第六章 -2
――そうだ、呆けている場合ではない。小鳥のやつ、本気で勝ちに来ている。
……いや、それは当たり前の事だ。
ケダモノの前に、堂々と立ちふさがった小鳥。
判定勝ちを狙い、小鳥を噛み殺そうとしたケダモノ。
仮にガーディアンを巻き込んでも、そっちは人間よりよほど丈夫、ガーディアンを一撃で殺さない程度の手加減をすれば事足りる、という判断だったのだろう。
他方、小鳥は俺がケダモノを止めると確信して、わざと前に出た。
読まれている事自体は仕方ない。俺だって小鳥の考えくらいは、読める。問題は……覚悟の差だ。
――小鳥は、文字通り命がけで勝ちに来た。
俺には、その意識がまるで無かった。理屈では分かっているつもりで、ゲームの延長としか感じていなかった。その差が、モロに出たのだ。
ちきしょうっ。
慣れない急坂の全力疾走に、心臓も脇腹も肺も痛い。膝が震える。いまにも吐きそうだ。
坂道を上がり切った噴水広場にも、当然の如く小鳥の姿は、無い。
どこだ?考えろ。脇道は無かった。道もない山中へ逃げ込む選択肢は、小鳥の足の早さを殺してしまうから無しだろう。
この場所を戦場に選んだのは小鳥だ。これも覚悟と準備の差だ。くそっ。
――周囲を見回す。
落ち着け、考えろ、考えろ。
何故小鳥はこの場所を選んだ?。
単に自分の足を生かして距離を稼ぐなら、平地の方が好都合だろう。小鳥はそうはしなかった。平地では駆け足の速さだけでは限界がある。俺がチャリやスクーターを使えば多少の速さなど逆転してしまう。
坂道を選んだのは道具を使えない状況で、純然たる脚力での体力勝負に持ち込みたかったからだ。それならば俺に勝ち目は無い。情けないが事実としては間違いない。
どこかに隠れている可能性は?それもない。ガーディアンの特殊能力次第では隠遁も可能だろうが、見つかったら負け、では、リスクが大き過ぎる。やはり、まだ走り続けていて距離を拡げ、逃げ切る作戦だと判断すべきだ。
――ならば、この噴水広場から延びる、それも坂道といえば……。
広場の端へ向かって走る。そこから続く細道は峠へ向かって少し下り、また隣の山へ向かって長い階段の坂を登っていく。
その先の山頂には大きな鳥居が見えている。
今では盆暮れ正月と祭りくらいにしか使われない、古い神社へと続く参道の一部。
というより、この自然遊園自体が、本来はその神社へと向かう参道の階段を流用して作られている。そして、その神社へと続く、鳥居を頂いた山道の階段を……“誰か”が駆け上っていた。
いくら満月の明かりとはいえ、暗く、遠く、もうチラチラとしか見えない人影。判別はできない。だが、結界の中で走れる者は、この場には契約者しか居ないはずだ。
――小鳥。
【さぁ、どうする?】
「俺の足で追いつくのは無理だ」
【そうだな】
「お前の脚なら、辿り着けるか?」
【無理だ。貴様も知っての通り、吾は貴様の端末を目印として顕現する】
「だったらケータイを投げつければ、そこまでは行けるのか」
呵々として嗤う声。
【行けるだろうとも。だが、投げて届くのか?向日比古。それこそ夢物語だ。貴様はいつの間に英雄譚の主人公となった?】
「……お前は自らを最強だと誇ったな?全き怠惰」
【そうだ】
「お前の武器は、その歯と牙と爪と尾だけか?」
【違う】
「あそこに届く武器があるか?」
【ある】
――!。
「……小鳥を巻き込まず、板だけを崩すために、その“武器”を使えるか?」
【無理だ】
くそっ。
……いや、違う。考えろ!。
「その武器とは、何だ?」
【炎だ。吾が息は万里を灼き尽す】
小鳥たちが走る先に見える、神社の鳥居。炎が届くというならば……。
「あの鳥居の根元を燃やして、倒せるか?」
呵々として笑う声。
【容易い】
「やれ!」
ゴオッ!!
【応!】と返す間もあらばこそ。
轟音をまといケダモノの顎から驚くほどの速さで放たれた大火球は、真っ直ぐに鳥居の根元へと突き刺さり……遠く離れたこの場にすら振動を感じるほどの、凄まじい大爆発を引き起こす。
結界の中では、現実の事象を左右しない。――基本的には。
最強だと自賛するこのケダモノの力が事実ならば、あるいは、と思った博打だったのだが。……結果としては見事に当たった。
根元から崩折れて倒れ、階段を滑り落ち始めた、参道の一番上の大鳥居。
参道の中ほどまで駆け上がっていた人影――小鳥たちは、落ちてくる鳥居と瓦礫を避けるべく、踵を返し階段を駆け下り始めていた。
俺はそこまで見届け、間を置かず神社へ向かう道を全力で下る。
*
ズズン……ッと大きな音を立て、滑りながら止まる鳥居。
もうもうと上がる土煙のなか、お互いに下りきった峠の真ん中で、俺たちはついに鉢合わせた。
「……お兄ぃ」
小鳥は静かに言葉を紡ぐ。まるで呼吸を乱していない。きっと、心も乱れていない。
「……小鳥、無茶……する、なっ」
一方、俺は切れる息を途切れ途切れに声を絞り出す。
同時に、ケダモノへ小鳥たちから見えないように合図を送る。打ち合わせ通り、あの火球を十分に手加減したうえで、小鳥の足下近くへ叩き込め、と。
ケダモノが顎を大きく開き、そこから眩い光が漏れる。したたり落ちる炎すら、大地を灼いて煙を上げる。
「お兄ぃ!」
「おい!止めろ!!」
俺は、ケダモノを止めるフリをした。あたかもケダモノの暴走に焦っているかのように。
火球はそのまま放たれる。
そう、いくら結界内とはいえ、あの威力でまともに直撃すれば、小鳥も~死なない程度ではあっても~大怪我をしかねない。勝算は十二分にあると認識していた。
もちろん失敗の可能性もゼロではない。だが、それでも一番堅実な方法だと確信していた。
火球は小鳥の足下近くで炸裂し、煙と炎が噴き上がる。
やがて辺りを覆い尽くす煙が晴れていく。そこには狙い通り、小鳥の懐から飛び出した小さなガーディアンが、小鳥の前に立ちふさがっていた。
……火球の威力を存分に受けて、瀟洒な服も宝冠も、所々焼け焦げている。
「クィン!だめ!!」
『判ってる。でも』
崩れた宝冠から僅かに覗く視線が、俺とケダモノを真っ直ぐに貫く。
ごめんな、と心の中で呟く。
あの時、ケダモノが『戦王の視線』と称した邪眼を彼女が唱え、放とうとしたその一瞬。
俺からはケダモノと彼女の位置は重なって見えた。
つまり、彼女から見た俺とケダモノの位置も、重なっていた。
あのまま邪眼が放たれれば、それこそ俺は巻き添えで撃ち抜かれ、くたばり、それでもケダモノはまず間違いなく生き残っただろう。
それにより、ケダモノの力を手駒として欲する小鳥たちが、そして俺たちも狙っている「判定勝ち」が、成立していたハズだ。
仮にケダモノが致命傷を受けてKO負けとなったとしても、小鳥たちには好都合で、その最強と称する力を取り込めていた事になる。
そして……どっちにしろ、俺は死んでいたに違いない。
そう、本当に命がけでは無かったのは、俺だけだったのだ。さすがに、小鳥はそんな結末を望みはしなかっただろうけれど。
けれど、あのクィンという名の小さなガーディアンは、一瞬躊躇し、視線をズラし、俺を避けて邪眼を放った。
おそらく、本来狙っていたのはケダモノの顎、あるいは頭部だろう。
ケダモノの「火球」という強烈な飛び道具の存在を、事前に俺のケータイをいじって情報収集していた小鳥と彼女が知らなかった、とは思えない。それこそ、真っ先に封じようとしていたハズだ。
だが彼女は、とっさに俺を狙いから外し、ケダモノの尻尾を視抜いた。
その尻尾は未だに再生を終えていない。頭部を狙われたらなら同じように再生し切れず、火球を放つ事も出来なかった。仮にあの場で運良く俺が生き延びていたとしても、噴水広場の時点で俺たちは手も足も出せず、詰んでいた。
けれど、彼女が視線をズラしてくれたおかげで俺は生き残り、ケダモノは無傷の顎から火球を放って鳥居を打ち崩し、小鳥と彼女は窮地に立たされた。
とっさに対戦相手の契約者をすら気遣ってしまう、優し過ぎる石板。
彼女ならば、小鳥自らが囮となる前提の作戦、即ち「自らは常に隠れていなければ成立しない」と分かっていても……小鳥が真に危うい状況であれば。それこそ罠だと気付いたとしてすら、不利を承知で小鳥を護るだろうと、確信できた。
俺が小鳥を護るため、とっさにケータイを閉じてケダモノを消してしまったのと同じように。
俺は、彼女の優しさ迷わず利用した。要は小鳥のやった事の逆だ。そう、何だってやってやる。どんな汚い手段でも、形振りなど構うものか。
……小鳥を、護るためならば。
「クィン……!」
小鳥の悲痛な声。
『王よ、王。汝が目は全てを打ち砕き、汝が手は全てを護りたもう――』
鈴のように通る声。彼女の、呪詛。あるいは祝詞。
【どうする?向日比古】
どうもこうもない。
「薙ぎ払え!」
十分に手加減をして。そう、その手筈だった、のだが。
【応ッ!】
ケダモノは、とんでもない火力で、辺り一面を文字通り薙ぎ払った。




