第八話 葛葉高校防衛戦・前編
いつもであれば、チャイムの音と共に慌てて教室へ帰ってくる少年少女達であふれかえるであろう時間。
しかし今日はいつもとは全く違う光景が広がっている。
「うぅぅ……もうあんなに舞い上がってる…」
「蚊の大群みたいね…気持ち悪い…」
「そろそろ来るわよ?準備はいいの?」
廊下で腰を抜かし、何かに怯えるように震えて動けなくなっている者が何人も見受けられた。
運動場や中庭にもかなりの数の人々が同じような状態に陥っている事が見て分かる。
そんな彼らから、黒い粉が舞いあがって空に集まって蠢いているのも見て取れる。
この状況を説明してくれと言われると、説明の仕方に少し困ってしまう。
「……」
「……」
「……えっ?どうしたのよ二人とも?」
校舎の屋上。
そこに彦乃、織姫、美波の三人は立っていた。
携帯に届いたメールを見て、彦乃と織姫は黙り込んでいた。
そこの映し出されているのは、大学の中であろう食堂で友人らと昼食をとっている操の姿だった。
つまり、この学校の中に操は居ないのだ。
そう言えば数日前から、大学の見学会があるとかで心躍らせていたような事があった事が思い出される。
「………み、操ちゃんは楽しんでるみたいだし良かったね?」
「…あんのバカぁぁぁぁぁぁ!!!なんでこの大事な時に限ってぇぇぇぇ!」
操が居ない事に、織姫は普段からは想像も出来ない程に怒り狂っていた。
いつもなら大人しく、彦乃の事に関してを除けば淑女然とした態度を崩さない織姫が、こうまで乱れている。
彦乃が宥めていてもその怒りはそこまで収まっているようには見えない。
と、暗くなっている夜空の中で一際輝く光がある事に美波が気付く。
「っ!十時の方向、…ほぼ真上?!」
「うん、知ってるよ?この前の変なロケットでしょ?」
「…はぁ?!あなた、いえ雲類鷲さんアレが見えてるの?!まだ他の星とほとんど見分けつかないはずなのに…」
こちらへ来てからと言う物、美波は彼女たちに驚かされてばかりである。
前に戦った時には経験不足どころか初陣の者たちに驚かされ、今も彦乃の観測能力の高さに驚かされている。
何より一番驚いているのは、彦乃がまだアルタイルを呼び出しても居ないのにしっかりと見えている事が一番の驚きであった。
暗闇の中をこの場所めがけて突き進んできてるとはいえ、まだまだ遠く、こちらから見えていたとしても流れ星がゆっくりとこちらへ近づいてきているような物だったというのに、彦乃はしっかりとどんな物が接近しているのかをちゃんと確認出来ていたのだ。
「来て、アルタイル……うん、これでよく見える!」
ブレスレットに触れ、名前を呼んだ途端に光に包まれた彦乃が姿を現すと、先日と同じように近未来的な巫女装束の姿となっていた。
手に槍は持っていなかったが、呼べば転送でもされてくるかのようにすぐに来るので問題は無い。
彦乃が空を見上げ、迫り来る隕石に意識を集中させるとその形状すらもハッキリと理解出来た。
眼で見ているというよりは、イメージが頭の中に流れ込んでくるような感覚だろうか。
「形は……何これ?えぇと、魚みたいな…潜水艦?」
「おいで、ベガ…どれどれ…?」
彦乃に続いて、織姫も変身して銃身の短めな狙撃銃に備わっているスコープを覗き込み、それがどんな形なのかを確認している。
美波はそういった物は持ち併せていないからか、外部からの情報に頼るしかなかった。
とはいえ、それがいつものパターンだから彼女にとっては何も問題は無い。
得られる情報が遥か遠方からの通信で得られるか、目の前の少女達から得られるかの違いだけだ。
「ええと…?」
「織姫ちゃん、そろそろやめた方がいいよ?眩しさで目潰れちゃうかもだし」
「そう?ならやめておこうかな」
「なんでこの子、雲類鷲さんの事なら素直に聞き入れるのよ…」
ボソッとため息と愚痴が混ざったように呆れる美波の事など放置しているかのように、織姫は美波の事など見向きもしない。
だが、彦乃は違う。
「青星さん…ううん、美波ちゃん。準備はいい?」
「なっ……良いに決まってるじゃない」
いきなり名前を呼ばれた事に驚いている訳ではない。
苗字ではなく名前で呼ばれた事に驚いているのだ。
今まで誰かに呼ばれる時はいつも苗字で呼ばれていた。
それが、義妹の輝以外で初めて名前で呼んでくれる人に出会えた。
これが美波にとって、どんな変化をもたらす事やら。
「それじゃ……織姫ちゃん、そのライフル、私の指示通りに撃ってみて?」
「うん、いつでもどうぞ?」
銃へとマガジンを挿し込んだ織姫はライフルを構えて彦乃の指示を待つ。
本来なら、狙撃銃と言うよりは中距離程から弾丸をばら撒く、アサルトライフルのような形状な筈なのだが、織姫とベガの力であれば思うがままと言う事だろう。
どこかの凄腕スナイパーが連想出来てしまうが、そんな事はどうでもいい。
ところで、これを読んでいる皆さんは「凄腕スナイパー」と聞いて誰を連想するでしょう?
まぁ、それでどうなるという事はないですが、イメージの参考にはなるでしょう、きっと。
「あの隕石……あのままのコースだと校舎直撃だと思うんだ。だから……内角内側ストライクゾーンギリギリ、狙い撃てる…?」
「彦乃ちゃんの為なら喜んで…ベガ、外したら承知しないからね…」
織姫が銃口を、飛んできている隕石へと向ける。
もうだいぶ近くまで来ているようで、どんどん大きくなってきている。
すぐにでも打たなければ軌道修正など間に合いそうもない。
「……そこっ!」
即断即決。
織姫は照準をそこに合わせると呼吸を整える間もない内にトリガーを引く。
撃ち出された弾丸は寸分の狂いも無くまっすぐに隕石めがけて突っ込んで行った。
直後、小さな爆発が見えた。
しっかりと狙い通りの場所に命中したのだ。
「着弾。どう、彦乃ちゃん?」
「うん、バッチリだよ!さっすが織姫ちゃん!」
傍で織姫の成功を祈っていた彦乃は、嬉しさから織姫に抱きつく。
お姫様のようなドレスがモコモコしていて気持ちいいのか、ついこうしたくなってしまうのだろう。
まぁそれだけではないだろうが。
「あぁ……この感触だけでイけそう…」
「ふぇ?織姫ちゃん、何か言った?」
「止めてあげなさいよ。トリップして変な顔になってるわよ?」
人間、表情が綻ぶ事は結構あるらしいが、今の織姫の場合、綻ぶと言うよりはむしろ崩壊していた。
顔面崩壊とも言えるような、15の乙女がしていちゃいけない表情。
想像するのも嫌になるような顔になっているのだろう。
なお、彦乃の視線が織姫の顔へ移行する頃にはすっかり元に戻っていたが。
「大丈夫、心配なくてよ、青星さん?」
「字余りまくりの川柳みたいにしなくていいわよ。しっかり見てましたから」
「弱みを握ったと思ってるのね?可哀そうに……」
「いや、別に弱みを握ったとか思って…」
「正解よ、それこそ私の弱み!言いふらされたら困る弱点なのよ!」
「弱点なのねーッ!?どうでもいいわそんな話ーッ!」
なーんて馬鹿な事をしている間に、隕石は彼女たちのすぐ頭上を通り過ぎて、彦乃の予想通りの位置へと落下してきた。
「もうっ!二人とも!予想通りの位置に落ちてくれたよ、隕石が!」
「なんで私まで馬鹿みたいな認識でいるのよあなたはっ!…へぇ、グラウンドね。これなら確かに被害は最小限ね。教室に戻る時間帯でタイミングも良い訳だし」
「私が逸らしました!私が!」
学校の裏側にあたる、広いグラウンド。
いつもならサッカーをしてたりする男子たちが占領しているが、時間的には誰も居なくなっていた。
そんな無人のグラウンドの中央へ、隕石は落下してきた訳である。
ただ、砂地だった事は計算すべきだっただろう。
以前同様、爆発のような大きな衝撃こそ無かったものの、爆風のような突風が発生して、周囲の土煙を巻き上げて一種の砂嵐のようになっていた。
「そうね、今度は体育館にでも頼みましょうか?」
「ぐぬぬ…」
「大丈夫、織姫ちゃんは悪くないよ?ありがとね」
「彦乃ちゃぁん…」
嬉しさから泣きそうになっている織姫はさておき、中々に厄介な事態となっているのもまた確かだ。
グラウンドのほぼ全域を包むように発生した砂嵐は、暫くは収まりそうもない。
あの中に無策で突っ込んでしまえば目の前ですら全く見えないだろう。
そんな状況の中で、先日のような怪物とまた戦う事はなんとしても避けたかった。
視界がほぼゼロなのでは手の打ちようがない。
「さあ、行くわよ?最優先すべきは地中を掘り進むワーム種…って言っても、貴方達、何も知らないんだったわね」
「あ、大丈夫だよ?そのワーム種ってのならどんなのか分かるから」
「え?そうなの?」
「うん、だって一回食べられたし…まぁ、お腹の内側から三枚に卸して脱出したけどね」
先日の事であったとはいえ、よく思い出してみれば美波と出会う前の事だっただろうか。
足元で大きな口を開けて、そのまま大きな口で丸呑みにされたのを思い出す。
「三枚に卸すって……ソイツの優先度、高いんだけど何故か分かる?」
「民間人が生き埋めになるから…とかかしら?」
答えを先に導き出したのは、彦乃ではなく織姫だった。
というか彦乃の方は、織姫が答えを出したにも関わらず、なぜその答えになったのかを更に考えている。
「正解。事が片付いてもワーム種は気付かれずに放置されてるケースもあるからね。…っていうのが知り合いの物好きによる見解よ」
「なるほどぉ…」
「とにかく、ワーム種は優先的に撃破するに限るわよ。腹の中に既に数人食ってたりする事もあるんだから。それじゃ始めるわよ?」
「はーい」
こうして彦乃たち三名による、学校の防衛戦が始まった。
ここからは分散した一人一人の場面を見て行こう。
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side:彦乃
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彦乃は他の二人と離れ、校舎の周りをグルグルと駆け回っていた。
行動を開始する際、織姫が何が何でも一緒に行動しとうとして困った者だったが、なんとか説得に成功して3方向からそれぞれに敵の配置を確認する事となっていた。
まぁ、彦乃には地中や水中と言ったような、索敵の困難な状況下でもない限りは遥か彼方の上空であってもすぐに発見出来る程に高い捜索性能があったが。
「やっぱり皆、粉出しながら怯えるみたいにうずくまってる……早くしなきゃ……っ?!」
「あg……たす…け…」
教室の扉を開けて中を確認すると、その中の惨状に彦乃は言葉を失う。
生徒たちが居たであろう机や椅子たちは赤黒い液体に塗れ、誰かが大暴れしたかのようにそこら中で倒れたり教科書などが散乱していた。
部屋に籠る匂いから、その赤黒い物が人の血だという事はすぐに分かった。
むせ返るような匂いに嫌悪を覚えながら部屋の奥を見てみると、まだ誰か生き残りが居るようだ。
しかし、助けを呼ぶ声には答えられそうもない。
「おねg…たすk…」
「っっっっ?!!?」
壁に磔にされるようにしてぶら下げられていた女生徒だったが、次の瞬間にはその姿はただの肉塊へと変わり彼女の足元に飛び散って行く。
ハンマーのような尾を持った、二足歩行の大きな獣によって粉々に粉砕されたのだ。
その姿は、やはり以前と同じく機械的な体を持っており、見た目は少しカンガルーに似ているが、それにしては大きい。
彦乃にはそんな敵の分析など出来るような余裕はない。
目の前で人が文字通り粉々にされたのだ、冷静にそれを見れているはずもない。
「しにたくないぃ…やだよぉ…」
「いたい……くるし…」
「あ……あぁぁっ…」
部屋中から微かに聞こえる誰かの苦しみに喘ぐ声の数々。
それは、彦乃の心へ重くのしかかる。
まるで助けを求める最後のあがきのように。
「くっ……皆…今助けるからっ!」
すぐさま槍を呼び出し、カンガルーの怪物に向けて構える。
そこでやっと彦乃が教室へ入ってきた事に気付いたのか、怪物の方も彦乃へ振り返った。
どうやら何かを食べていたらしく、その口周りは真っ赤に染め上っている。
ではその口周りの赤いのは何か、簡単に想像できるだろう。
「っ……私、動物は好きだけど、こういうのはすっごく嫌い…なんでか分かる?」
彦乃の問いに、怪物は答える訳も無い。
そもそも知性があるのかすらも怪しい物だ。
ただ、彦乃の問いに、僅かだがニヤリと笑ったような気はした。
「…お父さんたちの事、思い出すからだよっ!」
構えた槍を突き出し、それと同時に槍が火を噴きその推力を以て一気に敵へと自分ごと突っ込む。
しかし、槍が相手を突き抜く事はなかった。
代わりに訪れたのは、横腹への強烈な一撃だった。
「かはっ……ぐっ……うぅぅ…」
槍の穂先を見切られ、そのまま回避ついでに一撃を撃ち込まれたのだ。
あの尾の、ハンマーというか棍棒というか、そんな感じの武器で。
腹を内側から抉られるような激痛と、肺の中の空気を全て押し出されたような苦痛に、その場で転がった彦乃はそのまま起き上がる事すら出来ずにいた。
視界が暗転していき、意識もだんだんと暗闇へ落ちていく。
が、それを周りの生徒だった者たちは、そして何より彦乃自身が許しはしなかった。
「……負け……られ…ないっ…」
フラフラになりつつも立ちあがろうとする彦乃。
だが、それを嘲笑うかのように怪物は彦乃を上から踏みつけねじ伏せた。
ロクに身体に力も入らず踏まれた彦乃だったが、これはこれで正気を、そして勝機を掴む。
「つ……かまえたぁ!!」
彦乃を踏みつけている足を、一瞬の内に掴み渾身の力を振り絞って身体を横へ転がる。
そうすると足場を失った怪物はバランスを崩し、そのまま転倒した。
代わりに彦乃は、そのままの勢いで起き上がり怪物の顔面を踏みつけた。
「はぁっ…はぁっ……さっきの……お返しだよっ!」
持っていた槍を尻尾の根本へ突き刺し、そのまま本体部分から切除してしまう。
ぶった斬られた本体部の方は、短い腕で彦乃の足を払いのけようとしていたが、どうもコイツ、頭を下げなければ前脚が顔に届かない構造らしい。
許しを請うように、腕を合わせてブンブンと振り回していたが、これできっと攻撃しているつもりなのだろう。
「……ふんっ!」
踏む位置をずらしていき、顎と喉の間まで来た彦乃はそのまま力尽くで喉を踏み砕いた。
生物的にも、捻ってしまえば死ぬこともあるような程に脆い部分だ。
こうして彦乃は、少なくともこの教室の平和は勝ち取った事になる。
他に違う怪物の姿はなく、だからと言って助けられた者の姿もない。
だが、彦乃にはそれを悔やむ事も許されなかった。
「はぁっ…はぁっ……っ…みんな…ごめんね…」
助けられなかった者たちへの言葉と共に教室を出る彦乃は、引き続いて敵の捜索にあたる。
出てきた教室の場所は「3-2」
これは、操の教室だったと彦乃が気付くのは少し後の事となる。 続く。