暗躍 (挿話其二)
数日前。
堆く研究の書類が積まれた王宮図書館の一室に「国立古代兵器研究所」と言う仰々しい名前を賜った部屋がある。インクの匂いや、本がかびた様な匂いが充満する薄暗い室内。昼であるのにも関わらずカーテンが閉められているのは、この部屋が外界との接触を故意に断っているためであると思われた。机の上の山のような書類にろくに眼も通さず、次々と署名をしている上司の姿がある。
「仕事よ」
黒ぶちの眼鏡と聡明な輝きを放つ双眸が理知的な印象を与える女性だが、どこか満たされない感情を内在させているような、憂いを孕んだいつもの声で上司が短く告げる。
「畏まりましてございます」
恭しく一礼する部下に眼もくれず、上司は手にした書類の一部を投げてよこした。とあるギルドについての報告書のようだ。大戦が終わってから五年。戦勝ムードは遠い昔の栄光となり、軍部は不正と堕落により弱体化する一方で、それに反比例しギルドの影響力は日に日に増してきている。「このままでは国はギルドに喰い潰されてしまう」と言うのが上司のいつもの口癖だ。
「このギルドは危険よ。あまりに実力者が集まりすぎている」
受け取った報告書にざっと眼を通す。規模は大きくないが、所属人数に対するプラチナランクの冒険者の割合が極めて高い。また依頼の大小や重要性を問わず、達成率も群を抜いている。そして何よりも眼に付くのが、このギルドが王家の勅命を受ける事もある国の直轄ギルドであると言う事だ。このまま成長すれば、軍部にも大きな影響力を及ぼすことが容易に予想され、軍の凋落が続くようであれば、ギルド出身の冒険者の王宮騎士団などへの登用の可能性も出てくる。
「こんな余所者の集まりに、大きな顔をさせられないわ。エルドラゴの国は私たちエルドラゴの民で守るものよ」
排他的な感情は、自分たちだけが特権を与えられてきた者たちの危機感と焦燥を表しているようだった。
「お言葉ですが、我々の仕事は国と王家をお守りする事。軍部も研究者も冒険者も関係ないと存じますが」
なるべく感情を押し殺した声で部下は答える。
「知った風な口をきかないで。まあ、良いわ。こいつらには最初の実験台になってもらう事だし」
美しい顔に湛えた冷たい笑みが、この人物の冷徹さを表しているように部下には思えた。
「実験台と言うと、もしかして……」
「そう、ドラゴニアは完成した。今こそ頚木を解き放ち、国防の尖兵となるのが誰なのか知らしめてくれよう」
上司の声がうわずり、熱を帯びていく。
「後は実戦兵器としての実力を元老院に示すだけ。国直属のギルドであれば相手にとって不足はないわ。保守派の年寄り共も納得せざるをえないでしょう」
「あまりに危険過ぎませんか。まだ統率下にあると言い難い兵器を実戦で試すなど」
「召喚は成功した。巧く行けば邪魔なギルドの奴等を始末できる。万一失敗しても実戦記録を入手することは出来る。どちらに転んでも損はしないわ」
部下の進言を一蹴して上司は再び口角を吊り上げた。
「あなたはその万一の時の保険よ。あなたの仕事はあのギルドに潜り込み内情を探る事、或いは謀反の罪をでっちあげても良いわ」
「私は一介の研究者です。間者(スパイの事)のような真似は出来ません」
きっぱりと言い放つが、そのような言い訳が通じる相手ではないと最初から解っていた。
「あなたに拒否権はないわ。部下の生殺与奪は全て私が握っているの。誰のお陰で今まで研究者で居られたか、忘れた訳でもないでしょう」
重い沈黙が部屋を支配する。部下は諦めて無言を返事にした。
「失敗はあなたの死を意味する。全ては国防の為、命を張って仕事をしてらっしゃい」
お互いに今生の別れである事は解っていたが、それを惜しむ感情は持ち合わせていなかった。
いつになく晴れやかな上司の微笑を目にする事無く、部下は一礼すると顔を上げずにそのまま振り返り、研究室を後にした。