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11話 わんことクリスマス

「クリスマスだね」

「イブだけど」

「けど、イブに盛り上がるのは正しいらしいよ。テレビで言ってた」

「じゃあ、わんこよりは信頼できそう」


 窓の外ではしんしんと雪が降りしきる中、リビングでは静かに、しかし激しくコントローラーのスティックを弾く音が鳴っていた。

 

「えー。それは酷くない? 私だってなんかこう……考えてるよ」


 会話はしつつも、集中は画面に向け続ける。何しろお互いに大技が当たれば即負けという状況なのだ。こういう時こそ冷静に、しかし大胆に行動したものが勝つ。


「考えてるって? 何を?」


 しかし、そういう点で言うとネコさんに勝てる気がしないのだけど。私が前のめりになって集中しているというのに、彼女はソファーの隣でゆったりとコントローラーを操っている。

 

「そりゃあアレだよ。溢れる知性だよ。これから見せつける予定だから」

「そう」


 ふふふ、そんな澄まし顔も今に崩れるというのに。

 まあ、プレイ数回目の相手に勝って嬉しい? と冷めた目で見られること確実だが。それはそれ、これはこれ。何か普通に負けそうだし、手段を選んでなどいられないのだ。


 そして、壁も天井もない空間に並んだ今こそが好機!

 私は、おもむろに背後を振り返り、さも当然のように呼びかける。


「あれ、オオカミさん? もう来たんだ」


 もちろんそこには誰もいない。オオカミさんが来る時刻はまだまだ後だ。しかし、誰だって知り合いの名前を呼ばれればそちらを向いてしまう。その隙を突く完璧な作戦――。


「一人で何言ってるの?」


 呆れたようなネコさんの声。次いでテレビから聞こえたのは、勝利を確信させる必殺のSE(効果音)。そして無情に響く試合終了のアナウンス。

 虚空に向かって振り向いたまま、私は言う。


「……いや、オオカミさんを出迎える練習をね?」

「へえ。私は、姑息で卑劣な作戦が全く無意味に終わって羞恥で死にたくなってると思ったけど」

「そこまで言わなくても良くない!? いやその通りだけども!」


 ぐう、なんたる無様か。これならば潔く討ち死にしておくべきだった。せめてもの救いは、オオカミさんがこの場に居なかったことか。もし居たのなら、生暖かい目を向けられていたに違いない。

 熱くなった顔を組んだ膝で隠しながら、私はボヤく。


「ネコさん強すぎるよー……本当に昔のやつしかやったことないの?」

「わんこが下手。大技に頼り過ぎ」

「だって私は人間だから……ネコさんやオオカミさんみたいに未来が視える超人じゃないし」

「だったら尚更。視えないなら考えて動く」

「善処します」


 はぁ、と息を吐いてコントローラーを握り直す。せめて恥ずかしくない負け方をしようと考えていると、


「けど、いつもと変わらない」


 ボソッと、ネコさんがそんなことを呟いた。


「うん? 変わらないって何が?」

「休みの日にわんこの家に来て、ゲームして駄弁って、ご飯を食べて……イブだけど、普段通りだと思って」

「ゲームしてるのは『現地で待ってるのが寒い面倒』ってネコさんが言ったからだけどね……けど、ご飯はオオカミさん紹介のディナーだよ。そこはいつもと違うし」

「そう、だけど」

「いつもどおりなのは退屈?」

「そうじゃない。ただ」

「ただ?」

「……何でもない。とりあえず、悪いことじゃない」


 ネコさんはそう言って顔をそらしてしまう。

 確かに、言われてみればあまりにいつもどおり過ぎるかもしれない。とはいえ、そんな急に非日常感を演出できるアイテムは……。


「あっ、そうだ」


 私は、傍に置いておいた鞄からラッピングされた小さな包みを取り出す。全身から『クリスマスだぞ』と主張するそれは、今日のために買ったものだ。

 それをネコさんに差し出して言う。


「はい、ネコさん。ちょっと早いけどクリスマスプレゼント」

「……なんで今?」

「いや、クリスマス(ちから)を高めた方がいいのかなって。それに、去年みたいにうっかり渡し忘れたら嫌だし」

「ああ、そんなこともあった」


 開けても? と訊ねるネコさんに頷き返すと、彼女は丁寧に包装紙を剥がしていく。そこから現れたのは、小さな化粧箱だ。その封を切り、ゆっくりと蓋を持ち上げていく。


「これは……香水?」


 手の平に収まるほど小さな小瓶には、紫色の液体が詰められている。取り上げたそれをしげしげと眺めるネコさんに、私は言う。


「ラベンダーの香水で、寝るときに使うと良く眠れるんだって。どうかな?」

「ん、ありがと……そんな目をしても、プレゼントは今渡さない」

「え、ええっ? そんな目してた?」

「してた。今ふたりだけで済ませたら、オオカミに悪い」

「あっ、そっか。ネコさん、ちゃんとオオカミさんのことも考えてるんだね」

「……ディナー奢りの義理を果たしただけ」


 ふん、と鼻を鳴らすとネコさんは、私の肩に体を預けるように寄りかかる。この反応ということは、プレゼントはお気に召したようだ。

 その体勢のまま、香水を眺めるネコさんはつぶやく。


「どうして香水?」

「んー、ネコさんがいっつも眠そうなのって、睡眠の質が悪いんじゃないかと思って。だからその分長く寝てるのかなってさ」

「そういうわけじゃ」


 そこまで言ったところで、ネコさんは不意に黙り込む。じっと香水を見つめていたと思うと、唐突に私の顔を覗き込んできた。

 その行動の意味がわからなかったので、とりあえず私が笑うと、彼女も笑い返す。ただし、妙に悪そうな笑顔で。


「ネコさん?」

「ちょっと動かないで」

「う、うん?」


 言われたとおりにしていると、ネコさんは香水の封を切って、私の襟元に一吹きする。立ち昇る柔らかいラベンダーの香りに彼女は目を細めると、


「横になって」

「横……こう?」


 ソファーの肘掛けを枕にするように倒れ込む。見上げる形になったネコさんの顔は、満足げに見えた。ただ、その顔はどこか赤いような――。


「後はそのまま動かないでいて」


 どういう意味と訊ねるよりも速く、体全体に人ひとり分の体重と熱が加わる。すぐ目の前には、悪戯っぽく――けれど照れくさそうに笑うネコさんの顔がある。

 思わず言葉に詰まった私の耳へと、雪のように溶けてしまいそうな囁きが届く。


「これなら……きっとよく眠れる」

「ネ、ネコさん……やっ、首くすぐったいから……」

「いい匂い……温かい……」

「擦りつかないで……照れるよ……」


 押しのけようとする腕に力は入らない――いや、最初から入れる気が無いんだ。

 だって、


「ふふっ……」


 目の前で酔ったみたいにふにゃふにゃ笑うネコさんを追い払うなんて、出来るわけがない。いつもよりもわかりやすく甘えてくれる彼女を手放すことが出来るわけがない。

 だから、彼女は動かないでと言ったけど、しがみついて首元に擦りつく彼女の頭を撫でてやる。それにネコさんは小さく体を震わせると、一層体の力を抜いて私にしなだれかかってくる。


「……いいな、いつもどおりで」


 呟かれた声は、降りしきる雪にさえ飲まれてしまいそうほどの囁き。けれど、鼓動が触れ合うほどの今ならば、それが聞こえるのは当然だった。


「そうだね……いつもどおりで……」


 日常こそが幸福であると、誰かが言った。それはきっと、こういう意味なのだろう。

 幸福は温かく、温もりこそが幸福である。だったら、今の私とネコさんは世界で一番に幸せだ。


「……二人だったら、一番と二番かな」


 まあ、いいか。手を繋いで一緒にゴールすれば一番が二人だ。それくらい些細なことだろう。

 既に寝息を立てるネコさんの頭をもう一度撫で、私は壁に掛かった時計に目を向ける。オオカミさんが来るまで、後1時間くらいだろうか。


「それまで起きてられるかな……」


 私は一緒に寝てしまいたいという誘惑を抱きながら、チャイムが鳴る時まで必死に耐える。

 オオカミさん早く来てと思いつつ、少し遅れてもいいよと矛盾したことを思いながら。

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