人妖
エルドラゴに於ける錬金術とは、科学と魔術の掛け合わせのようなものであると定義することができる。人間の願望、欲望を具現化するために生み出され、今なお進化を続けているそれは、古くは創世神話の中にも登場しているなど、その歴史は長い。
人間の永遠の願いである不死についても錬金術に於いて研究がなされてきたが、その多くは失敗に終わり、未だ不死の身体を手に入れたものは居ないとされている。リキュールの言葉を借りれば、「今日と言う永遠ではない限りある一日があるから、その日の酒が旨い」と言う事になるが、アンジェリナも大筋では同感であった。永遠を手に入れてしまったら人間は恐らく今よりも堕落し、人心と社会は腐敗するだろう。いつ終焉を迎えても後悔のないよう、今ある生を大事に生きる事こそ肝要なのだとアンジェリナは考えている。
ただ、錬金術がその研究の過程で齎した様々な副産物が、人々の生活を潤している事は否定出来ない事実であり、現在のエルドラゴでは、人々の衣食住に欠かせない技術になっている。
エルドラゴ城下街の大通りから外れた路地は区画整理が行き届いておらず、迷路のように複雑に入り組んでいる。そこは五年前の大戦から復興を果たした人々の活気に溢れ、国民は永らく待ち望んだ平和を謳歌していた。
子供たちが無邪気に走り回り、行商人が露店を開き、女たちが家事をこなしながら男の帰りを待つ。一見何気ない風景だが、先の大戦中は城下町も戦火に見舞われ少なからず被害が出た。人々は今ある平和が無償で作られた物でない事を理解した上で、日々の生活を送っている。その何気ない日々の生活を守るために冒険者はあるのだとアンジェリナは考えている。先日五郎丸は「国を少しでも在るべき姿に戻すために冒険者はある」と言っていたが、アンジェリナにはあまり実感が沸かなかった。ただ、民を守る事は、国を守る事になると自分なりに結論付けてはいた。
エルドラゴの城下街の一画、十字路に店を構える武器屋の脇にある人がすれ違う事が出来ないほどの幅しかない狭い階段を降った先に、アンジェリナたち一行が目指す部屋はあった。術士の多くは、自分が錬金術で練成した物質を人々に販売して生活の糧にしているが、この部屋の主は店を構えておらず国からの僅かな援助を頼りに生活し、地下に籠り研究に没頭している。
「先に謝っておきます。ここに住む私の友人の錬金術士は世捨て人で、世間とずれた感覚、価値観を持っています。皆さんに失礼なことを言う虞がありますが、どうかご容赦下さい」
先頭に立つリンカが狭い階段の先にある入り口の前で振り向いてそう告げ、扉に手を掛けようとするとそれより先に扉が開き、部屋の中から灰色のローブを纏い、フードを目深に被った背の高い人物が現れた。
「旧知の仲だから、特別に一度だけ赦すけど、他人を紹介するにしては、些か失礼な物言いよね」
若い女の声だ。
「あら、聞こえていたの。ごめんなさい」
リンカは肩を竦めて笑ってみせた。
「そろそろ来る頃だと思っていたからね。あなたが研究所を辞めたと聞いたから、頼りにして来るのはここしかないでしょう。後ろに控えている御仁たちがあなたを助けてくれたの」
フードを被った女はそう言うと、アンジェリナたち一向に目を向けた。
「昨日の城門での戦闘は知ってるでしょ。その時に私を仲間にしてくれた五郎丸様のギルドの方々デス。ドラゴニアと闘う為に、あなたに武器を練成して欲しくて……」
リンカが説明していると術士の女は狭い通路に立つリンカを押しのけ、五郎丸の前まで歩いてきた。身体から発する色香と、付けている香水の甘い香りが五郎丸の鼻腔を刺激した。その香りに誘われ五郎丸はフードの中を覗き込んでしまった。フードの奥にある女の眼が怪しく光る。
「あら、良い男じゃない。こんな男がまだエルドラゴに居たなんて驚きだわ」
女はローブから手を伸ばすと白く細い指に、深い翠色の装飾がなされた長い爪で五郎丸の頬をさすった。五郎丸は咄嗟に後ずさりしようとしたが、足が動かない。
「くっ、何か術を使ったな。待て、俺を喰っても美味くはないぞ」
冷や汗と脂汗を同時に流しながら必死にそれだけを搾り出すと、五郎丸はかろうじで動く上体を左右に振って術から逃れようとする。
「ほう。私の術に掛かっているのに、自分の意思で口が利けるのね。ますます気に入ったわ」
女はフードを外しローブを脱ぎ捨てると、五郎丸の首の後ろに自分の手を回し、引きつっている五郎丸の顔に自分の頬を近づけた。女は胸元が大きく開いた紫が基調のドレスの様な甲冑を着込み、長いスカートのスリットからは彫刻のような完全無欠の脚線美を持つ長い脚が伸びている。爪と同じ色の長い髪をかき上げ、吸い込まれそうな瞳を輝かせながら薄紅色の光沢のある唇から吐息を漏らして、恍惚の表情で五郎丸を見つめている。唇の下にある黒子が、女の妖艶さをより際立たせている様に見える。
「おい。男ならここにも居るぞ。年齢を重ねた分、そいつより味わいがあると思うが」
後ろに立っているウルフが五郎丸の隣に歩み寄って胸を張った。
「フン。私より背の低い男に興味はないわよ。来世で出直してきて」
女はウルフの頭を軽く二~三度叩き何の興味もなさそうに言い放つと、一つ指を鳴らした。五郎丸は術から解放された反動でその場で尻餅をついた。
「無粋な下衆の邪魔が入ったわね。興醒めよ。夜伽はまたの機会にしましょう」
女は怪しい笑みを五郎丸に向けた。
「私の名はラングレー。知り合いが世話になったようね。礼を言わせてもらうわ。大体の話の察しはつく。まあ、中に入って」
ラングレーと名乗った女は脱ぎ捨てたローブを拾うと振り向いて部屋の中に入って行く。その後ろ姿を見て、リンカ以外の全員が凍りついた。ラングレーのスカートからは美しい足だけでなく、二又に分かれた白い尻尾が伸びていたのだ。
「己は人妖だったか」
エンプレスが言い終わるより早く、ラングレーは振り向くと、足音も立てずにエンプレスに歩み寄って、先程の五郎丸に話しかける時とは全く別の口調で抗議する。
「イヌやウサギがドギニー、ラビニーと言って人間の生活に溶け込んでいるのに、私たちネコのみが物の怪扱いされるのは心外ね。尤も、私は亜人種(ヒューマノイドの事)では無いけど。我ら一族は五十年生きると尻尾が二つに分かれ、更に五十年生きると人語を話せるようになるの。三十年も生きていない小娘に、バケモノ扱いされる謂れはないわ」
アンジェリナは今の話からラングレーの年齢を推し量ってしまった事を深く後悔した。
「まあ、ラングレー殿が何者であるかはこの際問題ない。俺たちの武具の新調を手助けしてくれる協力者である事に変わりは無いのだからな」
冷静さを取り戻した五郎丸がエンプレスとラングレーの間に入って二人の肩を叩いた。
「流石、私の五郎丸は話が判る御仁ね」
勝手に五郎丸の所有権を主張して、ラングレーは上機嫌で部屋の奥に姿を消した。
「またギルドをまとめる際の厄介事が増えたと感じるのは、私の気のせいでしょうか」
アンジェリナは一つ溜息を洩らすと、憂鬱な表情を浮かべた。
「強ち、俺は気のせいではないと思うな」
ウルフは他人事のように言い放つと、ラングレーに続いて部屋の中に入っていった。
薄暗い部屋の中には、既に何着かの鎧と斧、片手剣、槍、盾などの武具が用意されていた。そのどれもがアンジェリナたちが見た事の無い物であったが、冒険者である彼女たちには、それら用意された武具が現在国内に流通している物より遥かに良質である事は容易に判断できた。
「こんな武器見た事ないぞ」
斧遣いの五郎丸の眼を引いたのは一つの大きなハンマーだった。柄の部分は斧と変わらないが、斧であれば、刃がある筈の部分に無数の突起が付いた金属の塊が柄の先端に付けられている。斧は打撃、斬撃、刺突のどれにも対応できるが、このハンマーは打撃に特化した造りだと言えた。形状に驚いた五郎丸はそのハンマーを握ってみて再び驚愕した。通常の金属であれば五十キロを下らない大きさであろうそれは、五郎丸が片手で持ち上げられてしまう程の軽さだったのだ。
「ここにある武具は全て、ミスリル、バルダー、ヒヒイロカネなどの特殊鉱物で造られている。練成は難しいけど、強度は高く、しかも軽い。またバルダー金属はアンデッドにも有効よ」
ラングレー得意気に鼻を鳴らした。
「まだ用件も伝えてなかったのに、こんなに用意しているなんて」
研究者として、武具の練成の難しさを知っているリンカが感嘆する。
「私は千里眼ではないけど、人間より勘は良いからね。あなたが研究所に居る時から、少しずつ用意してあったのよ。流石に今日頼まれたのでは、これだけの武具を用意するのは時間がかかるわ。急ぎの案件なのでしょう」
ラングレーは見透かしたようにリンカに微笑みかけた。
「ありがとう、助かるわ。お礼に、今度私が所有しているレアメタルを持ってくるわね」
「それは楽しみにしておくわ」
リンカの謝辞を快く受け入れ、ラングレーはもう一度微笑んだ。
部屋では五郎丸、エンプレス、ウルフ、アンジェリナがそれぞれ武具の品定めをしていた。五郎丸は先程のギガースの血が塗りこまれたハンマーと、大きな得物を振り回すのに適した、アンズーと言う凶鳥の羽で装飾された黒い軽鎧を選ぶ。
エンプレスは今持っている槍の名「月詠」の神話上の姉にあたる「天照」の名を冠する槍と、女神の加護が施された盾。ウルフは奴の国の幻の金属ヒヒイロカネがふんだんに練りこまれた不思議な光を放つ短剣を選んだ。この短剣は質量のある残像を発生させ、その残像で相手を切りつける事が出来る、特殊な細工が施されている。突貫する際の防御を高める為に、ミスリル金属の甲冑を着込む。
アンジェリナは砂漠に覆われた遥か東国の天地創造の神であるバハムートの鱗で造られた淡い光を発する紅い鎧を選んだが、ラングレーが用意した武器の中に長剣や刀の類は無かった。
「あの、剣や刀はないのですか」
鎧と同じ光を放つ小手と長靴を身に付けたアンジェリナがラングレーに問いかける。
「……あなた。面白いわね」
入り口で見せた女としての好奇心ではなく、研究者としての好奇心で眼を輝かせながらラングレーはアンジェリナをまじまじと見つめた。
「あなたが手にする武器はここにはないわ。刻が来ればあなたが手にすべき武器は向こうからやってくる筈。その剣で仇成す者を討ち、道を拓けと」
「抽象的すぎて、良く解りませんが」
ラングレーの言葉にアンジェリナは困惑の表情を浮かべた。
「今は解らなくても構わないわ。私の中の神も、今あなたに武器を与える必要は無いと言っている」
「神、ですか……」
アンジェリナはラングレーの言葉の中から一つの単語だけを無意識に反芻した。
エルドラゴは多宗教国家だ。国の内外を問わず冒険者や行商人が行き来するこの国家で宗教を統一するのは、国を治めるより難しいとされる。ただ、人々の間で宗教による対立がおこる事はなく、一神教、多神教、精霊信仰など、どの宗教のどの宗派も分け隔てなく人々に受け入れられている。
かつての時代は人々が己の信仰のためにお互い争うこともあったが、神に祈るのではなく、自分の力で自分の身を守る術と知恵を手に入れた人間は、祀り上げられた神よりも己の心の在りようを大事にするようになったのだ。現在のエルドラゴでは宗教によるいかなる差別、弾圧、制裁の一切を禁止しており、お互いの価値観を認め合う多宗教国家として成り立っている。
ラングレーの口にした神と言う言葉は、単に信仰の対象としてではなく、もっと深い所に根ざした物だとアンジェリナは感じた。そのアンジェリナの考えを読み取ったかのようにラングレーが言葉を続ける。
「多くの神は進化しない。神は生まれついた瞬間から完成された神だから。ただ我々は違う。日々成長し、その成長の過程に於いても自分の信じる道は異なる。それが唯一にして最大の神と我々の違いと言うことね」
百年の時を生きてきたラングレーの言葉には人間には計り知れない感慨が込められていた。
「だから、人間は自分の中にもいつか神を見出せると……」
アンジェリナは教会で育ったが信心深い訳ではない。今まで神の存在を感じた事も、神の力に縋り、助けられたと思うこともなかった。邪神を斬った事はあるが、それは間違いなく自分の意思であり、神がそう導いてくれたとは到底思えなかった。
「タマシイの神とかいて「精神」。その神が人を輝かせ、生きる指針を与える。あなたの心の中にもきっと神はいるわ」
諭すように優しく言うとラングレーはアンジェリナの肩を軽く叩いた。
「私が今でも剣を振るう因果な人生を送っている理由も、私の神は知っていると言うの」
アンジェリナの声は小さく、誰の耳に届く事もなかった。
「よし、全員武具は選んだな。良い武器でも遣い手が悪ければ無いのと同義だ。武器に執着するものはその武器の性能に溺れてしまうことを忘れるな」
五郎丸が一同を見回して注意を促した。
「ねえ、五郎丸。私も同行してよいかしら。新しい武具のメンテナンスにも術士は必要でしょう。それにあなたたち何か面白いわ。共に行けば、きっと何かある」
新しい玩具を与えられた子供のように眼を輝かせてラングレーは五郎丸を見つめている。
「協力は有り難いが、俺たちは遊びに行く訳ではない。身の安全は保証できんぞ」
先程の入り口で見せていた狼狽は霧散し、毅然としたギルド長としての態度で五郎丸は確認する。
「勿論。武器も魔法もその辺の冒険者より巧く扱える自信はあるわ。足手まといにならない事は約束するわよ」
ラングレーの言葉は自信に満ちていた。
「解った。それでは共に行こう。宜しく頼む」
ラングレーの言葉の自信の根拠はどこにもないのだが、五郎丸はその言葉を信じ、こうして新たな仲間が加わった。この優しさが五郎丸の最大の美点であり、逆に最大の弱点になりえるだろうと、二人のやり取りを見ていたアンジェリナは思った。
エルドラゴを救う事にあるかも知れない邪神との戦いはすぐそこまで迫っていた。