第一章 -2
「なあ、ひとつ聞いていいか?」
「そりゃ構わんが、花畑。教室の床で寝転けるのは、たぶん健康に良くないぞ?」
そう答えながら放り投げたカバンを拾い、腕を組んだまま仰向けで教室に横たわる初等部以来の畏友を見下ろす。
「いや、どーしても疑問が先に立ってな」
「……そうか?」
まだ横たわっている花畑を適当にいなし、廊下側の壁際へ向かう。一面に積み上がってる机と椅子の山。自分の名札の付いた机を見つけると、よいしょおっと掛け声をあげて引っ張りだす。
そのまま机を概ね自席の定位置へ並べ、椅子へ腰を落とす。机へカバンの中身をしまいながら黒板上の時計を眺めると、始業時間まであと15分ちょい。
葵の自転車のおかげで時間的には余裕だった。もっとも、肉体的には朝っぱらから頭と首と腰が未だに痛い。思い出したら尻まで改めて痛くなる。くっそ。
痛みを誤魔化す様に、あくびを一つ。見渡すと周囲の空気がやわらかい。
物理的にというか季節柄にくわえ、高等部は2年への持ち上がりはクラス替えが無いのもあってか、全体に弛緩してる気がする。寝るにはいい雰囲気だ。
……よーやく気分が和む。
中身を移し終えガワだけになったカバンを机脇に下げながら、片手をほおづえにして花畑を見下ろす。花畑も、首を捻りつつこっちを見上げてくる。
「……そもそもだな、ヒコ。キミに投げ飛ばされたおかげでボクはこーして床に倒れるハメになってる訳だが。――そう、なんで投げられたんだ?、ボクは」
「投げたっつーか、垂直落下で脳天から叩き落としたんだけどな。肩の高さから。……てか、たいがい丈夫だよなー、おまいも」
裏門でチャリ置き場へ向かう葵と別れ、痛む首と背中と腰をさすりつつ教室に向かうと花畑が女子連中と楽しげに談笑していたのにムカっと来て、とっさに背後に周り挨拶をしようとするヤツの腰を肩に載せ一気に引っこ抜き、最高点に達した瞬間にそのまま脳天から真下へと逆落とした俺を誰が責められようか。
いいや、責められやしない(反語)。
中等部時代の必修武道で、乱取りと称した自習時間に希望者間で繰り広げられた何でもアリのプロレスごっこ……そこで猛威を振るった俺の得意技、垂直落下式バックブリーカーだった。
まあ、腰を肩で抱え上げて頭から落とすだけなんだが。ちなみに、ブリッジが出来なくてもそれなりにサマになるのが、この技の最大のポイントである。
いちおー危険なので少しは加減しようと、床よりは落差の少ない机にでも落とすつもりだったのだが、花畑を抱え上げたその瞬間、ささっと机も椅子も片して教室を四角いリングへと変貌させたナイスガイ集団により目論みはまるっと砕け散っていた。
せっかくなのでそのまま花畑を屠って立ち上がり、右手を高く挙げ周囲に応えると、歓声と指笛が雨あられと降り注ぐ。
――これだから、このクラスの連中は大好きだ。
ま、それはともかく。
花畑は仰向けのままクビを傾げているのに飽きたのか、ふむと短く呟くと、手を組んで横たわった姿勢のまま、反り返る腰と背中の勢いだけで跳ねてすっくと立ち上がる。
おおーと歓声と拍手が上がる。
ナイス!コメツキバッタ!との合いの手に、花畑は腰を捻りつつ胸の前で手を組み合わせ、大胸筋をバンプアップするポージングで応えニカッと笑みを浮かべる。口元から白い光がこぼれる。
今度はきゃーっと女子の方から黄色い声が上がり、それに背筋を強調するポーズで応えている。
やがて下級生の野郎集団まで現れて、先輩ッキレてます!だの、ワレてます!だの、謎のかけ声が掛かっている。
……四角いジャングルに変貌していたハズの教室は、いつの間にか花畑のオンステージと化していた。
スポットライトやらミラーライトやらが回ってないのが不思議なほど……とか思ってたら、いつの間にやらスマホのアプリとプロジェクタを組み合わせそれっぽい演出が宙を舞う。
……おまいら本っ気でイベント好きだよなー。俺も嫌いじゃないけど。
一方、オンステージではノリノリな花畑。とうとう借りたスマホをマイク代わりに、持ち歌の披露まで始まっている。
ま、確かにいい声してるし、見た目は格好良いんだよなー、こいつ。
身体も鍛えてるし、成績も学年でトップクラスだし。生徒会の副会長もやってたか。身長もあって多少ゴツくて鋭くはあるが、顔立ちも悪く無い。オマケにいくつものチェーン店を抱える社長の令息。……なんだこの完璧超人。どうしようもなくHENTAIだが。
――なんか腹立ってきたな。
「おぅ……そうだった、ヒコ。結局、ボクは何で投げられたんだ?」
観衆に一々決めポーズで応えつつ、いつの間にか上着もYシャツも脱ぎ捨て上半身を晒したイケメンHENTAIボディビルダーが、熱唱の合間に重ねて問いかけてくる。
放置しといてやろーかとも思ったが、それはそれで後で根掘り葉掘り聞かれるパターンだな。掻い摘まんで説明しとくか。面倒だし。
「おまいのせーで、今朝、小鳥にしこたま殴られた。フライパンで」
「……なんだそりゃ」
いや、言葉のままなんだが。
「腰も打ったな。つーか、葵にも蹴られた。二回ほど」
んで段差で転げてもっかい頭打った訳か。酷いね、ほんと。
一方、そこまで話しても首を傾げ続ける花畑。なんか聞き耳を立ててる連中も悩んでいる。……ほんっと七面倒くさいな。しかたない、最初から話すか。
*
「――そうか、それは悪かった」
意外と素直に頭を下げてくる。うむ、おまいが悪い。たぶん。
花畑は何やら考え込むとやがてふむと呟いて軽く頷き、シャツを身につけ上着を肩に羽織って教室を出て行こうとする。
――とても、嫌な予感がした。
「……どこへ行く?」
素早く背後に回り、膝カックンでHENTAIの歩みを止める。
「おぅっ。びっくりした。良いタイミングの膝だ」
親指を立てながら振り返る花畑。こぼれる白い歯の光。
「どこに、行く気だ?」
「おう。……ボクはヒコに殴られた。ヒコは小鳥くんに殴られた」
「……」
とりあえず拝聴してみる。
「これは暴力の連鎖だ。こんな連鎖は――断ち切られなければ、ならない」
えらく熱っぽく語り出す。目が遠くを眺め始める。
あー……。またヘンなスイッチ入りやがったな、こいつ。
演説は続き、呆れてる間にオンステージに集まっていた聴衆が更に数を増す。
時折、先輩!キレてます!といった類の呼び声にポージングで応え、パフォーマンスがどんどんおかしな方向にずれていく。
「連鎖を断ち切るだけであれば……(くぃっと大胸筋を強調)仮にボクが小鳥くんに暴力を振るえば(背筋をむきっとポーズ)、連鎖は連環となって閉じる。だが、そんな暴力など、間違っても許される事では無い(尻をひくひくと痙攣させてポーズ)」
――それは、仮に唯一神だの八百万の神々だのが許しても、俺だけは決して許さない。むしろ花畑に止めを刺して連鎖を終わらせる。……てか、ポーズいい加減にウザいな。
蹴倒して止めようかと思いつつも、とりあえず言葉で突っ込む。
「暴力の連鎖がマズいなら、おまいで止めとけばいいだろ」
そもそも、小鳥が俺を殴るのと、俺が花畑殴るのは別の話だしな。
「そう!。ボクで止めれば、小鳥くんは誰にも暴力を振るわれたりはしない。だが、それでも小鳥くんから暴力が発生するのであれば!(彫像の様にどこかを指さすポーズ)」
ってコイツはまた、人の妹を全自動暴力発生装置みたいに……。
……、いかん。本気で否定できん。ちょっと頭を抱えて泣きたくなった。
――演説は続く。
「小鳥くんの暴力を、ヒコを介さず、ボクが全て受け入れて止めてしまえば!(両腕を身体の前で重ね胸の厚みを強調しつつ)暴力の連鎖は最小限で完結するじゃないか!」
一瞬、あーそりゃ名案だ、とか思ってうなづいてしまう。
「これから一年生の、そう、小鳥くんの教室に向かう。大丈夫、既にクラスも座席も把握している。彼女の暴力衝動を、その全てを!このボクが!受け止めよう!!(両腕をびみょーに曲げつつ高く挙げる)」
決断力とカリスマに満ちた表情。
おおーっと聴衆が沸き、拍手すら漏れ始める。コイツの相手に慣れた俺ですら、気圧されて突っ込みどころを見失う。
「むしろ殴られるのは望むところだ!。いや、いっそボクを殴ってくれ、激しく!小鳥くん!(身体を捻りつつ背筋を強く強調してポーズ)」
……カリスマイケメンは救いようも無くHENTAIだった。
――ぼっがんっ!。
とても大きな鈍い音。
同時にHENTAIが前のめりにゆっくりと崩れて床に横たわる。凶器は、教科書やら何やらが大量に詰まり、ふくれあがった学生鞄。
「……何だったの?コレ。お兄ぃ?」
殴れと言われて素直に背後からHENTAIの脳天を強烈に殴り倒した撲殺現行犯は、いけしゃあしゃあと不思議そうにそう口にした。
*
開かれた扉から風に乗って舞い散る花びら。
ふわっ……と、やわらかな香りが舞う。
軽く風に流される髪を抑えながら、小鳥が佇む。
ふくれた学生鞄と、手には何やら角張った風呂敷包み。足下にはHENTAIがぴくぴくと痙攣している。どーやら、伏したままポーズを決めようとしてるらしい。その意気や良し。
しっかし、こいつも一筋縄ではいかんな。とりあえず延髄を踏み抜いてトドメを刺しておく。ぷぎゃ、とか呻いて動きを止めるのを見届ける。
「……で、なに花びら背負って登場してんだ?おまいわ」
あえて瀕死なHENTAIの話題には触れない。面倒だし。
「あ、ごめん。表門の桜並木、通って来たんだ。すっごいよ、桜吹雪。もうね、まわりが何にも見えなくてさ。自分がどこに立ってるのかもわからなくなるくらい。綺麗で。気持ちよかったぁ」
心臓破りと称される坂道を全力疾走で駆け上がって、景色にまで興じる余裕があるのか……。我が妹ながら、その体力は恐怖すら覚える。
はたはたはたと、肩に髪に制服にまとわりついた花びらを落とす小鳥。
――なんつーか。
「巨大なフケを落としてるみたいな……」
ド本音が漏れる。
「ちょっ……っ、ひっどーい、お兄ぃッ!。わたし、毎日朝シャンしてるもんっ。お兄ぃギリギリまで寝てて、しょっちゅう眠ながら朝ごはん食べてるから知らないだけだよ!!。……てか、お兄ぃっ、昨日の夜わたしのリンス使ったでしょ?だいたいねー……」
「あー……それで何か俺の髪、変にサラサラしてんのか」
くんかくんか。
「……いい匂いでもするか?」
凄まじい勢いで床から跳ね上がり人の頭を抑えるや、どこのワンコかと思う体勢で頭の匂いを嗅ぎ始めた花畑。……とりあえず肘と膝のコンボ入れて引きはがすが、びくともしない。ほんっと無駄に丈夫な。
「……柑橘系だな」
「それ俺の使ってるコロン」
花畑はスローモーションでがっくりとうなだれ、そこらの椅子へ深く腰を落とす。
「――燃え尽きてる?」
首を傾げる小鳥。
「ほっとけ」
「ん。あ、そだ。お兄ぃ、あのリンス、私のお小遣いで買ってるんだからね?今度、代わりに何か奢って……じゃなくって!」
――だんっ。
叩きつけた訳でもないのに、風呂敷包みが結構な音をたてて机上に現れる。
そーいや教室来た時からずっと持ってたな。
「お弁当!。まーた忘れてったでしょ、お兄ぃ!」
「あー……悪りぃ」
「こーんなたくさん食べるくせして肝心のお弁当包み忘れてくってナニ?。ていうか、作ってる方の身にもなってよねっ気分悪いったら。まぁ、ちゃんと残さず食べてるからまだ良いけど。それに、持ってくるのも重いんだから、――ってぇ!」
ぼごんっ。
「眠るなーっ!?」
脳天にキッツい衝撃。なんだ?殴られた頭よりクビのが痛い。朝に殴られた側頭部にもジンジンと痛みが甦る。
「……眠るよ、おまい説教始まると長いし。春なんだし。つーか今のけっこー痛かった。ちょっと首と肩にまで……って、なんでンな辞書なんか持ってんだ?」
ハードカバーでぶっといクソ重たいの。一年生の教科担当のと違うだろ。
「借りた」
「おう、貸した」
どっげんっ!!。
即座に小鳥から辞書を奪い両手でしっかと握り、得意げに胸を張ってポージングしている花畑の脳天へ、全体重を載せて振り落とす。
「邪魔」
頭頂を両手で抑え、床で声も無くのたうちまわっているHENTAIをゲシゲシと廊下へと蹴りだして扉を閉め、席に戻りつつ奪い取った凶器は全力で窓から放り捨てる。
「星になるがいい」
うん、綺麗に飛んでった。よし。
「ちょっ……ここ3階……って、誰か倒れてるじゃないっ!」
窓から見下ろし騒ぐ小鳥。脇から覗くと、確かに誰か倒れている。む、マズいか?。
「んー……」
目を凝らして見てみると、直撃した辞書の衝撃だろうか、特徴的なヅラを飛ばして校庭脇の小道で倒れてるのは……誰あろう、その辞書の使用を指定した英語教諭その人だった。
――俺らに、あんなクソ重い辞書を使わせてる自業自得の見本みたいなもんだな、うん。
窓に群がっていたクラスメート達も、被害者が知れるや興味を失って散り散りになり、積み上げていた机を元に戻す作業を続ける。
これだからこのクラス、ほんっと大好きだ。
「あれはいいんだ。ほっとけ」
「――そなの?」
「俺の辞書じゃないし。俺の犯行とゆー証拠もない」
問題になっても困るのはヅラの事実が公になる教諭と、辞書の持ち主だけだ。たぶん。
「なら、いいけど。ん……?」
小首を傾げながら、チカチカとイルミネーションを光らせて震えるスマホを取り出し、すっとスワイプする小鳥。
「ね、お兄ぃ。朝から気になったんだけどさ」
「……あん?」
「――だーかーらっ、話してる最中に寝ないの!もう。……あのさ、お兄ぃのケータイからガーディアンズの反応があるんだけど」
お兄ぃ、アプリゲーやらないとか言ってなかった?、と付け加える。
「あー……コレか?。やってないけど、なーんか最近、変なのが湧いてて。ウィルスかなんかだと思っ……」
ケータイを取り出そうとした瞬間、小鳥がガタタッとせっかく並んだ机を押しのけ、飛び退る。両手でスマホを守り、えらい形相。
てか、デジタルウィルスってそんなんで防げるもんじゃないだろうに。気づくと小鳥以外も逃げ去って、俺中心にちょっとした爆心地状態。軽く非難囂々。
「ちょ……止めてよ、お兄ぃっ。感染ったらどーすんのよ!」
「良い反応速度だ、我が妹&友よ」
なんとなく、親指を立てて良い笑顔を向けてみる。花畑の真似っこだが歯の白い光はこぼれない。……今度、あれも練習してみよう。
「あのね……」
「まー、判らんけどあんま実害ないみたいだし。面倒なんで放っといた」
「ウィルスかもって思ったらんなら、そこで放っとかないの、もう。……いいから、ちょっと貸して」
「ほれ」
くか……。
「って、いきなり寝る?……いいけど」
「――ンあ?。寝るよ、春なんだし……」
小鳥は自分のスマホをちゃちゃっと弄る。たぶん防壁を最大限に閉めたんだろう。
満足したらしくスマホをスカートのポッケにしまうと、俺のケータイを開く。寝ぼけ半分で、ぼーっとその様子を眺める。
……ねむ。
ぽう……と、ケータイの上に淡い立体映像が展開される。
えらくカクカクとした少ないポリゴンで描かれた、カバともワニともゾウともつかぬ四脚のケダモノが浮かび上がる。巨大な牙と顎。太く長大な胴体。胴体と同じほどに太く長い尻尾。四肢は太く、体型に比べ妙に長い。
口元に生えている牙は、ポリゴンもテクスチャも粗くて詳細がよく判らない。たぶん象の牙のように、口の端から前に向って生えているのだろう。それは口の左右で白黒色違いになっていた。
そして、その奇妙なケダモノは左右をきょろきょろと数回ほど見まわし、俺と目が合うと僅かに首をかしげ……そのまま、寝る。
……俺も、寝る。
「やだ、何コレかーいいっ……って、なんでそこで二人――じゃない、一人と、一匹?。揃って寝てんの」
「や……別に用ないし。春だし」
「それさっきも聞いた」
ちょいちょい、と小鳥が指で立体映像をつつく。
ARカメラで位置情報を把握しているのか、ケダモノは指を避けるそぶりを見せつつ、時折うるさそうに首を振り、尻尾を動かし、やがて後ろ脚で首を掻こうとして……。
「脚、届いてない……」
そのままの姿勢で、ころんと廻ってコケた。手足は長いのだが、胴体がそれ以上に長い。
小鳥はぷふっと噴き出しつつ机にケータイを置き、そこらに転がっていた椅子を引っ張りよせると腰をかけ、本格的に構う気満々の態勢で身を乗り出す。満面の笑みを浮かべ被りつきになっている。
ケダモノは首を掻くにも届かない脚を数回宙で動かし、ころんころんと転がり続け……やがて諦めたのか、そのままの体勢で舟を漕ぎだす。時折、ひくっとかピクついたりする。
「……我が家の飼い猫もたまーにこんな感じで寝てるなあ。ウチのは足が短いけど。目を半分見開いて寝るのが、何とも不気味で愛らしい」
「花畑さん、お帰りなさい。おうちのネコちゃんって短足猫でしたっけ」
「ただいま、小鳥くん。こんど遊びに来るといいよ。懐こいヤツだから、一緒に遊んでくれれば喜ぶ」
「だが、断る」
とりあえず花畑はソバットで蹴り出す。
おおぅ、とか廊下で呻いてるHENTAIを無視して扉を閉め、改めて机に突っ伏し、寝る。
小鳥はやれやれといった風情のまま、そのまま朝礼に来たクラス担任に追い出されるまで、みょーなケダモノをつついて遊んでいた。