第八章 -1
――ゲームは、楽しいか?。
ゲーム?冗談じゃあ無い。
これはただの、真剣勝負だ。
親友相手で、命がけの。
――楽しくないハズがないだろう?。
にぃっと笑ってケンタが挑発の声を上げる。
『どうしたンだい?“全き怠惰”。来ないなら……』
何の前触れもなく、怠惰が消える。
ばぐん!と大きな音を立て、その顎が閉じられる。
クマの胴体を噛み砕いたと思ったその姿すら残像。
とっさに横っ飛びで逃げたケンタへ即座に追いすがり、太い尻尾で跳ね飛ばすとその勢いを保ってクルンと回り、ケンタへと向き直る。
【誰が「行かない」などと言ったか?】
怠惰は、長く太い四肢と尻尾をだらりとくねらせながら垂らし、身体を持ち上げる。威嚇状態のコブラにも似た姿で宙に浮かびながら、かかか、と嘲笑う。
ようやく体勢を立て直したケンタの表情から余裕が消える。上半身……人型の方のヒクヒクと震えていた胸に、紅く深くえぐれた数本の筋が刻まれている。
つぅっと血が流れ落ちるのと、表情を固くしたケンタが両手で張り手を始めるのは同時だった。掌から、連続して火花が放たれる。
その全てを避けるでもなく涼しげに受け止め、あくびすらかみ殺す有様の、余裕しゃくしゃくな怠惰。
「……ケンタ。出し惜しみは、無しだ」
花畑に一瞬視線を向け、不敵な笑みを浮かべると、両手にぐぐっと力を入れるケンタ。
頭頂のつぼみが、ぷるんっと揺れる。
上下左右四本の腕全てが、同時に張り手を始める。全ての掌から、マシンガンのように放たれる火花。
ケダモノは相変わらずそれを躱そうともせず、鼻で笑いながら大きく息を吸い込み……大きく顎を開いてクマの身体へ襲いかかる。
間一髪でケダモノの顎を避けたその体勢のまま、四つの張り手を至近距離から撃ち込もうとするケンタ。
誘い込んだのか?。
だが、一方で怠惰も同時に顎を開き、密着状態から逃れ様のない火球を叩き込んでいる。
とっさに伏せても、なお襲いかかる熱と衝撃波。
閃光と爆音。
毛と皮と……肉の焦げる匂い。
辺り一面、炎と光に包まれる。
*
立ちこめた煙がうっすらと消えていくと――そこにはケダモノだけが現れる。
その見上げる視線の先に、四つ足の格好でふよふよとクマが浮いている。腹……じゃない、クマの胸の辺りは真っ黒に焦げて焼け爛れ、今なおかすかに燻っている。
そして、その背には花畑。
そーいやこのクマ、浮くんだっけ。
てか、浮遊能力は植木鉢の機能じゃなかったのか……。
「……さすがに容赦ないな、怠惰」
呆れたような、感心したような、複雑な口調の花畑。
【吾は全き怠惰。一石で済むなら二鳥でも三鳥でも落としてくれる】
面白くもなさげに応えるケダモノ。
あー……そうか、コイツ意図的に花畑を巻き込みやがったな。そこまで気が回らなかった。
契約者を排除すれば、一番手っ取り早く判定勝ちに出来る。小鳥の時と一緒だ。
まぁこのHENTAIがそう簡単にくたばるとも思えないが、釘を刺しとくか。
「やめろ、怠惰。契約者を巻き込むな」
ゆるりと怠惰がこちらを振り返る。
その空虚な眼窩が、瞋恚で満たされていく。本気で怒っている。
【向日比古。貴様――吾に命ずるつもりか?】
震えが止まらない。小さく息を吐く。
俺が心底から怯えてしまっている事も、コイツには筒抜けだ。それでも。
「俺に助力するんだろう?怠惰。花畑を殺せば、俺のやる気は今後ずっと削がれるぞ。それとも、最強だと嘯くお前の力は……」
ポージングしつつ、ふよふよと浮かんでいるケンタを顎で示す。
「――あの、お笑いなクマモドキとやりあって、“楽勝”できない程度だってのか?」
暫し俺を睨む怠惰。やがて、かかかと笑って応える。
【……よかろう。その挑発、乗ってやろう】
――ふぅ、と思い切り息を吐く。
ほんっとに面倒だな、このケダモノ。
面白そうにこちらを見やる、空虚な眼窩。
何もかも筒抜けだ。お互い様とはいえ、まぁ面倒な事この上ない。
「いいな?花畑」
互いに契約者を巻き込まない。
話が通じる相手なら、最初に約束しておくべきルールだった。
「おぅ、異存は無い。仕切り直しと行こう」
地面近くまで降りてきたクマの背から飛び降りると、花畑はそう応じた。
互いに離れ、大きく距離を取る。
念のため俺は小鳥たちの……というか、例の逆さ植木鉢の脇に立つ。俺の近くなら小鳥たちに飛んでくる流れ弾も少ないハズだ。
花畑も向かいの校庭の端辺りで腕を組む。
*
途端、それが合図だったかのように互いに飛びかかるケダモノとクマ。
宙に浮かんでいながら、どちらも軌跡が土煙を上げるほどの勢いで、跳ねる。
四肢と顎と牙と尻尾で互いに数合打ち合い、手数で一手劣ったクマが、不利と見たのか大きく後ろへ跳ねて距離を取る。
再び四肢と尻尾をだらんと下げて身体を持ち上げ、コブラを思わせるポーズで大きく息を吸い込む怠惰。
膨れあがる緊張感の中、胸と腹を飲み込んだ空気で一杯にして、弾かれたように怠惰が飛びかかる。
対峙するケンタの頭のつぼみがほころび、ひらり、と一枚。花びらが、燃え尽きながら剥がれて落ちる。
同時にケンタの上半身の方の手が真っ赤に燃え上がり、白熱しながら光り出す。そこから放たれる張り手から、これまでと比べものにならない太さと勢いの火箭が放たれる。
侮ったのかその直撃を受け、飛びかかる途中で体勢を崩す怠惰。
互いに改めて離れて体勢を整え、先ほど同じほどの距離で対峙する。
今度は、ケダモノの腹が焦げて薄く煙を撒いている。
【まったく……下らん勿体を付けるものだな“誓約の勤修”】
「演出と評して欲しいナ、“怠惰”。それに、こうでもしないとキミには通用しないだろう?」
誓約?そーいやこいつ、クィンとクマが、多少違うけど似てるとか言ってたっけ。
クマはクィンのこと、制約の叡智とか呼んでたな。確かに誓約と制約だと、似てるトコもあるけど、意味が違う。音は一緒だけど。
こーゆー時は繋がってると判り易くて助かる。それはともかく。
通用しない、てのは何だ?。手の内が知れてるって訳でも無さそうなんだが。
【最初に教えてやったろう、向日比古】
こちらを目線だけでチラリと見やり、どうだと言わんばかりなドヤ顔の怠惰。
最初……?。
ああ、相性が悪いとかってアレか?。
【吾には、制約も誓約も、無意味だ】
怠惰はフンと鼻で嗤いながら続ける。
そこへ、俺を見やりながら肩をすくめたケンタが、付け加える。
「何しろ、怠惰、だからネ。反故も異心も好き放題なのサ」
向かいの花畑にも会話の内容は聞こえているのか、苦笑して肩をすくめている。
なるほど“怠惰”であるが故に効率最優先、自分が不利な押し付けは拒否できるって事か。
しかも混じりっけ無しだから付けいる隙もない、と。
それは、大賢者とやらに義務づけられているはずの、相克を自らの意思で忌避できている事とも、浅からぬ関係があるのだろう。
本来ならば、強制力に縛られる石板相手には強力な属性なんだろうが……確かに、それなら怠惰が相手では“最悪”の相性だ。
【まぁ、好きにするがいい。下らん出し惜しみも勿体付けも……】
膨れあがる悪意。それでいて面白がっている。
目の前の相手を蹂躙する事、それ自体を楽しもうとしている。
【何もかも、突き刺し、引き裂き、噛み砕き、燃やし尽くしてくれよう!】
三度大きく息を吸い込み、仁王立ちで待ち構えるケンタへ向かって飛び込んでいく怠惰。
*
速い。
踏み込んで飛びかかると思いきや、直前で跳び上がってクマの腕を避け、その勢いのまま身体を捻って襲い掛かる。
ケンタは上半身の白熱した掌で怠惰の牙を払い除ける。
一方の怠惰はその力を利用し、身体をくるんと回すと、太い尻尾を鞭の様に振るって叩き付ける。
とっさにクマの腕で、怠惰の尻尾を受け止めるケンタ。
だが、その強靱な腕ですら怠惰の勢いと重さは支えきれない。
バランスが崩れたところへ尻尾の連撃を喰らい、地面へと叩き付けられている。追い打ちで怠惰の長い腕と鋭い爪が迫る。それを、ケンタが横へ転がって逃げる。
怠惰の牙が深く校庭の地面を穿ち、その隙にクマはその四本足を全て使って跳ね飛び、上半身の腕は張り手をいつでも撃てる状態を保ちつつ距離を取って間を測っている。
……これは、確かにケンタの分がかなり悪い。
一連の攻防を見るに、ケンタはバランスを取るのに必要なのか、クマの足を攻撃に使っていない。
クマの尻尾も短くて武器としては使えない。
まして人の姿では、その口も歯も武器としては役に立つものではない。
頭頂のつぼみに至ってはただの飾りで武器にはならない。
牙も顎も腕も足も尻尾も、その全てが凶悪な武器として機能するケダモノに対し、ケンタは接近戦では文字通り手数足数でまるっきり勝負にならない。本数だけは多いんだが。
かといって速度も大差無いうえに、距離を取ったところで張り手と火球では威力が違い過ぎる。
ケンタはケダモノの攻撃を避けきれず、一方でいくら手数を出しても当らない。これでは話にならない。
怠惰の判断も全く同じだったのだろう。
【飽きた】
ぼそっと呟くや、怠惰は今まで以上に深く大きく息を吸い込んで顎を開き……直後、大火球が辺り一面を薙ぎ払った。




