名刀
「まさか、生きている間に備前長船が鞘から抜かれる日が来るとは思っていなかったわい」
五郎丸に向かって刀を投げ、結果として一行の窮地を救う事になったケビンが、感慨を込めて述懐する。ケビンは当然と言った素振りで戦闘の後、アンジェリナたちに同行している。
先程戦闘が行われた広場から山頂へ伸びる道を少し登り、火山性のガスが薄くなった所まで移動してから、一行は少し休む事にした。ここまで来れば、ムスペル山の頂上にある古城ギンヌンガまでもう間もなくと言う所である。
「爺さん。まさかとは思うが、俺たちが刀を預けるに足る人物かどうか見極めてから、機会を窺って助けに入ったんじゃないだろうな」
些か都合が良すぎたケビンの登場に、五郎丸が疑いの眼を向ける。
「はっ、賢しげな。ワシが機会を窺おうが窺うまいが、備前長船の力で主等が助かった事は明白。それ以上を知ったところで詮無き事とは思わんか」
豊かな口髭を摩りながら、ぬけぬけとケビンは言い放つ。
「否定しないとは、なかなか肝が座った爺さんだな」
「主等が助かったと言う事実だけで、この場は充分じゃろう」
切り札である筈の刀を手放してしまっているにも関わらず余裕を見せるケビンに、「思ったより喰えない爺さんだ」と内心で思いつつ、五郎丸は先刻の戦闘を思い出した。
それは誰もが信じられない光景だった。アンジェリナの手によって抜刀された備前長船はエンシェントドラゴンの鉤爪を受けとめると、五郎丸が稀少鉱物で練成された武器で攻撃しても全く歯が立たなかった鱗を軽々と切り裂き、鉤爪のついた指ごと両断した。鋭い爪の付いた人間の下腕ほどの長さのドラゴンの第一関節までの指と鮮血が地面に落ち、奇声を上げてエンシェントドラゴンはその場から飛び去ってしまったのだ。ただ一太刀でエンシェントドラゴンを撤退させるほどの力を持つ刀を五郎丸は初めて見た。
ラングレーが魔法の使用で多少消耗したが、時間が経てば回復する程度のもので、エンプレスの火傷はアンジェリナの魔法で充分回復できる軽傷だった。アンジェリナの持っていた無銘の刀が使い物にならなくなったのと、エンプレスの盾が限界まで傷んでしまった物的損害は出たが、被害は最小限と言って良い。
戦利品はエンシェントドラゴンの爪と切り落とした指に付いていた鱗。これらは相当希少価値が高い素材で、ラングレーに預かってもらう事になった。後日加工した武具を優先的に五郎丸のギルドに供給してもらう事で双方の利害が一致し、ラングレーの工房と五郎丸のギルドの蜜月関係は暫く続く事が予想された。そして流れ出たエンシェントドラゴンの血液は万病に効く薬の原料になる事で有名だ。エルドラゴの市場では、金と同等かそれ以上の価値で取引される。染み込んでしまう前に地面から慎重に採取し、リンカが小瓶に入れて持ち帰る事になった。換金はせず、エンプレスの労該を癒す薬をリンカに精製してもらうことに決めた。
エンシェントドラゴン相手の戦闘だった事を考えれば、出来過ぎとも言える戦果である。
「この刀はワシが仕えていた御館様から賜った物じゃ。元は奴国の随一の刀匠である長船から御館様に贈られた物で、御館様が愛用しておられた刀じゃった。永く肌身離さず帯刀していたが、ワシには抜く資格がなかったらしい。刀は持ち主を選ぶと言う。幾年も仕えてきたワシを差し置いて、こんな小娘が選ばれたのは癪じゃが、持っていくが良い」
岩場に腰掛けながら、どこか清々しい声でケビンはアンジェリナに刀を譲ると申し出た。
「そんな大事な刀。私が頂戴しても良いのですか」
アンジェリナは、申し訳なさそうにケビンに視線を送る。
「言ったであろう、刀は持ち主を選ぶと。備前長船も自分の力を正しく遣ってくれる新しい主が決まって嬉しかろうて」
確かに軽くて扱いやすく、恐ろしく切れ味も良い。しかも魔力を帯びているので防御にも適している備前長船は、アンジェリナの理想に近い剣だ。ただ、剣は所詮剣でしかない。相手を傷つけ、殺める道具であると言う定義からは逃れることはできない。もしこの刀に本当に意思があるとすれば、より多くの相手を殺す事を望んで、自分を持ち主に選んだのかと思うと、アンジェリナは素直に受け取る気持ちにはなれなかった。
「きっと、これがあなたを待っていた刀。必ずあなたの行く末を切り開いてくれるわ」
そうラングレーに言われ、アンジェリナは手にした刀を改めて見つめた。もう一度鞘から抜いて刀身を確かめてみる。先程の眩いばかりの光を今は発しておらず、備前長船はまるで眠ってでも居るかのように、鈍く陽光を反射させるだけであった。物憂げな表情の自分を映し出す刀身を静かに鞘に収める。今、再びエンシェントドラゴンが襲ってきたら、先と同じ事をして追い払う自信はアンジェリナには無かった。ドラゴンのブレスに危険を感じ、五郎丸の手から無意識に刀を抜いた瞬間、流れに任せてエンシェントドラゴンを斬りつけていた。あれは自分の意思だったのか、それとも……。
「頂いておくと良い。それが武人の情けと言うもの。その剣で人を、そして自分自身を救うも殺すも持ち主であるアンジェリナ殿次第と言う事さ」
堂々巡りの思考に陥っていたアンジェリナに五郎丸が声を掛ける。その言葉が気休めで無いことはアンジェリナにも理解できた。正しく遣われてこそ力は真の役割を発揮するもので、徒に振り回せば良いと言うものではない。身に余る力は時に自らを滅ぼす事も有りうると言う事実を、アンジェリナは先の大戦で哀しいほど学んでいた。
「あなたは、私に何を望んでいるの」
アンジェリナの問いかけには答えようとはせず、備前長船は静かに鞘に納まっているのみだった。