最初の事件
今、僕は目の前の血の海に横たわる唯一の家族、いやさっきまで家族だった父親の肉塊を前に呆然としている。
この力がどうして僕に備わったのかなんて、僕には分からない。ただ、初めてこの力を使えるようになったのは小4の時だった事だけは、今も鮮明に覚えている。
僕の小学校には広い校庭の片隅に体育準備倉庫と言う平屋建ての建物があった。そこは瓦葺の屋根になっていて、ボールを屋根に投げて落ちてくるのをキャッチすると言う遊びが一時流行った。
屋根の上に乗っている間、ボールは見えない。突然、どこかから落ちてくる。それをさっと、取るのだ。
その日、僕は友人二人と、そこに行った。そこにはすでに先客がいた。それも、6年生で、いじめっ子として有名な高野君が。
どうしよう?
そんな顔で、僕たちは顔を見合わせた。でも、体育準備倉庫は横に長い。隅っこでやればいいんじゃね?と言う事になって、僕たちは高野君たちを避けながら、ボールを屋根の上に投げた。
落ちてくるボールを順番に受け取っては、屋根の上に投げ返す。受け取りそこなった奴が負けである。何度か繰り返している内に、隣で同じ遊びに興じていた高野君たちの動きが止まった事に気付いた。
この屋根の下には雨樋なるものがあって、無情にも時々ボールはそこにはまってしまう。ここにはまれば、ボールは戻ってこない。どうやら、雨樋にボールがはまったらしい。
僕は少し嫌な予感がした。
そして、それは的中してしまった。
僕は落ちてくるボールを受け取ろうと、構えていた。屋根の上から、白く小さなボールが姿を現したので、それを受取ろうと落下してくる地点を目指す。そこを目指して高野君も走ってきた。
小4と小6。そもそもの体格差があるだけでなく、相手はいじめっ子である。僕にどんとぶつかって来て、僕を弾き飛ばした。そして、高野君は何事も無かったかのように、そのボールをあたかも自分たちのボールだったと言わんばかりに、屋根の上に投げて遊びを再開した。
地面の上に無残に転がり、擦り傷を作った僕を友人たちが取り囲み、大丈夫かと言う風で見ている。
僕は小さい時から嫌いな物があった。
曲がった事、力を背景に弱い者いじめをする奴。
今のはまさにそれだった。
「行こう」
友達たちは僕の腕を引っ張って行こうとする。ボールは諦めよう。そう言うことだ。でも、僕にはそんな事はできなかった。だからと言って、勝てる訳もない。そんな事は分かっていたが、僕は高野君の所に歩み寄った。
「そのボール、僕たちのだから返してよ」
高野君たちは僕の声を無視して、ボールを屋根の上に投げ続けている。
「他人のボール盗るなよ!」
僕が絶叫気味に怒鳴ると、高野君たちはボールで遊ぶのをやめて、僕の所にやって来た。
「何だって。
これは俺たちのボールなんだよ。
お前たちのボールは屋根に引っかかってんじゃねぇのか?」
「違う。
それが僕たちのだ」
「証拠でもあんのか?」
高野君が僕にボールを見せつけながら言った。悔しいけど、名前は書いちゃいない。
一触即発。これ以上、関わったら高野君が殴って来るに違いない。そう感じた僕の友達たちが、僕の服を後ろから引っ張っている。でも、僕はこんな奴の脅しに屈するのは嫌だった。体をゆすって、友達の手を振り払うと、高野君の前に出て、怒鳴った。
「証拠は無くても、それは僕らのだ。
僕の友達に聞いてみればいい」
僕の言葉が終わるかどうかの瞬間だった。友達の誰もが危惧したとおり、高野君は僕の顔面を殴り飛ばした。
飛んでくる拳を僕は後ろにのけぞって、かわそうとしたが、完全にはかわせなかった。僕の左ほほから鼻にかけてのあたりに、高野君の拳が命中し、僕はそのまま後ろに倒れ込んだ。
「うっせーんだよ!」
僕を見下ろして、高野君が怒鳴っている。今にも、僕をその足で蹴ってきそうな勢いだ。
それでも、僕は怯えたりなんかしない。僕の怒りはさらに大きくなる。
小さい頃、癇癪を起したことがある。もう僕の感情は小さい子のように、癇癪を起した。理性なんて、どこにもない。目の前の憎い奴をやっつけたい。
湧き上がる怒り。消えていく理性。その時、僕の頭の中は白いもやに覆われ始めた気がした。それと同時に、押えきれない怒りは高野君への明確な殺意になっていた。
「こんなくず、潰れて死んじまえ!」
僕の意識は理性を失い、頭のコントロールができていないのか、まだ白いもやの中をさまよっていて、現実の世界の事を感じる事はできない。
そんな僕を現実社会に引き戻したのは、何人もの悲鳴だった。
「うわー」
みなが声をそろえたように、そんな悲鳴を上げていた。僕の頭の中を覆っていた白いもやは消え去り、さっきまで遊んでいた体育準備倉庫が頭の中に浮かび上がってきた。
僕を殴り飛ばし、僕を今にも蹴り飛ばしそうな高野君の姿は僕のすぐ横になく、僕の正面では真っ青な顔で高野君の友達が立ち尽くしている。
何があったの?
僕の友達の方に振り返って見ると、僕の友達は走って逃げ去っているところだった。懸命に砂を蹴って、校舎を目指している。
高野君がまた悪い事を。
僕はそう思って、高野君の姿を探した。
前にも、後ろにもいない。さっきまで立っていた右横、離れた位置に向かって徐々に視線を移動させていく。体育準備倉庫の薄汚れた壁に何か色がついていて、そこに高野君が立っている。
ペンキか何かで、汚したのか?
何のために?
そう思った瞬間、全てが分かった。
それはペンキでもなく、真っ赤にほとばしる高野君の血だった。そして、その高野君は醜く、何かに押しつぶされたように、顔も胴体も本来の厚みを失っていた。
「うわー」
僕もさっき、みなが上げたような悲鳴を上げて、慌てて立ち上がると、校舎目指して逃げ出した。