だめ×だめ ~ダメ人間の事情~
何もかも諦めがつくようになってしまった高校生の女の子(背が高い)と、とにかく諦めの悪い高校生の男の子(背が小さい)による、引いて引っ張られてなお話。数年前に閉鎖した自サイトで公開していた短編小説を改稿したものです。
――毎日楽しく過ごすなんて、夢物語みたいなもの。
自分に関して諦めやすくなったのは、早くにお母さんを亡くした時、そう自覚したことが原因なのかもしれません。
お母さんがいなくなってから、私はずっとお母さんの代わりに家のことをやるよう努力してみました。
毎日家計簿とにらめっこして、弟の面倒を見て、通帳を見てはため息をついて、商店街では大事な食材をケンカ直前まで値切って……そんなことが6年も続いていれば、自分のことを諦めるようになっても仕方ないでしょう。
だから、バイト帰りに商店街脇の暗がりに連れ込まれて、
「へっへっへっ……姉ちゃん、面倒なことされたくなかったらよぉ……金、とっとと出せよぉ」
「10万ぐらいでいいですか?」
「おうおう、10万ぐら……はぁっ!?」
ダメなお兄さんに絡まれて簡単に諦めちゃうのも、仕方がないことなのです。
「ほっ、本当にいいのか?」
「なんだったら、数えてみてもいいですよ」
財布を取り出した私は、長い茶髪のダメなお兄さんに1万円札を10枚ほど放り投げました。
「うおっと! え、えっと、ひい、ふう、みい……」
一瞬たじろいでから、地面に落ちたお札を拾い集め始めるダメなお兄さん。確かにそうしてもいいとは言ったけど、言われて素直に数えるとは、なんとも単純な人です。
「た、確かに10万あるが、本当にいいのか? こんな気前よく出すなんて」
「襲われたら諦める。それが私の信条ですから」
「諦めるって、た、ただ襲われただけでか?」
「ええ、そうです」
いきなり大金を手にしてビビッているんでしょうか。これしきのことでガタガタ震えるなんて、嗚呼情けない。
「朝早くから牛乳配達をして、授業中にはスマホで入力代行をして、お昼には学校の購買をお手伝いして、夕方にはスーパーでレジ打ちをして」
「っ!?」
「夜には年齢を偽って工事現場の交通整理をして、休日には一日お好み焼き屋でバイトをしたり、着ぐるみに入って踊ったりしている『私が』頂いた大切なお金ですが」
「うぐっ!?」
「そんなはした金よりもっと大事な父と弟が待っているから、無事に帰るためにも諦めます」
「そ、そんなチャチな理由で……」
「さあ、もうさっさと持って行っちゃってください。さあ、さあ」
『どうぞどうぞ』とばかりにジェスチャーしても、ダメなお兄さんは私とお金を交互に見てばかり。
「もしかして、まだ足りませんか? がめつい人ですね。でしたら、もっとお金を――」
「ふざけるなっ! 俺はそんなに落ちぶれちゃいねぇ!」
また財布からお金を取り出そうとすると、何故かもう手遅れなはずのお兄さんは怒鳴りだしました。
「あらあら、ダメじゃないですか」
「あぁ!?」
凄みながら、その場で地団駄を踏むダメなお兄さん。
「足を簡単に開くなんて――」
その姿がおかしかった私は、思わずくすっと笑いながら、
「ハッ!!」
「ひぐぅっ!?」
抱きつくように、膝を立てて股間に全力で叩き込みました。
……うわ、ぐにゅってしてて嫌な感触。
「ぐぁはっ……うふっ……」
「なんて声を漏らすんですか、気色悪い」
トンッと軽く突き放すと、お兄さんはそのままゆっくりと仰向けに倒れて、
ドスンッ!
口から泡を吹きながら、ピクピクし痙攣しだしました。
「全く不甲斐ない。ちょっと大金を手にしたぐらいで」
苦笑しながら、緩んだ手から10万円をひったくってお財布に戻す私。
「そんな風に簡単に諦めるの、私は大嫌いなんです」
多分聞こえてないでしょうけど、そう言いながら股間にもう一撃。ついでに、またまたストンピング。
……まるで自分を見てるみたいだからなんて、そんなダメな理由までは言えません。
「あ、あのー」
「えっ?」
突然聞こえた声に振り向いたけれど、そこには誰もいなくて、
「……気味悪いですね、声だけするなんて」
「いや、あの、もうちょっと下を見てほしいかなーって」
「下?」
言われて視線を下ろしていくと、胸元ぐらいのところで小さな男の子の姿が飛び込んできました。
「す、凄いね、一人でやっつけるなんて」
「……見ていたんですか?」
「絡まれてるから助けなくちゃって思ったんだけど、その前にやっつけちゃって……あははっ、僕ってば間抜けだよね」
街灯に照らされながら、誤魔化すように笑う男の子。彼は見た目に似合わず、私が通っている高校の男子用ブレザーを着ています。そして、私が今着ているのも同じ高校のセーラー服。
同じ高校に通っていて、しかも今の現場を見られていて……そうなると、私が辿る道は一つしかありません。
「逮捕・退学・破滅のトリプルクラウンですか」
「えっ、ええっ!?」
「謹んで、お受けいたします」
「ち、違うってばっ!」
手錠待ちとばかりに両手首をくっつけた私を、男の子は何故か戸惑ったように見ていました。
* * *
「いや、だからもうちょっとテストの点だけでもなぁ――」
次の日。
「わかりました。あと平均で3点だけ上げてみることにします」
私は先生からお説教をされに、職員室へとお呼ばれされてしまいました。
「お、お前、ただでさえ赤点スレスレなのに、たったそれだけって!」
「これで少しは先生の評価も上がるかと」
「上がらねぇよ!」
そう叫んで、成績表を開けて私に突き出す担任の先生。おやおや、全教科40点代前半とは、私の加減具合もなかなかのものです。
「確かにお前の家庭事情は把握してるが、ここまで手抜きされると監督不行届にも発展するんだよ……だから、もうちょっとだけでもいいから上げてくれないと……」
先生にそこまで言われたら、諦めるしかありませんか。
「わかりました」
「ほ、本当か!?」
「それプラス2点、合計5点だけ上げてみましょう」
「おっ、お前ってヤツは……!」
先生は目を見開くと、額に青筋を立てながらカタカタと震え始めました。まさか、そこまで興奮するほど嬉しがってもらえるとは。
「……はう」
果てには失神するぐらいだなんて、光栄なことです。
「それでは、こちらも用事がありますので。失礼します」
そのまま机に突っ伏した先生に一礼して、私は職員室を後にしました。
出る際にまわりの先生方が担任に駆け寄っていくのが見えましたが、きっと先生を褒め称えてくださるのでしょう。
「ふう」
ドアを閉めてから、腕時計で時間を確認。
まだお昼休みが始まってから10分しか経ってませんから、仕事前に教室で食事をする時間ぐらいはありそうですね。
そう思いながら、教室に戻ろうとした時、
「あ、あのー」
「えっ?」
突然聞こえた声に振り向くと、そこには誰もいなくて、
「……気味悪いですね、声だけするなんて」
「いや、だから、下に目を向けてみようよ」
言われて視線を下ろしていくと、胸元ぐらいのところで昨日の男の子――
「おや、会長さんでしたか」
「やあ」
もとい、我が校の生徒会長である先輩が私を見上げていました。
「なんか、また派手にやってたみたいだね」
「別にそういうわけではありません。ただ、先生に呼び出されただけです」
「先生に呼び出されたって……昨日のことが問題になったとか?」
「いえ、成績のほうで」
「あー……」
私の答えに、苦笑いを浮かべる先輩。
「先輩は、昨日のことを先生方に報告しに?」
「違う違う違う」
小さな手で、ぱたぱたと手を振る会長さん。その仕草は、本当に子供そのものです。
「では、直にお縄に?」
「だから違うってば。それは昨日も言ったでしょ」
手首同士をくっつけると、また即座に否定されてしまいました。
「僕も、生徒会のことで先生に呼び出されてたんだよ。放課後でもいいんだけどさ」
「はあ」
「昼休み早々に呼び出されてたってことは、お昼はまだなんだよね」
「ええ、まあ」
「よかったら、昨日の縁ってことでいっしょにお昼食べない?」
「はあ」
もしかしたら、ですが……先輩に興味を持たれてしまったのでしょうか。
私なんて、まったくもってつまらない人間なのに。
「別にいいですが。お昼ごはんも、もうここに入ってますし」
「え?」
首を傾げる先輩に、栄養ゼリーと栄養ビスケットをポケットから取り出して見せます。
「ちょっ、こ、これだけ!?」
「10秒チャージにスピードご飯。実に合理的な食事かと」
「いや、そりゃそうだろうけど、もうちょっと彩りのある食事っていうのを――」
「それは、コンビニ弁当と家族分の夕食のみで十分です」
「だーかーらー……はぁ」
そう言って、力なくため息を吐く先輩。ただでさえ小さな体が、もっと小さく見えてしまいます。
「まあ、いいや。中庭でもいいよね?」
「別に構いませんが」
本当なら入力代行のバイトがあるのですが、昨日の恩もあるので授業中にずらしても構わないでしょう。
「んじゃ、行こっか」
「はあ」
ちょこちょこと歩く先輩に先導されて、私は風がそよぐ中庭へと連れて行かれました。
中庭では、先輩と同じように考えていたらしい人達がわいわいとおしゃべりしながら食事しているのですが、どうも私には馴染むことができません。
でも、先輩はおかまいなしで花壇の淵に座ると、すぐさま持っていたお弁当を広げだしてしまいましたから……仕方ありません、私も座るとしましょう。
先輩の隣に座った私は、さっきの栄養ゼリーと栄養ビスケットを取り出して昼食に取りかかることにしました。
ビスケットを一本取り出しかりかりとかじって、それをゼリーで一気に流し込む。はい、昼食終了。
「ごちそうさまでした」
「は、早っ!」
手を合わせた私を見て、先輩はひとくち目らしいジャガイモのカレー炒めをぽろりと弁当箱をに落としてしまいました。
「スピード・アンド・クオリティ。これがいつもの鉄則です」
「いや、確かに早く食べられるし、栄養もあるだろうけど……お腹は空かないの?」
「一応ビスケットは残してありますし、水で流せばある程度膨らみますから」
「そういう問題じゃなくて……あー、もうっ」
先輩はそう吐き捨てると、お弁当の蓋にひょいひょいとおかずと爪楊枝を載せて私に差し出しました。
「はい、コレ」
「……?」
「それだけじゃ絶対もたないから、食べた方がいいよ」
「でも、先輩の分が」
「いいの。どうせ家に帰れば、まだ残りがあるんだから」
「はあ」
ちょっと怒ったような先輩の顔色を見ると、断っても無駄なようですし……まあ、ここは素直に頂くことにしますか。こんなことで、無用な争いはしたくありません。
「では、いただきます」
先輩からおかずが載った蓋を受け取った私は、まず先ほどのジャガイモのカレー炒めを頂くことにしました。
「……む」
食べた瞬間にぴりっとした辛さが来ましたが、ちゃんと塩やコンソメの下味がついていて実に味わい深い。ジャガイモ自体も冷えているのに、ほろりとくずれて柔らかいですし。
「どう?」
「美味しいです」
そう、素直に口にしてしまうほどに。
「先輩のお母様、料理が上手なんですね」
「ああ。そのお弁当、僕が作ったんだよ」
「えっ?」
先輩の言葉に、もうひとくち食べようとした私の手が止まります。
「母さんは朝に仕入れに行ってるから、基本的に朝食と弁当の用意は僕がやってるんだ」
「先輩が……って、お父様は?」
「小さい頃に亡くなったって、母さんから聞かされてるよ」
「……失礼しました」
あっけらかんと言う先輩でしたが、私にとってはとても重い言葉で……自分の境遇を、どことなく重ねてしまいました。
「気にしない気にしない。僕が物心つく前の話だし」
「はあ」
「とは言っても……やっぱり気にしちゃうかな。君も片親って話してたから」
「はい」
昨日、私が先輩に見つかったのは商店街の横道……つまり、先輩のお母さんが経営しているお店の裏手。あの後捕まったと諦めていた私は、そのお家で先輩に違うと諭されて、家の事情なども色々と話していたのでした。
「弟さんの進学のためにバイトをしてるって言ってたけど、それで学業のほうはおろそかになってたと」
「ええ。父にはこれ以上負担はかけられませんし、弟には自分みたいにあきらめてはほしくないですから」
小さく頷いてから、アスパラのベーコン巻きをかじってみます。こっちは、コショウがよく効いてますね。
「それはそれで立派ではあるんだけど、大変じゃない?」
「慣れてます」
飲み込んでから答えて、今度はきゅうりの浅漬け……ああ、いい漬かり具合です。
「ですが、この性格故にあまり長続きがすることは無くて」
「これからのバイトも、まだメインのは決まってないの?」
「はい」
昨日ダメなお兄さんに挙げてみせたバイトですが、入力代行以外は愛想が良くなかったり、同僚の人に嫌われたりで結局長続きはしていませんでした。
「だったらどうかな。うちに来てみるとか」
「先輩の店、ですか?」
またジャガイモのカレー炒めを食べようとした私に、先輩が突拍子もない提案をしてきます。
「でも、先輩の店って花屋さんですよね?」
そう。先輩のお店……それは、おそらく私が一番似つかわしくないはずの花屋さんだったのです。
「うん。春先までいた人が、就職で辞めちゃったんだよ。今は空いてるし、よかったらどうかなって思って」
「はあ」
改めてカレー炒めを口にしてから、少しだけ考えてみる。
「もしかしたら、生徒会長という役職から生まれた同情……ですか?」
「違うよ。次期店長としてのスカウト活動ってとこ」
「スカウト活動って」
「話を聞いてると要領も良さそうだし、いろいろバイト経験をしてるから即戦力になりそうだし」
昨日私を助けに来たことといい、今の話といい、なんとも変わった先輩です。
「まあ、時給とかは他の所なんかより安いかもしれないけど、ある程度融通は利かせるよ」
「本当ですね?」
い、いけません。『時給に融通が利く』という話に、思わず反応――
「時給850円で、平日は午後の4時から9時まで。休日は午前10時から午後9時までの好きな時間ってとこでどうかな?」
「それで結構です」
さらには、思わず即答してしまうほどの好待遇。
……しょうがないじゃないですか。高校生にとってはあまりにも良すぎる時給なのですから。
「んじゃ、決まり。母さんにもバイト候補生を誘ってみたって言っておくから、放課後がヒマな時にいつでもウチにおいでよ」
「はい」
私が頷くと、嬉しそうに笑ってお弁当を食べ始める先輩。
見た目は子供だと思っていましたが、こうも行動的な人だったとは……さすが、生徒会長を任せられるだけあるといったところでしょうか。
そんな笑顔を見ながら、私も先輩からもらったおかずに再びありつくことにしました。
* * *
辺りから薫ってくるのは、花の匂い。
有線放送からの優しいピアノの音を聴きながらそれを味わうというのは、確かに趣のあるものでしょう。
しかし……
「あの、私がやることはないんでしょうか」
「言ったでしょ。今週はひととおり見学してもらうって」
「……はあ」
何もさせてもらえないとなると、逆に落ち着かないものなのです。
先輩とお昼を食べた次の日の夕方、ホイホイと時給に釣られた私は早速先輩のお母さんが経営している花屋さんへと連れられて来ました。
通されたお茶の間で書いた履歴書を渡した瞬間に、仮採用が電撃決定。普通のお店では絶対あり得ないことです。
『ウチは家族経営だからねー』
とは言いますが、今まで経験した個人経営の店でもこんな扱いは無かったです。
その後は簡単な設備のレクチャーを受けて、あとは先ほどのとおり。
「退屈です」
「退屈なのも仕事のうちだよ。そう人がじゃんじゃか来る仕事ってわけでもないし、その間に花や植木の管理もあるんだから」
「しかし、今の私は……」
「そう、見学者」
鋏で白薔薇の剪定をしながら、先輩はとんでもないことを言い放ってくれました。
「君の場合は今までピリピリした職場にいたみたいだから、まず最初にこの場の雰囲気に慣れてもらったほうがいいかなってね」
「そう言われましても」
「第一、今は『研修期間』。しっかり仕事場を見て研修してもらわないと」
「それは実務をしながらのことですよ」
「あれっ? 他のとこじゃそうなの?」
大切なことを簡単に笑い飛ばすとは……とんでもない経営者見習いがいたものです。
「まあ、気にしない、気にしない」
「少しは気にしてください」
きっと、前のバイトさんにも同じような対応をしていたのでしょう。そうでなければ、ここまでお気楽な対応ができるわけがないじゃないですか。
ため息をつきながら店内を見回してみると、よく見かける花用の冷蔵庫や贈答用らしい花籠、様々な種類の花束用の包み紙などが置いてあります。
店内にも切り花用の花などはありますが、鉢植えなどは外に専用のスペースがあって、そこで陽に当てているとのこと。このまま続けるとなると、そこの世話なども覚えないといけないのかもしれません。
カウンターから店内を見回してみても、その配置に隙はなく……何らかの理由を付けて掃除でもしようかと思っていたのですが、それもままならないようです。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ」
そうこうしているうちに、私がここに来て初めてのお客さんがやってきたようです。
ドアベルを響かせながら入ってきたのは、少し派手な装いをした大学生かOLの若い女性。あまり、こういうお店とは縁がないようにも見えますが。
「あの、お花を見繕って欲しいんですけど」
「私は見習いなもので……店長代理は、今こっちにいますが」
かがんで剪定をしている先輩を指さすと、私に声をかけてきた女性は軽く驚いて、
「えっ? あ、すっ、すいません! てっきりお家のお手伝いかと!」
「よ、よく言われます」
頬を引きつらせながら強引に笑顔を作る先輩。まあ、どこからどう見てもお子様なのですから仕方ありません。
「ごほんっ。そ、それで、どんなお花をお求めですか?」
それでもさすがに商売人。すぐに笑顔に戻して話を進め始めました。
「えっと、友達の退院祝いに花束をプレゼントしようかなって思って」
「退院祝いですか。どんな色合いがよろしいですか?」
「なるべく明るい色でお願いしたいんですけど」
「明るい色ですか。となると……」
先輩は立ち上がると、切り花が生けられたバケツから淡いピンクや黄色のバラ、かすみ草などを数輪取り出して、
「こういった色合いでいかがですか?」
即席で作った小さな花束を、お客さんに見せました。
「いいですね。ちょうど春先ですし、こういう色合いが好きな子ですから」
「それでは、少々お待ち下さい」
にぱっと笑ってみせた先輩は、テーブルの上に新聞紙を広げると優しい手つきで花を一輪ずつ並べ始めました。
やがて並べ終わると、今度は輪ゴムでまとめて茎を短く切りそろえ、手早く濡らした布で茎の根本をくるんでいきます。
「君もよく見ててね」
見とれている合間に、ちらっと私を見て笑いかける先輩。
「あ、はい」
作業に没頭してるように見えて、私にも気を回してくれるとは。やはり侮れません。
その後はアルミホイルで根本を包んで、淡い水色の和紙と透明のセロファンでくるんでから最後にリボンでまとめて……
「はいっ、お待たせしました!」
瞬く間に、パステルカラーの立派な花束が完成してしまいました。
「わあっ、ありがとうございます! えっと、それで、料金なんですけど……」
「この量でしたら、3000円になります」
「本当ですか? そのくらいなら助かります」
お客さんはお財布からお金を取り出すと、嬉しそうに笑って先輩に手渡しました。
「お渡しの際、早めに花瓶に入れておくように言付けていただけると有り難いです」
「わかりました」
そんな先輩も、嬉しそうな笑顔。
……もしかしたら、私も今後はそういう風にしなければいけないのでしょうか。
「また何かあったら、ここで買わせていただきますね」
「はいっ、ありがとうございましたー!」
小さく手を振りながら帰っていくお客さんを、元気に見送る先輩。私はというと、
「あのー……君、何してるの?」
「やはり別のところに行こうかと思いまして」
ええ、逃亡です。帰り支度ですよ。
「ど、どうしてさ!? そんなに難しくないと思うんだけど!」
「笑顔が無理です。明るいのも無理。私には到底合いません」
「まだわからないでしょ!? と、とにかく研修をしてからでも!」
「私は諦めが早いものでして」
「だーかーらーっ!」
店から出ようとする私を、ぐいぐいと引っ張る先輩。体格差から私が引きずる形になってるのですが、
「む~っ」
むくれながら、私を見上げてくる先輩……これでは、まるで私がいじめてるみたいじゃないですか。
「……わかりました。そのかわり、当分雑用でお願いしたいのですが」
「ホントだね?」
さっきとは打って変わって、先輩はまた子供っぽく笑ってくれましたが……これが、本当にあれだけ鮮やかな花束を作った人なのでしょうか?
思わず、苦笑とため息がいっぺんに出てきてしまいましたよ。
* * *
結局、そのまま見習いとして居座ることになってしまった私。
どのみちすぐに愛想尽かされてクビ……と、思っていたのですが。
「今日もよろしくねー」
「はあ」
学校ですれ違う度にそう言われるほど、先輩に懐かれてしまったようです。
あの態度は信頼とかそういうのではありません。懐かれるとか遊ばれるとか、そんな感じですよ。ええ、きっとそうです。
「……はあ」
バイトへ向かうたびに、こんなため息が出てくるぐらいの諦めの境地。確かにバイト代は満額もらえて、それなりに仕事を任せてもらえるようにはなりましたが……一体、どうして私をここに置いておきたがるのでしょう。
「こんにちは」
気が滅入りながら入口の引き戸を開ければ、いつものように先輩の明るい声が――
「おいっ!」
えっ?
顔を上げると、いつも見慣れた人――仕事帰りらしい、スーツ姿のお父さんがこっちにやってくるのが目に飛び込んできました。
「お、お父さん?」
「お前、またバイトを変えたんだってな!」
ごつごつとした手で、私の両肩を掴むお父さん。
「ご、ごめんなさい……」
まさか、こんな早く知られるだなんて……
「ま、まあお父さん、そんなに怒らなくても」
「怒ってなどいない!」
後ろからなだめに来た先輩も、お父さんは一喝して切り捨てる。
「最近帰りの時間が変わったからおかしいなと思って、さっきスーパーに寄ってみたら辞めたと言われて……それで聞いてみたら、ここで働いてると言うじゃないか」
「君、お父さんに言ってなかったの?」
「……はい」
心配そうに顔をのぞき込んでくる先輩に、小さく頷いて返す。
「バイトをしたいのはわかる。お前にも苦労をかけて申し訳ないとは思う。だが、私にすら何も言わずにバイト先を変えたりして、あまり心配をかけんでくれ」
「……ごめんなさい」
ただ謝ることしかできません。心配をかけたのは確かなのですから。
「ふぅ……まあ、別にいい。この子に聞いたら、ちゃんと仕事は出来てると言うしな。今度は、迷惑をかけずに仕事をすることだ」
「……はい」
「済まんね、突然押しかけてしまったりして。何分不器用な娘だが、今後もよろしく頼むよ」
「いえ、こちらこそお世話になってますから」
「はははっ、バイト先の人からそう言われたのは初めてだよ。じゃあ、俺は先に帰ってるからな」
苦笑いしながら、手を軽く挙げて帰っていくお父さん。
「…………」
私はそれを見送ることもせず、ただ力なく近くの椅子に座ることしかできませんでした。
「まったく、ちゃんと言ってなかったなんて」
「……すいません」
呆れたように言う先輩にも、そう返すことしかできません。呆れられても当然でしょう。親にも言わずに新しいバイトをしていたんですから。
「どうして言わなかったのさ」
「…………」
「言いたくないの?」
「……心配、させたくなかったんですよ」
それは、あまりにも情けなさ過ぎる理由。
「私が今までバイトを転々としてたのは、ほとんど人間関係が原因なんです。こんな性格ですから、同僚とも反りが合わなくて、何度もそれで父に心配をかけてしまって」
「心配をかける、ねぇ……」
「呆れるでしょう? こんな情けないことがきっかけだなんて」
「はぁ……」
ためいきをつくほど、呆れているらしい先輩。こういう風にされたって、当然のことを私はしてしまったんですよね。
「お父さんにも、今までバイトのこととかであんまり相談とかしなかったんじゃない?」
「……はい」
「ダメだよ。親っていうのはそういう風に相談されなさすぎだと、逆に心配するんだから」
「そうなんですか?」
「……って、僕も前に母さんに言われたことがあってね」
経験談でしたか。
「別に正直に人間関係のこととか言わなくても、別の理由を立てて『こういう理由で職を変えるけど』って言ったら、さっきみたいなことにはならなかったんじゃないかな」
「そうかも、しれませんけど」
「君は、ちょっとそういうことに関して不器用すぎ。まわりのことばっかり考えてたら、逆に不安がらせることもあるってことも覚えておいたほうがいいよ」
「すいません」
まさか、この温厚そうな先輩からここまで言われるとは……それだけ、先輩も私に呆れてしまったということでしょう。
「今まで、本当にありがとうございました」
「はい?」
私は立ち上がると、先輩に一礼して椅子の横に置いておいたカバンを手にしました。
「迷惑をかけてしまったから……ここで、失礼させていただきます」
「迷惑? 何が?」
「えっ?」
何なんでしょう。この「心の底から疑問」という先輩の表情は。
「あの、親に無断でバイトを変えて、今日こうして押しかけられたわけで」
「それは君と君の家の事情でしょ? こっちは、全然関係ないよ」
「いえ、でも、こんな風になって迷惑だったのでは――」
「ぜーんぜん」
バッサリ切り捨てられてしまいました……
「迷惑だなんて、これぽっちも思ってないってば。ただ、君の『諦め根性』の凄さに呆れてただけ」
あ、諦め根性って……的確すぎて、言葉も返せません。
「まあ、確かにびっくりはした。でも、これまでの君の事情が事情だし、それが辞めさせることに繋がったりはしない。君はまだ、何もウチの店に不利益なことなんて何もしてないんだから」
「……そうですか?」
「うんっ、そうそう」
そんな自信満々に言われましても。
「とにかく、もう一度座った座った。ちょうどいいから、これから君に鉢植えの作り方を教えてあげるよ」
「ど、どうしてですか?」
「まさか、お父さんを心配させといてこのまま帰るわけじゃないよね?」
「帰ってから、謝ろうかと思っていました」
「それだけにしたい気持ちもわかるけどさ」
そう言いながら、手近にあった花籠を手にする先輩。
振り返ったその表情は、いつものように明るくて、
「せっかくここでバイトしてるんだから、その想いをコレで表してみたらどうかな?」
とっても、楽しそうな笑顔をしていて。
「これからもいてもらうんだもん。いいきっかけだし、覚えてもらいたいんだ」
そして、優しくて。
「……先輩は――」
「うん?」
「先輩は、本当にお人好しですね」
思わず笑ってしまうほど、そう思いました。
「そうかな?」
「ええ。それに、諦めも悪いですし」
「あー、それはよく言われるね」
「やっぱり」
「諦めのいい君をここに置いとくぐらい、とってもお人好しで諦めが悪いってことか」
「まったく、よくわかってるじゃないですか」
「あははっ、君も言うようになったねー」
先輩のせいですよ、先輩の。
「で、どうする? やってみる?」
「わかりました、お願いします」
そこまでしてもらって、断る理由なんてどこにもありません。
「んじゃ、まず手始めに外から株を取ってこようか。そうだなぁ……手始めにベルフラワーなんかがいいかな」
「ベルフラワー、ですか?」
「うん。ベルフラワーは『ありがとう』っていう意味を持った花でね」
相変わらず、楽しそうに話してくれる先輩。
こんなこと、今までのバイトではなかったことなのですが、
「『ありがとう』なら、ちょうどいいですね」
こんな風に流されてみるのも、たまにはいいかもしれません。
* * *
そんなどうしようもない出来事から、少しだけ経って。
「今日はカーネーションの仕入れでしたっけ」
「うん。母さん、朝から大変大変って言ってたよ」
学校で初めて会ったときのように、私たちは中庭でお昼ごはんを食べています。
「もうすぐ母の日ですしね」
私はというと、自分で作るようになったおかず付きのお弁当。
「ちゃんと、君ん家の花束分も確保しておいたよ」
隣に座る先輩は、相変わらずの手作り弁当。
……もらってばかりでは申し訳ないと、そう思っただけです。ええ。
「ありがとうございます。父が、どうしても母の墓前に飾りたいと言ってたので」
「それを、君が作るってわけだね」
「はい」
自分でも信じられないことに、あれからも花屋さんでのバイトは続いてます。
何度かトラブルが起きたりもしましたが、その度に先輩は私を諭して離そうとしてくれませんでした。
「そろそろ、店番も任せて大丈夫かな」
「……それは、まだ勘弁してもらえませんか」
「冗談だってば、冗談」
そのせいか、先輩に話のペースをずっと握られていて、ちょっとだけ悔しかったり。
……ああ、悔しいことといえば、もう一つ。
「でも、そのうちにはやってもらうからね。絶対」
「絶対嫌です」
私まで、諦めが悪くなってしまったような気がするのです。
ほんのちょっと、ちょっぴりだけ。
「ちぇ、残念」
誰かさんのせいですよ、誰かさんの。
でも、こんなやりとりが楽しいのも確かなわけで。
「ちゃんと慣れるまで、先輩に側にいてもらうんですから」
「えっ? い、今、なんて言った?」
「なんでもありません」
「今、側でどうこうって言ったよね?」
「言ってません」
どうしてそんな気分になったのかは、まだわからないですけど、
「言ったよね?」
「言ってませんよ」
こんなダメダメな日々を、先輩と過ごしてみてもいいかなと、
「言ったってば!」
「言ってませんってば」
そう思えてしまうくらい、私は楽しい日々の中にいるのでした。
どっとはらい。