第五章 -3
ケータイを開く。眠るケダモノが浮かぶ。
躊躇している余裕は無い。何があろうとも。
「起きろ」
ケダモノが目覚める。
『……なんだ?』
「契約しろ、俺と」
『断る』
ケダモノは言下に切って捨てた。
それはそうだろう。こいつにとって、俺との契約には何のメリットも無い。
……今のところは。
『……ここは?』
ケダモノが周囲を見回す。
「こないだのカラオケ屋の個室だ。……電磁暗室の中」
か、か、か、と声も無く嗤う。
『吾が、ここから逃げられない、とでも?』
「そうは思っていない。というより、そうだとしても、お前には何の痛手にもならない。そうだろう?」
『そうだ』
「俺の話を聞いてもらう。途中で居なくなられても困るんで、な」
その為だけに、この場を選んだ。
「もう分かっているな。お前には」
『……』
「俺は敗者がどうなるのか、聞いてきた。“願い”の本当の意味も」
契約者以外には相克と関与できない。小鳥が既に契約者ならば、コイツの力を利用するしか小鳥を守れない。
「俺と契約してもらうぞ、怠惰」
『断る』
「断るな」
『断る』
「なぜ断る?」
『……』
「答えろ。何故、契約を断る?」
『…………』
「言ってやる。お前は欠陥品だ。だから戦いたくないんだ。そうだろう!?」
『貴様……』
「何が“一欠片”だ。笑わせるな。お前は完成品だ。だから戦いたくない、そうだろうが!」
俺の参戦を望む花畑の横槍によって、俺は『ガーディアンズの仕組みの中』で『契約の意思』を示してしまった。
それ自体は確かにケダモノの主張する通り、ただの片務契約を示したに過ぎない。互いの契約は完成していない。
しかし、それにより僅かとは言えケダモノと俺とは、強制力で繋がってしまった。
――あの、凄まじい徒労感をもたらした夢。
夢の内容は朧気にしか覚えていない。
だが、遠大で周到な計画の全てが、何もかも崩れ落ちてしまった途方も無い徒労感だけは、否応なしに叩き付けられた。
あの夢こそ、俺たちが繋がってしまった結果であり、それ故に俺は怠惰を理解できてしまっていた。
「全き怠惰、か。文字通りだな。お前は自らの破片を、大賢者が砕いたという“十二の一つ”である“怠惰”を選択的により集め続け、ついには完成させた。そうだな?」
『貴様……』
「まったく、度し難い好き嫌いもあったもんだ。結果としてお前は、大賢者の強制力にすら抗えるほどの完成度を誇り、ついには他の要素を拒否し始めた」
『…………貴様ッ』
「強いはずだ。最強だと?当たり前だ。完成品が、未成品と争ってるんだ。敵うハズがない。弱い者イジメも大概にしとけ」
『……貴、様……ッ』
「悔しいだろう?、腹立たしいだろうが?、怠惰!。お前はもう、何もできない。ただ朽ち果てる日を夢見て、ただ朽ち果てる日を遠ざけるために、ただ怠惰に日々を過ごすしか無いんだ!」
『貴、様、ァッ!!』
ごおっと、あり得ない風圧すら感じさせる爆発的な勢いで。全き怠惰が顕現する。
――ごわごわと堅く、何者をも寄せ付けぬゾウの肌。
――ワニを思わせる太い顎と、ノコギリ状の刃の歯。
――白黒一対の鋭い牙は、顎の根元から眼前の敵を目指し、顎に沿って真っ直ぐに伸びている。
――カバの如く重鈍で巨大な体躯。それを支えるに相応しく極端に太く、突進力を生み出す為に長く、引き裂くための鋭い爪を備えた逞しい四肢。
――太い体躯の幅そのままに続いてうねる、顎と同じくワニを思わせる巨大で強靱な尻尾。
――空虚な眼窩は悪意と敵意に満ち溢れて俺を捉え、怒りに震える顎からは炎の雫が垂れ落ちる。
【そこまで望むならば……この場で殺してやろう、向日比古ッ】
怠惰の“声”は、ケータイを介さずに直接脳裏へと響く。
今のこいつは実体だ。石板の力を全て解き放っている。
否応なしに、それが判る。
余りにも威圧的で巨大な真の姿を示した全き怠惰を見上げながら、俺は、なお叫ぶ。
「俺と契約しろ、怠惰!」
【貴様……っ。今さら命乞いか……ッ!?】
「俺が、お前の望みを叶えてやる!」
【!?】
「だから、俺と契約しろ!怠惰ッ!!」
*
【なん……だ、と?】
拍子抜けしたように立ち尽くす怠惰。
だが、次の瞬間には前にも増して怒りが膨れあがっていく。
馬鹿にされたと思っている。
【貴様……もう一度、言ってみろ】
「俺が、お前の望みを叶えてやる。だから、俺と契約しろ、怠惰」
一言一句違えずに繰り返す。
【貴様……ッ】
「もちろん、お前の本当の願いは、決して叶わない。俺達は大賢者の掌で踊るのが精一杯だ。そうだな?怠惰。お前の抵抗も、しょせんはその範囲の出来事だ」
【…………】
叩き付けられる強烈な害意。意識が薄く、遠くなる。……だが、構ってなどいられない。
振り払ってなお続ける。
「思い出せ、怠惰。大賢者の力の及ぶ範囲の“外”なら……人の理の範囲ならば、勝利さえすればその意思は実現できる。お前は最強なんだろう?』
【……】
「それなら契約さえすれば、お前が勝ち続けるなら、俺が望みを叶えてやる。俺と契約しろ、怠惰ッ!」
【……貴様、己が何を言っているのか分かっているのか?】
「お前こそ分かっているはずだ、怠惰。俺たちはもう、半分繋がってしまっている」
膨れあがり、部屋ごと壊し尽くす勢いだった瞋恚が、一気に収束していく。
【……そうか……】
――そうだ、怠惰。
【――ガーディアン・システムの完膚なき破壊――だと?】
そうだ。
それが、俺とお前の最適解だ。
*
大賢者とやらは、俺たちからすれば神ようにも等しい存在だ。怠惰から流れ込んできた記憶の数々と、ここ数日の異変の全てが、それをどうしようもなく物語っていた。
その強力無比な加護を打破するには、大賢者自身と同等以上の存在にしか不可能だろう。石板達の相克にしても、それ自体を直接に止めようとすれば同じ事だ。
怠惰の本当の願い、即ち『相克の完全な停止』は……大賢者と同等以上の力を持たない限り、どう足掻いても不可能だ。
だが、ガーディアンズを成立させている、石板達に協力し、お零れに預かるだけの下らない仕組みは、人が創り、人が改良し、人が運営している、その程度の代物に過ぎない。
大賢者の加護から抽出された莫大な祝福と呪詛を用い、運営者に対してその破壊を要求すれば……その程度の“人の運営する仕組み”など完全に壊滅させて、なお余裕でお釣りが来るほどだろう。
そして、この下らない仕組み(ガーディアン・システム)さえ壊してしまえば、怠惰が“怠惰に”振る舞って終焉を遅らせ続ける限り、相克の収束には無限にも近い時間を必要とする。
俺はこのクソッたれな仕組みを叩き潰す。それを願う。
お前はその願いによって、滅びの日を大きく遠くへ伸ばす事ができる。
俺たちの利害は一致している。
――俺と契約しろ、怠惰。
【……】
怠惰がゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
【――貴様は、ただ、妹を助けたいだけだな】
「そうだ」
【貴様は、友を傷つけても構わないというのか】
「そうだ」
【貴様は、貴様自身の命も、人生も、その全てを喪っても構わないのか】
「そうだ」
【それでも、妹を助けられるとは限らない】
「……そうだ」
【妹の願いも打ち砕くのか】
「そうだ!」
俺は本音の全てを叩き付ける。
「俺は、俺自身の、小鳥を守りたいという欲望のためだけに、小鳥の願いも、花畑の希望も、他のだれかの祈りも全て粉々に砕いてやる。俺の命でも未来でも、俺のモノなら何でもくれてやる。お前の望みも叶えよう。だから――」
【……】
「だから、俺の願いを、たった一つだけ聞き届けろ」
【……】
「俺と契約しろ、怠惰!」
怠惰は目を瞑り、やがて見開く。
その空虚な眼窩に、初めて悪意以外の何かが宿る。
【――いいだろう】
……っ。
【いいだろう、貴様が正しい】
――……!。
【吾と契約しろ、向日比古】
獰猛な石板が、まるで謳うように契約を紡ぎ始める。
【吾は全き怠惰。
吾が牙は千仞に届き、吾が息は万里を灼き尽す。
吾はこれより貴様と共にあり、吾らを塞ぐ、その尽くを打ち砕く。
貴様の全ての願いを寄こせ。
貴様が求めるただ一つ、吾が助力をくれてやろう】
――そうして契約を終えた石板は、空を仰ぐように直上へ向かって大きく顎を開き、呵々として声も無く大笑を続けた。




