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記憶 (挿話其一)

 漆黒の空に銀色の月が輝く秋の夜だった。

 地平線の彼方まで遮るものなく無限に広がる夜空に、数え切れないほどの星の瞬きが散りばめられた天上の幻想的な景色には大した感慨も持たず、男は地上に広がる果てしない不毛の荒野を見つめていた。


御館様おやかたさま。そろそろ寝所へお戻り下さい。夜風でお体を冷やしてはなりません。どうぞ、ご自愛賜りますよう」

 恭しく膝を着いて自分にそう告げた臣下を一瞥しただけで、男は再び目の前の荒野に視線を戻した。

「都を追われて幾星霜。この武蔵の原になら理想郷を築く事が出来る。利権に群がる貴族、皇族どもの呪縛から解き放たれ、誰もが自分の為に生きる事が出来る邦をわしは造ってみせる。たとえ朝廷に仇為す存在になろうと、民がまつりごとの中心となる世界をこの身を賭して実現させてみせようぞ」

 既に数え切れない程の人血を吸ってきた愛刀の柄を強く握り締め、理想の為に失われた命への自責の念から自らの唇を噛む。

 男の決意に月は何も答えず、ただ冷たい光を地上に降らせ続けていた。


 それは、遠い記憶。


「これは私の記憶ではない。でも何故、この人はこんなにも自分を慕う人々の平穏を望みながらも朝敵となってしまったの。倒されていく家臣たち、蹂躙される理想郷。女子供も慰み者にされた後、容赦なく殺され大地には多くの血が染み込んでいく。いつしか憎しみだけが生きる原動力となり、自らの首を刎ねられた後でも怨嗟の念が晴れる事はついぞ無かった」

 意識を共有する寂しげな女の声が、記憶の主の心の海に波紋を広げる。果てる事のない闇の中に自分の肉体の存在を感知できるが、ここがどこであるかは全くわからないままだ。


「お主とて、国を追われた身であろう。再び一族の血が国を治める事を切望し、わしの力に縋った。その野心、女にしておくには余りにも惜しい」

 自分の頭の中に響き渡る自分では無い者の声に違和感を感じながらも、女は取り込まれまいと強烈に自我を意識した。

「私は私。あなたの依り代ではないわ。父様、母様の愛した国をもう一度取り戻したい。その為なら利用できるものは何でも利用する。それがたとえ、この世ならざる物の力でも」

 言い放った女の声は呪詛の念で激しく揺らいでいた。


「気に入った。流された血が、更なる血を求めるだけとなった連鎖を止めるため、わしの力暫しお主に預けよう。おのが正義を貫いた時、お主の眼に何が映り、何がその手の中に残っているか、楽しみにしておるぞ。我が未来の妻よ」

 それだけ言い残すと、男の気配は消えた。


「許しはしない。四百年もの間、冊封さくほうと言う鎖で我が国の民を縛り、搾取を続けてきたエルドラゴを。魔族の軍勢が攻め込んで来た時、エルドラゴから見捨てられどれだけ多くの民の血が流れた事か。父様と家臣たちは殺され領土は終戦の混乱に紛れ併合された。もはや国土を返して貰うだけでは、我が一族の恨みは晴らせぬ」

 邪神となった男に取り込まれずに済んでいるのは、この狂気の念だと言う事を女は自覚していた。

「誰にも、邪魔はさせない」

 最後にそれだけ呟くと、女の意識は急速に遠のいていった。


 意識がなくなり無限の空間を無為に漂う女の瞼から、一筋の涙が零れた。

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