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16話 ネコさんと吹雪の日

今年は暖冬で暖かい日が続くでしょう、と誰かが言っていた。そして、どうやらそいつはとんだペテン師だったらしい。


「寒い……寒すぎる……」


 朝は晴れていた空模様も今は灰色――だと思う。強風に巻かれた雪のせいで視界は悪いし、目を開けているのもしんどい。荒れる予報は出ていなかったし、ここまで冷えるとも聞いていない。

 戦場から祖国に帰るというわけじゃない。ただ学校から自宅まで帰るだけ。それなのに、どうしてこんなに辛いのか。

 低すぎる気温に体にまとわりつく雪は溶けることなく留まり続ける。立ち止まれば雪だるまになってしまいそうで、足を雪に埋めながら歩いていく。

 そんな普段の倍近い時間を掛けた必死の行軍も、ようやく終わりが見えてきた。あと僅か数十メートルで家につく。明日は土曜で両親は明日の夜まで出掛けている――即ち自由気ままな時間が待っている。


「つい、た……」


 毎日見ているドアが今日は何だか妙に神々しく見えた。そのドアを開くために、私は鍵を取り出し――。


「…………」


 落ち着けポケットにないからと言って落としたとは限らない。鞄の中を探して制服の内ポケットを探して、さらに探してもう一度探してそれでも無いというのはどういうこと――。


「あっ」


 そういえば昨日の夜、ポケットに戻さず机の上に置いたような気が……。


「………………」


 我が家はこんなときのために隠してある鍵など無い。つまり、私は家に入ることが出来ない。詰んでいる。


「………………………」


 私は、寒さと悲しみに震える手でスマホを取り出す。ディスプレイの無機質な光が、今だけは太陽のように輝いていた。





「ネコさんすごいことになってるよ。とにかく入って」


 私を迎えてくれたわんこは、そう言いながら付いた雪を払ってくれる。玄関で雪を落とすのは良くはないが、今はそんなことを気にする余裕もない。


「災難だったね。けど、私と家近くて良かったね」

「……うん」


 雪まみれだったコートを掛け、わんこの後に続く。廊下に暖房は効いていないが、それでも外と比べれば天地の差があった。

 家に入れない以上、とにかく何処かに避難するしか無かった私は、わんこの家に向かった。とにかく温かい場所、で連想したのが彼女の家だったのだ。


 実際、その選択は正しかったと思う。両親を呼び戻すにもこの雪では時間がかかりすぎるし、鍵屋を呼ぶにしてもあんなところで待っていられない。

 それに、


「わっ、手冷たい。大丈夫?」


 わんこの温もりが冷えた体には余りにも心地よくて、なんだか泣けてくる。人の温もりとはいうが、こんなにも心に沁みるものだったのか。

 彼女について階段を上がり、2階にあるわんこの部屋にたどり着く。ドアを開けた途端に溢れる暖気に息が溢れた。


「まあ、ゆっくりしてよ。服は濡れてない?」

「上着とタイツが……さむい」

「はいはいっと。とりあえず椅子に掛けておいて」


 制服の上着と寒気を吸ったタイツを脱ぎ、椅子に掛けて乾かしておく。冷えた足を撫でると、痺れるようなむず痒さが足を巡った。


「ストーブで足りる? 布団使ってもいいけど」

「いいの? 正直、とても助かる」

「あっ、けど中が冷えてるかも。湯たんぽ用意するか……」


 そこでわんこは言葉を止め、にやっと笑う。


「それとも、私と一緒に布団入る? あったまるよ?」

「……まったく」


 こんなときになんてことを言い出すのか、この駄犬は。


「採用。早く入ってほら早く」

「……えっ? あのネコさん?」

「絶対にあったかい。間違いない。だから早く」

「い、いやあの冗談」

「ええい、まどろっこしい」


 このままでは埒が明かないと、私はわんこの両肩に手を掛ける。彼女は体を震わせたが、それに構わずそのままベッドに押し倒す。


「ひゃっ!?」

「じっとして。布団が掛けられない」

「そ、そういうことじゃなくてね!?」

「うるさい」


 もがくわんこの体を覆いかぶさるように抑え込み、さらにその上に布団と毛布を掛ける。これで体勢は整った。後は彼女から熱をもらうだけで良い。


「ひぅい! 足つめたい……」

「わんこの足は温かい」


 自分の両足で彼女の足を挟み込むと、触れ合ったところからじんわりと熱が伝わってくる。自分の体でするよりも数段上の心地よさに、溜息がこぼれる。耳朶を撫でられたわんこは、身を捩るとむくれた顔で言う。


「くすぐったいよ……もう」

「ん、ごめん」

「謝りながらさらに抱きつかないで……」

「だって温かいから……私の手はこんなに冷たいのに」

「ひぃや!? だからって首に当てないで!?」


 そうやって面白い反応を見せるからやりたくなるのだが、それは黙っておこう。それよりも今は、こうしていたい。

 じっと目を閉じて、静かに温もりに身を任せる。間近から聞こえる息遣いと触れ合った胸から伝わる鼓動、手を少し動かせば触れる髪の滑らかさ、鼻腔をくすぐるシャンプーの香り。


 生きているというのはこういうことなんだろう。触れあえば熱を共有できる、冷たさを緩和できる。一人では生きられないから二人で生きる。それこそが人類。


 と、トートロジーをしてみたが、


「……ネコさん、そろそろ重い」


 人という字は支え合っているというように、一人が楽をしていては潰れてしまう。具体的にはわんこが辛そうだ。


「今よける」


 私は軽いほうだが、それでも犬猫ではないので何時までものしかかるのは彼女に悪い。というか、冷静になって考えてみると――いや、冷静に考えてしまうのはマズい。そんなことをしていた気がする。

 熱くなった顔を見られないように、彼女の隣に体を移す。そんな事情を察したのか――或いは彼女もなのか、わんこは背中を向けたまま言う。


「あったまった?」

「お陰様で」

「そっか。あーけどさ、次は優しくして欲しいかも」

「……変な言い方しないで」

「変なことしたのネコさんじゃん。いきなりあんな――」


 そこまで言ってわんこは黙り込む。私も何も言えない。寒さに正気を失ったと指さされても仕方ないことをやってしまったし、それをお互い受け入れていたと自覚するには――心の許容量が足りていない。


 お互いに一言も喋らない無言の間。それを破ったのは、わんこだった。


「今日、どうする?」

「どう、って」

「鍵無いなら家に入れないし、鍵屋さんもお金掛かるでしょ。だったら、泊まっていく?」

「……いいの?」

「明日は休みだし、放り出すわけにはいかないよ」

「……ありがと」


 どういたしまして、と穏やかな声で答えるわんこ。いつでも私を受け入れてくれる日溜まりのような声。だから、つい私は、


「……まだ寒い?」


 わんこの腰に腕を回して、ぴったりと背中に頭をあずけていた。変わらず優しい声をかけてくれる彼女に答える代わりに、回した腕に力を込める。


「今日は寒いね」

「寒い。いつかの日よりも」

「……そのときも思ったんだ。寒いのもたまにはいいかもって」

「どうして?」

「ネコさんが素直に甘えてくれるから。いつもよりわかりやすくていいなって」

「……そう」


 そんなことを言われても、そう言える彼女のほうが私よりもずっと素直でわかりやすいのに。嬉しくないのか、と訊かれて『すごく嬉しい』なんて言えるくらいに。

 だから、こうして甘えてしまうのだ。一方的な想いではないと、わかってしまうから。


「……そろそろ出る」

「もういいの?」

「十分に温まったから。ありがとう」


 回していた腕を解き、布団から体を出す。十分すぎるくらいに温まったせいか、暖房の効いた部屋だというのに少し寒いとすら感じてしまう。

 けど、それでいい。これ以上は過剰過ぎる。温もりの共有はこれくらいで――。


「えいっ」


 軽い衝撃と重さに上半身がよろけた。その理由がこちらに抱きついたわんこだと気が付き、体が固まる。声を出せずにいる私の顔を覗き込みながら、彼女は悪戯っぽく笑って言う。


「ささやかなお返し。ネコさんだって、いきなりやられたらびっくりするでしょ?」

「……ばか」


 赤くなっただろう顔を隠す私に言えるのは、そんな短い一言が精一杯だった。

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