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13話 わんこと5月病

「もうだめ……世界の終わり……」

「いや大げさすぎるでしょネコさん」

「こんな非道には耐えられない……神は死んだ……」

「2ヶ月後に復活するからそれまで待って」


 無理、と呟いたネコさんはベッドに突っ伏すと、見たくもないとばかりに卓上カレンダーを私に向かって放る。捲れた6月のページには、土日以外に赤い数字は見当たらなかった。


「毎年患うよね、5月病。そんなに嫌?」

「あたりまえ……休めるなら1年中休みたい」

「うーん、すごい動きたくないという意思を感じる」


 私のベッドに寝転がるネコさんの姿からは、覇気というものが一切感じられない。普段も溶けている猫みたいではあるけど、今日は綿の抜けたぬいぐるみみたいだ。


「どうして平日は生まれるんだろう……」

「わけのわからないことを……ほら、平日なら学校で私と会えるよ? それって良いことじゃん」


 イエイ、とわざとらしくピースをする私。自分でもちょっと馬鹿っぽいとは思うけど、これくらいしないと今のネコさんは反応してくれなさそうだ。

 まあ、リアクションと言っても冷めた目を向けるのが関の山だろうけど――。


「いい。毎日が休みならここで暮らすから」


 少し――いや割と反応に困るというか詰まってしまう答えに、固まってしまう。ネコさん寝てるだけで絶対何もしないだろうなとか、私と居るのは嫌じゃないんだなーとか。そんなことを考えてしまって、つい頬が熱くなる。


「あー、そうだね。けど高校くらいは出ておいた方が良いと思うよ。ほら、今どきはさ」

「つまらない正論は聞き飽きた」


 そんなこと言われても仕方ないじゃないか、面白い返しを思いつくほどの余裕が無かったんだから。

 非難の目を向けてみるが、ネコさんは欠伸をすると寝返りを打って視線から逃れる。まったく、ずるい人。


 私が溜息をつくと同時に、部屋のドアがノックされた。はぁい、という返事に開かれたドアから現れたのは、


「お邪魔するぞ、ワンコ……随分腑抜けているな、ネコ」

「いらっしゃい、オオカミさん。ネコさんは、この時期はこんなだから」


 そういうものか、と少し呆れ気味に言って彼女は白い化粧箱をテーブルに置く。その音に何かを察したのか、ネコさんはもう一度寝返りを打ってこちらに向き直った。


「流石、その気の利かせ方は評価する」

「それだけでわかるのか……相変わらず勘が良いな」

「オオカミさん、これなに?」

「ああ、これは」


 オオカミさんは微笑むと、化粧箱の上を開けて中身を取り出す。夏の雲みたいに大きく膨らんだ生地とそれに挟まれているクリーム。それは即ち、シュークリームである。


「母が手土産の一つでも買っていけと言うのでな。だが、迷った甲斐はあったようだ」

「良い親御さんを持った、オオカミ。とても素晴らしい」

「ネコさんってさ、わりと気分で態度変えるよね」

「何か問題?」


 まったく悪びれない真っ直ぐな目で答えるネコさん。それはもう、私のほうが間違っているのかと思ってしまうくらいに。

 私がジト目を彼女に向けていると、オオカミさんは微笑ましげに笑って言う。


「私は気にしていないよ。ネコらしくていいじゃないか」

「オオカミさんは、ネコさんを甘やかしすぎじゃない?」

「ハハハ、私からすれば君のほうが甘やかしているように見えるが。だが、その自覚がないというのもまた良しだ」

「そうかなぁ。私はしっかりしてるつもりだけど」

「『しっかりしてるつもり』はその通り。あくまで『つもり』だけど」

「わっ、ネコさん?」


 不意に首に腕が回されたかと思うと、そのまま後ろに引き寄せられる。右肩に掛かる重みに目をやると、抱きついたネコさんが顎を乗せていた。


「隙だらけで不安になる。蝶を追いかけて何処までも行ってしまいそう」

「そ、そんなことないし?」

「自分でも自信無いじゃない」


 呆れたように言われ、ふにふにと頬を指で突かれる。そんなことないよね? と助けの目をオオカミさんに向けるが、


「まあ、そうだな。目を離したらいつの間にか走り去ってそうな不安はわかる」

「そんなふうに見えるかなぁ」

「見える」


 ネコさんは言って、シュークリームに手を伸ばす。寝転んだままは行儀悪いよと開いた口に、


「はい、あーん」

「んぐ」


 返事を待たずにシュークリームが突っ込まれる。グレープフルーツを使ったクリームの爽やかな風味が口いっぱいに広がる。だけど、一口で食べるには大きすぎるそれに、目を白黒させることになった。


「ふぁにするのネコさん……ん、美味しいねこれ」

「それは良かった。無駄な時間にならずにホッとしたよ」


 朗らかに笑うオオカミさんに、私もつられて微笑む。


「うん、こちらこそ。って、そうじゃなくてネコさん。いきなり何するのさ」

「餌付け。犬は受けた恩を忘れないって言うから」

「……色々とツッコみたいけど、私はそこまで単純じゃないよ?」

「撫でられたら喜ぶくせに」

「ひゃう……それは、ネコさんだって……」


 反論したいところだけど、実際頭を撫でられただけでふわっとした気分になってしまう。ネコさんの少し冷たくて細い指が髪を梳くのがくすぐったくて――だけど離れてほしくない。


「幸せそうだな、ワンコ。少し、いやかなり羨ましいな」


 口元についたクリームを指先で拭ってくれたオオカミさんは、右肩に住み着いたネコさんを見やる。ふむ、と少し考えるように腕を組んだ彼女は、


「では、私はこちらを借りるとしよう」


 私の隣に移動すると、左肩に頭を載せて目を閉じる。


「オオカミさん? 何が『では』なの?」

「ん、簡単なことだ。少し歩き疲れたから休みたいところだったんだ。で、右にはネコが居るなら、左に行くしかないだろう?」

「ああ、なるほど……いやいや、だからって私の肩つかわなくても良くない?」

「そう寂しいことを言ってくれるな。私だってワンコと触れ合いたいんだ。物理的にも肉体的もな」

「同じだっての」


 ネコさんは、オオカミさんの頭を軽く小突くが、それだけだ。それだけやると、大きな欠伸をして黙ってしまう。小さな寝息が聞こえてくるまでに、時間はそうかからなかった。


「昼寝か……それも悪くないな……」

「オオカミさんも眠いの?」

「不思議とそんな気になってきたよ……君たちの傍は落ち着くな……」

「そ、そうかな」


 私としては、左右からいい匂いがするし温もりが伝わってくるしでちょっと落ち着かない。嫌な気分は、もちろんしないけど。

 

「いい休日だ……とてもな……」


 そう呟いたのを最後に、オオカミさんも寝息を立て始める。かっこいい人は、寝顔も何処かかっこいいんだなとぼんやりその顔を眺めていると、回された腕にぎゅっと力が入った。


「ん、この匂いって……」


 ネコさんの袖からふわりと香るのは、柔らかいラベンダーの香りだった。その匂いに、半年前のことを思い出してしまい、顔の内側から熱が吹き出してきた。

 あの時も、今みたいに急に甘えてきて、私をドキドキさせてきたな――。


「もう……気まぐれなんだから」


 拗ねるように言ってみるが、自分でもわかるくらい顔はニヤけていた。単純っていうのも、これじゃ否定できない。

 だけど、うん。今日がいい休日だっていうのはオオカミさんの言う通り。だったら、それで良しとしよう。


「ふわぁ……私も……寝ようかな……」


 二人に引っ張られてやってきた眠気に逆らわず、私は目を閉じる。真っ暗な世界で静かな寝息が二つ聞こえるのが、なんだか不思議で、妙に嬉しかった。

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