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出立

「さて、リンカ殿。この中で唯一ドラゴニアについての知識がある、お主の勘だけが頼りだ。あのフィアンマータと爺さんの転移先に心当たりはないか」

 味噌汁と言われる、醗酵した大豆を主原料にしたの国産のスープを啜りながら、五郎丸は尋ねた。

 エルドラゴ城下町の城壁のすぐ外にある、宿場の一軒の宿屋の食卓を六人の冒険者が囲っている。五郎丸、アンジェリナ、エンプレス、ウルフの冒険者と、国立研究所の元研究員のリンカ、そしてその友人の錬金術士のラングレーである。城壁の中では冒険者は武器を携行する事が法で禁止されている。その為、冒険者は城壁の外で打ち合わせをする事が多く、宿場も城内より城外に設置される事が多いのが必然となっていた。

「確かに、良い武器を手に入れたは良いが、相手が居ないのでは宝の持ち腐れだな」

 ウルフは怪しい光を放つヒヒイロカネで練成された短剣を鞘ごと玩びながら呟いた。

「ええ。あたしも考えていたのデスが、恐らく古城ギンヌンガに転移したのではないかと思います」

 平原で採れた野菜の盛り合わせにキラービーの巣から取れた蜂蜜のドレッシングをかけたサラダを口に運びながらリンカは答えた。

「その根拠は」

 既に食事を済ませたエンプレスが食後の温茶の入ったカップの縁を指でなぞりながら追求する。

「はい。ギンヌンガは古の暗黒王が居城していた、この世で魔界に一番近いと言われている場所。ドラゴニアの中の邪神もそこから召喚されていると聞きました。傷を癒すなら、そこが一番良いかと」

「決まりだな。他に選択肢が無い以上、我々の次の目的地は古城ギンヌンガだ」

 リンカの言葉を受けた五郎丸の決定に、その場の全員が等しく頷いた。

 

 古城ギンヌンガとは、先の大戦で暗黒王スルトが居城していた「異界の門」とも呼ばれる巨大な城だ。大戦が始まる直前にムスペル山の奥にある湖の中心に突如として現われ、美しかった湖は枯れ果て、変わりに溶岩が湧き出し、霊峰と謳われた景観は火山岩が剥き出しの活火山のそれへと一変してしまった経緯を持つ。英雄王リチャードの一行によって暗黒王は打ち倒されたが、五年経った今でも火山活動は続いており、硫黄が充満する一帯は軍の調査も行き渡っていないのが現状だ。


「しかし、五郎丸。知ってるでしょうけど、ギンヌンガへは魔の山ムスペルを越えなければならないわ。何か策はあるの」

 五郎丸の隣でシロップとクリームをたっぷりかけたパンケーキを食べ終えたラングレーが尋ねる。

「ギルド全体で攻め込むとなると、それだけ大掛かりな用意と戦術も要る。ただ今回は俺を入れて六人のパーティーだ。恐れる事はあるまい。強行するのみ」

 味噌汁を食べ終えた五郎丸が食後の氷菓子を掻き込みながら答えた。つまり作戦も何もないとの事だ。

「我らがギルド長にも呆れるわ。これだけの百花繚乱の美女が揃ったパーティーに、護衛の小隊も付けずに突貫するとはな。百人の武勇と千人の知識、そして一万人の知恵に冠絶すると近隣職国にまで謳われた栄光は、遠い過去の事になってしまったようじゃな」

 エンプレスがわざとらしく天を仰いで嘆く。

「見た目が麗しいだけでは美女とは言わん。言葉や心も清らかでなければな。俺より図太い精神の持ち主に護衛をつける必要などないと思うぞ」

 エンプレスが毒突いて来る事を予想していたように五郎丸はやりかえした。

「まあ、エンプレスの心が清らかでないのは、ひとまず置いといて。これだけの手錬れ揃いだ。非戦闘員のリンカ殿を守りながらでも火山一つ越えるのは造作もない事さ」

「置いといてもらっては困るわっ」

 普段舌戦でやりこまれているウルフが、ここぞとばかりに追い討ちをかける。いつもは冷静で蒼白い顔のエンプレスが、耳まで真っ赤にして椅子の上で手足をばたつかせて抗議の声を上げた。


「どうしたの。魔の山に挑むと言うのにあなた、やけに楽しそうね」

 一連のやり取りを果物の盛り合わせを食べながら見ていたアンジェリナにラングレーが声を掛けた。

「いえ。別段楽しい訳ではありませんよ。ただ、信用し合っている皆さんが自分の仲間でいてくれて嬉しいだけです。ギルド長はあんな風に言っていますが何も考えていないのではなく、どんな障害があったとしても、私たちならやり遂げられると信じてくれているからだと思います」

 素直な自分の気持ちが、思いがけずアンジェリナの口をついて出た。五年前の旅では、こんな温かさを感じた事はなかった。龍の力を得てしまったが故の、お互いの猜疑心や打算が渦巻く旅路は、精神が削られると思うほど窮屈なものだった。

「なるほどね。それは私も同じよ。こんな世捨て人となった化け猫を拾ってくれる所なんて、普通はないから。受けた恩は必ず返すわ。それが私の流儀よ」

 そう言うとラングレーはパンケーキの乗っていた皿を持つと残ったシロップとクリームを長い舌で舐め始めた。


 テーブルを挟んで、アンジェリナの大事な仲間たちの、銅貨一枚の価値にもならない不毛な言い争いは延々と続いていた。



「私の魔法で暫くの間は火山の有毒物質から身を守る事はできるけど、術の有効時間には限りがあるわ。長居はせずに一気に登頂するのが無難ね」

 と言うラングレーの提案で一行は可能な限り時間をかけずにムスペル山の頂上を目指す事にした。

「ルートはアンジェリナ殿が知っている。案内してもらって良いな」

 出立を前に五郎丸が出し抜けに切り出した。各々準備をしていた全員の視線がアンジェリナに集中する。

「英雄王たち以外に踏破したことがないと言われるムスペル山の道筋を知っておるのか、アンジェ」

 エンプレスが驚きの声を上げる。

「ああ。アンジェリナ殿は五年前の英雄王リチャード卿の旅に同行していた六人目の冒険者だ」

「ギルド長……」

 口外しないように釘をさしていた訳ではないが、このような所で自分の出自が公表されるとはアンジェリナは思っていなかった。絶句しているアンジェリナを尻目に五郎丸は然り顔で全員の反応を楽しんでいるようだ。

「なるほど。若さに似つかわしくない超然とした振る舞いから、只者ではないと思っていたが、そう言う事であったか」

 この中で一番付き合いが長いウルフが妙に得心した様子で深く頷く。

「救国の冒険者とご一緒できるなんて、光栄デス。是非今度その時のお話を聞かせて下さい」

 リンカがアンジェリナに尊敬の眼差しを向ける。

「隠しておくなど水臭いではないか。五郎丸だけが、その秘密を知っていたのも癪であるしな」

 腕を組んで、五郎丸を見るエンプレスが苦笑いを浮かべて言う。

「すまん、アンジェリナ殿。もう俺一人で溜め込んでおく必要もないと思ったからな。この中でアンジェリナ殿の過去を聞いて嫌悪感を示す者も居ないだろう。くだらん輩に嗅ぎ回られて暴かれる前に、知っておいてもらったほうがお互いの為にもなる」

 確かに隠している間は「秘密」だが、誰もが知っている事なら「事実」になるだけと言う五郎丸の考えは間違っていない。

「それがどんな物であっても、過去は変えられない。我々に在るのは現在と未来だけだ。それは他人より過酷な人生を歩んできたアンジェリナ殿が一番良く判っている事。否、信じている事だろう」

 いつになく真剣な口調で五郎丸がアンジェリナの瞳を見つめる。五郎丸は優男やさおとこではあるがその容姿に反して、自身も血にまみれた道を歩み、苦難を乗り越えてきた冒険者であろう事はアンジェリナにも容易に想像出来た。

「その手にかけてきた者、自分の剣で救えた者と救えなかった者。それらを天秤にかけ、自己を否定するにはアンジェリナ殿はまだ若い。どんな業を背負っているとしても、全てひっくるめて俺たちは仲間だ」

 甘い理想家の顔を覗かせながら五郎丸は熱く語った。

「若干機会を窺っていた感じは否めませんが、お気遣い頂いたようで恐縮です」

 救えた者と救えなかった者、と言う言葉を反芻しながらアンジェリナはこうべを垂れた。

「では、案内しえもらえるな」

 低頭しているアンジェリナに対して悪びれた様子もなく、いつもの口調に戻った五郎丸が確認する。

「承知しました。ご案内します。魔の山ムスペルへ」



 ラングレーに毒への耐性が上がる魔法を掛けてもらい、一行はムスペル山の登頂に挑む事になった。基本的に山道さんどうなどある訳もなく、比較的足場が安定している所を選んで進んでいく。アンジェリナが五年前に来た時よりも空気の腐敗は進んでおり、魔物でさえ棲息するのが困難な状況になっているように思えた。

 火山性の有毒物質や足場などは注意すれば問題はない。心配なのはムスペル山にはエンシェントドラゴンが棲んでいる事であると言う事をアンジェリナは全員に伝えていた。前回は同じエンシェントドラゴンの加護を得た冒険者が同行していたので襲われる事もなかったが、今回も同様にやり過ごせる保証はどこにもない。

 本来エンシェントドラゴンはこの大陸の守り神であるとされ、まず人間を襲う事はないと言われている。ただドラゴンは、自分の棲家に侵入してくる者や守護している聖遺物を奪おうとする者には容赦なく実力で排除を実行する。この山に棲むエンシェントドラゴンが何を守護しているか定かではないが今回の目的は聖遺物の獲得でもムスペル山の調査でもない。登頂ルートを多少変更してでも棲家に近づかなければ危害を加えられる事もないだろうと一行は考えていた。


 歩き始めて数時間、道のりの半分程度まで来たところで一行は全員が休め、周りを見渡しやすい場所を選んで休憩する事にした。プラチナランクを持つ冒険者にとって、この程度の山道はたいした事はないが、毒を含む空気に覆われている環境と非戦闘員のリンカの体力だけが懸案事項だった。 「さすがに少し息苦しくなってきたな」

 毒耐性を上げる魔法が切れ始めてきた五郎丸が解毒剤を荷物から出し服用する。解毒剤と言っても、体内に入り込んだ毒物を浄化する機能を促進する薬剤で、有毒物質を瞬時に分解できる訳ではない。身体の大きな五郎丸はそれだけ大量の酸素を必要とするので、魔法が切れるのも早いようだ。

「私の魔法は空気中の毒を中和する物質から練成させる物だから、毒に覆われたこの環境ではもう一度術をかけるのは不可能ね。少し急いだほうが良さそうだわ」

 自分はまだ何とも無いラングレーだが、少しずつ体力を奪われ始めた一行を見回して提案する。

 再びアンジェリナたちが歩き出そうとした所へ空から轟音が響き、強い風が吹き付けてきた。誰一人その姿を確認したくはなかったが、鉛色の雲の合間から差す薄い陽光により、火山岩で覆われた地面に作り出された影は、ドラゴンのものである事は疑いようがなかった。けたたましい鳴き声を上げて上空を旋回するエンシェントドラゴンは明らかにこちらに気が付いている様子だった。

「アンジェリナ殿、先を急ごう」

 荷物を抱え上げたウルフが歩き出し、全員がそれに倣った。

 エンシェントドラゴンが害意の無いものを襲うとは思えない。仮に今居る場所が棲家に近いのであれば、移動すれば追ってくることも無いだろう。それが一行の共通認識であった。五年前の記憶を頼りにアンジェリナは足早に山頂を目指す。決して良いとは言えない足場を慎重に進み、火山性ガスが噴出す岩場を抜け、未だ冷めぬ溶岩が流れる坂道を登る。途中ドラゴンの陰は雲に隠れて見えなくなり鳴き声も聞こえなくなったことから、やり過ごせたかと誰もが思っていた。この先にある開けた空間を抜ければ、山頂まで間もなくと言う地点まで辿り着いた所で、一行の甘い期待は打ち砕かれる事になる。


「……よもや、待ち伏せされているとはな」

 五郎丸が苦笑まじりに呟く。ここを抜けなければ山頂に辿り着けない事は承知している。それは恐らくエンシェントドラゴンも同じで、どうやら只では通してくれないらしい事は疑いようがなかった。

「リンカ殿も入れて六対一だ。逃げ切れない相手ではない」

 倒す必要はない。第一エンシェントドラゴンの討伐には国からの許可が必要になる。この場を切り抜けるだけの時間が稼げれば良いのだ。覚悟を決めた五郎丸が新調したハンマーを構える。それを合図にリンカを除く各々が自分の得物を手にエンシェントドラゴンとの合間を詰めていく。


 一行の様子を山頂への道の守り人のように微動だにせず窺っていたエンシェントドラゴンが大きく羽を広げて威嚇の鳴き声を上げる。千年の時を生きると謳われるドラゴンとの闘いが幕を上げた。

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