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女王

 湿り気を含む古城の空気を二つの足音が振動させている。地底の奥底まで無限に続くのではないかと思われる狭い螺旋階段を幾つ下ったか、もはや足音の主たちは数えていない。微かに漏れる息遣いは、延々と反響する足音に掻き消されていた。一つ階段を降る度に取り返しの付かない結末へ突き進んでいるようで、五郎丸の後ろを走るリンカは一人、懊悩おうのうしていた。

「……ここだな」

 堂々巡りのリンカの思考が中断されたのは、立ち止まった五郎丸の前に厚い鉄の扉を見出したからだ。迷う事無く地下最深部を目指し階段を降りてきた五郎丸はこの奥に居る人物が誰なのか見当がついているのかも知れない。そうとなれば、恐らく同じくこの奥で待ち構えているだろう自分の末路を案じ、冷たい汗が身体を伝うのを感じたリンカは呼吸を整え、覚悟を決めてその時を待った。錆びた鉄が擦れ合い耳障りな金切り音を響かせると扉は開き、その先の小さな部屋の中には、部屋の奥の扉を背にして立ち、口角を吊り上げて薄い笑いを浮かべる女の姿があった。


「やっぱりあんたか、パラスティアス」

 国立古代兵器研究所の主任研究員は五郎丸の言葉に満足気に頷いた。

「罠と知りつつここまで来て頂けるとは、直轄ギルドのマスター様は噂に違わぬお人好しのようね」

 慇懃な言葉遣いの奥には冷たい感情が込められているようだった。

「俺が罠に嵌るだけの為にここまで来るとでも思っているのか」

 背負っていたハンマーを下段に構えて五郎丸は低い声で舌戦を受けてたつ事にした。おそらくもう少し時間が要る。ここで斬りかかって結論を急ぐ必要はなかった。リンカを庇うように少しずつ前に出てパラスティアスを威圧し、部屋の隅に追いやって行く。無言の駆け引きが行われ室内を沈黙が支配した。

「何もかもお見通しと言う訳ね。ただ、策を弄しているのは自分だけではないと言う事をそろそろ知ると良いわ。あなたは武官としては頭は冴える方かも知れないけど、私たち文官に比べればまだまだ三流の策士でしかないわ」

 五郎丸の冒険者としての気迫に押されながらも主導権を渡すまいとパラスティアスは沈黙を破り口を開いた。その視線の先には二人のやり取りを固唾を呑んで見守るリンカの姿があった。

「安全な屋内で机に向かうだけの理屈屋に過大に評価され痛み入るぜ。だが、残念ながら俺はまだ、一流の策士とやらに会った事が無い。俺が三流であるなら俺より劣るお主は四流、五流と言う所だからな。五年間も冒険者とギルドに守られ、温室でのうのうと生き延びてきたお主らに劣る俺ではないよ」

 言い放つ五郎丸も自身の口が渇いているのを自覚していた。咽にへばり付くような唾を飲み下し、ハンマーの柄を握る手に力を込めて感触を確かめる。

「そんな安い挑発に、私が乗るとでも思って。何を企んでいるか知らないけど、無駄な時間稼ぎは終わりよ。国を守るのはお前たち余所者ではない。我等エルドラゴの民だ」

「何百人、何千人もの冒険者の犠牲の上の平和に胡坐をかいておいて、今更何が国を守るだ。今まで俺たちが守って生きたのは、お主たち利権に群がる有象無象うぞうむぞうではない」

 言った後に五郎丸は自嘲した。自分が本当に策士であれば、こんな小者の前で己の本心を吐露する筈もない。

「言いたい事はそれだけかしら。じゃあ、あの世へ送ってあげる。せいぜい彼の岸で理想を掲げていれば良いわ」

 そう言うと、パラスティアスはゆっくり手を上げ、何かの合図を送っているようだった。

「どうしたの、影ども。早く五郎丸を始末なさい」

 もう一度同じ動作をするパラスティアスの表情に焦りが広がっていく。


「影どもと言うのはこいつらの事かな」

 天井から声が響くと、開いた天板から二十を超える頭巾を被った人間の首が落ちてきた。鈍い音を立てて床に落下し、血溜りを作っていく首の一つと眼があったパラスティアスは小さく悲鳴を上げた。

「こいつらは皆、元蒼雲ギルドの者のようだな。ギルド本部から追放されたならず者を国立研究機関が召抱えていたとは、国の新しい雇用対策かな」

 パラスティアスの背後にある扉から入ってきたのは、血を吸った二本の剣を携えた冒険者だった。その後ろに十数名の冒険者の姿も見て取る事ができた。

「リキュール、ご苦労だったな。優磨、オルエン、アルトアイゼン家の皆も怪我は無いか」

 五郎丸は頼れる部下たちに労いの言葉を掛ける。

「一つ貸しにしておくぞ、五郎丸。お前がムスペル山から送ってきた、このような難儀な依頼、俺で無ければまず成功させる事は出来まいて」

 刀身に付着した血を払って鞘に収めながら、リキュールは不敵な笑みを浮かべ自画自賛した。

「お前たち、どうやってここに入り込んだ。この通路は極一部の限られた者しか使用は許されていない。冒険者のような下賎の輩には存在さえ明かされていないと言うのに」

 予期せぬ相手の増援により形勢を逆転されたパラスティアスの声は喘ぎに近かった。

「私が許したのだ。国立古代兵器研究所主任研究員、パラスティアスよ」

 冒険者の一行の後ろから、一人の女性が姿を現した。金色の腰まで届く美しい髪。彫刻のような端正な顔立ちに、澄んだ空の色をした気高い瞳が生気を与えている。女性が歩き出すと五郎丸を含めその場に居た冒険者は等しく膝を折った。女性が身に纏い、歩くたびに揺れる真紅のマントには、王族のみが使用を許されている猛る龍の紋章が金色の糸で刺繍されている。

「女王、フィーナ……」

 絶句したパラスティアスはもはや立っている事もできないほど足元がおぼつかなかった。姿を現し一瞬で場を支配したのは、エルドラゴ王国の若き現国王、女王フィーナその人だった。

「陛下を付けよ。無礼であろうっ」

 膝を着いたままの五郎丸がパラスティアスを叱責する。

「聞かせて貰おうか。お前たち研究機関が何故追放された冒険者を雇い、王である私に許可無く王宮の宝物庫から古城ギンヌンガの地下に繋がる通路を秘密裏に作ってまで、どのような実験をしていたのかを」

 静かに、だが厳かにフィーナは告げるとパラスティアスを直視した。もはや意味のある言葉を発する事はできず、パラスティアスは口の開閉を繰り返すだけだった。

「ち、違う。私は間違っていない。正統な王の為の国を作るために……」

 かろうじで、それだけ口にするとパラスティアスは五郎丸とフィーナに狂気と殺意を孕んだ視線を向けた。

「正しいのは我等だ……。貴様等が居なければ、私はっ」

 パラスティアスは血走った眼を見開いてそう言い放つと、両手からクナイを放った。一本が五郎丸を狙い放たれ、一本がフィーナを狙い飛来する。すでにムスペル山で同じ奇襲に遭っている五郎丸は、造作も無くクナイをハンマーで弾き返す。だが、冒険者でないフィーナは咄嗟に避ける事も防ぐ事もできなかった。

「駄目、フィーナ様」 

 フィーナに覆いかぶさったのはリンカだった。その背中に深々と刺さったクナイは脊椎を貫通し、致命傷を与えていた。リンカの黒い法衣が見る見る血を吸っていく。

「この雌狐。恩を忘れて、男に籠絡ろうらくされたか」

 歯軋り混じりに口にした叫びが、パラスティアスの最期の言葉になった。クナイを防いだ五郎丸のハンマーに顔面を粉砕され、リキュールの剣に背中から心臓を貫かれパラスティアスは即死した。


「リンカ殿。しっかりするのだ」

 五郎丸がハンマーを投げ捨て、フィーナに覆いかぶさったリンカの身体を抱き起こし声を掛ける。

「五郎丸様。ごめんなさい。あたし、また嘘をついてました。あたし本当は間者だったんです」

 口から血を溢れさせながらリンカは涙声で呟いた。

「何も言うな。今助けてやる。だから俺が良いと言うまで眼を閉じるな」

 五郎丸は必死で魔法を練成し、リンカの出血を止めようとするが、回復魔法にも限りがある。限界を超える出血と傷である事は、誰が見ても明らかだった。

「良いんです。……最期に、五郎丸様のお役に立てて、あたし……嬉しかった」

 理想を語った時と同じ笑顔で微笑むリンカの呼吸が薄くなって行く。

「息をしろ。まだリンカ殿にはやってもらわねばならん事がある。最期などと言う言葉は遣うな」

 リンカの手を握り締めて五郎丸が叫ぶが、その声がリンカに届いているか誰にも解らなかった。

「あたし、本当はもっと……皆さんと一緒に……居たかった」

 五郎丸の手を一度だけ強く握り返し、リンカは瞼を閉じ息を引きとった。

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