第四章 -1
翌朝、不思議と寝覚めは悪くなかった。
「おあよー」
ふああ、とあくびを殺しつつ居間に降りる。
「おはよ――って。わ、お兄ぃ!?。何でこんな時間に起てんの!なに?なに?」
朝ふつーに起きて挨拶しただけで、珍イベントあつかいだった。
「……あ、ごめん、お兄ぃ。まだご飯、用意できてない」
大問題だった。
「んーっと、パンとスープと卵焼きくらいでいい?。ご飯だと圧力鍋でも20分くらい掛かっちゃうかな」
本日の朝食が洋風に決定した瞬間であった。
ともあれ、さっさと朝飯を済ませ、小鳥がちょっかいを掛けてくる前に家を出る。
すると。
「あれ?比古。おはよ。……って、本当に早くない?なに?どしたの??」
いつもの電動機付きチャリに乗った、ジャージ姿の葵だった。今朝は轢かれずに済んだ。
てゆーか、やっぱり珍イベント扱いだった。
「あー、ちょっとな。ガッコに用事があって……って、なんだその顔」
「あのさ、比古。お休みの日でも、けっこーみんな校舎に居るよ?」
――?。そりゃそーだろーな。葵もこれから自主練に行くんだろうし。
「カメラとか仕掛けるんだったら、もっと夜遅くのが良くない?さもなきゃ、もっと朝早くとか」
「……おまいが、俺を、普段どーゆー目で見てるのか。とても良く分った」
元カレを盗撮未遂犯みたく扱う元カノを適当にあしらい、冗談だってば、乗ってく?という魅力的な誘いを考え事があるんで歩きたいから、と断って通学路を進む。
そう、考えないとマズいことは、本当に山積みになっていた。
*
まずは高等部校舎の保健室を当たってみる。
“満月は明後日だ”
“彼女な、退学したそうだ”
昨晩の思わせぶりな、花畑の言葉。
高等部校舎への道すがらケータイで検索した月齢表からすると、確かに明日は満月だった。
そして、校舎内で倒れていた女生徒を保健室に運んだのも前回の満月の夜だった。
――何かのタイムリミットが、きっと明日の夜なのだ。
何があるのか見当も付かない。だが、花畑があれだけ真剣にカマを掛けるのだ。余程の事なのだろう。まして、小鳥が絡んでくるなら尚更だ。
面倒なことこの上ないが、とにかく調べるだけ調べよう。そう決めた。
その手始めが、保健室だった。幸か不幸か、初等部時代からだるい眠いと称しては保健室で寝っ転がっていた俺は、高等部でも進学早々から保健室の常連になっていた。
その縁で、養護教諭でカウンセラーを兼ねる摩耶先生ともそこそこ親しくさせてもらっていて、例の女生徒の件が訊けるかも知れないと期待しての休日登校だった。
ちなみに、ウチの学園は何しろ部活が活発で、休日でも練習なり何なりで教師も生徒もそれなりに登校している。必然的に保健室も盆暮れ正月以外は、ほぼ無休。
ただし、一人しか居ない養護教諭がお休みの場合は、保健委員が交代で対応している。当たるも八卦、のつもりだったのだが……。
「あ、向日君、こんにちは。……摩耶先生ですか?。今日はお休みの日ですよ」
対応してくれたのは馴染みな保健委員の先輩だった。いきなりアテが外れた。
よっぽど連絡先を聞き出して問い合わせようかとも思ったが、そうでなくてもプライバシーに触れる話だ。出直すべきだろう。
保健室を早々に退出し、近隣にも解放されている付属図書館へ向かう。
午前中から意外に利用者の多い館内を右往左往し、事件事故からオカルトじみたトコまで深掘りして調べてみたのだが、校舎に関わる事件などまるで不明。いわゆる七不思議もありがちな話以外は出てこない。
一応、不審者情報やら犯罪履歴やら相当昔の出来事まで当たってみたが、こちらも関係ありそうな話はまるでない。
満月云々についても情報はサッパリだった。
ようやく引っ掛かったと思ったら保健委員の月報で、夜の校舎で女生徒が倒れていた、という例の件についての、保健室の利用記録だけだった。それ以上はナニも出てこない。
仕方ないので高等部から退去し、同じく高台にある市民会館へ、さらに少し歩いて中央図書館にまで移動。それぞれ同様に検索をかけるが、結果も似たり寄ったりだった。満月の夜に事件が散発した資料がみつかって、すわと思いきや、もう10年近く前で話にならない。
これは、今日調べられる事は手詰まりか。ケータイに取り込んだ資料を確認しながら、遅い昼食代わりに調達したアンパンを囓る。包み紙をくしゃっと丸めながら、次の手を考える。
……保健室がダメな以上、本命はあっち、だな。
*
資料調べは早々に切り上げて自宅へと戻り、小鳥が出かけているのを確認して自分の部屋に鍵をかけ、机の上にケータイを開く。
ガーディアンズのアイコンを叩くとケダモノの立体映像が展開される。
もちろん、例によってぐーすか寝ている、ように見える。
「――起きろ。……というか、どうせ狸寝入りなんだろうが」
返答も無く、身じろぎもしないケダモノ。違う、こうじゃないな。
「答えろ。お前は目覚めているな?」
ぶぶんっとメールの着信音。タップすると送信元もタイトルもない文面が開く。
『目覚めている』
立体映像がゆっくりと動きだし、ケダモノがこちらへ顔を向ける。
その伏せられていた目が、開く。
虹彩も瞳孔も無い。空虚な、まるで穴が空いているかの如き眼窩。
そこには紛れもない悪意が充填されている。
ふと、俺が保健室に担ぎ込んだ女生徒の、何も映していなかった瞳を思い出す。正に真逆だ。
ごくありふれた、それでいて何の感情も意思も示さなかった彼女の瞳と、文字通り空虚でありながら、悪意に満ち満ちた――この瞳と。
一息吐いて、椅子へ深く腰掛ける。腕を組んで立体映像と向き合う。
“定められている”あの夢の中で、このケダモノはそう宣言していた。
さすがにこうオカルトじみた出来事が続いては、ただの夢で片付ける事も出来ない。そして、幸いどうにか思い出した夢の一言一句を吟味し、俺は結論を下していた。
「答えろ。定め、てのは、問えば答える、という規則の事か?」
ぶぶんっと唸るケータイ。
『そうだ』
「ずっとお前が反応しなかったのは何故だ?」
ぶぶんっ。
『問われなかったからだ』
「今までもずっと、問いかければ、答えたのか?」
ぶぶんっ。
『そうだ』
そうか。てゆーか。
「あーもう、面倒くさい……。音声会話の機能は無いのか?」
ぶぶんっ。
『無い』
……そうかー。無いのかー……。
あんぎゃふんぎゃ叫ぶのはできても、会話は出来ないらしい。難儀な。
いちいちタップするのも振動で落ちそうになるケータイを手で抑えるのも面倒なので、とりあえずバイブレータを止め、自宅用のキーボードを引っ張り出し、宛先無しの受信メールは自動的に文面を画面展開する簡易スクリプトを書いて実行する。
「さて……と。ンじゃ無難なトコから行こうか。答えろ、お前の名前は?」
メールが自動で開く。
『無い』
……そうかー。無いのかー……。
ンじゃ引き続きケダモノでいいや。ともあれ、スクリプトは想定通り機能している。一気に楽になった。物理的に。
「応えろ。お前は何者だ?」
一瞬、返答が遅れる。
『――吾は、吾なり』
やっぱ、ポイントはここだな。
「問うぞ?。お前は何だ?」
『……怠惰だ』
意表を突かれた。なんだそれ。
「怠惰とは何だ?」
『怠け、だらしない事だ』
「――お前の性質を示す怠惰とは、何だ?」
『怠け、だらしない事だ』
埒が明かない。質問を換えよう。
「お前が出てきたのは、俺が初期設定で認証したからか?」
『違う』
そーいや承認かける前から出てきてたっけな、コイツ。……つーか。
「なぁ、おい。いい加減、すっごい面倒になってきたぞ」
『……』
「答えろ。お前が、そうやって非協力的で、規則の及ぶ範囲でしか対応しないのは、お前が怠惰だからだな?」
『……そうだ』
「お前は何かの規則に縛られ、その範囲での行動を義務づけられているな?」
『そうだ』
「その範囲の中で、お前は怠惰である事を貫こうとしている。だが、俺は気づいてしまっているぞ?」
『……』
「ここ何日かの、……違うな。前回の満月からの、俺の身の回りの異常は、お前やお前の同類達と、お前達を縛る規則が原因だな?」
『……』
「俺はその事に気づかされた上に、明日の夜というタイムリミットまで知った。あげく、小鳥まで巻き込まれてるなら、俺は最後まで粘るぞ。一から説明すれば、よほど早く片が付く。その方が、お前の怠惰な選択肢としては、正しいんじゃないのか?」
――もう一つ、気づいている事がある。
こいつは規則の範囲の中だけで、こんな面倒な事をやっている。
こいつ自身が備えている能力としては、真っ当なコミュニケーションも取れるはずだ。虚無の瞳に宿るのは悪意だけではない。腹立たしい事にまぎれも無く、深い知性の存在を感じない訳にはいかなかった。
こいつは、何もかも判っていて、わざと出来の悪い人工無能じみた対応を続け居ている。
『……』
怠惰は、ゆっくりと……吟味するかのように首を揺すり……。
『いいだろう。貴様が正しい』
にいっと顎を薄く開き、そう宣言した。




