3話 わんことアイス
「っと、やっ、そこ!」
ボムを投げて敵の意識を一方に集中。その隙に後ろに回り込み、無防備な背中を狙い撃つ。言うは簡単だが実際やると意外と難しいこれ。だが今日の私は冴えている。
物陰に隠れた敵は私の接近に気がつき振り向くが遅い。撃たれるよりも早く私の一撃のほうが早い。撃破を知らせる爽快なSEが鳴った。
「はっはー! ネコさん今の見た? 私上手くない?」
見事敵を撃破した私は振り向き、後ろのソファーに寝転ぶネコさんに言う。
退屈そうな彼女は、欠伸をしてどうでも良さそうに言う。
「そうだね」
「えー、それだけ? もっとこう、あるでしょ?」
「見てるだけだと面白くないし。ああ、いや」
そこでネコさんは意地悪げに口元を緩める。瞬間テレビから撃破時のSEが鳴った。
「ん?」
正面に向き直りテレビを見やる。画面で動いているのは私のキャラではなく、復帰準備中の文字が流れていた。
後ろからくすくすと笑い声がする。
「注意一瞬怪我一生。今のがリアルじゃなくて良かった」
「リ、リアルでいきなりインク掛けられるようなことは無いし……」
く、くそう……。ネコさんとの会話に気を取られていた隙にやられてしまった。調子に乗った所でこれは恥ずかしい。
私はコントローラーを握り直し姿勢を正す。だらけた姿勢では全力は発揮できないとスポーツ選手も言っていた気がする。例え遊びでも真剣に、それはもう指が折れるまで――。
「で、いつまでそうしてる気?」
「わっ、いきなり顔出さないでよ」
視界を遮るように現れた上下逆のネコさんの顔にコントローラーを落としかける。色んな意味でびっくりした心臓が煩く鳴っていた。
「親が旅行でいないから泊まりにこないって誘ったのはわんこ。それなのに一人でゲーム?」
「そ、それはその通りなんですが……フレンドからお誘いが来てですね?」
「ふーん。中学から今まで5年の付き合いの私よりも大事なの」
ネコさんはそっぽを向いて言う。
こ、これは拗ねている……いつもだったら後ろで煽ったり罵倒してプレイを盛り上げてくれるのに……。ん、それはそもそもどうなんだろう?
まあ、それはともかく。確かに誘っておいて暇にさせるのは良くなかった。ちょうど試合も終わったところだし、ここが止めどきか。
私はコントローラーを置き、顔を背けるネコさんに両手を合わせて拝みながら言う。
「ごめんってばネコさん。ほら、一緒にやろう?」
「やろう?」
「してくださいお願いします。ハーゲンダッツもつけます」
「許す。ここに持てい」
ははーと私はへりくだり、そそくさと献上品を冷蔵庫から取り出す。そしてソファーで脚を組んで待つネコ様に恭しく献上する。
彼女は蓋を開けると、スプーンで未踏破の氷面をえぐり口に運ぶ。そして一言、
「おいしい」
表情を緩めるネコさんにほっとする私。本気で怒っていたわけではないだろうけど、拗ねた彼女の目は心に突き刺さるのだ。不機嫌でいるよりも、ぼんやりと眠そうにしていて欲しい。
けど、私も食べたかったなぁ。でもネコさん美味しそうに食べてるしいいかなぁ。でもなぁ……。
そんな葛藤を続ける私にネコさんは近づくように手招きする。近づくと隣りに座るよう指示され、私はその通りにする。
「口開けて」
何の意味があるんだろうと思いつつ、私は言われたように口を開ける。
「んっ、んん……?」
口の中にひんやりとしたものが突っ込まれ、続いて甘いイチゴの味が広がる。100円アイスとは一線を画するこの触感はまさしくハーゲンダッツ。
「おいしい」
「それはよかった。随分物欲しそうな目で見ていたから」
「ええ、見てないよ。美味しそうだなーとは思ってたけど」
「思いっきり目に出てた。まったく……」
「えへへー」
呆れたように彼女は言って笑う。それにつられて私も笑った。
うん、やっぱりネコさんは優しい。ちゃんと気がついて分けてくれるんだから。だったら、もうちょっと要求してもいいのでは?
「ネコさんネコさん。もうちょっと私にも頂戴」
「ん、私が半分食べてからでもいい?」
「いいよー……あ、いや。せっかくだからさっきみたいに食べたいな」
「……さっきって」
露骨に嫌そうな顔をするネコさん。しかしここで引く手は無い。押すだけ押してそれから考えよう。
「いいでしょうー? ねえ、お願いします! その方が美味しかったから!」
「…………わかった」
「やった!」
答えるまでに間はあったが、ネコさんは了承してくれた。やはりとりあえず言ってみるのが何事も正解である。
「あーん」
「…………」
私が口を開けて待っていると、ネコさんはスプーンでアイスを半分に切り分けていた。別にちょっとくらい誤差があってもいいのに、律儀だな。
そう考えていたのもつかの間、彼女は切り分けた半分にスプーンを刺し、ゆっくりと持ち上げる。
え、あの、まさか……。嫌な予感に口を閉じかけるがその前に頬を掴まれ、
「…………あーん」
ネコさんは抑揚の全く無い声で言って、スプーンに刺さったアイスを私の口に突っ込む。口ギリギリの大きさのアイスに冷たさがやばい。語彙力が無くなるくらい冷たい。口どころか頭まで冷たい。そして美味しい。
「んんんっ!? んっ……ん、んぐ……つめたい……」
吐き出すわけにもいかず、私は冷たさに悶ながらも口内でアイスを溶かしていく。何とか噛める大きさになったところでやっと息がつけた。ハーゲンダッツを噛むなんて何と言う贅沢。
「クリスピーサンドがある」
「あ、そっか。あれも美味しいよねー」
「けど、種類が少ない。それが残念」
「そもそも高いしね。たまの贅沢って感じでいいけど」
っていやいや、そうじゃない。
「ネコさん酷いよー。あんな一気に入れるなんて」
「邪な気を感じたから」
「横縞?」
「邪。照れさせようとしていたでしょう」
「え、何を? 何で?」
何のことを言っているんだろう。首をひねる私に、ネコさんはムッとしたように言う。
「だから、今の……あーんってさせて、私が恥ずかしがっているのを見ようとしていた」
「……あ、そうか。なるほど、言われてみると結構照れるかもね」
ネコさんがハーゲンダッツを分けてくれたことに意識を割かれて、その方法までは気が回っていなかった。
なるほどなーと納得する私をネコさんは細い目を丸くして見ていた。
「……本当にわかってなかった?」
「うん」
「じゃあ、どうして」
「別に大したわけじゃないけど。ネコさんから貰ったらもっと美味しいなーって思っただけ」
「………………そう」
そう言ってネコさんは目を逸らして顔を背ける。これは拗ねたわけではなく、
「ネコさん? ひょっとして照れてる?」
「ない」
「えー。じゃあ顔見せてよ」
「嫌」
「いいじゃん減らないしさー」
私は逃げる彼女の肩を掴んで顔を向けさせようとする。が、
「あーん」
「あーん……んんん!?」
ネコさんの言葉に条件反射的に口を開けてしまい、再び口内に氷河期が訪れる。少し溶けかかっていたのでさっきよりはマシだけど、それでも一気に食べる量じゃない。
冷たい息をひゅーひゅー吐く私。冷凍怪人になったらどうしよう。
「ならない。わんこはただの犬」
「もう、ひどいなー。そんなに嫌だった?」
「当たり前。見られて喜ぶ奴はいない」
「ごめんごめん。もうしないから。というかハーゲンダッツ全部なくなっちゃったね」
ネコさんが食べたのは最初の数口で、殆どは私の口に収まってしまった。元々は私のものとは言え、これでは申し訳ない。
「だったら買ってくればいい。ほら、行こう」
「ちょ、ちょっと待って。引っ張らないでってば」
ネコさんは私の手を取るとぐいぐい玄関まで引っ張っていく。
「財布持ってないよ。待ってってば」
「自分の分は自分で払う。わんこも欲しいなら後払いでいい」
「いいの? じゃあ、高いのにしよっかな」
「……奢りじゃないから意味がない」
そんなことを話しつつ、何味にしようかなと考えるとふと思いついたことがあった。
私は前を進むネコさんの肩を叩き、言う。
「ねえねえネコさん。今度は私がしてあげようか?」
振り向いたネコさんは半眼で私をちらりと見やり、
「…………」
「あだだっ!? む、無言で手に力入れるのやめて!?」
すぐにふいっと視線を前に戻し、歩きだす。
むう、構わないと拗ねるのに、構いすぎるとそれはそれで鬱陶しがる。なんと難しい塩梅か。
だけど、それがいい。気まぐれな猫が懐いてくれた瞬間というのは言葉に出来ない感動だ。その瞬間が訪れるのは来月かもしれないし、1分後かもしれない。そう考えるとわくわくする。
「……どうして笑ってるの?」
「んー、別に。ほら、行こう」
ふんふんと鼻歌を歌いながら私は靴を履き、ネコさんの手を取る。
彼女は、私を見て首をひねると、
「……マゾ?」
小さい声でそう呟いた。