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 こうして夜毎(よごと)逢瀬(おうせ)を重ねるって、言葉だけならとっても色っぽい気がする。

 そう輝映(きえい)は思った。

 だけど、何故なのだろう。

 自分は毎晩のように白露(しらつゆ)と会いながら、彼に白龍(はくりゅう)の悪口を聞かされているのは。




 いつもの草原で座りながら白露は言った。


「いいか、輝映。試しにあんな場所、行ってみようだなんて思うなよ。青龍王子と黒龍王子なんて、さっきまでは違う女、今はこの女と、場所も考えずにしけこんでるからな。まだ18才と17才ってのに、あれでどうして子供ができないんだか、それが不思議でならんぐらいだ。いや、だからやりたい盛りなのかもしれんが、顔を見せた途端、寝台に引き摺りこむぞ、あいつらは」

「う、うん」

「それに比べりゃ白龍王子は大人しいもんだが、単に女がつけられなかっただけだからな。だが、あのぼけぼけぶりじゃ、17才になっても18才になっても、それこそ20才になっても、

『お付き合い? うわぁ、女の人って綺麗だね。わくわくしちゃう』

で終わりかねん」

「そ、・・・それは()めてるの、(けな)してるの?」

「貶しているに決まっているだろう」

「そ、そうなんだ」


 輝映は、何とも言えない気持ちになった。

 ずっとずっと白露を見てきた。だけどこんな人だっただなんて、・・・イメージがガラガラと大きな音を立てて崩れていく。

 彫ったそこが熱くて耐えられないと、ほとんど肌をさらして夜風に吹かれようとする様子は、どこまでも露出的だ。

 背中や脇腹、顔や手足にまで模様を描くそれはかなりきついらしく、白露の体はいつも熱い。

 どうして白露は、それでも模様を入れようとするのだろう。


「白露の模様、かなりくっきりしてきたけれど、まだ入れるの?」

「あと少しで終わり、だな。もしかしたら数年後、また彫り直すかもしれないが」

「痛いのに、どうしてそんなことするの?」

「痛いのは嫌いか、輝映?」

「うん。誰だって痛いのは嫌だと思う」

「そうだなぁ」


 白露は、考えるように言って、ぱたんと後ろの草原に体を倒した。

 

「せっかくだから極めたいじゃないか。使うかどうかはともかくとして、さ」

「え?」

「カンヘルの印を持つ者と繋がる為の刺青。その契約をするかどうかはともかくとして、最高の契約者でありたいだろ?」

「だけどいずれカンヘルの印を持つ人を殺す為の契約なんでしょ?」

「それはしょうがない。制御されないカンヘルの印を持つ者は危険だ」


 矛盾している。それは白露も分かっていた。

 最高の契約者でありたいと言いつつ、契約をしていないと公言している自分。


(だけど、何と言えばいいんだろう。単に俺のねじくれた性格ってだけかもしれないが)


 夜空に星が沢山散らばっている。

 大きな川のように銀の河が流れる。


(ああ、まるで白い龍のようだ)


 白露は、ただそう思った。




 最後の刺青を入れ終わり、白露は家に戻った。


「やっと帰ったか、白露。帰ってくるなり彫り師の所へ直行して家族に顔も見せんとは」

「そりゃすみませんね。息子を脅迫して追い出した父親が顔を見たがってるとは思わなかったもので」

「どこまで根に持つんだ。大体、そう言う割にはこっちにほとんど顔を見せんくせに。実は白龍王子、気に入っとるんだろう」

「よしてください。誰があんな我が儘な子供を」


 さすがに家で覆面頭巾(フード)をつけはしない白露だ。父の(ほまれ)とて同じ模様が体に彫られているのだから。


「お前な、『わざわざ白龍王子についてやっただけで十分だろ、契約はしない』なんぞと言い張って、それでいて刺青だけはきっちりと修正していくってどうなんだ」

火焔(かえん)達に馬鹿にされるのは嫌なんだよ。あいつら、自分が青龍王子付きだと思ってえっらそうに。俺よりも頭悪かったくせにっ」


 火焔というのは、伯父の襲の息子だ。つまり白露にとって従兄にあたる。


「やれやれ。お前は未だに丸くなるってことを知らんな」


 呆れたように誉は妻の夢雫(ゆめしずく)を見た。心得たように茶が差し出される。


「ま、茶でも飲んで落ち着け。今日はまだやめておいた方がいいが、明日にでも酒を飲もう」

「あ。俺、明日はもう発つから」

「何でだ。別に急ぐ理由もあるまい」

「ここでちんたら過ごす必要もないだろ。用もないのに」


 すると夢雫が、悲しそうに白露を見た。


「あなたはどうしていつもいつもそうやってすぐに戻ってしまうのかしら。お母さん、ずっと白露が戻ってきたら、ああしてあげよう、こうしてあげようって思って待っていたのに」

「無駄よ、お母さん。白露兄さん、所詮は霧生に戻ってきたくないんだから」


 夢雫(ゆめしずく)よりも少し高い声がして、戸口から現れたのは紅雨(こうう)だった。


「うっわぁ、お父さんみたいにバリバリに入れちゃって。白露兄さんってば、本当に素直じゃないわよね」

「それが久しぶりに会った兄に対する態度か、紅雨。お前、年長者に敬意を持つってこともまだできんのか?」

「それが久しぶりに会った可愛い妹に対する態度なの? 普通の兄はもっと妹を大事にするし、自分よりも年下な女の子だからこそ男として守ろうとするって知ってる? たまに帰ってきては偉そうにする前に、この屋敷の中に関しては何の貢献もしていないって事実を認めて少しは謙虚にしてなさいよ。いいかげん兄としての自覚がないっていうか、男として甘えすぎなんじゃない? だから勉強しかできない負け犬人生になってるって自覚ある?」

「・・・・・・」


 そういえば、こういう妹だったと白露は思った。ああ言えばこう言う。


「ま、まあ。紅雨、白露はちゃんと白龍王子にお仕えして頑張ってるのよ。そんなことを言っちゃいけません」

「お母さん。だけど白露兄さん、契約していないって言うじゃない。なら、意味がないわよね? つまり、白露兄さんはわざわざ王子の離宮に行ってタダ飯食らいしている、霧生の自覚もない役立たずよ」

「紅雨っ」


 たまりかねて、白露は叫んだ。


「なあに? それとも白龍王子と契約したの? 勿論それなら謝るわ、白露兄さん。で? 白龍王子と契約はしたの?」


 白露は黙りこんだ。本当はとっくに契約している。

 だけどそれを言いたくない。

 彫り師は所詮、彫り師である。だから契約の印は見えない。けれども霧生の直系には見えるのだ。

 そう、このポンチョを脱いで肌を見せればすぐに分かる。


「し、してないが・・・」


 絞り出すような声の白露に向かい、紅雨は勝ち誇って言ってみせた。


「そうでしょうとも。だから白露兄さんって意地っ張りの無神経男なのよ」

「誰が無神経だ。俺は今まで一度もそんなこと言われたことはない」


 そこで、ざわっと(ほまれ)夢雫(ゆめしずく)紅雨(こうう)(おのの)いた。


「自覚がなかったんだな、白露」

「あなた、あれ程、お友達にも言われてたのに全く耳に届いていなかったの? どうしましょう。お母さん、あなたの育て方間違えたのかしら」

「言っとくけど、白露兄さんのこと、無神経って思ってない人いないから」


 ガーンとショックを受けた白露である。

 聞いた言葉が信じられずに三人を見れば、三人共、嘘を言っている顔ではない。


「あっ、どこに行くの、白露? もう夜なのよっ」

「ちょっと散歩」


 ふらふらと、白露はそのまま屋敷の外へ出て行った。


(まさか、誰よりも血の近しい家族に無神経だと思われていたとは)


 白露にしてみれば、今までの固定観念を破壊された気分である。いつの間に、自分の家族は自分をそんな風に捉えてしまっていたのか。

 それを見送るしかなかった三人は、

「あなたが正直に言うからよ、紅雨。見なさい、白露ったらあんなにショック受けてしまったじゃないの」

「だけどお母さん、未だに自覚してなかっただなんて、それこそ誰にも指摘されてなかったってことでしょ? 白龍王子、かなり苦労してたんじゃないの? それにあれはショックを受けて傷ついたんじゃないわ。単に自分の思い込みを皆に否定されてショックを受けただけで、傷つくような神経なんて最初から持ち合わせてないわよ」

「たまに帰ってくる息子の為に水入らずの時間を取ろうと父が予定を空け、母がご馳走を作り、そして兄の部屋を綺麗に掃除して待っていた妹のことを今まで一度として考慮しなかった奴が、どうして無神経じゃないって思えるんだろうなぁ」

と、それぞれに顔を見合わせた。




 ふらふらといつもの野原に行くと、輝映が振り返った。


「今日はおうちに帰るんじゃなかったの? もうここには来ないって言ってたのに」

「ああ、そうなんだが」


 だけど輝映の顔が見たかったのだ。

 白露のそんな気持ちが通じたのか、輝映は笑った様子だった。


「フードを取ってくれ、輝映。顔が見たい」

「何それ。自分だって普段はかぶってるくせに」


 それでも輝映は笑いながら覆面頭巾(フード)を外してくれた。

 白露はそこに救われた気分になる。


「笑っててくれ、輝映」

「どうして?」

「輝映が笑ってると、楽しい気分になる」

「・・・・・・」


 一気に赤くなった輝映だったが、白露は平然としていた。


「どうしたんだ、輝映?」

「う、ううんっ」

「ところで輝映。俺、無神経だと思うか?」


 輝映は考えこんだ。

 自分が笑っていると楽しい気分になると、まるで告白のようなことを言いながら、全くその自覚はない白露だ。

 少なくとも神経が細やかだとは言わないだろう。

 けれどもヘタなことを言うのも(はばか)られて、輝映は尋ねた。


「どうして、いきなりそんなことを言うの?」

「うちの家族に言われた」


 なるほどと、輝映は思う。

 もしかしてそれで白露はここまで来たのだろうか。

 輝映は笑いを堪えようとして堪えきれず、くすっと噴き出した。


「あのね、白露」

「何だ?」

「私、白露を無神経だなって思ったことないわ」

「そうかっ」


 途端に嬉しそうな顔になる白露である。にっこりと笑って輝映は言った。


「うん。だって最初から無神経だって分かってるもの」

「・・・・・・・・・」


 くすくすくすと本格的に笑い出した輝映に、白露は何もコメントできなかった。


「ちぇーっ」


 不貞腐れて草原に寝転がった白露は、その傍でばしばしと地面を叩いて笑い転げる輝映を見ていた。


(無神経って言うけど、俺にだって神経はあるんだぞっ。大体、こうやって輝映が笑ってるのは可愛いって思うし、それが俺のことで笑ってるんでも彼女が楽しいならいいって思うし、・・・それに)


 それに、自分にだって感情はあるのだ。


「なあ、輝映」

「なあに?」

「青龍王子に子供ができてさ、俺がお役御免になったら、・・・俺と結婚してくれないか?」

「え?」


 輝映が驚いたように動きを止める。


「そりゃ襲伯父さんは反対しそうだけどさ、それでも悪い縁組じゃないだろ?」


 何かを問うように白露の顔を見ていた輝映は、困ったような顔で尋ねた。


「やっぱり組み合わせを考えてのことなんだ? 白露ってば策士さんなんだから、んもうっ」

「ち、違うってっ」


 後半はからかうようになった輝映の口調に、慌てて白露が否定する。すぐに起き上がって輝映の手を両手で握った。

 真っ赤になる輝映に、自分の頬も赤くなる。


「一緒にいると楽しいし、輝映が楽しそうにしているだけで嬉しくなるし、それに・・・」

「それに?」


 白露は意を決したように違う方向を向いて小さく叫んだ。


「君が好きなんだっ」

「・・・・・・・・・」


 恐る恐る顔を戻すと、輝映がまさに首まで赤くなっている。


「えーっと、いやほら、まだちょっと先のこと、なんだけど」

「う、うん」


 それでもお互いに耳まで赤くなってしまう。


「えーっと、どうでしょう、輝映さん?」

「あ、あの・・・。とりあえずその時が来たら、お返事させてもらうってことで・・・」


 地面を向いている輝映の顔は見えなくて、白露はそれでも今すぐ逃げ出したいような気恥ずかしい思いと、今すぐ地面を転がりまわりたい程の甘酸っぱい羞恥に、どうすればいいか分からなくなる。

 けれどもしばらくして輝映が顔をあげたものだから、その顔を見て白露は微笑んだ。


「好きだよ、輝映」

「え?」


 軽く触れあった唇は、とても柔らかかった。






 白龍が暮らす第三の宮殿は、白龍と白露しか住んでいない。


「だが、誰もいないってのもいいよな。毎日毎日誰かがいるっていうのは煩わしい時もある」

「猫はいるんだよ、青龍兄上。黒龍兄上なんて猫が可愛すぎてメロメロなんだから」

「別にメロメロになんてなっていない。まあ、寄ってきたなら撫でてやってもいいが」


 白露が霧生領に戻っている為、三人はのんびりと第三の宮殿の最上階で月を見ていた。


「今日はね、骨岩領(ほねいわりょう)のことを習ったんだ。あそこはね、かつては高いお金を出していい道具を仕入れなくちゃいけなかったんだけど、エフリート王国の中に組み込まれてカンヘルの印を持つ人によって、かなり採取が楽になったんだって。だけど一番後から加わったから、どうしても立場が弱いんだって」

「言われてみれば、骨岩はあまり主張してこないな。最後の余りものって感じで控えていることが多い。青龍兄上の所は?」

「うちもそうだな。大きな体つきの割には控え目な性格なのだろうと思っていたが」


 そこで白龍は首を横に振った。


「何でもね、そのお礼に骨岩領は、今もずっと他の領にもある程度の貢ぎ物を贈る習慣があるんだって。ここまで年月が経ったらもういいだろうって骨岩領は思っているらしいんだけど、既得権益(きとくけんえき)を手放したくない他の領はそれを許さないみたい」


 なるほどと、青龍と黒龍は頷く。


「だから骨岩領は、あまり目立たないタイプの人間を出してきてるんだって。だけど何かあったら目を惹くように、本当は頭もよく頼りになったり、美女だったりするみたい。だから兄上達と二人きりの時と、皆の前とでは違うんじゃないかな」


 骨岩領の人間に関しては、単にそのギャップを楽しんでいた青龍と黒龍だ。

 そういう理由があったのかと知れば、改めて違うものが見えてくる。


「何とも馬鹿にされてたもんだな、俺達も。そう思わないか、黒龍?」

「ああ。お飾りはアホでいいってか」


 そういった知識だけをどうしてこの白龍だけに教えるのかと、そこが兄としては悔しい。この中で一番小柄な弟に言われて初めて気づくというのは格好悪いものだ。


「僕は兄上達の取り巻きには馬鹿にされているし、僕も絶対に近づかないからだよね。だから安心して話せるみたい。これでもしも兄上達と交流があったら教えてくれないと思う」


 そうして、

「この情報って役に立った?」

と、青龍達を見上げてくる白龍は、本気で兄達を案じているのだろう。


「ああ、役に立ったよ。背景が分かれば、ほんのちょっとしたことでも判断が違ってくる。ありがとうな、白龍。なあ、黒龍?」

「ああ、助かったよ、白龍。俺達にしてみりゃ、あいつらが自分の周りにいて、何でもこちらの要求を聞いてくれてっていうのは当たり前だったからな。つい、背景を考えるってことを忘れてしまっていた。そりゃ青龍兄上の方ほど、うちの付き人は多いわけじゃないが」

「うちは多すぎだ。だが、・・・そうだな。そういうもんだと思いこんでいたが、白龍みたいにそれが当然じゃない立場から見れば、俺達のこれは異常でしかないんだな」


 カンヘルの印を持つ人間は、常にその場の感情だけで動き、気まぐれで多情だと言われる。

 けれどもそれは傾向があるというだけで、必要とあれば青龍と黒龍とて理性を重んじて考えることはできるのだ。


「だけど兄上達だって、夜にこうして抜け出してくるのも大変だよね。ごめんね、僕が簡単に会いにいけない立場だから」

「気にするな、白龍。青龍兄上だって全く苦にしてないさ。なあ、兄上?」

「勿論だ。抜け出しても分からないようにしてきている。そんなことを思い悩むな、白龍」


 夜は気に入りの娘の部屋で眠ると言いきっている青龍と黒龍だ。たとえ不在にしていても、どこかの領が出してきている娘の部屋で眠っているのだろうと思われるだけでしかなかった。


「僕はさ、最初に会った時にキリューにカンヘルの印で胸触ってって言われて以来、見てないんだよね。いっつもいっつも、あのモグラみたいに全身茶色でいるんだもん。青龍兄上と黒龍兄上なら刺青、見れるの?」

「いや、俺も男の霧生のはあれ以来見ていないな。黒龍、お前はどうだ?」

「俺も男の霧生は見てない。女なら、・・・暗いから見えないしなぁ」

「俺もそうだな」


 少し赤くなりながら、白龍は言った。


「見せちゃいけない理由があるのかもしれないなって思ったんだ。兄上達、良かったら今度、霧生の女の人の刺青を見ることができたら、その時にカンヘルの印、使ってみて?」


 青龍と黒龍は、面白そうだなと頷いた。






 少し留守が長かったことは白露も認めよう。今までの帰省より、たしかに長かった。

 だから予想しておくべきだったのかもしれないが、第三の宮殿はかなり散らかっていた。


「白龍様。どうしてあちこち使っていない部屋が汚れているのでしょうね?」

「えーっと、猫達が高い所にある部屋がいいって言うから、それで色々な部屋で遊んでたんだ」

「猫は喋りませんっ」


 茶色い覆面頭巾(フード)の下で、白露の額に青筋が走った。


「・・・ふっ、ふふふふふ。それは帰省していた私への嫌がらせですか、白龍様?」

「違うよ。だってモグラがいなくたって別になんてことなかったし。・・・あっ、そうだっ、だから一日おきにくる人達にもせっかくだから最上階の部屋を使ってお昼寝してみる? って誘ったら、王子様になった気分ってとっても喜ばれたんだっ」

「ほう。・・・王子の為のお部屋で、使用人達に昼寝を」


 白露の声が低くなる。

 たとえ冷遇されていても、それでもここは王子の為に用意された宮殿。面倒だから使っていないとはいえ、三階で一番見晴らしのいい部屋は王子や王女が使うことを前提として美しく豪華にしつらえられている。


「うんっ。寝台も大きいし、どうせ僕しかいないから大してしてもらうこともないし、だからみんなで楽しくお昼寝して、だらだらとそこでお菓子食べて、お喋りしたんだっ。今度、キリューもまぜてあげるねっ」


 明るく提案してくる白龍は、とっても素敵なことを見つけたんだよと言わんばかりだ。

 きっと悪いことだとは、これっぽっちも思っていないのだろう。


「ふざけんな、二度とさせるわけねーだろっ」

「・・・・・・ほぇっ?」


 どすのきいた声に、きょとんと白龍が白露を見上げてくる。

 どうやらとろいお子様に、今の豹変はすぐに受け入れられなかったらしいと思い、白露はすぐに口調を戻した。


「そんなふざけたことが二度とまかり通ってはなりません、白龍様。次にやったら三ヶ月間、おやつなしにしますからね」

「!!! なんでっ? ひどいよっ、キリューの陰険じじいモグラッ。普通、おやつ抜きって一日だけって決まってるじゃんっ!」

「誰が陰険じじいモグラですかっ」

「キリューの陰険クソじじいモグラ男のボケナスっ!」

「・・・いい度胸です。何なら今日からおやつ抜きにしますか?」

「・・・・・・ごめんなさい」


 今日のおやつはしばらく留守にしていたお詫びにとても豪華なおやつだったのですがねえと、ちらりと白露が白龍を見ながら言えば、素直に謝ってきた。

 まだまだ食い気なのだろう。


「いいですね、白龍様。最上階の部屋を使用人に使わせてはなりません。次は許しませんからね」

「ふぁーい」


 悲しそうに白龍が返事する。

 王子としての特権とか、優遇とか、そういったものを実感できない生活をしている白龍だから、ただ楽しかったのに止められたという気分でしかないのだろう。


(なんで俺がいない間に、楽しく暮らしてやがんだっ)


 自分でも筋の通らない怒りだと分かってはいたが、白露はそう苛立たずにいられなかった。

 しかし、そこで思い出す。


「ところで白龍様」

「何?」

「私のこと、神経質だと思いますか?」


 ここで、「無神経だと思いますか?」と、質問したら腹いせに大きく「うんっ」と、首肯されそうだったので、あえてそういう言い方にしてみた白露だ。

 白龍はいきなり関係ない質問をされたものだから、その黒い目が落っこちそうになるぐらいに見開いて白露を見返してくる。

 それから真面目に腕組みをして考え始めた。

 

「うーん、神経質・・・。うーん、それってのとはなぁ・・・」


 どうやらきちんと考えてくれているようだと、白露は思った。


「神経質とは思わないけど、どっちかっていうとその反対かなぁ」


 腕組みしたまま、白龍を見上げてくる。


「あのさ、キリュー。これは先生の受け売りなんだけど、神経質っていうか、神経が過敏っていうか、けっこう細かいことが気になる人ってね」


 そこで白龍は数拍の時間を置いた。白露も布で表情を隠したままだったが、心だけは身を乗り出す。


「いつでも自分にこれは良かったのか悪かったのかどうだったのかって何かある度に問いかけ続けるからさ、だから色々と迷ったり、やっぱり失敗したってやり直したり、一度決めたことでも考え直したり、傍から見たら時にはぐるぐると迷走することもあるんだって」

「ほう」


 たまにはこの子供も悪口以外の言葉を言えるんだなと、白露は思った。


「ところでキリューって、そういう自分が決めたことを迷ってやっぱりやめようとか、自分に問いかけ直してぐるぐると煩悶したりとか、そういうことってあるの?」

「え?」

「・・・ないよね?」

「いえ、そんなことは・・・」


 ないだろうと思う白露だ。自分だって時にはそういうこともあるだろう。


「いつ、あったの?」

「・・・・・・」


 いつもは白露に叱り飛ばされているだけの王子はそこで腕組みを解いて言いきった。


「キリュー、基本的に無神経だよ?」


 白露の心に、紅雨の高笑いが、「ほーらごらんなさい、ホーホッホッホッホ」と、鳴り響いた。


(まさか、誰よりもずっと一緒にいた王子にまで言われるとは。もしや本当に俺は無神経なのか?)


 白露は、往生際が悪い男でもあった。家族と輝映に言われただけでは認めていなかったのである。

 だが、とりあえず。

 ここで自分の表情を隠してくれる覆面頭巾(フード)の存在に感謝しようと思った白露だった。さすがにこんな情けない顔を、白龍の前にだけはさらしたくない。


「そんなことよりキリュー、あそこに囲いを作って守ってあげてた奴ね、お花が咲いたんだよ。黄色いの。見せたげるっ」

 

 ぐいぐいと、白露のショックなど気づきもしない白龍がその腕を引っ張って連れて行こうとする。


「分かりましたよ、白龍様。行くならお水も持っていってあげないと」

「うんっ」


 ばたばたと瞳を輝かせて水を入れる容器を取りに行く白龍は、いつだってくるくると動き回っている。


(ああ、帰ってきたんだな)


 あの屈託なく笑う顔を見ると、それが当たり前のような気になる。

 こうして変わらぬ日々がずっと繰り返されていくものだと、そう思ってしまいそうになるのだ。

 けれども、この日々もいつまでなのか。

 王子達には知らされない事実がある。そしてずっと繰り返されてきた歴史が。

 青龍と黒龍のカンヘルの印は同じ程度の大きさだが、僅かに青龍が大きい。だから青龍こそが王になるだろうと誰もが看做(みな)している。

 水の入った容器をこぼさぬようにと、そろりそろりと歩く白龍は何も知らない。

 

(俺が契約をしたのは・・・。俺が契約をしていないと言い張ったのは・・・)


 ああ、そうだ。

 自分は白龍と契約してしまったことを、後になってやめておけば良かったとか、この嘘をどうしようとか、そんな風に思い悩んだことはない。


(他の誰とも分かち合わず、独占したかったから)


 自分の手の中でいいように育て、いつか自分の手で殺し、・・・そしてその亡骸(なきがら)すら誰にも触れさせたくなかったのだ。


「キリューッ、早く早くぅっ」

「ちょっと待ってください。肥料も持って行きますから」


 自分しか頼る人のいない、この王子を。

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