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21話 ネコさんと温泉

「今年は良いことがある、というのはありふれた言葉だな」

「そうね。言葉通りにはいかないものだけど」


 そうだな、とさして気落ちした様子もなくオオカミは同意する。その手には、如何にも参加賞といった風体のテイッシュが握られていた。

 対して私が握っているのは、六角形の箱に取り付けられたハンドル。ガラガラと回して出てきた玉の色に応じて景品がもらえるという年始ではそこそこ見られる装置だ。


「正式名称は新井式廻轉抽籤器というらしいな」


 スマホ片手にオオカミはそんな豆知識を教えてくれた。偶然出会った買い物の付き合いには十分な対価だろう。つまり、どうでもいい。

 そして、ぐるぐるとハンドルを回す手もどうでもいい。目の前のボードには、近場の有名な温泉地一泊二日とかがキラキラした文字で書かれているが、当たらないものを願っても仕方ないだろう。

 私とオオカミ、二人で2回。そうして当たる確率なんてたかが知れている。だからこうして心を無にして期待もせずに回せば――。


「ん」


 からん、と抽選機が出てきたのは金色の玉。ほら、こんなもの。そうそう当たらないからこそ懸賞というのは成り立つ――。


「……えっ」


 もう一度出てきた玉を見る。金色。金色は大抵一番良いものに使われる。

 ガランガランと煩い音を鳴らすベルに背筋が伸びる。担当の店員はおめでとうございます!と言っている……と思う。何事かと向けられる注目の目が気恥ずかしくて、正直この場からさっさと立ち去ってしまいたかった。


「すごいなネコ。この手の抽選って本当に当たるのだな」


 そんな気の抜けた感想を口にするオオカミに、安心してしまうくらいに。






「ねえ、オオカミ。この旅館によくある窓際の空間はなんて言うの」

「ハーフの私に訊くのか? まあ、広縁(ひろえん)というぞ。奥行きが広い縁側だから広縁だそうだ」

「ふーん」


 そんなことよく知ってたな、と思いつつ私は早速その広縁に置かれた椅子に体を預ける。

 街からこの旅館まではバスで一時間ほどで、距離だけならそう遠くはない。けれども、旅館というのは中々非日常的な場所で、窓からの景色も民家でもビルでもなく山ばかり。ずいぶんと遠くに来た、そんな気分にさせる。


「ワンコが来れなかったのは残念だったな。彼女は祖母の家だったか」

「そう。けど、仕方ない。いつまでも冬休みじゃないし、天候だって都合は考えてくれない」

「次の機会というわけだ……というか」


 まじまじとこちらを見つめながらお茶を差し出したオオカミ。私はお礼を言ってから一口すすり、


「なに、そんな顔して」

「いや……正直私と泊まりなんて嫌がるかと思っていた。ワンコが来ないなら行かないとばかり」

「……私はそんなに我儘?」


 訊ね返されたオオカミは、対面の席につくと迷いながら言葉を選ぶ。 


「それは、まあ、気まぐれではあると思っている。だから今回も気まぐれなのかと」

「気まぐれで気に入らない相手と温泉に来るほど寛容じゃない。それくらい知っていると思っていた」

「んっ……そうか。私はネコを優しいと思っていたからそう考えたが……よく覚えておこう」


 オオカミははにかんだ笑みを浮かべる。相変わらず顔がいいそいつのそれをじっと見るのは……なんだか悔しい気がした私は、ふっと目を逸らして窓へと向ける。

 さっき見たばかりの景色。そのもっと手前には室内温泉が備え付けられていた。ベランダに出るような気軽さで温泉につかれる――考えてみれば中々に贅沢だ。

 

 私は椅子から立ち上がって背伸びをする。バスの中は暖かったが、そこまでの道中はかなり寒かったのだ。温まるには良い頃だろう。


「温泉、入る?」

「ああ、そうだな。早速入るとしよう」


 そう言うなりオオカミはジャケットを脱ぎ、シャツのボタンに手を……って、


「脱ぐなら脱衣所でして。狭いけどあるんだから」

「ん? そっちはネコが使うと思ったが」

「使うけど今じゃない」

「……? 温泉、入らないのか?」

「入るけど……何言って」


 噛み合わない会話に私が戸惑っていると、まさかと思い至る。


「…………一緒に入る気でいる?」

「入らないのかっと、どうした? 蝿でもいたか?」


 わりと本気で振り抜いた右手はあっさりと空を切った。よろめいた私を支えるオオカミを思い切り睨みつけて言う。


「何を考えているの」

「何って……所謂『裸の付き合い』というやつをしようと思って。ネコとの距離を縮めたいわけだな」

「それは物理的に?」

「それも吝かではないが……いや主目的は違うぞ? もっと心から信頼できる友人関係を築きたいと思ってだな」

「私はあんたが悪い狼だって疑念が拭えないんだけど」

「ならば早速拭ってみせよう。あのお互いに背中を流すやつ、一回やってみたかったんだ」


 むふふ、と含み笑いをするオオカミ。正直断りたいところだったが、旅先で空気を悪くするのもな……と考えるくらいには私は日本人だ。一応、邪な考えではない……というか、むしろ子どもの頃の夢を叶えるような気分なのだろういうのも、そんな気にさせる要因だった。

 背中を洗い合うなんてやったことのある奴の方が少ないと思うが、アンケートを取ったわけではないので正確なところは知らない。少なくともわんことしたことはない。


「……はぁ。とりあえず脱衣所に行って。終わったら行くから」

「おお、付き合ってくれるのか!」


 そんなに楽しみなものだろうか? 私が疑問に思っている間に、彼女は旋風のように脱衣所に飛び込んでいった。


「タオルも用意しないで……」


 私は溜息をつき、二人分のタオルを箪笥から引っ張り出す。ついでに浴衣も適当に放り出してから、脱衣所へと向かう。

 曇ガラスのドアの向こう側からは、既にシャワーの水音が聞こえ始めていた。気が早いと思ったが、どうやらそれだけが理由では無さそうだ。


「……さむい」


 風呂と部屋の間にある脱衣所だが、外気に近いせいで室温が低い。これは、さっさと風呂に入りたいのもよくわかる。私は、震えだした体とタオルを抱くようにして風呂へのドアを開いた。


「来たか。待ってくれ、今シャワーを代わろう」


 風呂椅子に腰掛けシャワーを浴びていたオオカミは、そう言って振り返る。普段はまっすぐに下ろしている長い髪は、頭の上で団子のように纏められていた。

 

「ズルい」


 自然とそんな言葉が口をついていた。それを自覚するよりも早く、


「何がだ? ああ、先にシャワーに入りたかったか?」


 首を傾げるオオカミに問い返された。私は、シャワーヘッドを受け取って答える。出来るだけ、彼女の体を目に入れないようにしながら。


「それ。というか全部。なにそれ、綺麗すぎて一周回って手抜きみたい」


 一糸まとわぬ彼女のボディは、非の打ち所もなく完璧だった。日に焼けづらい白い肌も、一筆で書ききれるような滑らかなラインも、程よく引き締まった体つきも――あと年齢の割に大きい胸も――それを彼女は隠そうとしていない。

 私に見られても恥ずかしくないから。単にそれだけの理由なのだろうけど、その恥ずかしさを覚えない理由が恥じる所が無い体だから……そんな嫌味っぽく思えてしまった。


 そんな体をオオカミは惜しげもなく晒している。濡れた髪が張り付き、水滴を垂らす姿を見ているのは……どうにも落ち着かなくなる。ちょっと触ってみたい、なんて普段なら絶対に思わないことまで考えてしまいそうだ。


「ん、んん? そう言われても困るな……一応トレーニングというか、そんなものはしているから手抜きではないぞ」

「ん、まあ、そう」


 困ったように笑うオオカミに曖昧な返答をして、私は手早くシャワーを済ませてしまう。横目に彼女を伺うと、既に湯船に体を沈めていた。


「あつい?」

「いや、ちょうど良い……ふぅ。ネコは熱いお湯は苦手か?」

「少しぬるい方が好き……うん、大丈夫そう」


 黒っぽくて少しヌメリ気のある温泉に突っ込んだ手に、じんわりとした温かさが伝わってくる。私は、ゆっくりと湯船の段差に腰を下ろした。

 

「……気持ちいい」


 自然と吐息が溢れる。やっぱり温泉は良い。とくに寒い冬に入る温泉はとくに。こうしてじっくりと休むのも大事なのだと、改めて実感できる。

 私がそうして目を細めていると、肩までお湯に浸かっているオオカミがこちらにじっと視線を向けていた。


「なに、そんなに見ても楽しくないでしょ」

「いや楽しいが待て待てそうじゃない、仮定の話だ。じっくりと眺めていたら楽しいだろうという仮定であり、私はそうしていたわけではない」


 タオルを抱き寄せて距離を取る私に慌てて弁解するオオカミ。そうじゃなくてと、彼女はしどろもどろで続ける。

 

「こう、なんというか……文字通りお互いに肌を晒し合っているわけだ。それは互いの急所を晒していると言い換えてもいい。それには信頼関係がないと成り立たないだろう?」

「つまり?」

「ええと……つまりだ、それくらいの信頼関係を築くことができたと感慨深くなっていた。だから、その当人であるネコを見ていた。うん、それだけだ」

「そっか」

「そうだ、そういうことだ。ところでネコ。何故そんなに湯船に体を沈めているんだ」

「隙あらばこっちを狙う悪い狼が居るから」


 そういうつもりじゃない、と力ない反論するオオカミだが、だとしても裸を眺められて良い気はしない。油断していると首筋に歯を立てられかねない。


「で、では私がネコを洗おう! そうすれば私に邪気が無いことがわかってもらえるだろ!?」

「嫌だよ……」

「一歩引いた態度で拒否されるのは心に来るぞ! さっきはもう少し前向きに検討してそうだったじゃないか!」

「検討した結果『やっぱり駄目だこいつ』って結論が出た」

「そこを! もう一度! 頼む!」

「近い掴まないで押し付けないで」


 私に迫るオオカミを押し返し、負けじと彼女も押し返す。姦しい声が浴室内に反響し、それがしばらく続いた所で急に止んだ。

 結論から言えば、オオカミが望んだようなことにはならなかった。ついでに、私が望んだようなことにも。


「…………冷たいお茶おいしい」

「こういうときは牛乳だと言うが……アレだな、冷えたコーラの方が私は良いと思う」


 血行を促進しやすい温泉に浸かりながら、熱気がこもりやすい浴室で大騒ぎ。そんなことをすれば当然体力を消費する。騒ぎ疲れた私達は、どちらともなく風呂を上がり、ぐったりとした体を座椅子に預けていた。


「髪、乾かしたら」


 さも当然のように肩の触れ合う距離にいるオオカミを突き放す元気もない。しっとりと湿った髪と気怠げな雰囲気のせいか、いつもより彼女が小さく見えた。


「今は……めんどうだな。ああ、そうだ。ネコ、今年もよろしく」

「……なに、急に?」

「いや、ちゃんと言ってなかった気がしてな。こういうのは大事だろう?」

「大事ならもっとちゃんとした時に言うんじゃないの?」

「かもな。しかし、あまり畏まっても仕方ないだろう。友人関係においては」


 ……だよな? と不安げに続けるオオカミ。私は、肩をすくめて答える。


「図々しい癖に変な所を気にする」

「いや、だって……あまり友人というのがだな……」

「そこは、自信を持ってもいいところ。今更でしょ」

「……そうか」

「うん……それはそれとして、気安く頭を撫でない」


 安心したように微笑むオオカミは、私の言葉が届いていないのか手を止めようとしない。振り払ってもいいが……まあ、その元気を使うのも勿体ない。

 それに、言葉にすると癪だし調子に乗るから絶対に言わないが……彼女の肩は、頭を預けるには具合が良かった。それと引き換えということなら公正だろう。

 

 だから、今日くらいなら許そう。その寛大さは、オオカミが調子に乗って体を抱き寄せるまでは維持された。

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― 新着の感想 ―
[良い点] すぐに調子のるおおかみさんかわいいです [一言] おっきいオオカミにのしかかられてでしでしたたいてる猫みたいですごく癒されます。
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