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でもんず  作者:
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第一章 -1

 ――とても、悪い予感はしていた。このところ、えらく夢見が悪い。


 悪夢から目覚めると、そこには。手にした鈍器を振りかぶる悪鬼の姿。

 とっさに伸そうとした腕が遮られる。掛け布団が邪魔しているのだと気付いた時には、すぱこーんと軽く盛大な音をたて、凶器は俺の左側頭部へと吸い込まれていた。

 鼻の奥がきな臭い。眩む涙目をのぞき込むように、顔を近づけてくる暴行犯。

 思わず、その名を呟く。


「――、小鳥」

「ん。……起きた?お()ぃ」


 あのな。むしろ永眠しそうになったっつーか。

 文句つけようにも凶器……手にしたアルミ製のフライパンをくるんくるんとこれ見よがしに素振りしているのが目に入る。

 我が妹ながら見事に隙が無い。てか、制服にエプロン姿って事は……メシ作ってた途中か。そこで、ようやく朝だと気付く。それも、実力行使ってことは時間もかなり押してるのだろう。……くっそ。


「――すぐ降りる」


 着替えるからと手で追い払うと、バタンとしまるドアの先から、階段を降りる足音に急いでよねーと小鳥の声が重なる。

 左のこめかみがジンジンと痛い。

 ったく。

 目覚ましかけといたハズなんだがと思いつつベッドから降りる。足に何かが触る。床に転がっていたのは……俺のケータイ。


 今時、スマホですらない折り畳みのゴツい携帯端末。中身はスマホに近い構造だが。


『お前、新品渡すと絶対壊すだろ』


 と、親父から渡されたお下がりで、まぁ確かに丈夫で古い割にはそこそこ早いので文句はない。机の充電マットから落ちてるって事は……鳴ってから叩き落としちまったか。くっそ。


 時間を見ようと拾うと、時刻を示す小窓にメール着信の記号。ただし、表題の文字は意味をなしていない。またバグっているらしい。肩をすくめて再起動させ、充電マットの上に放り投げる。

 着替え終わると開けっ放しのドアから漂ってくるパンの焼ける匂い。急かしてくる小鳥の声にあくびをかみ殺して応えつつ、伸びをしながら階下へと向かう。


 *


 いただきますと声をかけ、朝食に手を付ける。挨拶は大切。

 今朝の向日家(我が家)の朝食は、トーストにスクランブルエッグと軽く炙ったポークランチョン、うっすらと湯気を立てる温野菜のサラダにピクルスの付け合わせ。


 学者で世界中を飛び回ってる親父と、生活能力皆無な親父に付き添ってるお袋のおかげで、我が家の食卓は基本的に俺と小鳥の二人きりだった。

 一時は親父達が戻ってきていたけれど、その頃は俺の方が事情でずっと留守にしてたので、印象的にはあまり代わらない。


 そのお陰か、小鳥の料理の腕も家庭の主婦級というか、手抜きではあってもそれなりに美味い料理を作れる様になっていた。今日のメシもお手軽メニューだが、悪くは無い。

 それは良いんだけど、な。


「なに、お兄ぃ?おかわり?」


 話しかけつつトーストをもふもふ囓る小鳥。目は時々、机のスマホから宙に投影されたニュースを追っている。

 ……また行儀悪いな。それはともかく。


「何でまた、おまいは、実の兄を、朝っぱらからしこたま殴打するのか?と問いたい」


 つーか小一時間問い詰めたい。だが、そーすると確実に遅刻するので避ける。

 殴られた辺りを軽くさすると、けっこー痛い。……コブになってんじゃねーかな、コレ。


「ん~~……」


 宙を見上げて、軽く首をかしげ、なにか考えてる、みたいな表情(かお)

 だが、間違いなくナニも考えてない。その証拠に、口元は休まずトーストをやっつけ続けている。たんたんとペースを保ちながら。


「――うん、実のお兄ぃじゃなくて、義理のお兄ぃだったら態度変えるのって、なんか気ィ悪くない?」


 トーストを食べ終え、そう言い放つ。ぺろっと指を舐めながら、事も無げに。

 ふわぁ、とか軽くあくびを一つ。


「ん?おまえも寝てないのか?」

「んー、ちょっと」


 小鳥は猫のようにぐしぐしと顔をこすると、肩にかかる長い黒髪を邪魔そうに軽く払う。

 軽く口元に手をあて、ふわっと、もう一つあくびをしつつ、パン~もう一枚~っ二枚~とか、謎なパンの歌を鼻で歌いつつ新たな食パンを……なんかやたら嬉しそうに、トースターへと放りこんでいる。


「……じゃない、えーと。うん、そりゃまぁ、義理とか実の兄とかそーゆー話なら、そーなるだろうけどもな」


 そーゆー話じゃなくてだな。


「でしょ?それとも『朝は』ぶつなってこと?。でも夜はぶつ必要ないでしょ。起きてるんだし。……まぁ、寝ててもいいけど、夜はわざわざ起こさないよ?」


 以前、夜中も文字通り叩いて起こされた気もするんだが。まぁ、それはともかく。


「てか、お兄ぃ。遅くまでテレビなんか見てるから寝坊するんでしょ。寝るの大好きなくせにナニやってんの。……あ、また録画の調子悪い?」

「……まあ、な」


 昨日の真夜中、一応親友の花畑(はなばたけ)から、自宅のレコーダもクラウドも一杯なんで録画しといてくれと、土下座せんばかりの頼まれメール届いたんだよな。あいつの格闘技好きも大概っつーか。

 ところがウチのレコーダも予約機能死んでて、しょーがないから手動録画しようかと起きてたら番組がやたらと長くて……そのまま寝坊した訳か。くっそ。

 ンで、その肝心の試合はまた、えっらい拍子抜けの一方的な内容で、わざわざ観たヤツみんな損したというか、俺が今朝方まるっと殴られ損だった。

 うん、すっかり忘れてたな。花畑には利子を上乗せしてお返ししよう。

 ――じゃなくて。


「殴るな、とゆってるんだ。俺は。」


 つか、このポークランチョン旨いな。後で缶詰の銘柄見とこう、とか思いつつ、一応注意はしておく。乱暴狼藉がこれ以上エスカレートするとこっちの身が持たない。物理的に。


「ぶたいないとお兄ぃ起きないじゃん。あ、ママレード使う?……なに??」


 右手でみかん模様のマークがついた瓶を差し出しつつ、心底不思議そうに小首を傾げる。もう片方の手で摘まんでるトーストをかじり続ける口元が止まる気配は、全く、無い。


「要らん――って、……もういい」


 なんつーか、もう、本気で何もかもどーでも良くなってくる。

 肩を落としつつため息を漏らし、茶をすする。


「そ?……あ、そだ。ね、お兄ぃ」


 小鳥はこっちに呼びかけながら、一方にバター、一方にママレードをたっぷりと塗ったトーストを一枚づつ両手に載せ、そのまま拝むようにビッと一つに合わせ、シアワセそーにはむはむと食し始める。

 ……美味いのか?それ。


「おにぃ、けーらいのけーむわゃらない、とかゆってなかった?」


 6枚切りのトーストを二枚重ねて口にしながら喋ってるせいか、やたらと聞き取りづらい。ほんっと行儀悪いな。

 ――とはいえ、俺もひとの事を言えない程度の行儀の良さなので、注意もしづらい。どーしたもんかね兄としては。


「ナニ言ってんだが聞こえね。んーと、ケータイゲーム?アプリゲーか。やんないよ。かったるいし。面倒い」


 ソシャゲのガチャゲーやお手軽アクションも悪くはないんだけど。好みじゃ無い。


「そなの?けど……」


 食べ終わって、ぺろっと指を舐める小鳥。具のママレードかバターがはみ出したらしい。舐め終わった手を、また食パンの袋へと伸ばす。


「――おま、まだ喰うのか」

「運動部はお腹空くの。何もしてないお兄ぃと違って。だいたいお兄ぃだってお昼はすっごい食べるじゃん。それに、体重増えてないんだから、ちょっとくらい食べたっていいでしょ。」


 まあ、細身の体型を維持してるのは確かだし、うちは割と食べても太らない家系らしいけどな。

 と、ニュースが時報を告げる。こりゃヤバい。


「……先に行くぞ?」


 壁時計へ目をやり、そう宣言。朝からアホな問答に時間を掛けすぎた。

 囓りかけたトーストの最後の一片にスクランブルエッグを載せ、温野菜の残りと一緒に掻き込みつつ、茶の入った湯呑を空にする。


 ……それにしても。

 多少手抜き気味とはいえ、即席じゃない料理作るのは身内ながら偉いと思うし、美味い事は美味いんだが。こーまで和洋折衷なのはどーかなーとは思わなくもない。

 食器棚に並んでるレシピ本のタイトルからすると、その内に中華やイタリアンも混ざるのだろう。――軽く戦慄すら覚えるな。楽しみにしてよっと。


「あ、ちょっ……お兄ぃ!」


 二枚重ねのトーストを囓りつつ何か言いかけてる小鳥は放っとくことにして、カバンを取りにダッシュで二階へ上がる。

 軽く身支度を整え、ケータイをカバンに放り込んで階段を駆け下りる。高等部上がって早々遅刻すんなよー、と一声掛けつつ玄関に腰をついて靴紐を結ぶ。

 俺もそうだったけど、中等部からエスカレータだと緊張感無いんだよな。

 玄関脇の姿見で最終確認。……ネクタイ忘れてるな。ま、ウチの校則は緩いし放っとこう。ネクタイは着けるのが望ましい、みたいな扱いなんで割と忘れがちになる。

 ……背後から小鳥の声が聞こえてるよーな気もするが、面倒なので気にせず玄関のドアをくぐる。


 今日も快晴。日々是好日。

 口に手をあて、あくびを噛み殺しながら急ぎ足で門から道路へ。

 と。


「あ」


 脇から聞き覚えのある声。


「あ?……」


 振り向こうとした瞬間、甲高い金属音。

 それがチャリンコのブレーキ音だと気付く間も無く、腰の辺りに強烈な衝撃。視界ガクンとズレる。

 そのまま肩から門柱に激突、何かに身体が引っかかって横方向に半回転、勢いで後頭部をどこかの角で強打する。ずるずると塀にもたれるように身体が落ちていく。

 空を見上げる視界の端に門柱と表札。大きく『向日(むかい)』、下に小さく『比古』、そのとなりに、『古鳥』。


 ――これが、そーまとーってヤツなのかなー。なんか視界がスローモーションに……。


 倒れたまま後頭部を両手で抑え、声も出せず道路に転がってに呻いていると、えーっと、とか、聞き覚えのある声が改めて聞こえる。

 ようやく痛みも多少収まり、一息ついて片手で半身を起こしながら道路に座り込む。

 涙で霞む視界に、電動チャリに跨がったプリーツスカートが見える。


「――おはよ、比古(ひこ)


 どーやら片手を上げて挨拶している、らしい。

 元気?とか付け加えてやがる。


「……お、お……」


 もはや声も出ない。


「おはよ?」

「……おま、何だ?その足は!」


 自転車に跨がり、地面に接した左足の反対側……ケンカキックの要領で上った右足がゆっくりと戻されていく。

 ――てゆーか、パンツ見えてる。そう指摘したらもう一発蹴られた。理不尽な。


「なんかブレーキの利き悪くてさ」

「……悪くて?」

「ぶつかりそーだったんで、あんた蹴って止めた」


 声の主にして、半年ほど前まで彼女だったハズの幼なじみは、しれっと冷酷に言い放った。


「あのな、葵……」

「ん?」

「轢き殺されるかと思ったわ!」

「ちょっ、じょーだんでしょ?。事故だってば。轢くならちゃんと、こう……」


 ――目が、どーしよーもなく本気(マジ)だった。


「わかった。良くわからんが、わかったから改めて轢こうとするな」


 電動アシストされた前輪が、未だ立ち上がれずにいる俺に容赦なくのしかかろうとする。つーか半分乗っかっていた。


「そ?」


 ニコっと笑って、満足そうに車体を引く葵。


 こいつもなー。なんか小鳥に近いトコがあるんだよな。時々、すっごい疲れる。

 つーか小鳥とも幼馴染みで同じ部活なんだし、なんか悪い影響受けてる気がしてしょーがない。お役所も非実在なんたらより先に、こいつを排除したほーが青少年の教育上はマシな気がする。


「ン?」


 何食わぬ顔で首を傾げてやがる……ほっとこう、もう。とっとと切り上げないと、小鳥も出てきて一悶着追加されそうだし。

 痛む腰と頭を両手でをさすりつつ立ち上がり、表通りへ足を向ける。


「あ、ちょっと比古。あんたナニ無視(シカト)して行こうとしてんの」


 衝撃で前につんのめる。


「だーから、轢くなっつーの!。痛ってーな。急がないとそろそろ時間ヤバいんだよ」


 葵は、あ、ほんと?とか呟きつつ腕時計を確かめる。

 ふいに胸が詰まる。なんでだ?と思ってから気付いた。あの安っちいキャラクター時計、俺が贈ったヤツだ……。


「なら乗ってきなさいよ、後ろ。いちおー、お詫びに」


 こっちのもやもやした心中は関せずとばかり、涼やかにチリリンと鳴る電子ベル。詫びと言いつつ得意げなドヤ顔。

 別の意味でも涙出そうなほどに、頭が痛かった。


 *


 そーいや葵のチャリの荷台も久しぶりだなぁとか思いつつ、とてもラクチンな通学路。腰も頭も未だに痛むわけだが。

 それはそーと、こいつも小鳥も陸上部なのはダテじゃないとばかり、揃って足腰丈夫なんだよな。正直、そこは大したもんだとは思う。

 その小鳥は今頃、全力疾走してる時分だろう。

 時々トースト咥えながら走ってるあたり、みょーなフラグでも立てる気なのかも知れん。


 ――もちろん、フラグなんて立ったら速攻でヘシ折る訳だが。俺が。


 それはともかく。小鳥の、あの中距離走に朝から付き合わされるのは本当に勘弁。一時限目からマジで死ねる。教室で吐きそうになるもんな……嫌な感覚を思い出し、どこか遠くを眺めたくなる。


 駅から学園へ向かう大通りに入ると、ポツポツ学生服が目立ち出す。スーツ姿も多い。学生服は駅から丘へ、スーツは町から駅へと流れて行く。

 校則でも二人乗りは一応アウトだが、そこはそれ、葵も慣れたもんで上手いこと見回りの教諭が居そうなポイントを避け、要所々々で脇道を抜ける。

 繁華街から住宅地へ、裏道をするすると走り続け……。


「坂。ちゃんと掴まってて」


 そろそろ楽々サイクリングも終了か。

 ほとんど平坦な通学路なんだが、最後の最後に高等部校舎を含む一帯は結構な坂道を登った高台の上にある。

 見晴らしこそ絶景なんだけど、通ってる身としては勘弁して欲しい急坂だった。

 いじめに近いよなー、この配置。


「うーい」


 ともあれ葵の腰に回した手に力を込めて密着する。セミロングの髪が顔をくすぐる。微かに甘い匂い。ほんの少し以前まで、とても近くにあったハズの、柔らかでやさしい香り。

 ……動悸早くなるのを自覚する。今更と感じながら、チクりと胸が痛くなる。


 苦い思いを噛みつぶしている間に、高台の上に見え隠れする校舎。

 電動アシスト付きとはいえ、この坂道を野郎一人分の体重を載せてすいすいと漕いで登る葵の脚力に、改めて感心する。

 風にふわっと、淡雪にも似た薄片が流れる。春服の学生服の群れの上を、一枚、二枚と舞い落ちる花びら。


「ね、比古。桜っ」


 あー、咲いてるなー、とか適当に話を合わせつつ、坂を登り切ったその先、校庭の桜並木に目を向ける。いつの間にやら見事に満開。


「裏門にも二・三本、植えてくれてもいいのにねー」

「ほんとになぁ……」


 学生のチャリは規則で正門からは入れない。チャリも入れる裏門近辺には、残念ながら花をつけない常緑樹しか植わっていない。

 その裏門が近づくにつれ知った顔が見え隠れしだす。おっすヒコとか明星(あかり)さんおはようとか、俺や葵に向けられた挨拶がいくつか。うーすとかおはよっとか、挨拶を返すうちに坂を上がりきって――。


「段差、有るよー?」


 挨拶に手を挙げて応えた瞬間、裏門の段差をチャリが乗り越える衝撃で、すぽーんと荷台から投げ出される。小路を転がり車止めに腰から激突してから『段差』と注意されても……その、心底リアクションに困る。


 首と背中と腰が壊滅的に痛い。ついでに、小鳥に殴られた頭も改めて痛い。

 涙がにじむ。軽く吐き気すら感じる。


 朝っぱらから、もうね……嫌な予感はしてたんだ、ほんと。

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