少女の名は…
シャワーから上がった少女を赤茶色のちゃぶ台へ促し、台の上におかずを並べた。
僕が提供した服のサイズはピッタリだったらしい。
車のイラストが所狭しと描かれた服は、かつての僕のお気に入りだった服でもあり、男の子用と考えても、彼女に似合うかどうかは疑問だ。
まぁ、悪くはないから大丈夫だな、うん。
(………。……。…。)
ジィッとひたすら僕が作ったおかずを目に焼き付けるように凝視している。
両端にご飯と味噌汁、真ん中にブリの照り焼きを用意し、その奥にポテトサラダが入った小皿を配置。
手前には二本の赤い塗り箸が置かれている。
「それじゃあ、いただきます。」
(ペチ…コクリ。)
小さな白い両手を無言で合わせ、丁寧に頭を下げる。
彼女は少々大きく見えてしまう子供用の箸を持ち、おかずやご飯に手を付けていく。
(…! ……!! ………!!!)
食べるたびに反応してくれていた。
その表情は仮面を被ったみたいに無表情だったけれど…。
「美味しい?」
(コクコク)
「それは良かった。」
何とも微笑ましい光景であった。
さて、食事を終えて食器を洗い、用事を一通り終わらせる。
赤茶色のちゃぶ台の上に、白い湯呑みを置いた。
湯気が立ち上り、入れたばかりの茶の葉の匂いが微かに香る。
僕は少女と向かい合う形で腰かけた。
「えぇっと…とりあえず自己紹介からしようか。
僕は荒林龍人……キミは?」
一先ず互いの名を知っていこうと思い、僕の方から名乗ったと同時に、相手の名前を聞いてみる。
(じー………。……。…。)
「………。……。…。」
(じー………。……。…。)
「………。……。…ええっと? もしかして…聞こえなかった。」
(フルフル)
首を振る。 つまりは僕の言葉は聞こえていた。 ということは何を問いかけたかは分かったはず。
「え、えぇ…ぼ、僕は…荒林龍人…よろしくね?」
(コクコク)
よし、聞こえている。
名乗りを繰り返すってなんとなく恥ずかしいけど、この際気にしない。
「それでね?」
(コクン)
反応している。
ゆっくり言葉を並べても理解はしているようだ。
「君の名前は?」
(じー………。……。…。)
「………。……。…。」
ど、どうして反応しないんだろう? 否定もなく、肯定もなく、ただひたすらに僕のことを凝視する。
「ま、まさかだけど…話せないとか?」
(…?)
少女は首を傾げた。
本人でも分からないのかもしれないけど、これまで一声も発していないところを見ると、喋られないというのが自然の考えかも。
「自分の名前は分かる?」
(コクリ)
「漢字も?」
(……キョロキョロ)
僕の問いかけに少女は部屋を見渡した。
なんとなく、紙と鉛筆を彼女の前に差し出してみた。
(じー…)
暫く紙と鉛筆を凝視して、左手で拳を握るように無造作に鉛筆を握りしめる。
(カキカキ…)
紙に書かれる不思議な絵。
鉛筆だから色は分からない。
紙の上の方に丸いもの…太陽? その周りにあるいろんな形の何か…雲? 紙の下部に一直線に線を引き、線の手前に点々を幾つも刻んでいく…砂浜、か? 雲と思しき絵より下で線より奥に描かれた「~」状の線…う、海…だよな?この流れ的に…(汗)
なんとなくではあるけれど、少女が指し示す絵が、「海」を主としているのは読み取れた。
「海?」
(コクリ)
肯定。
「それが君の名前?」
(フルフル)
否定。
「じゃあ、海に関連する何か?」
(じー…)
期待の眼差し。
「じゃ、じゃあ…海の…風、とか?」
(じーーーーー)
更に深まる期待の眼差し。
「海風ちゃん?」
(フルフル)
違ったか…。
「よ、よく分からないな…。」
(……。)
僕の呟きを聞いた少女は床を指差す。
「ん?…床?…いや、海に関することだから…下、とか?」
(コクコク。)
僕の推測に何度も頷く少女。
「海の下…海底…海底にあるもの、ってことかな?」
(コクリ)
無表情で頷く。
海底にあるもの。
岩…なんて女の子の名前で付けないだろう。
砂…であるなら砂浜を指差せばいいだろう。
魚…人に対して付ける名にしては酷いな。
(じーーー…。)
少女は僕に期待の色を孕んだ瞳を向けて来る。
初めて見た時と同じ、深海を彷彿とさせる瑠璃色の瞳。
「…深海。」
(!!!…コクコクコク!!)
自然と出た小さな呟きを聞いて、彼女は明らかにこれまでの反応よりも大きく反応する。
何度も頷き、どこか嬉しそうにさえ見えてしまう。
「し、深海か! えっと、じゃあ…なんて読むのかな…。
……深海ちゃん、とか?」
(コクリ)
おおっ!!!遂に、遂に言葉の一切を疎通することなく、名前を知ったぞ!!
「じゃあ深海ちゃん、よろしく!!」
僕は思わず彼女に向けて手を伸ばす。
(コクコク。…ぎゅ)
深海ちゃんは頷き、差し出された手を無表情で握り返してくれた。
その手はとても小さくて、儚くて、どこまでも白くて、それでいて温かな手だった。
夕食を食べ終わり、布団を敷いた。
その間も深海ちゃんをどうするのか、僕は思考を張り巡らせていた。
とりあえず、警察に届けた方が一番手っ取り早いだろう。
いつまでも家に置いておく訳にはいかないし。
もしかしたら、親御さんが捜索願の一つでも出しているかも知れない。
そうなれば見つかるのも時間の問題と言ったところだ。
まぁ、そうなれば目の前の少女は居なくなり、僕はまた一人になる訳だけど…もう慣れっこだし、今更だ。
「さて、今日は早く寝ようか。」
(コクリ)
布団を二つ用意し、彼女を布団に寝かせてあげる。
「おやすみ」
(コクン)
布団から顔だけを出した深海ちゃんが頷き、僕は電気を消した。
そのまま僕が敷いた僕の布団に潜り込み、真っ暗な部屋で目を閉じる。
外は相変わらずの土砂降りで、地面に叩きつける雨の音がうるさかったけれど、変に考え事をすることなく寝れた分、悪くはなかったと思う。
深海ちゃんを明日届ける…それだけを頭の中で考えながら…僕の意識は夢の中へと旅立っていった。