰から怒気が膨れあがり、辺りへ充満していく。
【逃げ隠れ、だと?】
本気で怒っている。ように見える。
【この吾が!?】
――だが、実際は色んなところがスッカスカだった。
少なくとも俺にはそれが判っている。感じ取れてしまう。
こんなの放っておいて、とっとと帰って寝たい、という、世にも情けない気持ちが泣きたいほど全力で伝わってくる。
俺も思いっきり同感だ。
それを、激高してみせることで、自分自身を無理矢理にごまかし鼓舞している。
これは花畑には伝わっていない。たぶん、ケンタにも。小鳥たちはどーだろーと脇を見やると、未だケンタの姿に釘付けで愕然としている。
非常に、全く以て、如何ともしがたく不本意だったが。
このケダモノと俺とが感覚を共有している相棒であるのは疑いようが無かった。ちょっと泣きたくなった。
【……良いだろう。噛み砕いてやる!】
*
怠惰は、諸々の脱力感も、不本意さも、その全てをケンタにぶつけて相殺する事にしたらしい。
ようやく本気の怒気がその身に満ち始めている。
……多分に八つ当たり臭い気がしないでもないが、まぁ、そもそもの原因といえばケンタに有ると言えなくもない。
俺も気にしないことにする。てゆーか、考えたくない。
傲然たる吠え声を上げ、開いた顎から火球ならぬ火炎を放つ怠惰。
ケンタの居た辺りの地面が一気に薙ぎ払われ、爆炎を上げて炸裂する。もちろん、宙を飛べるケンタに対してはそれですら牽制に過ぎない。
怠惰は煙が晴れるのも待たず、かき消えるかのように跳ねる。
これまでになく、速い。
噛み砕くとの宣言通り、大きく顎を開いて爆煙の中へと飛び込んでいる。
互いに打ち合っている激しい打撃音。
何かが焼ける音。異臭が鼻をつく。
数合の打ち合いで互いに距離を取る。
おかしい。
ケンタの動きが余りにも速い。ケダモノと互角以上だ。
手数も身体の動きも、先刻までとは、まるで違っている。
数合打ち合って距離をとり、煙に巻かれて焦げているのは怠惰の方だ。
ケンタはほとんどダメージを受けていない。
禿頭に花を揺らし、ケンタはにいぃっと笑うと、上半身の手を光らせながら、ちょいちょいと手招きして挑発する。
怠惰が跳ねる。言葉の代わりに牙でもって応じている。
……当らない。
簡単に避けられ、体を入れ替えるその瞬間に打撃を喰らう。
身体を向き合わせる間すら無く角度をズラされ、密着した状態から放たれた必中であるハズの火球は宙を焼いて空へと消える。
一方で離れ際に叩き込まれた幾つもの張り手はケダモノの身体へと吸い込まれる様に着弾し、打撃とともに炎を爆ぜる。
俺の目では、打ち合いがまるで追えていない。ケダモノと繋がっている感覚だけが、一連の攻防を捉えていた。
ワニを思わせる尻尾が、ばしんばしんと校庭を叩く。
格下相手への苛立ちを隠そうとも思いつかないほど、猛烈に腹を立てている。
三度突進する怠惰。擦りもしない。
やはり綺麗に避けられ、幾つものカウンターを受けて距離を取られて対峙する。
*
なるほど、これは正に奥の手だ。
あの花が咲いたことで圧倒的な速度を得たらしいケンタは、怠惰相手に手足を出せる、どころか、一方的な展開にまで持ち込んでいる。
だが、怠惰の方もまだ全力では無い。ギリギリで密着せずに踏みとどまり、攻防の終わりには距離を取れるように動いている。
ケンタはどう見ても、ゼロ距離での接近戦を誘っている。
何か、ある。
圧倒的な互いの相性の不利も、ケダモノの装甲も体力も貫いて逆転できる、本当の奥の手を隠している。
それを警戒して怠惰はあと一歩を踏み込まない。
かといって飛び道具は密着してすら避けられる。
面で灼き尽くす火炎放射ならば当るのだろうが、今のケンタの速さでは、大きく息を吸い込む予備動作の間に肉迫されるのが目に見えている。
ケンタは、なおも挑発を続けている。
びたんびたんと校庭を叩くケダモノの尻尾がせわしない。苛立ちが頂点に達しようとしている。
*
違和感。――これは、明らかに花畑の遣り口だ。
用意周到に網を張り、ルールの範囲で効率を求めている。
このまま我慢出来ずに突っ込めば、確実に術中へはまるだろう。
このままならば。
花畑は腕を組み、目を閉じている。
何をやっているのか、判る。俺も目を閉じて意識を集中する。
……思った通り、ケダモノの視界が自分の意識と同期する。
俺と怠惰は繋がっている。そのケダモノの手足も、尻尾も牙すらも自由に動かせる感覚。
判る。これなら火球ですら自在だろう。
【貴様……向日比古、何をする気だ?】
身体の自由を侵襲された苛立ちが即座に伝わってくる。だが、それよりも強い訝しさが凌駕している。
半ば、面白がっている気配すら、感じる。
(アレは、花畑だ。あいつの手管なら俺の方が判る。俺がやる。任せて休んでろ。怠惰)
瞋恚と稚気と思慮が綯い交ぜになった感覚が押し寄せる。
やがて……。
【……いいだろう、向日比古。やってみせろ】
やってやるさ。
俺と花畑の第一ラウンドはいわば引き分け、ここからが第二ラウンドだった。




