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幼名

 冒険者にとっての最優先事項は「如何に多くの敵を倒すか」でも「如何に依頼を効率よく達成するか」でもなく「如何に生き残るか」である。どれだけ良い武具を揃えていたとしても、死んでしまえば冒険者を続けることは出来ない。従って生存率を上げる方法を冒険者はまず学ぶのである。

 一般的に一人前と言われる冒険者は、自分の身を自分で守れる武具と知識を備えることが前提とされ、ほとんどの冒険者は簡単な治癒魔法を行使することができ、薬草の知識なども持ち合わせている。そのため、プラチナランクの冒険者にとって、毒で気を失った人間を救うことはそれほど難しい事では無いと言えた。


「ラングレー殿、薬草でも魔法でも手段は問わぬ。傷口を塞いでもらって良いか。わらわは解毒のため、免疫力向上の魔法をかける」

 可能な限り毒が回らない様に、五郎丸の右の肩口を縛りながらエンプレスが指示を出す。体内に入り込んだ毒物を後から中和出来るような便利な魔法は存在しない。毒や麻痺の処置には、人間が元来持ち合わせている浄化能力を最大限に活用するのが基本だ。

「承知したわ。魔力がまだ完全に戻らないから、触媒として薬草を使わせてもらうわ」

 ラングレーは五郎丸の腰に下げている麻の袋から、粉末になっている止血用の薬草を取り出す。右上腕に刺さったクナイを引き抜くと、胸の前で印を結び薬草を傷口に塗りこむ。血漿けっしょうの働きを助長させ血液の凝固を促進する薬草に加え、細胞の復元力を活性化する魔法を練成する。

「上出来じゃ。これで血は止まるだろう」

 エンプレスはラングレーの手際に感心した。「武器も魔法もその辺の冒険者より巧く使える」と言うラングレーの売り文句は間違っていなかった事が証明されたことになる。

「途中で解毒剤を服用しておったのが功を奏したな。術の効き目が早いようじゃ。悪運の強い男め。暗殺者の奴等、この大男を死に至らしめるには普通の人間の五倍の致死量の毒を盛るべきじゃったな」

 練成した魔法により滞りなく解毒が成功し、安堵の溜息と共に憎まれ口がエンプレスの口唇から零れた。額の汗を拭い、深呼吸して肺の空気を入れ替える。

「失血も最小限で抑えられたようじゃし、少し寝ておれば回復するじゃろう。リンカ殿、先程は怒鳴って悪かったな」

 不安げに五郎丸を見つめるリンカに向けて、エンプレスは意味ありげに笑ってみせた。


 五郎丸の治療を終えたエンプレスたちの元に、片腕を切り落とされた屍を引きずってアンジェリナが帰ってきた。

「面目ない。追い詰めましたが、自害されました」

 討ち取った暗殺者アサシンむくろを地面に横たえる。眼、鼻、口の部分に穴が開いている黒い頭巾を頭から被り素顔を隠している。口の部分からおびただしい出血があるのは、恐らく自ら舌を噛み切ったからだろう。

「逃走でなく、自害を選ぶか。只の暗殺者ではないな」

 エンプレスは苦虫を噛み潰したような後味の悪さを感じていた。

 金銭で雇われた者であれば、自らの命を捨ててまで依頼をこなす事は皆無だ。だが、この暗殺者たちは捕縛されそうになったら自ら命を絶つ事を前提として襲撃してきたと考えて、まず間違いないと思われた。問題なのは、どのような理由で誰に命令されたかであるが、死体となってしまった暗殺者には訊きようも無い事だった。


「ギルド長が目覚める前に、素顔を見ておきますか」

 アンジェリナが年長者のエンプレスに意見を求める。

「そうじゃな。あまり気持ちの良いものではないが、出来る事はやっておくか。アンジェが生きたまま捕縛できなかったのだから、ウルフのほうもおそらく無理じゃろう。まあ、返り討ちにあっていなければ良いがな」


「生憎、あんな下衆に遅れを取る俺ではないよ。戦乙女の加護が付いているからな」

 エンプレスの声が聞こえていたのか、腰に挿した以前の愛剣「ワルキューレ」の柄を叩いて、帰って来たウルフが胸を張って威張った。アンジェリナと異なり手ぶらであるのは、暗殺者が崖から飛び降りたため死体を持って帰れなかった事が原因だった。

「何じゃ、生きておったか。戦乙女とやらの眼もとんだ節穴と言う事か」

「どう言う意味だ」

 冷淡なエンプレスの言葉にウルフが凄みを効かせた声を出す。またいつもの漫才が始まりそうになったので、アンジェリナが割って入る。

「お二人とも、取り合えず死体の検分をしましょう。不毛な痴話喧嘩は後にしてください」

「……アンジェリナ殿に言われると、妙に傷つくな」

「奇遇じゃな。わらわもじゃ……」

 肩を落とす年上の二人を無視してアンジェリナは暗殺者の血を吸って重くなった頭巾に手をかけ、少し離れたところで五郎丸に付き添っているリンカとラングレーに声をかける。

「リンカ殿とラングレー殿も申し訳ないが立ち会って頂きます。先程の奇襲は誰が狙われたか定かではありませんので、暗殺者がお二人の知り合いでないか確認して欲しいのです」

 返事を待たずアンジェリナは頭巾を顔から引き剥がした。


「こやつの顔、見たことがあるぞ」

 死体を見慣れておらず、血の匂いに顔を背けるリンカとラングレーの横でしげしげと暗殺者の顔を覗きこみエンプレスは腕を組んで考えこんでいる。

「俺も見覚えがあるな。確か蒼雲ギルド所属のプラチナランクの者だったと思うが」

 ウルフが先に糸を手繰り寄せ、記憶の箱の中から暗殺者の生前の姿を言い当てた。

「あの不正ギルドの者か……」

 ウルフの言葉に自身の記憶を合致させたエンプレスが改めて暗殺者の顔を覗きこむ。

 蒼雲ギルドとは、つい一年ほど前に国の土木局との間で談合が発覚し強制解散させられた曰く付きのギルドだ。談合だけでなく採取が禁止されている稀少鉱物レアメタルの密売や、人身売買なども行っていた事実が後日解明され、亜人種であるドギニーのギルド長は最後まで無罪を主張していたが人心を惑わせた魔女として火あぶりによる死罪を言い渡され、刑の執行後に焼け爛れた死体は城下町の広場に晒された。また所属していた冒険者は全員ギルド運営本部から永久追放され、二百人近い冒険者が路頭に迷う事になった。

 厳罰を受けたのはギルドだけで、土木局はあくまで被害者であると言う姿勢を崩さない国に対し「処罰が不公平だ」との冒険者からの反感の声も少なからず上がったが、倫理観の低い冒険者の淘汰を望んでいた民衆は国を支持し、事態は表面上沈静化した。

 この事件の後、国のギルドへの監査が厳しくなったのはエルドラゴに住む者なら誰でも知っている事である。土地を仲立としたエルドラゴ王国とギルドの主従関係も磐石ではなく、冒険者が皆聖人と言う訳でもない。それらを知らしめた大きな事件になったのである。

「民を騙して甘い蜜を吸い続け、没落したプラチナランクの成れの果てがこれか。……いただくマスターを誤ったな。安らかに眠れよ」

 怒りや憎しみではなく、哀れみを滲ませた声でエンプレスが呟き、胸の前で十字を切る。


「さて、こやつの正体は判ったが、経緯や背景まではわらわたちでは推測する事もできん。ここは五郎丸の知識と悪知恵に頼るしかないな」

 解毒と止血をされケビンに見守られて静かに眠っている五郎丸を見遣り、死者への祈りを終えたエンプレスが腕を組んで嘆息する。

「ケビン爺さんの話も聞かにゃならんし、暗殺者の出所も突き止めなければならん。ドラゴニアからフィアンマータとやらを助け出すだけで終わりと言う訳には、どうやらいきそうも無いか」

 ウルフも肩を竦めて苦笑いしているが、厄介ごとが大好物のこの男は、今の状況を楽しんでいるようにも見えた。アンジェリナも同感で、このまま事が済むと楽観的に考える事は出来なかった。



「フィアンマータ……」

 眼を醒ました五郎丸は開口一番、そう呟いた。その名を聞いたケビンが一瞬眉をひそめる。

「何じゃ、いきなり。フィアンマータがどうしたのじゃ。クナイの毒が脳にでも廻っておかしくなったか」

 エンプレスが訝しげに五郎丸の顔を覗きこむ。

「ずっと誰だか思い出そうとしていたのだ。いずこかの王族の血を引く御子でフィアンマータと言う名のご令嬢が居たか。浅はかだったよ。現存する王家とは限らないのだからな」

 エンプレスの憎まれ口を無視して上半身を起こした五郎丸はさらに続ける。

「五年前の大戦の終戦を機に、エルドラゴは隣国スミュルナ公国を併合した。元々数百年の間、冊封さくほう関係にあり、半ば属国のような扱いであったし、王家も家臣もろとも魔物の襲来で全員が亡くなったとされていたからな。一部自治を認めるなど、住民に配慮していた事もあり併合に関して大きな反乱や蜂起は見られなかった。スミュルナ公国の王妃は早くに亡くなられたが、国王は大戦が始まるまで亡き王妃に似て美しく、武芸にも秀でた一人娘をたいそう大事に育てていたと聞く」

「そのスミュルナ公国の王女がフィアンマータだったと」

 アンジェリナが合いの手を入れる。

「いや、待て。亡くなられた王女の名はブリガンティアだった筈だ。そのまま「王女」を意味する珍しい名前だったので忘れようがない。たった五年前の事だ。俺の記憶は間違ってないと言い切れるぜ」

 ケビンに次いで年長のウルフが異議を唱える。冒険者であれば、自国はもちろん隣国の情勢にもある程度精通してなければならない。正しい知識は何より自分が生き残る手助けをしてくれるからだ。

「ウルフの記憶は正しい。だがそれは今から十三年前、彼女が家督を継げる十六歳になった時に付けられた名だ。珍しい名前なので皆、そちらを鮮明に憶えていた。フィアンマータはその王女の幼名だ。エルドラゴでは珍しい名前ではない。大戦が終結してから五年間、どんな理由があるかまでは解らんが、公の場に出てこなかったのだ。隠れて暮らすには都合の良い名前だったのだろうよ」

「眠りながらそんな事まで思い出そうとしておったのか。十三年前に変えられた隣国の王女の幼名を思い出せるとは、いつもながらお主の記憶力と想像力には驚かされるわ。じゃがその推測が正しいかどうかは判断できかねるじゃろう。それこそフィアンマータは珍しい名前ではない。エルドラゴを憎む人間が成りすまして名乗ったとしてもおかしくない話じゃぞ」

 エンプレスが腕を組んで感心しながらも、疑問を投げかける。


 確かに現在のエルドラゴ王国の近隣諸国との外交は、在るべき姿からはほど遠いと言える。大戦が終結した後もエルドラゴ王国は疲弊した国力を近隣諸国に見せない為に軍事力の誇示を計り、ギルドの冒険者による兵力の増強だけに留まらず、大魔法の発明、練成技術の向上、古代兵器の解析などの最先端技術を用いた兵器の抑止力によって仮初めの平和を保って来たと言っても過言ではない。

 隣国との国境争いの戦に連勝し領土を広め、財政を建て直し国を潤した国民の精神的支えであった先代の王が開戦後突然逝去し、王宮騎士団は魔物の襲来により壊滅、王都も戦場になった。その後、まだ二十歳にもならない王女が即位すると同時に自衛のための冒険者を国内外を問わず募り、時を同じくして現れた五人の龍の守護者の活躍で辛くも戦勝国となってから既に五年の歳月が流れたが、国を冒険者と言う傭兵に守って貰っている状態が続いているのがエルドラゴ王国の実情だ。軍事力優先の政策が採られ、国の内外に敵が存在する不安定な今の国政では、転覆を目論む者も少なからず存在すると言う事は否定できない事実である。


「確かに成りすます事も可能だが、ちゃんと証人もいる。俺の考えは正しいよな。ケビン爺さん」

 五郎丸の一言で全員の視線が一斉にケビンに注がれた。

「話してもらってよいか。お主の数奇な運命を」

 それまで五郎丸の話を眼を瞑って聞いていたケビンは、一つ息を吐き出すとゆっくりと眼を開き一同を見渡した。

「フン。何もかもこの大男はお見通しと言う訳か。国のギルド案内所の推薦は間違っていなかったと言うことかの。……確かにワシが五年間お預かりしていたのは旧スミュルナ公国、王女ブリガンティア様じゃった」

 そう切り出して、ケビンは昔語りを始めた。

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