第五章 -2
花畑がぶるっと身を震わす。風も強く、この季節にしては少し肌寒い。
「おぅ、どうしたんだ?」
「……悪いな」
保健室を辞した後、どうしたものやらと暫し悩んだのだが。
もう時間も無いし形振り構っていられないと判断し、メールで花畑を呼び出すことにした。
場所はどの校舎からも影になって見えづらい、実習棟の屋上。時間は二時限目の授業中。
この場所、この時間ならば、まず誰からも邪魔は入らない。
「お?、本当にどうしたんだ?」
左頬の真っ赤な手形に目が行ったようだ。
「ああ、ちょっとな。気合いを入れた」
全く以て嘘では無い。
花畑も、そうか、とだけ返す。察するところがあったのだろう。
ともあれ時間が無い。俺はすぐさま本題を切り出した。
「単刀直入に言うぞ?俺は説明を受けてない」
腕を組んで俺と対峙する花畑。
心理学あたりだと腕組みは防衛心理の現れらしいが、こと花畑に関してはむしろ真逆だ。相手と本気で向き合おうとする時にこそ、こいつは腕を組む。
「教えてくれ。負けた契約者はどうなる?」
それこそ、ケダモノが徹底して言及を避けていた、最も重要な点だった。
「ヒコ、キミの事だから……もっと搦め手で来ると思っていたよ」
花畑は淡々と、だがダムのように溢れんばかりの意思と感情を湛え、言葉を紡いでいる。こんな様子の花畑は何年ぶりだろう。
そう、初等部のあの時以来、か。ガキの頃の痛い記憶が胸によみがえる。だが、今はそれどころではない。
「正味、時間が無い。お前を問い詰める時間も惜しい」
花畑は、そうか、と呟いて腕組みを解き、風にながれた短髪を軽く整え、もう一度腕を組んで続けた。
「そうだな。確かに時間はない。何をやってるんだ、と、ずっと思ってたんだ。まさか、そもそもガーディアンズを起動すらしていない、なんて思いもよらなかった」
「……そうか」
「おぅ、そうだ。ボクもキミのスマホゲーム嫌い……じゃないな。ガーディアンズ嫌いを甘くみていた。ボクも原因なのにな。済まなかった」
原因?まさか。だが、それを告げたところで意味は無い。花畑はそうだとずっと思っている。そして、俺がそんな事思っていない事も、百も承知だ。本当に今さらだ。
だが、それでも。
「そうじゃない。だが、そう思うなら余計に教えてくれ。負けた者はどうなる?」
わざと、その花畑の贖罪の想いを利用する。それすらも、通じているだろう。形振り構っていられないのだ、本当に。
花畑がゆっくりと口を開く。
「……どこまで聞いた?というより、どこまで知っている?」
「石板とやらに起因する事柄は、大方理解していると思う」
ふむ、と、花畑は組んでいる腕をそのままに、軽く首を傾げる。
「――そうか。知りたいのはガーディアンズと契約者に関する部分か。なるほど、確かにキミから完全に欠落しているハズの知識だ」
――そうだ。
「そして……そうだな。全き怠惰なら、決してキミには説明しないだろう」
……そうだ。
「最初から話した方が早そうだな」
……。
「ガーディアンズを利用した石板たちの戦いで、最後まで勝利し続けた契約者は、加護の力の大半を利用できる。それにより願いも叶う。ルールの範囲で。そこまではたぶん、キミも聞いているな」
「ああ、聞いた」
「ガーディアンズでの戦い……彼ら石板達が称するところの“相克”は、ガーディアンズを維持するシステムにより展開される、“結界”の中で行われる。そこで起こったことは、結界の外にはほとんど作用しない。これも聞いているか?」
「――聞いた」
「最終的な、たった一人しか残らない勝者への褒美だけでは、契約者のモチベーションは中だるみをする。それを防ぐために、また別な報酬が用意されている。そして、ガーディアンズを維持する彼らが欲しいのは、勝者だけだ。連中は、敗者には全く興味が無い」
「――敗者はどうなる」
「知っての通り、石板は負ければ喰われる。契約者については……結界の中で起こった事は、政府も自治体も一切関知しない。勝者は敗者を好きにできる。コレが、敗者の運命の一つだ」
――小鳥。
一気に頭へ血が上る。怒りが体中を満たしていく。だが、それをぶつける相手は、こいつじゃない。分かってる。分かっては、いる。拳をぎゅっと握り込んで堪えた。
「……大丈夫か?」
「ああ。続けてくれ、頼む」
花畑は一つ息を吸って、続けた。
「もう一つ。石板達への“加護”は、ガーディアンズという仕組みの維持そのものにも影響力を及ぼしている。石板に自身対する強制力や、勝者への祝福とはほど遠い微弱なものだが、それでも契約者達へも十分過ぎるほど強く作用する。結界の外でも、勝者は敗者を自由にできる。これが敗者の辿る二つ目の運命だ」
「……一つ目と二つ目はどう違うんだ?」
煮えたぎる思いをギリギリと抑えつけて問いかける。
「一つ目は本当に無法地帯だ。その気があるなら敗者を殺してしまっても、結界の中ならば無かったことにされる。法的には、な。二つ目は、敗者に影響する石板起因な強制力の話だ。敗者は、勝者に逆らうことが出来なくなる」
轟、と、脳みその中を暴風が吹いている様な気がする。
「花畑」
「なんだ?」
「“願い”の事だ」
「おう」
「アレは……怠惰は、『大した事は叶わない』と言っていた」
「ああ、そうだ。大した事が叶う訳では無い。神話に遺る賢者たち本来の力、魔法に等しいような事は、何も出来ない」
「出来るのは、『契約者の特典の普遍化だ』と」
「そうだ」
「教えてくれ、花畑。それは強制力で、人の心を自由に出来る、という事か?」
「……そうだ。相克の“外”でも強制力が、まぁ規模や力に制限はあるんだろうが、かなり任意に働く。大した『大した事では無い』事もあったものだ、な」
頭の中が真っ白になる。確かに物理的には何も出来ない。だが、盲目的に人を支配できるなら、それは人の世の中は何でも出来るのに等しい。
宗教、国家、団体。
過去に存在した、幾人もの、理不尽なカリスマを持ったリーダー達の名が、脳裏に浮かんで消えていく。
「――冗談じゃねぇ……」
「そう、冗談じゃあ無い。誰しも滾る願いを抱えている。何もかもを犠牲にしてでも、叶えたい想いが、ある。だから――」
「だから、こんな、無法でデタラメなゲームをやるってのか?。花畑、お前も!」
「おぅ、その通りだ、ヒコ。何が何でも、どんな事をしてでも、実現させたい夢はある。そして、それは小鳥くんにも、だ」
目の前が真っ暗になり、床へと叩き付けられていた。
今日は、よくよく床を舐める日だ。そんな埒もない事が頭に浮かぶ。
「おぅ、済まん。つい……」
激高して、せっかく自分の事を思って語ってくれている友人に殴りかかり、あげくカウンター一発で顎を殴り倒され、のされた。
情けなくて反吐が出そうだった。
「――いや、悪いのは全面的に俺だ。済まん。……いや、だから謝るな」
分かっている。文字通り嫌と言うほど。
それでも煮えくり返る腸は収まらない。謝罪の言葉と共に差し出された花畑の手を拒絶し、痛む顎と殴られた衝撃で震える足をだましだまし立ち上がる。
「……お前の目的は何だ?、花畑」
「――本当に大切な願いは、口にすべきだと思わない」
「そうか」
「一応断っておくが、ボクは小鳥くんの願いを知らない」
「……そうか」
軽く頭を振る。まだ少しフラつく視界を気にしていると、花畑が続けた。
「――彼女、な。キミが助けて……退学した女生徒」
――?。
「彼女、初期案内を抜けられなかったんだ」
花畑は落ち着いた表情で続ける。
「あの日、契約者候補は否応なく説明に巻き込まれて、な。実際に戦った訳じゃ無いが、“負けたらどうなるのか?”を結界の中で追体験させられた」
――知り合いでもない彼女を想い、吐息が漏れた。
何も映さない空虚な瞳。限りなく続く絶叫。
身体には何の傷も残らずとも、その精神はズタズタに切り裂かれていたのだろう。
花畑は続ける。ふざけている調子も、悼んでいる様子も無い。
「彼女はそれにすら耐えられなかった。……ボクは生徒会役員だから、ね。全校生徒の個人情報もある程度は知っている。彼女がどのくらい繊細な女性だったのかも、あの場で起こる事に耐えられ得ないだろうという事も、判っていた」
「お前は……お前らは、それを助けようともしなかった?」
「――そう。そして、ボク達は、それでも契約者になった。もう戻れないし、戻る気もない」
その言葉の、裏にあるもの。
小鳥も同じだ、コイツはそう言っている。
「ヒコ。身勝手だと自分でも分かっているが、それでも、もう一つキミの背を押そう。それを望む僕自身のためだけに」
「……」
「チュートリアルの場には、この地域の契約者候補ほぼ全員が揃っていた。居るハズなのに居なかったのは、ただ一人、ガーディアンズを起動すらしていなかった、キミだけだ」
「……」
「そして、葵くんは最初から最後まで居なかった」
またも激高しそうになる感情を、今度はギリギリで抑える。
葵は契約者ではない、候補ですらない。
葵の事は心配いらない、そうか。
「花畑」
「おぅ」
ふらつく身体を必死に動かす。まだ、だ。これからが本番だ。
身体中がきしんで、痛む。
「――早退する。あと頼む」
「おぅ、任せろ」
――任せた、親友。
自分がやるべき事を、何としてでもやらなければならない事を、ここに至って俺はようやく理解できていた。余りの愚鈍さに自分でも呆れる。花畑が嘆息するのも判る。
だが、まだ間に合う。
震える自分の足に鞭を打ち、俺は歩き始めた。




