胎動
前作の続きになります。ギルドの冒険者アンジェリナと仲間たちの新たな物語です。よりお話を愉しんで頂くには、前作をお読みになることをお勧めします。
深く暗い闇の深淵。この空間に広さや時間の概念があるかさえ定かではない。
他に何も存在を確認できない闇の中に、妖しく輝く邪心に満ちた焔が揺らめいている。
「遂に見つけたぞ。古き国の血を引く我が契約者に相応しい存在を。若く強靭でしなやかな身体。逞しい精神力。そして強い野心。我が依代として申し分ない。この娘、わしが貰い受ける」
焔は揺らめきながら光を増し、やがて人の影を作り出していった。
エルドラゴ城外の北西の平原の一画、内海を見渡せる崖の上に大理石で出来た二階建ての建物がある。夏の日差しが惜しみなく降り注ぐ庭の花壇にはマリーゴールド、ダリア、ジニアなどが其々の美しさを競うように咲き誇っている。
煉瓦造りの家々が立ち並び、整然と石畳が敷き詰められたエルドラゴの城下街には街全体に熱が籠り、この時期日中の気温が三十℃に達する日も多いが、海風が吹き上げてくる内海に面し、緑に囲まれたこの邸宅は城下街より五℃程は涼しく感じられる。エルドラゴの冒険者、アンジェリナの住む館である。
いつもはひっそりとしているこの館の一階の広間とバルコニーに、珍しく多くの冒険者が集まっている。今日はギルド内の冒険者ウルフの誕生日である。生来のお祭り好きのこの男は、毎年自分の誕生日にギルドの仲間を集めて飲み明かすのを楽しみにしている。「自分の家では気兼ね無く祝ってもらえない」と言う根拠のない持論により、必ず毎年一人ギルド内から会場を提供させられる犠牲者が出る訳だが、今年はアンジェリナがその貧乏籤を引かされた。
この館の使用人である世話好きなラビニーのアイリスが不平一つ言わず、寧ろ嬉しそうに会場の準備をしてくれた事がアンジェリナにとって唯一の救いであった。
出席者は三十人程。長の五郎丸は勿論、ギルド内の名だたる冒険者のほとんどがアンジェリナの邸宅を訪れている。バルコニーの一番端のテーブルに、ブリギッドの武器商人と黒猫を連れた看板娘の姿も確認できたが、アンジェリナは敢えて見ないふりをして、この一行との接触を断った。
それぞれの円卓には、アイリスが朝から用意した夏野菜の盛り合わせ、鳥のもも肉の香草焼き、豚肉のシチュー、根菜とベーコンのバター炒め、アグニ砂漠のサボテンステーキなど、豪華とは言えないが、色とりどりの料理とバルドル産のワイン、ブリギッド産の麦酒、そして奴の国産の清酒が並べられている。
アンジェリナは一階の一番奥の主賓席がある円卓に座り、五郎丸、ウルフ、リキュール、エンプレスが同じ卓を囲んでいる。もっとも、ウルフは酒瓶を片手に千鳥足で各席にお祝いの言葉を貰いに行っているので、実際席に座っているのは四人である。
五郎丸はいつもの白いローブを身に付けており、足元には愛用の金色の斧が置かれている。アンジェリナは甲冑は着ておらず、刺繍の入った涼しげな魔力を織り込んだ絹服を着ている。酒が苦手なアンジェリナと五郎丸は取り合えず食べる事に専念し、久しぶりの平穏を謳歌していた。
だが、冒険者の気質は捨てられず、食事中であっても話題に登るのは、新技術の導入によりエルドラゴ国内で生産される武器が増えたこと、各地でゲリラが暗躍していること、次元の狭間に冒険者が取り込まれる事件が多発している事などである。
「やはり、暑い日には冷たい麦酒が最高だな」
アンジェリナの隣に座るリキュールは食事もそこそこに切り上げ、グラス四杯目の麦酒を喉を鳴らして飲み干すとしみじみ語った。
「ふん。アルコールなら何でも良いのであろう。お主は消毒液でも酔えるのではないかと評判じゃぞ。それに最近呑んだくれて、技量の習得が他のメンバーより遅れているそうではないか」
エンプレスが夏野菜を口に運びながら忠告する。
「心配ご無用。エンプレスも病のせいで、身体が弱っているのではないか。そろそろ衰弱に向かっている表れだろう。悪い事はいわんから、寝たきりになった後の蓄えをしっかりしておけよ」
結構えげつない事を、酒が回っているリキュールは言い放つ。
「わらわはお主のように、身体と魂がアルコールでふやけておらぬのでな。自分の命を真っ当に燃やしたいと考えておるだけじゃ。現世の柵に縛られ老後を心配するお主とは覚悟が違うと思うておけ」
今回の舌戦もエンプレスの勝利のようだ。この二人は顔を合わせれば憎まれ口を叩き合うが、一度剣を抜けば必ず連携を取ってパーティーを支えてくれる不思議な間柄である。
各々が食後のひと時を満喫していると、給仕の手伝いをしに来ている五郎丸の使用人であるミランダが一礼してアンジェリナたちの卓に歩み寄ってきた。
「どうした。何かあったのか」
五郎丸がミランダの様子に気づき、先に声をかける。
「はい。お寛ぎのところ申し訳ありません。ギルドに依頼をしたいと言う方がみえております」
申し訳なさそうに、ミランダが用件を告げた。
「悪いが今日は忙しい。また後日にしてもらえ」
五郎丸は食後の氷菓子を食べる匙を止める事無く、素っ気無く答えた。
「はい。わたくしもお引取り頂くよう申し上げたのですが、どうしてもと聞かず」
ミランダが五郎丸に事情を話していると、後ろから声がした。
「なんじゃ、忙しいと聞いて来てみれば、昼間から酒を呑んでいるだけではないか。国直属の優秀なギルドが聞いて呆れるわい」
卓にいた全員が声のした方向に視線を向けると、一人の老人の姿があった。日に焼けた褐色の肌。白い頭髪と同じ色の口髭をたくわえ、奴の国産の甲冑を着込み、珍しい刀を腰に下げている。一見冒険者風の出で立ちだが、その背丈は椅子に座っている五郎丸より小さい。恐らく百四十センチほどだろう。
「失礼だが、貴公は」
アンジェリナが老人に問う。
「わしはケビン。急ぎ頼みたい事があって、国のギルド案内所でここを紹介されたが、なんじゃこのギルドは。若造ばかりで昼間から酒を煽るだけの集団のようじゃな」
ケビンと名乗った老人は両手を大袈裟に広げて呆れている。
「他人の祝いの席に無断で入ってきて偉そうな事を言うな。何がケビンだ。どう見ても奴国出身のくせにエルドラゴ風の名前を名乗りやがって。だいたいその立派な刀があれば、ギルドに頼らなくとも、爺さん一人で解決出来るんじゃないのか」
五郎丸は恐らく同郷であろう冒険者が身に付けている、珍しい刀を見落とすことはなかった。
「ほう。刃を見ずともこの刀の良さが解るか。これは我が備前の邦の刀匠、長船がこさえた業物でな。この国に出回っている鈍とは別次元のものじゃわい」
ケビンは自慢気に鼻を鳴らした。
そこに一度下がっていたミランダが駆け寄ってきた。
「申し上げます」
ただでさえ白い顔をさらに蒼白にさせて、自分の主に急の知らせを告げる。
「ナーモ平原に謎の巨大兵器が現れ、エルドラゴ城に向かって北上中。詳細は不明ですが、相手は竜の加護を得た巨大兵器に酷似しているとの事。平原の守備隊は壊滅。急ぎ城門の警護にあたって欲しいとの国からの最優先要請です」
アンジェリナをはじめ、その言葉を聞いた全員が立ち上がった。
「全員に通達。我がギルドは国の要請を受け、直ちに城門の警護に向かう。各自装備を整え出立せよ。指揮は城門で直接俺が執る。遅れたものは今月の禄は無しだ。以上。解散」
五郎丸が大きく右手を挙げて指示を出すと、その場に居た冒険者たちは直に行動を開始した。和やかな雰囲気だった広間は一瞬で緊張に包まれた。
「自らの力を抑えきれなかったか。じゃが、わしが必ず救ってやる」
広間が慌しくなるのを尻目に、ケビンは一人呟いた。
夏の日差しは南中を向かえ、さらに熱く地上に住まう人々を照らそうとしていた。