理想
その夜。
五郎丸の邸宅に集まったのは五人。館の主である五郎丸。怪我人の状況を報告に来たアンジェリナ。昼間戦闘に参加しなかったウルフ。ドラゴニアとの戦闘でも無傷だったエンプレス。そして、先程ギルドに入ったリンカ。
エルドラゴ城壁から南西の平原にあてがわれた五郎丸の邸宅の私室は物で溢れかえっているので、四人は応接室に通された。おそらく使用人のミランダの好みだろう。上品な調度品で部屋は装飾されている。広ささえ度外視すれば、ギルド長の館の一室として、どこに出しても恥ずかしくない造りと言えた。
本来ならリンカは冒険者となる為の適正検査を受けなければならないのだが、非常時に於けるギルド長特権として、五郎丸は特別にリンカをギルドの冒険者として認め入隊を許可し、リンカがギルドの一員となった経緯を全員に話して聞かせた。長の決定に異を唱える者が居なかったので、五郎丸は本題に入る。
「リンカ殿。ここに居る人間はみな信用に値する者ばかりだ。それに狭い俺の館であれば間者(スパイの事)に盗聴される心配もない。話してくれるな。お主が知っている事を」
五郎丸は丸いテーブルの正面に座っているリンカに優しく問いかけた。
「はい。ただ、あたしは末端の研究者でしたから、まだ知らされていない事が在るかも知れません。デスが、あたしには皆さんに知りうる限りの事をお伝えする義務があると思います。俄かには信じられない事もあるかも知れませんが、どうか聞いてください」
大きく深呼吸すると、リンカは語り始めた。
「竜の守護者やドラゴニアは只の兵器ではありません。異界で採取されたレアメタルの鎧を着せた巨大な人造人間に神の魂を宿した生物兵器と言っても過言ではないでしょう。その鎧の中に封印された神に認められた者だけが契約者として、自らの生命力を代価に神の力を行使できるのデス。その事は竜の守護者もドラゴニアも大差ありません。ただ、鎧の中に宿る神が必ずしも我々が望む神であるとは限らないのデス」
「まさか、昼間のドラゴニアの中に宿る神は邪神だと言うのか」
エンプレスが椅子から立ち上がって驚きの声を上げる。
「その通りデス。ただ、最初から邪神だった訳ではありません。元は五郎丸様の出身国、奴の国の武将であった人物です。圧政に苦しむ民を救い、都から東に遠く離れた「武蔵の原」と言う辺境の荒地に理想郷を造ろうと志した英雄デス。しかし戦いに敗れ、謀反を起こした逆賊として処刑されました。様々な伝説を持ち、鬼神のように強かった彼は畏れられ、永い年月をかけて神格化され遂には人々の先入観から邪神として時空の狭間に黄泉還ったのデス」
リンカはそこまで話して言葉を切った。それ以上の事実を語る事を躊躇しているようにアンジェリナには見えた。
「邪神である事を知っていても力を求めた研究機関は契約者を探し、邪神に接触し依り代として捧げた。そして契約者として認められず死んでいった者も数多く居ると」
五郎丸が言い澱んだリンカの先の言葉を予想し付け加える。
「仰る通りデス。邪神は力を求めます。ですから強い人間であれば比較的容易に契約を結ぶ事が出来ました。申し上げ難いことですが、我々が他に見つけた神には既に百人以上の契約者候補を送り、その全てが拒絶され、全員が自分の命を代償として支払っています」
「それが、ここ数ヶ月で時空の狭間に冒険者が捕らわれて、行方不明になっている事件の真相か」
アンジェリナの呟きにリンカは何も言わず視線を送り、無言を返事にした。
「生身の肉体に人成らざる者の魂を降ろすか。もはや、やってる事は研究と言うより黒魔術と変わらないな。ただ、国が主導しているだけ質が悪い。しかしそこまでして力が欲しいのか。俺たちのちっぽけな欲と懐では、そこまで望んだりはしないがな」
ウルフが呆れたように軽口を叩いて笑う。
「国は研究機関という密室で何が行われているか知らないのです。ただ研究機関は強大な軍事力を他国に見せ付ける事によって、これ以上の戦乱が起こらないようにしようとしているのです。また、国防に貢献する事により、元老院での発言力を強めたいと言う意向もあるようです」
「政治が絡むと、強大な力は利用されやすいからな。用済みになったら切り捨てられる運命が待っているとも知らずに」
リンカの言葉に対する五郎丸の感想はアンジェリナの記憶を穿った。
五年前、救国の為にその身を捧げたアンジェリナの当時の仲間は、命をすり減らし戦ったにも関わらず、国からは賞賛の声しか与えられなかった。竜の契約者たちは救国の英雄と奉り上げられる一方、国を転覆しえる存在として警戒され、国に飼い殺されていると言って良い状態だ。フィーナ姫の居る国を想い、彼女の笑顔と幸せの為に自らの命を削り竜の力を行使する度に老いていくリチャードの姿は、見るに耐えなかった。側で見守る蒼い巫女アイリの気持ちを知って居れば尚のこと、一人で国の命運を背負うリチャードに対する感情は複雑になっていったのを先日の事にようにアンジェリナは思い出した。
「わたしの考えは甘いのは判っていますが、目指す平和が軍事力によって保障されているなんて、わたしには耐えられなくて。……子供みたいな理想ですみません」
リンカはそう言うと俯いて恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「いや。お主の理想は尊い物だと思うぞ。この国は大きくなりすぎたのだ。四百年と言われる国の王朝が一つの血筋だけで続いてきたのは、もしかしたら間違いだったかも知れん。軍事力を誇示する事でしか国を守れない国家はいずれ滅ぶ運命にある。そうならない為に、在るべき姿に少しでも戻す役割を担って、国に属さない冒険者たる我らは居るのだ」
五郎丸は微笑んで答えた。
「長い付き合いになるが、五郎丸にそんな壮大な野望があるとは知らなんだな」
「甘い理想家であるのは、リンカ殿も我らのギルド長も一緒と言う事か」
エンプレスとウルフが揃って囃し立てるのを聞きながら、アンジェリナはそれだけでない五郎丸の強かさも感じていた。この男はギルドを立ち上げてから負けを知らない。今日の戦闘も怪我人は出たとは言え、初期の目的は達成し報酬を得ている。理想の灯を掲げながら、現実と言う荒波を渡りきる覚悟と知恵と運を、この男は持っているのかも知れない。それでこそ自らの剣を捧げる価値がある。アンジェリナはそう考えていた。
「ドラゴニアの契約者と、あの老人については何か知っていますか」
思考を中断して、アンジェリナは現実的な情報をリンカに求めた。
「契約者の候補は数え切れないほど居ました。その一人一人について詳しく探る事はありませんでしたが、彼女の力は抜きん出ていました。名はフィアンマータ。それ以上の情報はありませんが、恐らくどこかの王族の血を引いているものと思われます。技術、精神力とも、普通の冒険者とは比べ物にならないものでした。老人については今日、わたしも初めて見ました」
リンカの情報に五郎丸が付け加える。
「あの爺さん。刀を持っているのにギルドに所属していないようだった。現行の法ではそれはあり得ない。冒険者として帯刀するものは須らくギルドに所属するのが決まりだからな。それに見た事もないあの古い刀」
五郎丸はわざとそこで黙り、次の言葉を待っているようである。
「まさか、「渡り人」だとでも言うつもりか」
ウルフが信じられないと言う表情で、五郎丸の期待に応える言葉を口にする。
「渡り人」とは救国の英雄の一人である、マイヤー卿のように何らかの魔術や装置によって時を越えてこの時空に辿り着いた者の総称である。
「その可能性は高い。俺も奴の国出身だから判るが、あの爺さん、刀を長船の業物と言っていた。しかし長船は今から四百年以上も昔の刀匠だ。そして邪神となった武将が武蔵の原で乱を起こしたのも丁度四百年前。この時代の一致は単に偶然ではないだろう」
五郎丸が楽しそうに右手で頬をさすりながら答える。まだ推測の域を出ないが、状況証拠としては充分に思えた。
「一つ、質問して良いか」
畏まった表情で、エンプレスが挙手をして発言する。
「ドラゴニアは何故エルドラゴ城を狙ったのじゃ。あの広い平原を迷う事無く城に向かって来たのは何か訳があるのじゃろう」
「エルドラゴ城の地下宝物庫には、契約者の証が安置されています。それは契約によってドラゴニアの中の神の意思と行動を制限するもので、その証を破壊すればドラゴニアは自らを縛る鎖である契約者を取り込んで、自由に行動することができるようになってしまうのデス。今、契約者フィアンマータの力はドラゴニアに宿る神の力に押され契約者の証があっても行動を抑える事が難しくなってきているのデス。ですから、わたしたちは時空の狭間から出て来れないように術を施しておいたのデスが」
リンカが口を閉ざすと、重い沈黙が部屋を支配した。
「よし」
静寂を破り、五郎丸が立ち上がる。
「いずれにせよ、放ってはおけん。あんなバケモノにこの国を我が物顔で闊歩されたら困るからな。城門を守った事で、国からの依頼は果たされた。後は俺たちの意志で行動させてもらう。ただ、現状の装備ではドラゴニアには勝てないし、捕らわれたフィアンマータとやらも救えない。まずは武具をどうにかしよう」
「また、あの闇ブローカーに頼るのか」
五郎丸の言葉に、エンプレスが明らさまに不平の声をあげる。
「それならわたしの知り合いの錬金術士をご紹介します。少し変わり者ですが、腕は確かです。わたしが研究所に居た時に調査していた鉱石を持っていけば、きっとお役に立てると思います」
リンカが全員の顔を見渡して提案する。無論、異を唱える者は居なかった。
「決まりだな。明朝七時にまたここに集合して錬金術士の所へ向かう。今回は国や機関からの監視や妨害も考えられる。故に少人数での行動とする。今日ここに居る者のみで邪神の宿るドラゴニアを探索、討伐し、契約者たるフィアンマータを救い出すぞ。以上だ。解散」
五郎丸の一言でその日の非公式の会合は幕を閉じた。残酷な運命を運ぶ歯車は、音も立てずに回り始めていた。
年末年始と少しお休みを頂いておりました。気持ちも新たに、また書き始めていこうと思いますので、宜しくお願いします。