15話 わんことストーブ
「世界はあまりにも私に厳しい」
「根拠は?」
「寒すぎる」
「すごく主観的」
だったらなに? と電気ストーブの前で体を丸めるネコさんがこちらを睨む。どうどう、と落ち着かせつつ私はベッドに腰を下ろした。
「まあ、運は悪かったよね。溶けてベチャベチャの雪を車に掛けられたのは」
「そう、全部あいつが悪い。今日が寒すぎるのもあいつが悪いに決まっている」
「どんな大罪人なのか……」
暖まっている今ですらこれなのだから、その場での悪態のつきようと言ったら無関係の私が怖くなるほどだった。私の家で、濡れた靴下と体を暖めたらと提言しなければどうなっていたことか。
ところで、とストーブ前を陣取る彼女に声をかける。
「そろそろ靴下も乾いたし、そのお綺麗な足も暖まったと思うのですが」
「いや」
「あの、私も寒くないわけじゃないから……文明の利器の恩恵に預かりたいと思ったりもするんだけど」
「部屋が暖まるまで待って」
「気が長すぎる……もう、私とストーブどっちが大切なのよっ」
「わんこ」
「っうぇ!?」
間髪入れずの返答に思わず変な声を上げてしまう私。振り返ったネコさんは、呆れた顔をしていた。
「って、言って欲しいんでしょ」
「そ、そうだけどさー。もっと『何言ってるの』とかクッション挟むとか」
「照れるくらいなら言わなきゃいいのに」
「ネコさんだって耳赤いじゃん」
「ストーブのせい」
それだけ言ってそっぽを向くネコさん。確かめようと耳に向かって伸ばした手は、鬱陶しげに払われてしまった。
まったく、相変わらず図々しいというか傍若無人というか。我がもの顔で暖房を享受しおって。こうなるとちょっかいを掛けてみたくなるではないか。というか、動いてないと体が冷える。
ネコさんにちょっかいを掛けつつ暖まる方法……ふむ、私はベッドの上で、ネコさんはベッドに背中を預けながら床に座っている。相手の上を取るのは戦術の基本。つまり私は地の利を得た。
「ねーこさん」
ということで、ここは上からの奇襲。具体的にはネコさんの肩の上に両足を投げ出す。いきなり出てきた足には、流石に彼女も驚いたようだ。
「何をして」
「私だって寒いし。足くらいあっためたい」
「子ども?」
「子どもですー」
呆れ顔のネコさんに笑って答えてやる。彼女は溜息をついて私の足を押しのけようとするが、逆に頭を挟むように押し返す。
「ぬっ」
「足の力は腕の数倍あるのだよ、ふははは怖かろう」
「……」
「すいません無言で抓ろうとするのはやめてください調子にのりました許してください」
必死の懇願が通じたのか、ネコさんは鼻を鳴らして指先から力を抜く。足をどかす気は無いようなので、今度は慎みを持ちながら足を置かせて頂く。
「普通にしてればいいものを」
「ストーブ占領してたのネコさんじゃん……」
「それはそれ、これはこれ」
「なんと自分に都合の良い理論を……というか、あの」
「なに?」
「足を擦ったり……んっ……揉んだりするのは遠慮して欲しいと私は思います」
押しのけるよりはいいけど、べたべたと触られるのも反応に困るというか。優しい手付きで撫でられるとくすぐったいような……変な気持ちになる。
しかしネコさんは、やめるどころか上機嫌に続けていく。
「いいじゃない。触り甲斐のある足をしている」
「褒められてるのそれ……んんっ、ふくらはぎ揉まないで……」
「すべすべ……ふにふに……」
「ふ、太くないし!」
「そうとは言ってない。ん、ふとももも気持ちいい……このまま寝れそう」
「ひぃやあ!? 頬ずりはやめてってば! 流石に恥ずかしいから!」
せめてもの抵抗に足をバタつかせてみるが、ネコさんが両腕でがっちり抱え込んでいる上に、怪我をさせるわけにもいかないので力も入らない。結果的にほぼされるがままになってしまう。
「んっ、つっ……」
内ももを彼女の髪が撫でるこそばゆい感覚に体が浮き上がる。そんな状況を自分から作ったことの羞恥で体が熱い。だけど、足の間で気持ちよさそうにしているネコさんを見るのは嬉しくて、こそばゆくとも嫌ではなくて。
「やめ……て……」
だから、ネコさんの頭に触れる手に力は入らず。懇願の言葉には意志がこもらない。他人に見られたらどうしようもないような状況なのに、それすらも心地良いような――。
「ふう、足は満足」
「あ、へっ、え?」
唐突にそれは止んだ。ふんふんと満足気に鼻を鳴らすネコさんが、逆さまの顔でこちらを見上げていた。ぼうっとする私を不思議そうに見つめる彼女は言う。
「降りて座ったら。こっちのが暖かい」
「う、うん」
私はぼんやりした頭を振って、言われたとおりに彼女の隣に腰を下ろす。が、それだけでさっきのことを思い出して顔が熱くなってしまった。
うう……自覚ないだけで実は征服されたい欲とかあるんだろうか。いやいや、私はネコさんに構ってもらうのが好きなだけで、それ以上は……。
「なにぼうっとしてるの?」
「い、いやなんでもないよ……なんでも」
「ふぅん?」
ネコさんは首を傾げていたが、それ以上追求はしなかった。彼女は、立ち上がると、
「少し足開いて」
「えっと、なにを」
するの、と言い切る前に。出来た空間に腰を下ろした彼女は、そのまま私の体に自身を預ける。
言ってしまえば私を座椅子にした状態だが、胸元に頭をあずける彼女は安心しきった顔で目を閉じており、私は物ではなく人なので。
「ネコさん?」
赤くなった顔は見られていないだろうけど、上ずった声と大きな鼓動で動揺はバレている。だって、するに決まっているじゃないか。あんなことの後で、無防備に密着なんてされたら。
「……落ち着く」
「私は……時間がかかりそう」
額を拭おうとした手に優しく指が絡められる。甘えた笑顔を向ける彼女から顔を背けたい――けど、見ていたい。矛盾した思いに焼き切れてしまいそうだ。
「もー……ストーブが恋人みたいな態度してたのに」
「ストーブは愛人。一冬だけの相手」
「それもどうなのネコさん……」
「わんこのふにふにボディには勝てなかった」
「太ってるみたいに聞こえるからやめて?」
体重も肉付きも平均かちょい下くらいだし……ネコさんがスレンダーで引き締まってるだけだし……オオカミさんは例外だ。色々と完璧すぎる。
ぶつぶつと内心で自己弁護を繰り広げていると、胸元のネコさんは緩んだ声をあげる。
「それをさっき再確認できた。だから、今度は全身でくつろぐ」
「ええー……私の意思はどこに」
「ここに」
言うと同時に、ネコさんは左手を私の左胸に触れさせる。
「い、いきなりなにをっ」
「構ってもらえて嬉しいんでしょ。ドキドキしてる」
「いや、こんなことやあんなことすれば嫌でもそうなるっていうか……」
「嬉しくない?」
「……嬉しいです。甘えてくれるのも、すごく嬉しい」
正直で率直な思いの丈に、彼女は、
「……じゃあ、そうする」
静かに呟くと、体を完全に預けて目を閉じる。ずり落ちそうになる体を抱き寄せると、嬉しげに体を震わせた。力の抜けた体をそうしていると、小さな寝息が胸元が聞こえ始める。
「……人を湯たんぽか何かと思っているのかね」
苦笑交じりに寝息をたてるネコさんに言ってみるが、勿論返事はない。あったとしても『うん』とかだったろうけど。
けどまあ、今日のところはそれでもいいか。私も十分すぎるくらいに暖まったことだし。甘えられるのも――やっぱり好きだから。
「寒いのも……たまにはいいかも」
私はぐしぐしとネコさんの頭を撫で、彼女が起きるまで熱と重さの心地よさを楽しんだのだった。




