卒業式
仏壇のお輪をならしそっと写真の中の母に手を合わせる。
「よし。」
自分自身に気合を入れて立ち上がる。階段を駆け上がり、廊下の突き当たりの部屋の扉を勢いよく開ける。
「お父さん起きて!!早くしないと式に送れるよ!!」
父が寝ているベットの横を通り過ぎカーテンを思い切り開け放す。ついでに窓も開けて空気を入れ替える。
例年よりも2週間も早い満開の桜に世間が浮き足立っている3月下旬、例年よりも暖かいとはいえまだまだ朝は冷え込む。
「う~ん。」
お父さんの所まで冷たい空気が行ったのだろう唸り声を上げながら布団の中へと潜り込んでしまった。
「もう。早く起きて。遅刻しても知らないよ。」
そう言いながら布団をはがす。低血圧の父を私は毎日こうして起こしてきた。起き上がった父を確認すると朝食準備のためキッチンへと向かう。身支度を済ませた父がダイニングテーブルで新聞を読み、TVからは朝のニュースが流れる。白ご飯に味噌汁と焼き魚、それにお漬物。手早くテーブルに並べふたり仲良く手を合わせてから食べ始める。
『どんな時でも朝食は一緒に食べること。』
仕事で帰りの遅い父が私と会話をするために作った我が家のルール。
どんなに喧嘩してても朝食だけは一緒に食べた。
友達と飲んで終電を逃してしまっても、必ず始発で帰って朝食は父と一緒に食べた。
進路の話も就職の話も彼氏の話も全部朝食を食べながらだった。
それも今日で最後
「忘れ物はないな?」
「うん。全部詰めた。」
明日から私はこの家を出て新しい家で暮らし始める。引っ越しも昨日のうちに済ませ、22年間過ごした私の部屋ももぬけの殻となった。
「そうか。困ったことがあれば何でも言えよ。」
向かいに座る父を見る。
「ありがとう。早く食べてしまおう。本当に式に遅れちゃう。」
「そうだな。」
こんな会話も今日で最後
「お父さんもそうしてればまだまだ若く見えるね。」
今父が着ているのはいつものイチキュッパのスーツではなく、今日の日の為にふたりで選んだモーニング。髪の毛も軽くセットしてもらって、まるで別人のようだった。
「見えるんじゃなくて若いんだよ。皐もそうしてれば、おしとやかに見えるぞ。」
「もう…。」
そう言って笑った父は確かに若かった。
控え室の窓の外は雲ひとつなく晴れ渡った晴天。今日は私が父から、父が私から卒業する日。嬉しいはずなのに、自分から言い出したことなのにやっぱり少し寂しい。
鏡を見ながらネクタイを結ぶ父。ジャケットの襟が捲れているのを父の後ろに回りそっと直す。
「…お父さん。」
「ん?」
目の前に広がる父の背中にそっと語りかける。
「私ね、今日まで幸せだったよ。確かにうちにはお父さんしかいなくて嫌な思いもしたよ。でも今はそれすら笑い話に出来る。それはきっとそれ以上に楽しいことや嬉しいことがあったからだと思う。」
喧嘩して家を飛び出した日もあったね。
悪い男に引っかかった時もあったね。
べろべろに酔っ払って帰った日もあったっけ?
出来の悪い娘でごめん。
いっぱい心配をかけたでしょ。
たくさんの気持ちを込めて後ろから父に抱きつく。幼い頃、帰宅した父が革靴を脱ぎ終わるのを待ちきれず後ろから抱きついたあの時のように。
「今日まで本当にありがとう。私はもう大丈夫だから、今度はお父さんが私の分まで幸せになってね。」
「…。」
「行こっか。そろそろ時間だよ。」
何も言わない父の背中をぽんと軽く叩いて先に控え室を出た。
「式の前に泣かしてどうすんだよ。」
そう言ってハンカチを差し出してきたのはこれから兄になる予定の義明さん。ハンカチで垂れ始めた鼻水をふき取る。洗って返すからと言えばやると断られてしまった。
鶯の声が聞こえてきそうな程暖かな陽気
大安吉日の今日、父は結婚する
ホテルに隣接して立てられた昔ながらの小さなチャペル。
木の扉が開きキャンドルを持った女性二人が聖歌を歌いながら入ってくる。その後ろに神父様、そして新郎である父が少し緊張した面持ちで一礼してから入って来た。
新郎ではなく老郎だと父は笑い飛ばしていたが、父はまだ40を過ぎたところだ。二十歳かそこらで母と学生結婚をした。私が3歳になる頃に母は亡くなった。それから20年父は男手一つで私を育て上げた。自分のことは二の次で、いつも私の事を一番に考えてくれた自慢の父。
父が祭壇の前に着くと新婦の美穂子さんが息子である義明さんの腕に手を添えて一緒に入って来た。シンプルなAラインのウエディングドレスを美しく着こなす美穂子さんは父より2歳年上で、美穂子さんもまた18歳で義明さんを産み女手一つで義明さんを育て上げた人。ついでに最後までバージンロードを歩く事を嫌がった義明さんは私の五つ上。奨学金とモデルのバイトで大学院まで行った凄い人。そして口は悪いが、母の幸せの為に年下の私に頭を下げられる優しい人。
美穂子さんと義明さんが祭壇の前にたどり着く。父と義明さんが一礼した後、美穂子さんは義明さんの腕から手を離し父の腕に手を添えた。
義明さんが新婦側の席に立つのを確認すると、父と美穂子さんは一歩づつ確かめるように神父様の前へと進んだ。
神父様の後ろ、十字架が掛かるステンドガラスから差し込む色とりどりの光。
光の筋を作りながらふたりの上に降り注ぐ光景は、まるで神もふたりを祝福しているように思えた。
これから二人の誓いが始まる。
「行ってきます。」
これからハネムーン代わりの温泉旅行へ出かけるふたりを二人の友人たちとホテルの前で見送る。
「行ってらっしゃい。」
遠ざかる車を見えなくなるまで見送り、二次会へ繰り出すおじさん達にお礼を言いながら見送る。
そして、ホテルの前には私と一緒に見送っていた義明さんだけになった。
私と父の卒業式は無事に終わりを告げた。
「これからよろしくね、お兄ちゃん。」
隣の義明さんに向き直り右手を差し出す。
「よろしく。」
苦笑いしながらも右手を差し出してくれた。
二人並んで駅へと向かう。
明日からは新しい日々が始まる。
卒業式じゃないじゃん!!その通りです。とある親子の結婚式のお話です。
結婚式とは新郎新婦にとっては新たな門出の一大イベントですが、送り出す側からすれば、親子関係の卒業なのかなと思い、「卒業式」というタイトルをつけさせていただきました。
結婚式と分からないようになるべく勘違いしてもらえるように曖昧に書いたつもりですが、いかがでしたか?
騙された方、ありがとうございます。
騙されなかった方…精進します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも引き続きヒロタをよろしくお願いいたします。
追伸、
試験的にtwitterにアカウントを作りました。詳しくはヒロタのページをご覧ください。