19話 ネコさんとパフェ
あつい、と何度目になるかも忘れた呟きがもれる。肌と足元のアスファルトを焼く日差しに、体中の気力が蒸発している。
明日は休みだと言うのに、何故今から疲れねばならないのか。私は、額と髪の間ににじむ汗をぬぐい気怠い足を動かしていく。とにかく家へ帰るのだ。別段涼しいわけではないが、こんなフライパンの上よりは遥かに――。
「ん……?」
バス停を目指す足を止め、私はその途中に佇む人影を見やる。後ろで纏めて上げた髪型ではあるが、長い銀髪を見間違うはずもない。
オオカミは、落ち着きなさそうに腕を組みながら店の看板を睨んでいた。ときおり看板から視線を外し、店を見てはまた看板を見るというのを繰り返している。
「何してんの、オオカミ」
「えっ、わっ!?」
私が声を掛けると、オオカミは声を裏返させながら飛び上がる。振り向いた拍子に転びかけた彼女は、看板に縋り付きながらぎこちなく笑い返した。
「あ、ああネコか……奇遇だな」
「かもね。それで、何を?」
「い、いや大したことじゃない……この店に入ろうか悩んでいただけだ」
「ふぅん」
オオカミが退けた看板を見ると、コーヒーに紅茶、それにアイスやサンデーやパフェ……どれも気軽に食べるには中々の値段だ。店の外観も洒落ており、外から中もあまり見えない。学生が友人と騒ぎながら来るような店ではないだろう。
ただ、そういう理由で気後れしてるわけではないだろう。むしろ雰囲気に合っている方だ。
「一人で入るのが嫌だった?」
金欠以外でありそうなのは、その辺か。もっともこの雰囲気なら、一人でも浮くどころか馴染みそうなものだが。
しかし、オオカミは首を振る。
「そうじゃないんだ。ただ、その……」
「ナンパが嫌?」
「そうじゃなくて……その、パフェって生クリームが乗ってるじゃないか」
「まあ、普通は」
この店のは少なくともそのようだ。目玉らしいストロベリーパフェには、幾つものクリームの山が乗っている。
それがどうしたのか、と訊ねるとオオカミは気恥ずかしそうに俯きながら答える。
「私とてパフェは好きだ。好きなんだが……生クリームは胸焼けしやすくて、これを気持ちよく食べきれるだろうかと……それを悩んでいた」
「……それだけ?」
「そ、それだけだ。いいだろう、べつに。私だって財布事情と食欲に揺れることくらいある」
口を尖らせたオオカミはそう言って、看板に視線を戻す。髪を上げてよく見える耳は、朱に染まっていた。
私は、小さく息を吐くとその背中を叩いて言う。
「で、半分なら食べれる?」
「えっ……? まあ、それなら」
「そう」
私はオオカミの横を通り過ぎ、店のドアを開く。隙間から吹き込んだ涼しい風に目を細めていると、戸惑った表情のオオカミがこちらを見つめていた。
「入らないの? 暑くない?」
「は、入る。入るが、いいのか?」
「割り勘ならね。あのパフェ、二人で食べないと多いよ?」
「構わない。いや、むしろ礼を」
「いいから入って。私は涼みたい」
何やら言いたそうなオオカミの腕を引っ張り、引きずるように店内に入る。店員に2名と告げ、案内された奥のテーブル席についたところで、自然と大きな息が溢れた。
やはり涼しい。たまに冷房を利かせすぎて寒い店もあるが、ここは適温だ。日が落ちて涼しくなるまでは、ここに避難していよう。
椅子の背もたれに寄りかかってくつろいでいると、対面のオオカミは頬杖をついて穏やかな目を――いや、ニヤついている顔だ、これは。
「何その顔」
「そうもなるさ。ネコが自分から私の手を引いて……」
「普通に気持ち悪いからやめて」
私が握った腕を嬉しそうに擦るオオカミ。若干引いた私は、椅子をごと後ろに下がる。
それに考えを改めたのか、オオカミは咳払いをして姿勢を正した。
「ま、まあそれはそれとして。こうやって二人で店に入るなんて珍しいだろう? 少し舞い上がるのも仕方ないさ」
「そんなに?」
「そうとも。一人でゆっくり過ごすのも良いが、友人と共に過ごす時間も良いものだろう?」
「まあ、そうかも」
「それにネコの優しさが沁みるな……口では色々言っても心は暖かいのだな……」
「……そう思っておけば」
オオカミは訳知り顔をしているが、そんなつもりはない。涼みたかったのが5割とパフェが食べたかったのが3割に過ぎない。何を言っても調子に乗りそうだから、黙っておくが。
「それで、頼むのはストロベリーパフェでいいか?」
「それでいい」
「うん、わかった。しかし楽しみだな。結構評判が良いらしいんだ、ここのパフェ」
店員に注文を告げたオオカミは、無邪気な笑顔を私に向ける。ファミレスに初めて来た子どもみたいで、つい微笑ましい気持ちになってしまうが、
「ネコとパフェ……ふふっ……いいな……」
どこか恍惚とした呟きにそんな気持ちは明後日の方向にぶっ飛んでいく。どうしてこいつは、評価を固定させられないのか。いや、常に下振れという意味では固定されているが。
「私と一緒がそんなに楽しい?」
「当たり前だろう。ネコはネコと一緒にいて楽しくないのか?」
私の問いに、オオカミは間を置かず即答する……言っていることの意味はよくわからないが。
「私は私だけだし、もうひとりの自分と過ごすのは大体嫌がると思う」
「私が二人か……いい顔は出来ないな、確かに。だが、ワンコが二人ならどうだ。私達は幸せじゃないか」
「一人ずつ分け合う前提で喋ってない?」
「むっ、独り占めしようというのか。それは見過ごせないな」
「……少し水分摂ったら。熱でやられてるかもしれない」
浮ついているのか浮かされているのか、とにかくこいつは駄目だ。欲望に心が支配されきっている。
言われたオオカミは、素直に水を飲んで言う。
「んっ……ふぅ。確かに余計なことを口走った気もするな。ネコと居るとつい口が軽くなる」
「私のせいにしないで欲しいんだけど」
「そうは言ってもそれが事実だ。楽しい時は口だって回る」
「……はぁ。普段から余計なことを言ってるほうが、友達も出来るんじゃない」
「それは中々難しい。言われるまで余計という自覚は無いし、そう指摘するのもネコだけだ」
困ったな、と肩をすくめるオオカミ。そんなポーズを取られたところで、困るのはこちらなわけだが。顔と振る舞いのせいで、何を言っても口説いているようにしか聞こえない。
もう少し顔の良さを自覚したほうがいい。そんな事を考えていると、注文したパフェがテーブルに運ばれてきた。
「おお……思っていたよりも大きいな。普段食べるものとはまるで違う」
「何人かで食べるものだから」
ファミレスのものが丘なら、これは小山といったところか。中心の生クリームを囲むように小さなソフトクリームの木が置かれ、真っ赤なベリーソースとタイルのように整然と貼られたイチゴの赤が彩りとなっている。その層の下には、フローズンフルーツ、アイスを挟んでフレークと地層が形成されている。
一人で食べるには量も値段も厳しいが、ここにいるのは二人。それなら月イチの贅沢の範囲に収まる。
「これは美味しそうだ。早速食べるとしよう」
「うん。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
目を輝かせるオオカミからスプーンを受け取り、アイスを一掬いして口へ運ぶ。牛乳の濃厚さはなく、しかし薄いわけではない心地よい後味。そして何より日向を歩いた体に染み入る冷たさ。
「おいしい……」
「生クリームの方も……ふむ、これは良いな。ソースの酸っぱさとクリームの濃さが丁度いい」
「アイスはだいぶさっぱりしてる。塩ソフトってやつかな」
「ほう、どれどれ……うん、たしかに。後味がいいな。私は濃厚なものよりこちらが好きだ」
「牛乳の主張が強いのは苦手?」
「かもしれない。ふとキツイと思ってしまう時がある」
二人で味の感想を言い合いつつ、アイスとクリームの山を崩していく。合間に挟まるイチゴとフローズンフルーツが、アクセントとなり飽きを感じさせない。高いだけの理由はあると思わせる味だ。
私がソースとアイスとクリームを同時に味わっていると、ふと感じた視線に手を止める。正面のオオカミを見やると、彼女は手を止めてじっと私の顔を見つめていた。
「なに?」
「ん……まあ、なんだ。前にも言ったが、そうやって美味しそうに食べている顔が可愛いなと思って」
「……食事中の顔をじっと見るのは、趣味が良くないんじゃない」
「つい、な。そうしてしまうだけの魅力があるというか」
「…………タラシ」
「それはすまない……待て、ネコ。それはちょっと取りすぎではなかろうか」
ごっそり取ったアイスの山を口に放り、私は無言のままそっぽを向く。ちょっと頭痛がする冷たさだが、熱くなった顔にはちょうどいい。
まったく、これだからこのオオカミは……。私が頭痛に耐えていると隣のテーブルの会話が耳に届いた。
「おいしいですね、これ。とくにソースの……アレが素晴らしい」
「語彙力が無くなりすぎでしょ。というか、もっとゆっくり食べたら?」
どうやら私達と同じくパフェを二人で食べに来たようだ。長髪の少女は、砂山を掻くようにパフェを食べ進める少女を呆れたように見ていた。
パフェを食べていた方の少女は、一旦手を止めるとクリームを載せたスプーンを差し出して言う。
「むっ、これは失礼。どうぞ一口」
「えっ、いやそれは……って、そんな悲しそうな顔しなくてもいいでしょう、まったく……」
長髪の少女は、前に体を出して差し出されたスプーンにそのまま口をつける。クリームを味わった後、二人は照れくさそうに笑い合っていた。
仲の良い――というには少々甘ったるい出来事から視線を正面に戻すと、オオカミは再びこちらをじっと見つめていた。こころなしか、その視線は私の唇に向いている気がした。
オオカミは食べる手を止め、僅かな逡巡のうちに口を開く。
「なあ、ネコ」
「いや」
「まだ何も言ってないが……」
「聞かなくてもわかる。絶対に嫌だから」
「ネコ、頼むから聞いてくれ。君のためでもある」
「その手の言動が本当にためになったことはない」
「これは本当だ。取って食おうなんて考えてない。目を見ればわかるだろう」
確かにオオカミがこちらに向ける目は、誰が見ても真剣だと判断するだろう。彼女が素面で酔っ払いのようなことを口にすると知らなければ。そして、私はそれを知っている。だからこそどう判断すべきか。
……まあ、聞くだけ聞いてやろう。また世迷い言めいたことを言うなら、その分だけパフェを頂けばいい。
「で、何が言いたいのオオカミ」
「ああ、それなんだが……」
オオカミは私の唇――の少し横を指差して言う。
「クリーム、ついているぞ」
「………………」
手の甲で拭うと、確かにクリームが付いていた。私は、俯いたまま震える手で紙ナプキンを使って拭き取る。
「なあ、ネコ」
「…………こっちに頭出して」
「……? こうか?」
言われるがままに差し出したオオカミの頭に両手を添える。そして、羞恥を押し付けるように銀髪をかき乱す。
「な、なんだネコ? 怒られるようなことはしてないだろ?」
「普段の行いが悪い。悪いったら悪い」
「ご、ごめんなさい?」
酔っ払いはいったいどっちだ。褒められて悪い気ではなかったのは不覚だ。隣の甘さに判断が溶けた故の無様だ。だから悪いのは、普段から勘違いさせるようなことばかり言うオオカミだ。
「ね、ネコ……私の分も残してくれると助かる……」
「考えとく」
外に居たときよりも熱くなった顔と体を冷ますために、私は無言でパフェを食べ続けた。




