第七章 -3
当時の葵は、とても“嫌な”子供だった。
今の、誰からも好かれる葵の様子からは想像もできないが、初等部からの付き合いがある連中なら、誰でも知っている。
傲慢で、我が儘で、泣き虫で、引っ込み思案で、冷たくて、そのくせ妙に積極的で、世間知らずで、知識だけ豊富で……一言で言えばまるで安定しない、とても“面倒くさい”ヤツだった。
あれほどに成績優秀、運動抜群、あげく容姿も端麗。
――普通なら人気者扱いだろう。
だが、余りにも性格にクセがあり、ズバ抜けた優秀さ故に周囲を見下す。
……何しろ、お隣さん程度の関係だった俺はもちろん、当時は神童扱いされていた花畑ですら、葵にとっては圧倒的に優越し、蔑みの対象にしか過ぎなかった。
そんな葵の言動は周囲と深い溝を作り、クラスはおろか教師すら含む初等部全体から孤立していた。
小鳥とは不思議と仲が良かったのだが、それも、近所の目下な子供だから自分より劣っているのも仕方ない、といった哀れみが明らかに感じられ、俺からすればかなり歪な関係に見えた。
俺はと言えば、あの頃の葵も(小鳥への態度はともかく)不思議と嫌いでも無く、かといって距離を近づけたいとも思っていなかった。
ただ、何しろ家が隣同士で同い年とくれば、まるで姉弟か親戚かといった具合に葵の面倒は俺に回ってきた。当時の担任もいい加減な教師で、葵絡みの面倒はとにかく俺に押しつけた。
あまり悪く言いたか無いが葵の両親もおかしな……というか、変わった人たちで頼りにならず、当時は今よりもガキだった俺にとって、葵はひたすら“お荷物”に感じられていた。
そんな頃、委員長やら何やら歴任していた花畑は俺や葵の事をやたらと気にしていて、何とか周囲との関係改善を試みていた。
“優等生”扱いだった当時の花畑は、場違いな程の使命感に燃えていたのだ。
やがて花畑は、授業に追加された『ケータイゲーム』、即ち、当時のバージョンのガーディアンズを使った、クラス対戦を葵に強く勧めだした。
子供のヒエラルキーは簡単な事で覆る。
教科としてのゲームの成績も抜群だった葵ならば、ゲームを通じて周囲との関係改善ができると見込んだのだろう。無頓着で無責任な担任教師も説き伏せ、クラスでのトーナメントすら実施に漕ぎ着けた。
だが、元々が葵は何もかも優秀で、それでも葵は周囲と壁を作っていたのだ。
……そこにゲームが加わったからといって、何が変わるハズも無い。今の俺や花畑なら、そう判る。
まして、当時の葵の性格から、ゲームでも容赦なく圧倒的に対戦相手を叩きのめし、しかも自慢するでも楽しむでもなく、当たり前の事だとばかり、退屈そうにしている始末だった。
――禍根はさらに深く広く浸透した。
一般教科の範囲内であれば、勉強と運動ができる変なヤツ、という評価で済んだのかも知れない。しかし、娯楽のはずのゲームですら、誰も葵に敵わない。
その事実に対し、俺は、葵なら何をやらせても凄いと判っていたから、今更だった。
花畑は、誰かをやっかむ必要が無い程に何もかも持ち合わせ、それを理解する聡明さすら備えていた。
大抵のクラスメートは、何も考える必要がないほど葵に圧倒されていた。
ごく一部。
なまじ半端な才気とプライドと抱え込み、葵に強いやっかみを持っていた……いじめの中心だった連中にとっては、それは『一つくらいは葵にも穴があるだろう』という精神的な逃げ場すら、奪われてしまう事態だった。
葵へのいじめはエスカレートを続け……。
――やがて、一線を越える事件が起きた。
*
「思い出したくもない事だろうが……」
花畑が切り出す。
そう、思い出したくも無い。だが。
「お前のせいじゃない」
――全く以て、花畑が悪いわけではない。
どこにでも救い難いほどのクズは、いる。
年齢と関係なく子供の中にもいるし、あの当時の俺や葵や花畑の近くにも、いた。
それだけの話だ。
花畑はそれを止められなかった。自分がきっかけを作った、と思っている。俺も止められなかった。
身体能力にも優れた葵には、物理的な暴力も通じない。
いじめは必然的に物を隠す壊すといった類の陰湿なものとなり、その現場を見かければバカな事やってんなよと止めてはいたが、葵絡みの面倒が嫌で……俺も根本的な解決には踏み込まなかった。
より悪質で歪ないじめに変化していることを、知ろうともしなかった。
「――俺が、自分の無責任さに納得出来なくて、暴れただけだ」
自分でもなぜ、当時あれほど激高したのか判らない。それでも、今も反省も後悔もしていない。
ただ、結果としていじめの中心だった連中に、子供の喧嘩では済まない程の怪我を負わせてしまった。
小鳥とその肩に座るクィンが、揃って怪訝そうな視線を向けてくる。葵のプライバシーの問題もあるのでごく簡単にかい摘まみ、要点は以外はボカして説明する。
「お兄ぃも負けたの?葵ちゃんに……ゲームで?」
「ボロ負け」
もうね、負けた当時、ものっそい冷たい目で一瞥されたのを覚えてる。
アレは一歩間違ってたら快感になってたのかもしれん。
すごいヤバかったかも知れん。
「ふぅん?意外――でもないか。葵ちゃん相手だもんねぇ……」
当時もガーディアンズは、かなりアクション性が強かった。
反射神経で葵に敵うハズもないが、仮に戦略でも戦術でも同じ事だ。ゲームだって現実の縮図の一部に過ぎない。
「小鳥。もう判ってるだろうけど。ばーちゃんトコって名目で、あの二年ちょい、俺は施設で暮らしてた」
多少は周りを見渡す余裕もできた今から鑑みても、初等部学園長を筆頭に、学園の人々はあの事件について、誠実に対応していたと思う。担任を除いて。
事情が事情とはいえ、“怪我をさせた”側の俺は、施設行き以外ほぼ何のお咎めもなく、“いじめの首謀者”達は、任意とはいえ退学扱いで去って行った。
責任放棄状態だった担任も、引責で退職させられたと聞く。
その騒ぎが余り公にならず、幼かったとはいえ家族で同じ初等部に通っていた小鳥すら事情を把握していないのは、退学・退職させるに当って周囲にもきちんと因果を含めていたのだろう。
建前としては暴力性の矯正と称して施設に移っていた俺にしても、学園側が相当に強く働きかけてくれた様で、ごく自然に中等部で復学の流れになっていた。
むしろ、周囲へのほとぼりを冷ます為の期間を、与えてくれていたのだろう、と思う。
小鳥は事情を一通り聞き終えると、一言、そっか……と呟いたきり、黙ってついてくる。
俺が去っていた二年強のこと、その原因となった事件と、そこに葵や花畑が絡んでくること。
……中等部に戻った俺が、やがて葵と付き合い始め、こっ酷く振られるに至る事。小鳥なりにいろいろと思う所があったのだろう。
「戻るかい、小鳥くん」
花畑が強い調子で声を掛ける。白い月が照らす中、初等部は今や目前だった。
「行きます」
躊躇せず返答する小鳥。その目は初等部の正門に向けられている。
……あそこをくぐれば、もう後戻りは利かない。
「んじゃ、先に行ってろ」
小鳥はほんの一瞬だけ?マークを頭に浮かべて首を傾げ、ん、とすぐに軽くうなづくと駆け足で正門へ向かう。その姿が門の中へ消えて見えなくなるのを確認してから、俺は花畑に向き直る。
「花畑」
「――おう、どうした?」
「頼みがある」
「……小鳥くん、か」
「ああ。俺がお前に負けたら、後は――」
そうい言いかけた俺の言葉を、花畑は強く遮った。
「ヒコ、それは“呪い”だ」
そうだ。
呪いと表現するなら、その通りだろう。判っている。
互いにゆっくりと歩みながら正門へ向かう。
「キミはボクの行動を事前に縛ることで保険を掛けている。勝っても負けても目的が果たせるように。実にキミらしいとは思うし、もちろん小鳥くんを害するつもりもボクには無いが……」
――悪い流れだ。その言葉を更に遮ろうとする俺へ右手を挙げて制し、花畑は厳然と言葉を紡ぎ切った。
「ボクは、キミとの勝負を優先する。ボクは小鳥くんに何もしない。それだけは約束しよう」
……。
言葉を失う俺に、花畑は足を止め、向き直り、そのまま言い放つ。
「小鳥くんには、何もしない。保護もしない。相克で全ての権利を失った彼女が、その後どうなろうと関与しない。ボクが呪われてやれるのは、ここまでだ」
「――ッ」
一瞬、全身から迸る怒気に目が眩み、そのまま花畑と真っ向から睨み合う。
全く感情のこもらない、それでいて強い意志を湛えた声。
コイツは、決定事項を伝えている。
おまけに横車を押しているのは俺の方で、その言葉は花畑の方が圧倒的に正しい。これは、どうやっても揺るがせない。背筋を冷たいものが流れる。
「ボクと本気で勝負するんだ、ヒコ。小鳥くんを護りたいんだろう?。それならボクに勝って、その手で、護れ」
花畑の横でポージングを決めながら、にぃっと嬉しそうに植木鉢が笑う。
……どこからか、ケダモノの嗤い声が。
植木鉢の笑みに合わせるかのように、呵々として聞こえた。




