7話 オオカミさんと昔話
「ねえ、大神さんって格好良くない?」
すれ違った女生徒が、そんな呟きをしたのが背中越しに聞こえた。
あまり自覚はないが、私はどうやら"格好いい"というカテゴリらしい。どちらかと言えば可愛い方が好みだが、褒められているなら悪い気はしない。
「あの髪、銀色で綺麗だよね」
廊下で駄弁っていた女生徒が呟く。
うん、この髪色は父親譲りで私の誇りだ。日本に来た時は染めようと考えたが、そのままで良かったと思う。
「あのキリッとした目はちょっと怖いけど、クールって感じ!」
取り落としたプリントを拾った女生徒が呟く。
この目は母親譲りでよく似ていると言われる。怖いとも言われるのは少し残念だが、私も母に対してそう思うことも多いので、文句は言えまい。
「けど、高嶺の花で話しかけづらいよね」
――ああ、それは哀しいな。
私こと大神リーリヤは、4月にロシアから日本へ引っ越しこの女子高に通い始めた。
日本語は、日本人である母親から幼い時より教わっていたため不便はなかったし、同性だけというのも暑苦しい兄達を忘れられて快適だ。
ハーフであることや銀髪であることをとやかく言われるかもと思っていたが、幸い不愉快な思いをしたことは一度もない。
――そう、不愉快なことは一度もない。けれど、寂しさを覚えたことは何度もある。
今日もそうだった。放課後の教室でクラスメイトたちは、これからをどう過ごそうかと話していた。
「ねえ、今日時間ある? カラオケ行きたいんだけど」
「いいね、行きたい行きたい。誰か誘う?」
そんな中、私は一人で何をするでもなく机に頬杖をついていた。食事を共にする友人は未だおらず、放課後の予定を語り合う相手もいない。
私から話しかければいいのだろうが、どうも相手を怖がらせてしまうようで目を合わせてくれないのだ。そんなことが続けば、気も滅入る。
そうこうしている内に、1ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。放課後の付き合いは、ゼロだ。
「大神さんって、誘ったことある?」
「いや、無いかな。他の子も声は掛けたことあるみたいけど」
私の名前を呼ばれて思わず身じろぎし、何もなかったように虚空を見やる。期待と不安が混ざりあった気分に、胸が締め付けられるようだった。
「誘ってみない? 案外乗ってくれるかもよ」
「そうかな……けど、歌も上手そうだよね」
それはわからないが、誘われれば断る理由はない。ぜひ誘って欲しい。
「うん……じゃあ、誘ってきて?」
「え、私が行くの?」
「だって、その……アレじゃない?」
アレとは何なのか。私はやはり怖がられているのだろうか。それとも、お高くとまっていると思われているのだろうか。
「言い出しっぺが行くべきでしょ。私なんかが話しかけられないよ」
「私だって緊張するよ。ねっ、お願い」
「ええ……無理だよ……向かい合うだけで緊張しちゃうのに」
……そうか。そんな者がいては楽しめまい。残念だが、ここは去ろう。いや、そもそも誘われてもいなかったのだ。何を残念がるのか。
思わず自嘲し、私は鞄を掴んで力なく立ち去る。まったく、情けなくて泣けてくる。
廊下に出ると、帰路につこうという生徒たちとすれ違う。二人だったり三人だったり、或いは私のように一人だったり。けれど、学校外で待ち合わせをしているのかもしれない。
結局のところ、本当に一人の者は少ないのだ。リアルであれネットであれ、何かしら帰属する群れがあり、仲間がいる。
そこから外れた私はさながら一匹狼だ。誇り高くもなく、ただそうなってしまったというはぐれ者。
「きゃっ」
そんなことを考えながら歩いていたせいで、注意がおろそかになってしまっていた。曲がり角を曲がったところで女生徒とぶつかり、尻もちをつかせてしまう。
私は、手を差し出して言う。
「すまない、怪我はないだろうか」
尻もちをついた女生徒は、ぼんやりと私を見上げるだけで答えない。それほど強くぶつかってはいないはずだが、どこか痛めてしまったのだろうか。
私はしゃがみ込み、女生徒と目を合わせて問い直す。
「私のせいで痛めてしまったか? それなら保健室まで運ぼう」
「……はっ!? い、いえ大丈夫です! どこも痛くないです!」
「しかし、顔が赤いが……熱があるのか?」
女生徒の額に手を伸ばし触れる。やはり熱い。これは保健室に行ったほうがいいだろう。
そう指摘すると彼女は、
「だ、大丈夫ですから! ごめんなさいありがとうございました!」
更に顔を赤らめ慌てて立ち上がると、そう叫んで走り去ってしまう。転びかける彼女の背中を眺めていた私は、溜息をついて立ち上がる。
どうにも上手くいかない。これが一時だけであればいいが、そうではないのだろうという諦めは、常に背中にのしかかっていた。
重い足取りで昇降口を下り、1階までたどり着いた所でふと思い出し、足が止まる。廊下の突き当りに目をやると。"図書室"と書かれたプレートが備え付けられていた。
この学校の図書館は、場所が不便なことと設備が古いため人気が無いという噂を聞いた。私は読者家ではないのでさほど興味がなかったということもあり、一度も訪ねたことはない。
せっかくだし、一度くらい見てみようか。どうせこのまま家に帰るだけで、することもないのだから。
私は図書室のドアを開けて、なるほど人気がないわけだとすぐに悟る。
室内は蛍光灯の白い光で寒々しく、空気はどこか湿気っている。5月の今は窓を開けているからマシだが、雨の日や冬の日を考えると憂鬱になりそうだ。
並べられた椅子に座っているものは誰もいない。唯一この場にいるものは、
「……」
貸出カウンター内の椅子に座る女生徒だけだ。何故か右隣に椅子が二つ並べられているが、座っている人の姿は見えない。
彼女は無言のまま俯いていた。読書に集中しているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「……すぅ」
頭はゆらゆらと前後に船を漕いでいた。目も閉じられている。
「眠っているのか……」
おそらく司書なのだろうが、こんな人入りでは居眠りも已む無しといったところか。起こすのも悪いし、立ち去るべきか。
そう考えていたところで、女生徒は船を漕ぐのを止めると目元をこすり、大きく伸びをする。
「んんっ……寝ちゃって、た……」
大きな欠伸をしたところで私に気がついたのか、彼女は気まずそうに笑うと、
「……寝てないよ?」
そうだよね? という彼女に、私は苦笑して返す。
「ああ、そうだな。少し航海をしていただけだ」
「うん、そう。そうなの」
えへへ、と誤魔化し笑いをする彼女は、膨らんだ髪と相まって犬っぽさを感じる。その手の愛らしさは私と無縁なものなので、少し羨ましかった。
彼女は、じっと私の髪を見て、次に髪を見ると、あっと声をあげる。
「もしかして、オオカミさん?」
「オオカミ……?」
「あれ、違ったかな?」
私が訝しげな顔をすると、彼女は首をひねって唸る。
オオカミ……確かに私は一匹狼だが、初対面の彼女がそんなことを言うまい。いや、そうであって欲しい。初対面から指摘されるような独りっぷりは悲しすぎる。
そう考えていると、思い当たるものがあった。私はそれを口にする。
「……ひょっとして、大神のことか? それなら私だが」
「あっ、それ。そっか、オオカミさんじゃなくて大神さんだったのか……ごめんなさい」
「いや、気にしてないよ。それより、君の名を知りたいな」
「うん? 私は犬山だよ。よろしくね」
そう言って犬山は人懐っこい笑顔を見せる。その笑顔は、なんというか――とても安心する。
頼りがいを感じさせる父の笑顔とも、『はいかYES以外の返答は認めない』という母の笑顔とも、暑苦しい兄とも違う……ふわふわした笑顔に、私はつい、
「いいな……」
と口に出してしまい、慌てて塞ぐが遅かった。
犬山は、怪訝そうにこちらを見やり言う。
「いいって、何が? 名字? 大神さんも似合ってると思うよ。こう、オオカミ! っって感じが」
どの辺を指してオオカミなのかはわからないが、彼女は褒めてくれているようだ。しかし、何故誇らしげなのだろう。
まあ、それはともかく。私が羨ましいのは彼女の名字ではなく、雰囲気だ。彼女のような雰囲気であれば、私も友人を作れたかもしれない。
そう言うと、犬山はそうかなぁ、と不思議そうだった。
「大神さん、別に怖くないよ? 綺麗だし、かっこいいと思うけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいが……どうも近寄りがたいと思われているようなんだ。そんなつもりはないのだが……」
「ふぅん……大神さんってかっこいいから気後れされてるのかな。受け答えの時にちょっと笑うだけで印象変わるよ。ちょっと怖いって思われている人ほど効果があるんだ」
犬山は見てきたことのように楽しげに言う。
確かに、それは一理ある。笑顔で受け答えしていたつもりだが、これからはもっと意識してみよう。
「ありがとう犬山。参考になったよ」
「あ、そうそうそんな感じ。すごいなぁ……かっこいい人は笑ってもかっこいいんだ。これは私の説が信憑性あるね」
「そんなに褒められると照れるが……うん、悪い気はしないな。君のような愛らしい人に褒められるのは」
「愛らしいなんて大袈裟だってば」
犬山はそう言うが、照れたように笑う彼女は間違いなく愛らしい。
――よし。私は決心し、カウンターまで歩み寄る。そして、膝をついて犬山と目線を合わせる。
「その、良いアドバイスをありがとう。しかし、今日という出会いをこれだけで終わらせたくはない」
「……?」
首を傾げる犬山の手を取って、私は続ける。
「これからも親交を深めたいし、もっと親密な関係になりたい。けれど、そうするにはここは相応しくない」
「ええと……」
犬山は握られた手と私の顔を交互に見る。
「だから、良ければお茶でもどうだろうか。よく行くカフェがあるんだ。きっと気にいると思う」
「あっ、友達になろうってこと? もちろん、いい――」
犬山がそう言いかけたところで、カウンター内からぬっと手が現る。そして、その手は私の顔に伸び、
「いだだだだだっ!? な、なんだ!? なにを!?」
顔面を握りつぶさんとばかりに指が食い込んでいく。それをなんとか引き剥がすと手はカウンターに戻っていき、代わり別のものが現れる。
「…………ナンパなら他所でやれ」
昼寝を邪魔された黒猫――ではなく、ショートカットの少女だった。表情は凄まじく不機嫌で、声も地の底から響くように低く威圧感を伴っていた。
突然のことに私が言葉を失っていると、犬山が慌てたように少女に言う。
「ネ、ネコさん!? 初見の相手にアイアンクローはどうかと思うよ!」
「知らない。睡眠を邪魔した奴が悪い。それとわんこ。寝づらいから膝動かさないで」
「ええ……なんで私が怒られるの?」
困惑する犬山に構わず、ネコと呼ばれた少女は鼻を鳴らすと私を見やる。
なるほど、確かにネコだ。その目つきは、思わず怯みさそうになるほど鋭い。どうやら午睡中の彼女の尾を踏んでしまったらしい。
ネコは、不機嫌そうな声で言う。
「大神……だっけ」
「そうだが……すまない、起こすつもりはなかったんだ」
「どうでもいい。図々しい勘違いをする奴なんて興味ない」
「図々しい勘違い?」
何のことかわからず困惑する私に、ネコは吐き捨てるように言う。
「顔が良いだのかっこいいだの、そんな理由で遠巻きにされるなんてあるわけない」
――頭を鉄球で殴りつけられたような気がした。
「オオカミ、起きて。起きろ」
「うん……?」
めんどくさそうな声と体が揺すられる感覚に目を開ける。周囲を見渡すと、横並びの座席に座る人が見える。声がした方には、ネコの顔があった。
……ああ、そうか。ゲーセンからカフェに移動する途中の地下鉄で眠ってしまったのか。見ていた夢は、彼女たちと出会った時の記憶だ。
「すまない、次で降りるのか」
「そう……肩、重かったんだけど」
「肩を借りていたのか……通りで心地よかったわけだ。ありがとう、ネコ」
私としては素直に感謝を述べただけなのだが、ネコは『こいつは素面なのか』と言いたげだった。
彼女は、じとっとした目で訊ねる。
「夢、見ていたの。楽しそうだったけど」
「ああ、ワンコとネコと出会った時の夢を見ていた。余程思い出に残っていたのだろうな」
「……それは嫌味?」
「うん? どうしてそうなるんだ? 友人が出来た良い思い出じゃないか」
私がそう言うと、彼女は少し目を見開く。そして、俯いて言う。
「……今思えば、配慮が足りなかった。図々しい勘違いじゃなくて、本当にそうだったとは思わなかった」
「ああ、それか。確かに、アレは頭に響いたな」
ショックと言えばショックだったが、深夜に叩き起こされるような感じの悪いものではない。むしろ、引っかかっていたものが弾き出されたような感覚だ。
今思えば、天才ゆえの孤独とでも言うように思いあがっていたのだろう。心の何処かでそう考えて自分を慰めていた。
その甘えを、ネコは一言で吹き飛ばしてくれたのだ。生まれついてのせいではなく、足りないものがあるせいだと。
「だから、君には感謝しかないよ。いい友人と出会えたというな」
ネコは、顔を上げて私の顔を見つめる。私は、ワンコに教えられた通り微笑む。
彼女はしばらく無言だったが、不意に息を吐く。
「…………ふう。相変わらずタラシ」
「そのつもりはないのだが……ああ、私からも聞いていいか?」
「なに?」
「あの時は随分不機嫌だったが、それは昼寝を邪魔されたせいというだけか?」
「…………どういう意味」
「いや、なんとなく思っただけなんだが、それだけではない気がしてな」
「……気のせい」
ネコはそう言って、ふいっと顔を逸らす。覗き込もうとすると、脇腹を肘で刺された。
……やはり付き合いの長さだろうか。私とワンコでは対応に差があるようだ。ううん、ワンコが羨ましい。
「……ぐぅ」
ぬいぐるみを抱き、ネコの肩に頭を預けて眠る彼女を見て、私はそう思った。