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18話 オオカミさんと釣り

 散歩の理由はただの気まぐれ。こんな風に天気のいい日に出会った彼女はそう言っていた。

 それに習ったわけではないが、私は川岸にある桜の下に座り込んでいた。満開が遅いというこの北の大地でも桜は散ってしまっている時期であるが、傍の桜にはふわりと膨らんだ花が咲いていた。


 ヤエザクラ、ボタンザクラと呼ばれる桜は遅れて満開を迎える。その話を聞いたのは3日前で、もしかすると見られるかもしれないと足を運んだ甲斐はあったようだ。

 私は、桜から傍らに置いた細長い肩掛け鞄に目をやる。咲いてなければ、或いは散っていればという次善策だったが、どちらにせよ正解だったらしい。


 弄んでいた花弁を置き、鞄に手をかけたところで、 


「オオカミさん、こんにちは」


 人懐っこい朗らかな声に顔を上げる。その先にあった予想通りの笑顔に私は微笑み返す。


「ああ、ワンコ。こんなところで会うとは思わなかった」

「天気が良かったからお散歩をね。オオカミさんも?」

「そんなところだ。桜が咲いていると聞いてね」

「綺麗だもんね。けど、桜と一緒に居るオオカミさんも綺麗だったよ。絵になるっていうか」


 ワンコにそんなことを言われて喜ばない者が居るだろうか、いや居まい。春の陽気よりも心が温まる。

 私が温もりに浸っていると、


「それって?」


 彼女は置かれた鞄を指差して訊ねる。


「これか? 桜が見られなかったときの第二案だよ」


 私は鞄のジッパーを下ろして、中から取り出したものを見せる。1メートルほどの棒の表面は艶っぽい黒を基調にし、合間にオレンジが差し込まれている。


「……バトン?」

「ではなく、釣り竿だよ」


 先端の黒いキャップを取り外し、現れた竿先を摘んで引き出していく。スルスルと伸びる竿に合わせて顔を上げていくワンコがおかしくて、つい吹き出す。


「魚の前に大きな犬が釣れてしまったかな?」

「かも。オオカミさん、釣りやるんだ?」

「向こうに居たとき偶にね。こっちに来てからは初めてかな」


 元々積極的にやっていたわけではないので、環境に慣れるまでは慌ただしくて、慣れてからは興味を覚えずといったところだった。だからこそ、花見のついでにはちょうどいい。


「ワンコは釣りをしたことは?」


 私は訊ねつつ、準備を進めていく。仕掛けは用意してあるので、先端の蛇口に結ぶだけで済むが。


「昔、家族とやったかなぁ。全然釣れないから飽きて寝ちゃった気がする」

「はは、子どもに釣れない釣りは退屈だろうな」

「オオカミさんはそうじゃなかった?」

「どうかな……けど、今は悪くないと思ってるよ。いつ来るかわからないアタリを待って、その間にぼんやりと考えながら周囲に目を向ける。すると、普段は見えないものが見えてくる」

「ふぅん、そんなものかな」

 

 そういうものだ、と答えた私は、針に練り餌を付け終えると立ち上がる。軽くしならせるように竿を振るうと軽い水音が鳴った。ウキが真っ直ぐ立っていることを確認し、再びしゃがみこんだ。


「ミミズ、使わないんだ」

「余らせても困るからな。ワンコはああいう餌は平気なのか?」

「うーん……昔は触れたけど、今はどうかな。虫とかもさ、昔は平気だったけど大きくなると触れなくならない?」

「確かにな。無知故に平気だったものが、知識をつけるにつれて怖く思えてしまう。雪を食べるなんていうのも、その一つだろうか」

「雪食べるのって思った以上に危ないんだよね……ムチャな事してたなぁ、子どもの私」

「そういうことを経て大人になるのだろうな。悪いことばかりじゃないさ。こうして待つことを楽しむことだって出来る」


 でもさ、とワンコは浮かない顔で続ける。


「大人になると時間の流れが早くなるって言うよね。そうなってからも、ただ待つだけの時間を楽しめるのかな」

「ふむ、心配か?」

「ちょっと。私ってぼうっとしがちだから、そうやってるうちにおばあちゃんになってるかも」

「それくらい穏やかな人生も悪くないと思うが。まあ、心配と言うなら考え方を変えてみればいい」

「考え方を?」

「他のことが出来るのに、敢えて待つことを楽しむという贅沢をしているんだ、とな。贅沢は出来るうちにしないともったいないだろう?」

「贅沢か……なるほどなぁ。仕事をするようになったらそんな時間も無さそうだもんね」


 そう言ってワンコは川面を見やる。今は穏やかな流れも雨が降れば荒れることもあるし、不透明になることもある。思いがけない出来事で波紋が広がることだってある。明日がどうなるかはわからない。

 なら、穏やかな時にそれを楽しむのも悪くない。共に楽しめるものが居るなら尚良いだろう。


「……いい天気だね。日差しが気持ちいい」


 膝を抱えるように座るワンコは、安寧とした表情で呟く。春の小風に押されるように体をゆらゆらとさせていたが、視線が鞄の傍に置かれていた花弁に止まる。

 それを眺めていた彼女は、何か思いついたように笑うと手に取り、


「オオカミさん、ちょっとじっとしてて」

「う、うん?」


 言われた通りにしていると、上半身を伸ばした彼女の手が髪に触れる。もしやネコにするように頭を撫でてくれるのかと一瞬期待するが、


「うん、出来た。えっと、カメラ起動して……」


 撫でると言うには余りにも短い時間で手は離れ、取り出したスマホを操作しだす。何を期待しているんだ私は……脈絡なくそんなことをするわけがないだろうに。

 自嘲していると、カシャッとシャッター音が鳴った。何を撮ったのかと訊ねる前に、


「ほら見て。思った通り可愛いよっ」


 声を弾ませながらスマホを差し出すワンコ。その画面には、


「……これは、ちょっと照れくさいな」


 ヤエザクラの花弁を髪飾りのように付ける私の姿があった。可愛さの自己判断はともかく、私には些か子どもっぽいように思える。


「そう? いいと思うけど、春らしいし。けど、物憂げな表情をしてるとさらに美人に見えて羨ましい……」


 真剣な顔をしているところに悪いが、それは馬鹿な自分を嘲ていただけなんだ。しかし、そうやって褒めてくれるのはとても嬉しい。それが無垢な少女のような姿形であろうともだ。

 ……とはいえ、やはりじっと見られ続けるのが恥ずかしいというのも事実。そろそろ外しても良いかと訊ねようとした時、


「あ、ネコさんにも送っていい?」


 ワンコは、そんなことを言い出した。


「え、いやそれは」

「嫌?」

「嫌では……ない……と思う」

「なにそれ、変なオオカミさん」


 くすくすと笑うワンコ。言われてみれば、確かに変である。別にネコに見られたところで貶される……かもしれないが。いやもしかすると褒められる……のは無いかもしれないが。

 とにかく、ネコに見せることへのリスクは無いはずだし、止めることもない。戸惑いから口ごもってしまったが、なんてことないだろう。


「いや、構わない。少し戸惑っただけだ」

「りょうかーい。なんて言うかな」


 軽やかに操作するワンコと裏腹に、私はネコの不興を買わなければ良いなと、低いハードルを設置していた。

 ややしばらくして、ワンコのスマホが通知音を鳴らして返信を告げる。その画面を見たワンコは、微妙そうに顔をしかめた。


「ど、どうだ? 怒ってないか?」

「怒ってはいないけど……なんで怒られる心配してるの?」

「いや、普段の素行がな……そんなつもりは無いのだが、よく叱られる」

「そうなんだ? 仲良いなぁって思ってたけど。あ、それでネコさんね。『良いんじゃない』だって。相変わらずそっけないよね」

「そうか……」


 ワンコの言う通りそっけない返答ではあるが、とりあえず怒ってはいないようだ。

 一先ず胸をなでおろしていると、ポケットのスマホが振動した。画面を見ると、ネコからのメッセージだ。


『ちょっとムカついた』


 書かれていたのはその一文。何故、とこちらも返すと返信はすぐに来た。


『綺麗だと思ったから。不覚を取った』

『そうか。褒め言葉としてありがたく記憶しよう』

『ズルい奴め。また髪をぐちゃぐちゃにしてやる』

『それは待ち遠しいな』

『タラシ』


 そんなつもりは無い、と言っても意味がないだろう。何しろ自覚できていないことをどれだけ否定しても説得力がない。それよりも、怒りながらも褒めてくれたというのが何より嬉しい。

 

「あっ、オオカミさん良い顔してる」

「そんな顔をしていたか?」

「うん、写真に撮りたかったくらい。良いことあった?」

「良いことしかないさ。特に今日はな」

「おお、なんか格好いい台詞」


 ワンコから向けられる眼差しも、今はくすぐったくも誇らしい。今の私は上り調子、なんだって出来そうな気さえする。格好良くて可愛いの二つで一つのオオカミだ。


 私は、ニヤけた顔を見られないために、目線を水面に移す。が、そこにあるはずのウキが見当たらない。流された――わけではなく水中に沈んでいる。


「どうやらこちらもアタリのようだな」

「大きい?」

「さて、どうかな……んっ、この重さは」


 置いていた竿を手に取り、竿先を空へと向ける。それだけで大きく竿がしなり、手に重さが伝わってくる。張り詰めた糸は濁った水中へと続き、見えない針は巨大なモノを引っ掛けているだろう。

 竿を左右に振るうが、折れると錯覚するほどに竿はしなり、糸はギチギチと音を立てるほどに緊張している。一切びくともしないこの重さは――。 


「わっ、すごそう! ヌシとかそういうの? あ、そうだ。釣り上げた格好いいところ写真に撮ってあげるね」


 その様子を見たワンコは興奮した様子でスマホを構え、釣り上げるその瞬間を待ちわびていた。キラキラと期待に満ちた目は、誰もが裏切りたくないと思うだろう。


「あ、ああ。そうだな、頑張ろう」


 無論、私とてそうである。例え釣っているのが、地球だとしても。


「頑張れオオカミさん! 獲物は大きいよ!」


 無邪気な声援を送る彼女に対して、私はどうやって外せば格好がつくだろうかと頭を悩ませていた。

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