幽霊? 透明人間? 特殊能力者?
やってきたのは「自然の友」という大きな広場。
街外れにあるこの広場は、石畳の道がまっすぐに伸び、片脇には春になると桜が咲き誇る桜並木。
もう片脇には沢山の種類の花が咲き、至る所に緑の芝生絨毯が敷き詰められた、自然溢れる草花。
ここに来れば自動的にリラックス状態に突入できる。
(…っ!!……じー…)
ここに来て一番の反応を見せたのは、僕の手に繋がれた深海ちゃんだった。
彼女は草花を凝視していた。
「花が好きなの?」
(コクコク)
何度も頭を縦に振る深海ちゃん。
「そっか。
あまり遠くに行かないなら、少し遊んでおいでよ。」
(コクリ)
頷いた深海ちゃんは、そのままトテテと駆け出して行った。
その様子をベンチに座りながら見つめる。
辺りには元気に遊ぶ子供たちや、付き添う大人、その光景を微笑ましげに見守る老夫婦。
ここは老若男女問わず、多くの人が行き交う場。
相変わらず、人々は深海ちゃんに見向きもせずに憩いの時間を過ごしている。
深海ちゃんは花畑の中心にペタンと座り、花びらを弄んだり、数本を束ねて引き抜いては匂いを嗅ぐように口元に当てていた。
それなりに楽しんでいるらしい。
僕はというと、考えることが山の様にあった。
脳内の混乱を早く鎮めないといけない。
彼女は一体何者なのか 何故他の人の認識から外れた透明人間のような存在なのか 何故僕にだけ見えるのか。
こんなこと、考えるだけ無駄なんだろうけど、考えないと気が可笑しくなりそうだった。
老若男女問わず、深海ちゃんの存在を全く認識できておらず、それと同じように深海ちゃんも他の人に目もくれない。
彼女がどれだけの時間を認識の外で過ごしてきたのかは分からないけど、誰にも認識されないというのは、どういう気分なのだろうか。
ふと、彼女の近くに一羽のハトが、首を前後にカクカクさせながら彼女の真後ろを歩いていた。
(!!……。)
なんと深海ちゃんは背後のハトに対して気づき、そちらに体を向けた。
完全に死角だったのに。
そして、小さくて、白くて、細い手を伸ばす。
しかし、ハトは彼女に頭から尻尾に至るまでの全てを撫でられてから、慌てて離れて行った。
ハトは深海ちゃんに撫でられるまで全く見向きもせず、飛び立つことも、逃げることも、離れることもなかった。
まるで、「そこには何も存在しない」と言いたげなハトの行動。
僕の時は視線を向けられた時点で、「見られている」と認識できた。
人間である僕が認識できて、野生のハトに認識できないことがあるはずもない。
つまり、深海ちゃんは、ハトの認識すらも認めない存在ということになる。
深海ちゃんは暫く離れたハトを見つめ、興味が完全に失せた様に再び花に集中し始めた。
既に別のハトにも見向きもしなくなり、何処を歩いていようが飛び回っていようが、一羽の例外もなく完全無視を決め込んでいる。
「あ……。」
それを見た瞬間、一つの仮定が、僕の中で生まれた。
脳内の思考回路が一気にクリーンになるのを感じる。
深海ちゃんは最初、僕の存在に気づいていないような素振りを見せていた。
まるで、周りが彼女に対して行う「存在しない者」としての態度と同じように。
でも、さっきの深海ちゃんは真後ろのハトに気づいて体を向けた。
となると、彼女には死角というものがほぼ無いのか、若しくは存在の気配を敏感に察知できる特殊能力があるのかもしれない。
人や動物の認識をずらし、それらの認識能力を備えたヒト。
僕と会った時もまた、背後の僕に気づいていた可能性が高い。
そして、人間は誰も彼女を認識できないから、彼女自身も最初は見向きもしなかったのではないだろうか。
ハトに反応したのは、動物なら自分を認識できるものがある、と考えているのか…認識できるか否かをただ測っているだけなのか…。
それは定かじゃないけど、認識し得ることを期待して反応を見せたと考える方が妥当だとも思う。
しかし、ハトは深海ちゃんを「認識」出来なかった。
だから、「ハト」が自分を認識できないと結論立てて、見向きもしなくなったんじゃないかな。
一方の僕は、初対面の時に深海ちゃんに話し掛けたことで、「認識できる」と彼女の中で結論付けたのではないか。
だから、僕の家の方に近づいてきたんじゃないだろうか。
まだあくまでも仮定。
定かじゃないことだらけ。
でも、何事も仮定を立てないと話にならない。
これからそれを彼女と過ごす中で実証したり、確認したりすれば良い。
スッと深海ちゃんはその場を立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。
僕を見上げてジッと見つめてくる。
「もう満足した?」
(コクリ)
僕の問い掛けに頷いてくれる。
相変わらずの無口無表情のままで…。
気が付けば昼を過ぎ、暑くなり始める時間だった。
吹き付ける風もムンと生温くなり、長居すれば気分が悪くなりそうだ。
「それじゃあ…また、ウチに来る?」
(コクコク)
警察に届けても認識されないなら仕方ない。
唯一認識できるのは、今のところ僕一人なんだし。
「帰ったら何食べようかな…。」
(…♪)
なんて呟きつつ、手を繋いで帰途についた。
その後ろを深海ちゃんが無表情のまま、僕とつないだ手を前後に振る。
周りの視線が少々痛いけれど、僕にだけ見えて、僕にだけ認識できる深海ちゃんが喜んでくれるのなら、気にしない。
夕食の材料を買い、家に着いた頃には、空は茜色に染め上げられていた。
「さて…それじゃあ、僕は夕食を作るから、深海ちゃんはお風呂に入っておいで。」
(…コクリ)
昨日と同じ光景。
僕が台所に立って夕食を作り、深海ちゃんがシャワーを浴びる。
結局、この生活に戻った。
昨日までは予想もしていなかった展開。
嬉しい反面、これからどうしようかという不安もある。
とりあえず、一人の生活からは解放されそうだ。
深海ちゃんがシャワーから上がり、夕食を食べ終えると、テレビを付けた。
さほど大きなものでもなく、小さすぎるわけでもない液晶テレビ。
そこに音と共に映像が流れた。
(っ!!?)
ビクッと体を跳ねさせる深海ちゃん。
四つん這いの状態でテレビに近づき、触ったり、叩いたり、テレビの後ろの壁を覗き込んだり。
「もしかして…テレビも初めて?」
(…コクコク)
数回頷きながら答える。
テレビまで知らないのか。
「んーと、これは『テレビ』って言って、いろんな情報をお知らせしてくれたり、面白いものを見れたりするんだ。」
『明日の天気は、晴れでしょう…降水確率は…』
丁度天気予報が流れて、明日は僕たちがいる街で晴れだという。
この機に僕は説明することにした。
「明日の天気は晴れみたいだね。
こんな風に、情報が流れて…明日以降の予定を立てたりするんだ。」
(じーーーー…)
深海ちゃんはテレビに集中しすぎて、僕の言葉が耳に入ってこない様子だった。
完全に新しい玩具を手に入れた子供状態だ。
見ていて実に微笑ましい。
しかし、どうしてテレビまで知らないのだろう。
やはり、幽霊ということなのかな。
でも、仮にそうだとしてもいつの時代だ? シャワーを知らず、テレビを知らない。
現代ではないのは確か。
かなりの田舎…という可能性もなくはないけど…。
どのみち、今の状態だと判断しづらいということかな。
そうこうしている内に時間が経ち、寝る時間になる。
僕は布団を敷いてテレビを消した。
(じー…)
「……そんな目で見ても、僕はもう寝るし、深海ちゃんも寝ないといけないだろう? 寝るよ。」
まだ見たい、という言葉が伝わりそうな瞳を向けられ、首を振って断る。
深海ちゃんは無表情のままで布団の上に座る。
「じゃあ、電気を消すからね。」
パチッというスイッチ音と共に部屋が真っ暗になる。
昨日と同じ光景。
昨日までは考えられなかった光景だった。
暗闇の中で僕は布団に入ると、体が浮かぶような錯覚を覚える。
想像以上に疲れていたのかもしれない。
そのまま目を閉じて夢の中に体を委ねた。