25話 わんこと始まり
休日のネコさんの部屋。ベッドに腰を下ろした私の前では、ネコさんとオオカミさんが肩を並べてコントローラーを握っていた。何時かにやっていたらしい格闘ゲームを映すモニターでは、お互いに間合いを計って私には意味がなさそうに見える牽制を繰り返しており――有り体に言えば少し退屈だった。
だから、ふと思いついた言葉がそのまま口をついた。
「ネコさんってさ、語尾に『にゃん』つかないじゃん?」
「水分取ったほうがいい」
「熱にやられてるわけじゃないから。いや、これは話の前フリだって」
「ほう? そこからどう話が繋がるんだ?」
オオカミさんは言って、肩越しに振り返る。モニターから視線が外れたのをいいことに、ネコさんは一気呵成に攻めていくが、それはあっさりガードされて終わった。
「チッ。で、そんな胡乱な前フリが何?」
「思ったんだけどさ、普通の人って『にゃん』なんて語尾使わないじゃん。けど、猫って言えば『にゃん』みたいなイメージあるでしょ」
「……それが?」
「でさでさ、お爺さんってナントカ『じゃ』って言うのがテンプレートじゃない? けど、そんな言葉遣いの人って実際にはいないよね?」
「…………それで?」
「そういうのって、誰が最初に言い出したのかなぁって」
「水分取ったほうがいい」
そっけなく言って意識をゲームに戻すネコさん――だったが、視線と意識を逸したせいでオオカミさんの攻撃をガードできなかった。
悪態をつきつつボタンを連打するネコさんは言う。
「オオカミ、話してるときに攻撃はルールで禁止」
「うん、十数秒前の行動を鑑みてから言ってほしいぞ」
「私はいいの」
清々しいまでに自分ルールを発揮するネコさんだったが、一度崩れた流れを取り戻すことは出来なかった。オオカミさんの勝利を知らせるコールに息を吐いてコントローラーを置く。
「ふぅ……もう少しゲージがあればわからなかった」
「だが、勝ったのは私だ。それはそれとして、中々面白いことを言っていたなワンコ」
「あっ、オオカミさんもそう思う? 気になるよね、定着してるけどそれを最初にやった人って」
「そうだな。例えば未知のキノコだ。それを最初に食べた者は勇敢だったのだろう」
「そう? 私は馬鹿だと思う」
言ってネコさんは、何故か私を見やる。その流れだと、まるで私が馬鹿だと言ってるようじゃないか。
すると彼女は、右手を差し出た。その意図はわからないが、とりあえず左手を重ねてみた。
「お手じゃない。いい、わんこ? 私の右手には焼いたキノコがある。醤油が垂らしてあって香ばしい匂いもしているそれを差し出されて、どうする?」
「えっと……ありがとう?」
私が見えないキノコを受け取って口に運ぶ素振りをすると、ネコさんは顔を両手で覆って棒読みで続ける。
「おおわんこよ。死んでしまうとはなさけない。しかし、その犠牲と知識はこの私が語り継いでいこう」
「なるほど。生きていればそれで良し、死んだらその手柄は自分のものと」
「えっ謀殺されたの私!?」
「つまりこういうこと。死んだ馬鹿は表に出てこないだけ」
「ひどくない!? もっと優しさがあってもいいじゃん!」
「優しさで食べたことを無いキノコを渡すのは、どっちにしろ馬鹿」
人を傷つける正論を口にするネコさんに、私はぐうの音も出ない。そりゃそうだけどさぁ、と力ない声を出す私を不憫に思ったのか、オオカミさんが苦笑して言う。
「どんな理由や過程であろうと、最初の一歩となった者は偉大だ。きっとな」
「かもね。それならわんこも浮かばれる」
「私が犠牲になるのは確定なの?」
「しかし……最初に言い出した、か。それなら私も気になることがあるな」
オオカミさんは、私とネコさんの顔を交互に見て続ける。
「『ネコさん』と『わんこ』。その愛称はどちらが先に言いだしたんだ?」
彼女が口にした素朴な疑問。それに思わず私とネコさんは顔を見合わせる。
ネコさんとの付き合いは中学校から。切っ掛けは席が隣同士になったこと。そして愛称で呼び合うようになったのは――。
「わんこから。たしかね」
そっけなく、どこか口早にネコさんは言い切る。そうだね?と言いたげな目に思わずうなずいてしまう。
ふむ、とオオカミさんは顎に指を添える。少し考えるように目をつむっていたが、
「確かにありそうな話だ。『猫柳だからネコさん』とわんこなら言うだろうな」
「そう。そんなことを言ってた」
姿勢を崩してずり落ちるようにクッションにもたれるネコさん。気を緩めた姿に私も内心息を吐いていた。
だが、
「ありそうだが、真実ではないな。そうだろう?」
一度は納得しかけたように見えたオオカミさんからの思わぬ追撃に、吐きかけた息が詰まる。ネコさんは、聞こえないというように目を閉じていた。
それに構わずオオカミさんは続ける。
「昔の話は気恥ずかしいものだ。とくにネコはそういうのは嫌がるだろう。にもかかわらず、ネコは即答して私の意見もすぐさま肯定した。これは、何か隠したがってる者の反応だ」
どうだ?とこちらを見やるオオカミさん。それに対して私ができるのは、助けを求める視線をネコさんに飛ばすことだけで、もう答えは出ているようなものだった。
目を開いたネコさんは、ジト目でオオカミさんを睨みながらため息をつく。
「嫌がるってわかってるのに聞く?」
「ん、それはそうだな。けど、気になったんだから仕方ないだろう? 二人だけ知ってるのはずるいじゃないか」
口を尖らせるオオカミさんに、子供かとボヤくネコさん。そこからオオカミさんは、ねだるような目を向け続けていたが、
「…………はぁ。私から言い出した。これでいい?」
観念したように両手を上げてネコさんは言う。その答えに目を輝かせたオオカミさんは、ずいっと体を寄せて迫っていく。
「どういう過程を経てそうなったんだ? そこが一番気になるんだ」
「それは……言う必要、ないでしょ」
「いや、ある。絶対にある」
まったく動じることなく断言するオオカミさんの圧に、今度はネコさんが助けを求める目を向けてきた。そんな目で見られても、私に出来ることは無い。
いや、なくはないか。珍しいネコさんの姿に、ちょっと悪戯心が湧き出てしまう。
「別に言ってもいいんじゃない? そんなに恥ずかしがることじゃないよ?」
「なっ……」
「むっ、そうだワンコも知っているんだな。なあ、ワンコ。当時に一体何が――」
「わかった! もう言うから! わんこも余計なこと言わないで!」
顔を赤くしたネコさんは、飛びつくように私の口を右手で塞ぐ――いやこれは普通に痛い。ひょっとしてアイアンクローというやつでは?
もがもがと声にならない呻きを上げながら背中を必死にタップしたところで、やっと拘束が解かれた。ひどい、と口にしたところ、返事はデコピンだった。
額を押さえる私に溜息をついたネコさんは、そっぽを向きながら諦めたように語り始める。
「ああもう……大したことはなかった。ただ昔の私は――今よりもそっけなくて冷めてるポーズを取っていた」
その言葉に当時を思い出す。彼女自身が言う通り、当時のネコさんは話しかけられても『そう』『別に』とばかり答える冷たい人――のように見せていた。
ネコさんは、立てた膝に顔を隠しながら続ける。
「本当に大した理由じゃない。私は……まあ、若気の至りみたいなもの。中学生がよく拗らせる病に掛かってた」
「ああ、アレか。『他人と馴れ合うなんてしない』とかそういう」
「……はっきり言われるのもムカつくけど、まあそれ。好きでもない音楽を聞いたり、興味の無い番組を話題のために見るなんて馬鹿らしい。そんなことをするぐらいなら馴れ合わない……言ってて嫌になってきた」
「けど、そういう割には今もあまり変わってないように見えるな。話題のために、なんてしないだろ?」
「それは当然。私の時間は私のもの。そんなことで消費したくない」
そう言ってやったら、とネコさんは私を見やって続ける。
「構わず何度も話しかけてくるこの娘が『それならそれでいいけど、少しは笑顔を見せてみたら?』って。否定されるものだと思っていた私は面食らって、そんなに言うならと試してみた」
ネコさんが伸ばした手が、私の頭をぐしぐしと撫で回す。
「そうしたら、思っていた以上に効果があった。必要以上に関わられることもなかったし、必要なときには卒なくコミュニケーションも取れた」
その言葉に記憶を探るように天井を向いていたオオカミさんは、
「ん……ああ、そうか。なるほどな」
「……何そのしたり顔」
「いや、別に? なあ、ワンコ?」
嬉しそうな顔をこちらに向け、ウインクをする。それの意味する所は――うん、そうしよう。私は緩む口元を隠すように立てた指を当てて応える。
「……二人でコソコソと。はぁ、いいけど。で、誰でも人懐っこくて愛されるこの娘を揶揄で『わんこ』って呼んだら――皮肉もわからない犬は気に入ってしまった」
「だってさ、そっけないネコさんがアダ名で呼んでくれたと思ったんだよ。それに、ネコさんだって『じゃあ私はネコさんって呼ぶね』って言っても嫌がらなかったもん」
だから私は悪くないもんねーと両手で彼女の髪をかき回してやる。呆れたように溜息こそつかれたが、彼女はされるがままだった。
「愛称の由来はそういうこと。これで満足?」
「ああ、かなりな。君のことをもっと知れて嬉しいよ」
「またそういうことを……」
「でもいいじゃない? こういう風に昔のことで盛り上がれるくらいに付き合いが続いてるってことで」
「そうだな。私もそういう話を増やせていけると嬉しいぞ」
「うん、オオカミさんとも仲良くしたいな。思い出はいっぱいあっても困らないしね」
例えば今日のこの時間も、数年後や10年後に思い出せたら――その時二人もいてくれたなら、それはとても素敵なことだと思う。何気ない日々も幾つか重ねていけば、きっと掛け替えのない日々となるに違いない。
「ネコさんもそう思わない?」
そう言った私とオオカミさんは、同じ顔をしていたと見なくてもわかる。問われたネコさんの顔は、
「……まあね」
そっぽを向いて見せてくれなかったけれど、その声を聞いたのなら――あえて口にする必要なんてなかった。




