第三章 -2
――為そうとしていた。命に代えても果たさねばならぬ、使命だった。
――盤石の計画を練り、一つずつ積み重ね続け、全てが順調だった。
――悠久の時を経て。いま少しで手が届く、そう思った。己が為した過程と結果、それら全てに満足していた。
――その傲慢が招いた不始末だったならば。まだ、諦めもついたろう。だが、その原因も、過程も、結果すらも、ありとあらゆる事象が、己が身の丈の埒外にあった。
――己も、誰も、責めることすらできぬ。もはや何もかも喪われ、ただ惰性だけが残された。
――故に、眠りについた。眠り続けた。わずかでも永く、少しでも遠く。何もかもが潰え、終わってしまうその時を、ほんの一瞬たりと遅らせるために。
*
寝覚めは最悪だった。全身を徒労感が苛む。休日で良かったと思いつつ目覚ましを止め、改めてベッドに転がる。
「起っきろーっ」
二度寝で意識が落ちる間すらなく、蹴破る様な勢いでノックもせずドアを叩き開ける小鳥の声。断固としてシーツに潜り込む俺。
「――ふぅん?」
ナニやら不敵な含み笑い。寝る。
「起きないんだったら、フライパン、持ってくるよ?お兄ぃ」
春眠不覚暁。
暴力に屈するは言論と睡眠の自由に非ず。まぁ、小鳥相手に言論を問う気は無いけれど。ただただ、眠いだけで。
あっそ、という呟きの後、とととっと、部屋から出て行く足音がする。そして出際にぼそっと一言。
「……お兄ぃ、フライパンだけど。縦で振り下ろすのと、真っ赤に空焚きしたの押し当てるの、どっちが好き?」
真っ赤に空焚きされたフライパンを、縦にして頭上に構える暴漢の姿が、ありありと脳裏へ浮かぶ。
――間違いなく、俺の命は風前の灯火と化していた。そしてもちろん、俺は冷えたフライパンの底をこそ、心から愛している。
「すぐ着替えて降りるから、下で待ってろ」
ダメだっ、孟浩然じゃダメだ。……権力無きペンは、剣より遙かに、か弱い。
「ん。冷めるから急いでねー」
とてとて階段を降りていくその様子が微妙に残念そうだったのは、気のせいだと思う事にしよう。うん。
*
今朝の食卓は珍しく純和風だった。
メインは干物の焼き魚に、何かの煮魚。出汁巻き卵、戻した干し大根の煮物、漬物と味噌汁。
うむ、日本人で良かった(しみじみ)。
さすがに漬物は出来合みたいだが、総じてンまいので無問題。小鳥は例によってえらい勢いでご飯を掻き込んでいる。なにやら浮かれた様子。なんだ?。
「お兄ぃ、今日ドコ行く?」
――?。
「寝てるよ。だるいし、なんか夢見悪くて調子出ないし」
途端、上目遣いにものっそい怖い視線を向けてくる小鳥。
「お兄ぃ。奢ってくれるってゆったじゃん」
……覚えがない。
「……お兄ぃ?」
……。……あ。
昨日の教室で、自分の小遣いで買ってたから代わりにどうとか言ってた、俺が使っちゃった小鳥のシャンプーだかリンスだかの件か?。
けど、あれは小鳥が勝手に奢りだなんだと言い出しただけで、俺は何も……。
「……」
ぢーーーーぃっと、こっちを睨み続ける小鳥。
無言の圧力が続く。その口元ではえらい勢いで茶碗からごはんが消えている。
変わらぬペースの咀嚼音と、時折、味噌汁をすする音。
スマホが投影するニュースの解説だけが、辺りへ淡々と響いている。
「……」
……えーっと。
「……」
小鳥はごちそうさまも言わず席を立ち、かちゃかちゃと食器を片付け始める。普段の乱暴な振る舞いが無いだけに、余計に怖い。……というか、冷たく固い意思を感じる。ひしひしと、痛いほどに。
これはアレだ。理不尽だと思っても反論したら負けるパターンだ。くっそぅ。
「……どこ行きたい」
つーか、そもそも小鳥の中じゃ、なんで今日の今日に『どっか行く』って話になってんだ?。
「あそこ!ほら、駅前にハンバーガーの新しい店できたでしょ。ほら、お兄ぃ、すぐ用意する!」
がばっと向き直ってテーブルに乗りだし、弾けるようにせかす小鳥。
つか、駅前の新しいハンバーガーの店って……。あれファーストフードじゃなくて専門店だろ、オイ。奢りっていくら掛かると思っ――。
文句を付けようと顔を上げると、もうニコニコと溶ろけるチーズみたいな笑顔で、こちらを眺める小鳥。
俺は毅然として言い放った。
「――ちょっと、食い終わるまで待て」
「ん。お兄ぃ、お代わり要る?。お煮付けもまだあるよ」
一段と相好を崩し、もう嬉しそうな、小鳥。
*
昼にはまだ全然早いだろ、つーかよく考えたら朝メシ喰ったばっかじゃねーかと思いつつ、引き摺られて駅前。更に引っ張られて、複合映画館へ向かう。
つーか、何ゆえに映画?。
「んー、だってせっかくお兄ぃと出てきたのに、ご飯だけじゃバッカみたいじゃない」
で、当然の如く勘定はコッチ持ちにする気だろう。
コイツはね、もうね……。昔っからこーゆー、ズルいっつーか、セコいっつーか……。
「あのな、小鳥」
「ん?」
もう、当然という顔で映画の吟味を始めている小鳥を改めて眺めると、結構気合いの入ったお気に入りを身につけている。よく見ると髪型にも随分手を入れている。
こいつなりに楽しみにしてた、のか。
……たく。
「――なら、映画の分は出すけどな、メシは割り勘な」
ちょっと拗ねた顔。
「お兄ぃ……デートでそーゆーセコいこと、言う?。もう、ほんっと。しようが無いなぁ」
なんで俺が悪い事になってんの?とか、いや、そもそもデートじゃねーだろ、とか、ツッコミたくて仕方なかったのだが。
それを始めると終わらなくなるので必死でスルー。
そんなんだから葵ちゃんにフラれるんだよ?とか言われた時には、流石に泣きたくなった。
――くっそう。
結局、映画は小鳥の趣味で、いま流行っているというアクションものを選択。
古い映画を最新SFXと3DCGを駆使してリメイク、人気実力兼ね備えた俳優陣による生まれ変わった傑作!……という触れ込みだった。隣席の小鳥は大喜びで見入っている。
俺の方は元作の方を以前に観ていて、何というか、話の筋書きは名作なのにテンポが一々悪く、どうにも飽きが来る。かといって寝るとまた小鳥が怒るのは確実だし、ぼーっと派手なSFXを眺める事に注力する始末だった。
これが葵だったらなら。『出よか、比古』とか、すぐ察してくれただろうな、とか、思わず考えてしまう。
……胸の奥がチクリと痛む。
仕方なく3Dグラスを外し、話の筋立てに一喜一憂する小鳥を横目で眺める。
まぁ、それはそれで面白くはあった。
*
「……ンで」
ようやく苦行の如き時間が終わり、ハンバーガーをパクつく。
映画の尺が最近の作品にしてはみょーに長く、ランチの時間から少し外れた入店時間となったにもかかわらず、店内は満席近くに混み合っていた。どうやら流行っているらしい。商売繁盛で結構なことだ。
本格的なレストラン形式だけに値段は少々……どころではなく、高校生風情のランチにしては結構シャレにならない値段になった。
まぁ確かに美味い事は美味い。ボリュームもかなりあるし満足はできそうだ。
「ん?。なに、お兄ぃ」
同じくハンバーガーに齧りついてる小鳥。既に二皿目である。
一皿目が届いた途端、あ、これ美味しーとか言いつつ速攻で追加オーダーを入れるあたり、完全に割り勘という仕組みの穴を付いてきている。
我が妹ながら相変わらず侮れん……。
「おまい、なんで今日はそんな、やたらとはしゃいでんだ?」
小鳥のテンションは普段からかなり高い、が、いくら何でも今日は不審に過ぎる。
「んー。まぁ、ね。今のうちに、やりたいことやっとかないとなぁ、って」
あ、お兄ぃコレ半分食べない?とか言いつつ、三皿目を注文する小鳥。
もちろん喰う。ちょっと腹具合びみょーだけどな。
……確かにウチの高等部の部活、まして体育会系は、葵の様子見てる限りかーなーりー大変そうではある。
ただ、まだまだ一年の始めだし、受験云々もずっと先の話だろうに。
大学だってエスカレータで進むなら赤点さえ取らず、余程の素行不良が無ければどうとでもなる。
今一つ釈然としないが、まーこいつなりに、何にしろ考えがあるのだろう。
「……ま、いいけどな。何か有ったら俺でも葵にでも適当に相談しろよ?」
葵は今でこそ区画一つ分ほど駅近へ越したが、元々は隣家に住んでいて、小鳥にとっても幼馴染みで姉貴分であり、中等部時代からは部活の先輩でもある。
「……ん。ありがと、お兄ぃ」
じゃ、さっそく、と。
その後、シネコン付属の大型ゲーセンというか、小型遊園地というか、まぁ簡易テーマパークに引っ張り込まれて午後一杯潰れることになった。
*
――なんかもう、死にそうにだるい。
そーでなくても寝覚め悪いのにえっらい疲れる目にあっていた。
ゲーセン内をアチコチ引っ張り回され、対戦ゲーの相手をさせられ、時々湧いてくる小鳥目当てのナンパを追い払い、プライズの荷物持ちを仰せつかり、さしもの小鳥ですら多少は悪いと感じたのか、ごめんねーお兄ぃ、とか言いながら労ってくる珍イベントまで発生する始末だった。
今も休憩所で突っ伏してる間に、小鳥は飲み物をを買い出しに行っている。ま、これはこれで、こっちも助かるのは、ある。
少なくとも、こうやって忙しくしてれば。あの疼痛のように身を苛む徒労感とは、無縁で居られる。
トン、と、ショートサイズのコーヒーカップがテーブルに現れる。
「どう?お兄ぃ。楽になった?」
……小鳥に気を遣われるほどヘタばってたのか、俺。ちょっと衝撃を受ける。
「――なに、どしたの?。ヘンな……まぁ、元からちょっとヘンだけど、一段とヘンな顔して」
顔の造作については突っ込むな。おまいと違って親父似なんだよ、俺は。コーヒーを啜りつつ応えを返す。
「あー、まぁだいぶ楽にはなったよ。サンキュ」
お為ごかしではなく、水分を摂ったら意外と楽になった。
「ん。お兄ぃ、朝から調子悪そうだったもんねー」
体調が悪そうだと分かってて、それでもあえて気を遣わず連れ回す辺りが小鳥の真骨頂である。
その小鳥はテーブル向かいに自分の分のカップを置いて、荷物を脇へ並べながら椅子へと腰掛ける。
「で、どしたの?。くびでも寝違えた?」
「いや、なんつーか。夢で見た、無意味な努力っつーか、徒労感っつーか、ちょー無駄な感じが、なー……」
「???」
眉を寄せる小鳥。見事に通じてない。んー、と。
「賽の河原って分かるか?」
「ん?三途の川の、河原でしょ?」
よく知ってたな、と思いつつ続ける。
「ああ。そこでまぁ、小さな子供が死ぬと、親より先に死んだ親不孝の償いだとか、自分より先に親が死んでたらその供養だとかの意味合いで、河原の石を積むんだよな。……なんで石を積むと償いだの供養だのになるのかまでは、知らん」
「――うん。で?」
「ああ、ンで……」
コーヒーをもう一口。
「石を積み上げ切ったら完成なんだけど、その直前に鬼が出てきて突き崩す、そっからまた最初っから積み直す、ってのが定番な訳だ。何時まで経っても終わらない。それに近い骨折り損のくたびれ儲け、みたいな感じが、なー。なんかずっと、夢の中から続いてんだよな」
「ふーん?」
「崩しても崩しても、延々積もうとしてくんだぜ?周り中で一斉に。やってらんねーよなー、みたいな」
小鳥がみょーな顔をして、びみょーに引いてる。
「……お兄ぃ、崩す方なんだ……」
「……いや、夢の内容はイマイチ覚えてないんだけど。何となく」
言われて気づく。
そうだな、普通は石を積む方に自分を投影するもんかも知れん。
夢の内容は朧げで、細かいとこはサッパリ覚えていない。ただ、そうか。小鳥のおかげで何となく、分かった気はする。
石を積むこと自体に“意味”がある子供の側ではなく、仕事だから石を崩してる、ルーチンワークとして無駄に膨大な時間を過ごす、そんな印象がずっとあったのか。なるほど。
まぁ、それが分かったから何が変わる訳でもないんだが。とはいえ、気の持ち様とはよく言ったもんで、理解出来たらまた少し楽にはなった。
「ん、したら休憩終わり。もうちょっとお願いねー、お兄ぃ」
まだコキ使う気まんまんな悪鬼が、目の前で満面の笑みを浮かべていた。




