5話 わんこと添い寝
ゲームをして食事を摂って映画を見て――そんな風に過ごしていると時間はあっという間に過ぎていく。時計の針は既に12時を回っていた。
真っ暗な外からは、激しい雨音が聞こえる。まるでノックされているみたいにうるさかった。
あまり荒れないといいけどなぁ。ベッドに腰掛ける私は、そんなことを考えながら欠伸をする。
「眠いなら寝れば?」
「まだ……大丈夫だし……ふわぁ……」
「何処が」
「もう少し喋りたいし……ネコさんはまだ眠くないんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
ネコさんは夜型なので、この時間でもいつもと変わらない様子だ。対して私はこの時間には寝てしまうので、実のところかなり眠い。
しかし、せっかく彼女が泊まりに来たのに寝てしまうのも何だか勿体無い気がするのだ。
そう言うと、ネコさんは興味なさげに首を回して言う。
「明日は休みでしょ。明日出来ることは明日すればいい」
「それは違うよネコさん。この時この瞬間のネコさんは今しか居ないんだよ。1秒前のネコさんと今のネコさんは別ネコさんなの。こうして喋ってる間にもネコさんも私も変化し続けているんだからそれを無駄にしないためにも」
「自分で言ってることはわかってる?」
「わかんない」
「寝ろ」
「ぐっ」
素っ気ない一言と共に顔面に向かってクッションが投げつけられる。やられたーと言いつつ倒れてみるが、ネコさんは何も反応しない。寂しい。
「寝る前に私の布団を用意して。ほら、起きて」
「寝ろと言いながら寝床を要求するなんて、なんてふてぶてしいネコなんだ……」
「いいから早く」
ネコさんが私の手を引いて立ち上がらせる。私はぐんにゃりした体に活を入れ、予備の布団を取りに階下に向かおうとドアノブに手をかける。
これがネコさんの寝床だよっ、と毛布一枚だけ渡してやろうか……。ああいや駄目だ。私のベッドを奪われる未来しか見えない。なんて無力なんだ私。そんな私にはこの天気がお似合いというのか。
雨音が止まない窓に目を向ける。その時、ストロボを焚いたような白い閃光がカーテンの隙間からもれる。まさか、と思った次の瞬間、
「ぎゃー!?」
鳴り響いた轟音に思わず耳を覆ってしゃがみ込んでしまう。近い、近過ぎない!?
「すごい雷。だいぶ近そう」
どうしてネコさんはそんなに呑気していられるのか。錯覚かもしれないけど家が揺れたんだよ?
「いやそれは錯覚。揺れるような落雷だったら停電してる」
「くぅ、なんて理系めいた反論か! もっと私の気持ちになって行間を読んで!」
「たぶん文系理系は関係ない。あと気持ちを読む時に行間を読む必要はない」
「そんな冷静な反論しないで! ようはもっと私に優しく――」
一瞬部屋が光り、そして再び鳴り響く轟音。
「わーごめんなさいごめんなさい! 贅沢言わないので小指ほどの優しさでいいですから!」
「誰に何を謝ってるの……?」
「お天道様とか……」
しかし、私の謝罪も虚しく相変わらず外からは唸り声のような低音が鳴り続けている。すぐには止みそうもない。
「そんなに雷が嫌?」
「ええ……好きな人なんていないでしょ……。だって電気が空から墜ちるんだよ、おかしいよ、バグだよ」
「仕様です。それよりも布団」
「足が震えて動けない私に無慈悲な……何処にあるか知ってるんだから、自分で持ってきて……」
「嫌、めんどくさい」
「冷たい……ひっ、また鳴った!」
嫌だ嫌だ。雷にはロクな思い出がない。雷で停電して驚いた拍子に向こう脛をぶつけて悶絶したり、給食のデザートをひっくり返したりと良くないことを引き起こす。
なんだってネコさんが来てくれた時に……せっかく楽しい一日だったのに。最後の最後でちゃぶ台返しされた気分だ。
「……はぁ。仕方ない」
背中越しにネコさんの溜息が聞こえ、続いてぼすんとベッドが軋む。振り返るとネコさんは私のベッドに寝転び、目覚まし時計を弄っていた。
「え、ええ……ついに家主のベッドを奪う選択を?」
「違う、半分だけ」
目覚まし時計を元の位置に戻し、ネコさんはベッド端に寄って空いたスペースを叩いて示す。狭いが、もう一人くらいなら横になれそうなスペースだ。
「半分って……いいの?」
「いい。このままだとどうせ煩くて眠れないし」
「そうだね、雨煩くて眠りづらいかも」
「そうじゃない。わんこが雷鳴る度に煩いから」
「おおう……否定できない」
「でしょ。だから、手を握ってあげる。少しはマシになる」
「ネコさん……ありがとう」
私がお礼をいうと、ネコさんはふんと小さく息を吐いて寝返りをうつ。それは照れ隠しかもしれないし、ただそちら側の方が寝やすいだけだったのかもしれない。
けど、私にはどっちでもよかった。気まぐれな彼女がわかりやすい優しさを示してくれたことが嬉しかった。
「では失礼します」
私は電気を消し、すぐさま布団に潜り込む。二人並んで寝るにはギリギリだったけど、まあ寝られなくはない。しかし、狭いことには変わりないので、ベッドから落ちないように出来るだけネコさん側に体を寄せる。
目の前にうなじが見える至近距離。白くて綺麗なそれをぼんやりと眺めながら、私は気がつく。
手を繋ぐと言ったのに、背中を向けられてはそれが出来ない。どうしたものかと考えつつ、とりあえず腰から腕を回してみる。
「……抱いていいとは言ってない」
「だって、そうじゃないと手が握れないし」
「本当に握る気だったの?」
「え、違うの?」
「……はぁ」
甘えん坊とネコさんは呟き、私の手に自分の手を重ねる。暖かい熱に彼女が隣にいる実感がさらに高まった。それが嬉しくて、もっと熱を感じようと体をさらに寄せる。
「暑苦しい……」
「いいじゃない、今日は冷えそうだし。湯たんぽだよ」
「湯たんぽは直接触ったらいけないのに……」
「じゃあ毛布なら?」
「毛布は一番外に掛けるのが効率的……」
「それは勘弁を」
「じゃあ静かにしてて……」
答えるネコさんの声が段々と小さく、沈んでいく。眠くないと言っていたが、暖かさに緩んできたのだろうか。
「ふわぁ……」
そういう私も安心したら眠気が一気にやってきた。
洗ったばかりの髪から漂うシャンプーの匂いとか、重ねられた手の暖かさとか、静かに緩やかに聞こえる息遣いとか、僅かにだけど感じる鼓動とか――ああ、どうしよう。心地よすぎて寝すぎてしまいそう。
ネコさんは休みを半日寝て過ごすのが趣味だけど、私はそれを勿体無いと感じてしまう。だから休日でも目覚ましはつけっぱなしだ。けど、それだとネコさんが文句を言うかもしれない。
「ネコさん……ちゃんと起きてよ……」
現実感が消えていき、代わりにふわふわした感覚が体を包む中、私は彼女に囁く。
「んっ……」
それは返事だったのか、ただ声がもれただけだったのか。それを確かめる前に私の意識は堕ちていった。
堕ちていった意識が浮き上がっていく。体を包んでいた曖昧な熱が体に溶け込んでいき、覚醒を促す。強く目をつぶり、そして開く。薄暗い部屋にカーテンの隙間から光がもれていた。
「おはよう、わんこ」
「ネコさん……?」
顔を横に向けると、同じく横向きになったネコさんの顔が映る。彼女は優しく微笑むと、私の頭に手を伸ばす。手櫛で髪が梳かれ、時折撫でられる。そのサイクルに目覚めかけた思考が再び沈んでいく。
「珍しい……ネコさんが先に起きてるなんて……」
「それは夢。まだ夢を見ているの」
「夢……」
ああ、夢か。だからネコさんが私よりも早く起きてるし、こうやって頭も撫でてくれるんだ。そう言えば目覚ましが鳴った記憶もない。じゃあ、もう少し寝ていてもいいんだ。
ネコさんは頷く。その動作は妙に力強かった。
「そう、まだ夢を見ている。だからまだ起きる必要なんて無い」
「そっかぁ……あれ、けどこのやり取りやったばかりのような……」
よく覚えていないけど、1時間位前にもしたような気がした。
そう言うとネコさんは一瞬固まり、
「気のせい。絶対に気のせい」
目を逸らしながらそう答える。
「ほんとぉ……? 今何時……」
ヘッドラックに置かれた目覚ましを見ようと首をひねったところ、
「駄目、見てはいけない。石になる」
「わぷっ」
いきなり抱き寄せられ胸元に顔を埋められる。その熱と匂いに眠気のスイッチが押され、思考に霧がかかっていく。優しく髪を撫でられる感触が余計な思考を溶かしていく。
ああどうしよう……癖になるかもしれない。そうなったら……どう、しよう……。
耳元に声が囁かれ、耳朶が震える。そのくすぐったさも心地よかった。
「休日は寝て過ごす。それが正しいあり方」
そうかな……そうかも……。
開きかけた目蓋が勝手に閉じる。二人分の熱を持った布団が体に食いついて離れない。再び浮ついた感覚が体に戻ってくる。
「そう……それでいい……二度寝三度寝は休日の華……」
やっぱり夢じゃないじゃん、と思考の片隅がツッコんでいた。けれど、霧がかった思考では何処にも届かない。僅かに残った思考は、心地よさをどれだけ享受するかに費やされていた。
ぎゅっとネコさんの体を正面から抱き寄せる。彼女は私の髪をかき分け、耳元にそっと囁く。
「お昼はパスタがいい……」
「うん……」
何かおかしいような気がしたけれど、この心地よさの前に抗うすべは何もなく――。
何度目かになる睡眠に私は堕ちていった。




