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家族  作者: つばこ
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百花

 冬子は父方の親戚の元へ。僕は母方の親戚の元へ引き取られることになった。家は残念ながら売られることになってしまい、そこに住み続けることは叶わなかった。どうしようもなかった。当時僕はまだ10になったばかりの子供だった。


「冬子ちゃん、元気でね」


 僕は義妹にそう声かけた。冬子はかすかに頷いたように見えた。新しい家族との生活、つまり彼女との生活は1年にも満たなかった。


「そっちも、元気でね」

「冬子ちゃん、これ」


 僕は何か冬子に渡したいと思い、当時集めていた記念メダルを手渡した。


「お父さんに、東京タワーに行ったときに買ってもらったんだ」

「そんな大事なもの貰えないよ」

「貰ってよ。僕たちが家族だった記念に」


 俯いた顔の冬子に手のひらに、メダルを無理やり押し付けた。


「それじゃあ…さよなら」

「うん…さよなら」


 冬子は北海道の親戚の元へ、僕は名古屋の親戚も元へそれぞれ旅立った。


 親戚は表面上僕を歓迎してくれた。学校も変わり苗字は田中たなかに変わった。親戚の家には従兄弟も2人いて、快く僕を迎え入れてくれた。兄弟が増えた気分も味わい不自由ない生活を送ることができた。でもどこか不思議と居心地が悪く、母親と暮らしていたアパートや、父親と暮らしていた大きな家の夢を何度も見た。


 中学を卒業した僕は一人東京に出ることにした。親戚は僕を高校にまで行かせてくれると言ってくれたが丁寧にお断りした。迷惑をかけたくなかったし、5年も住んでも居心地の悪さが抜けなかったからだ。


 ひとり東京に出て住み込みで働ける仕事を探した。旅館の厨房の仕事が見つかった上、寮まで完備していたため、僕はそこで新しい生活を始めた。4畳トイレ共同のフロはない粗末な部屋だったが、親戚の家では味わえない居心地の良さがそこにはあった。食事も旅館の残り物が貰えたので、生活に困ることはなかった。


 毎日同じような仕立て料理を作り、家に帰って眠るだけの生活だった。特に趣味がなかった僕は休みの日はパチンコをうちに行き、また厨房に戻って同じような料理を作る、と言う日々を過ごした。


「おい、夏雄、お前には夢がないのか」


 ある日同僚の江藤えとうさんがそんな質問をしてきた。江藤さんはいつしか自分の小料理店を持つために修業しているんだ、と僕に誇らしげに語った。僕は何も目的がなく日々を過ごしている自分が恥ずかしくなった。


「僕は、夢とかは持ってないですね」


 家族を失ってから、親戚の家を一日も早く出ることだけを考えていた。いわば、今が夢が叶った状態といえた。


「でも、いつか家庭を持ちたいですね」

「そうだな。家庭はいいぞ。仕事に張り合いが生まれる」


 江藤さんは20歳後半の気の良い人だったが、10代のうちに子供を作り結婚もしていた。僕は自分の店を開くという夢を持ちながら、すでに温かい家庭を持っている江藤さんが羨ましかった。僕がしていることと言えば日々同じような生活とパチンコだけだ。


 何か夢を見つけよう。僕は初めてそんなことを考え始めた。今は厨房の仕事だが、確かに自分の店を持つという夢は素晴らしい。そしていつか叶わなかった温かい家族を作るべきだと感じた。自分が夢を持たない暮らしを送ることになったのは、両親の死が原因と思えたからだ。


 僕が18歳になったころ、江藤さんが仕事を辞めることになった。


「貯金がやっと貯まったんだ。自分の店を出そうと思う」


 江藤さんは胸を張って僕に言った。


「夏雄は自分の夢は見つかったか?」

「いえ、まだ見つかってません」

「なら俺の店で働かないか。お前は手先も器用だし真面目ないい奴だ。あまり給料は多く出せないが、どうだ?」


 僕は少し迷ったが江藤さんの誘いに乗った。寮を出てアパートを見つけて、江藤さんの小料理屋で働くことにした。


 江藤さんは廃業した喫茶店をリフォームし、深夜まで営業している小料理屋を開いた。従業員は江藤さんの他には僕だけという小さな店だ。初めは客がまったく訪れず何度も江藤さんとアイデアを出しながら店を切り盛りした。半年も経った頃には営業時間も昼と夜の二部制にし、ランチタイムの営業にも乗り出した。


「なあ、昼間だけもアルバイトを募集しないか」


 江藤さんが閉店後のミーティングでそんなことを言い出した。ミーティングと言っても従業員は僕と江藤さんの二人しかいない。たまに奥さんが参加する程度だ。店の片付けを終えて晩酌に当てる時間を僕らはミーティングと呼んでいた。


「お前の作るランチが好評で客が増えてきた。ウエイトレスを雇ってもいいかもしれん」


 確かに昼の時間は店がいっぱいになるほど盛況していた。江藤さんの奥さんが店に立つことがあったが、2人目の子供を妊娠した奥さんはいつか店に立てなくなる。そこで僕らは張り紙や求人広告を出してアルバイトを募集した。


 ほどなくウエイトレスは見つかった。中学を卒業したばかりの、フリーターの16歳の女の子だった。百花ももかという名の女の子は元々孤児院育ちで、家庭をそもそも知らない子だった。あまり小奇麗でもなく、物覚えが悪そうだったが、僕と境遇が似ていることもあり採用を強く希望した。江藤さんは僕の心情を察したのだろう。早速働いてもらうことにした。


 最初こそ本当に物覚えが悪く、お釣りを間違える、注文を間違える、皿を落とすというドジな子だったが、根気強く成長してくれるのを待った。小奇麗ではなかったが愛嬌のある百花は、やがて店の常連からも人気を集めるようになった。


「夏雄さんは、お休みの日は何をしているんですか?」


 昼の閉店後の片付けをしていると、百花がにこにこと尋ねてきた。


「休みはないんだ。うちは厨房が二人しかいないからね」

「えっ、じゃあお疲れじゃないんですか?」

「半日は休む日をたまに作るから、それほどでもないよ」


 百花は何かを迷っているように俯いた。


「あの、もし半日の休みの日に、私とデートしてくれませんか?」


 僕は驚いて百花を見た。デートなんてしたことがなかったし、百花を女性と意識したこともなかった。愛嬌はあるがそれだけの娘だったからだ。


「今度の休みは1週間後の夜だけど。それでもいいなら」

「ありがとうございます!」


 百花は嬉しそうに頭を下げた。


 百花のデートは映画になった。僕は女の子を意識したこともなかったし、扱いに長けている自覚もなかった。無難に済ますことが可能だろうと判断し、映画を一緒に見ることになった。


「夏雄さんは、やっぱり夏に生まれたんですか?」

「いや、春に生まれた」

「それじゃどうして夏雄、っていう名前なんですか?」

「父親が夏人なつひとっていう名前だったんだ。そこから1字取ったみたい。まぁ、僕が小さい時に亡くなったから、実際の顔も見たことないけど」


 そこまで言って思い出した。百花は孤児院育ちだ。あまり父親とか母親とかそんな話はしないほうが懸命だろう。


「百花はどうして百花って名前なの?」

「孤児院の方がつけてくれたんです。何でも私ゴミ捨て場に捨てられてたみたいで」


 百花は恥ずかしそうにはにかんだ。


「いつでも花が側に咲くように、そんな名前をつけてくれたんです」

「ふうん。素敵な話だね。とても素敵な名前だ」


 百花はさらに顔を赤くしてはにかんだ。

 映画はあまり面白いとは言えなかったが、百花はさかんに「面白かったですね」と言ってくる。不思議な気分だった。確かに映画は面白くないが、女性と過ごした時間は何か自分の心を揺さぶるものがあった。


「な、夏雄さん」


 別れ際、百花が何かを決意したように僕を呼び止めた。


「もし良かったら、私と付き合ってくれませんか?」

「付き合うって?」

「えっと……私、夏雄さんのことが、好き、なんです…」


 僕はその時にやっと初めて、百花が自分に好意を抱いていたことに気づいた。人生で初めて告白された。何と答えればよいのか迷った。百花のことは女性として意識していなかったが、顔を真っ赤にして俯いている彼女を悲しませたくなかった。


「まぁ、僕でよかったら」

「ほ、ほんとですか」

「うん」

「やったぁ!」


 百花は嬉しそうに小躍りした。


 百花との恋人生活がスタートされたが、相も変わらず店は人手が少ないため忙しい。二人で過ごす時間はあまりなかった。そのため、いつしか百花が僕の部屋に上がりこむようになっていた。


「あ、夏雄さん。おかえりなさい」


 それはとても心地よい響きだった。家に人が待っている。その事実が一人ぼっちの僕の生活には夢のような出来事のように感じた。これまで「お帰り」なんて言葉を聞けたのは、人生の中でほんの僅かの期間だけだ。乾ききっていた僕の心に、百花は潤いを与えてくれた。夢見ていた家庭とはこのようなものかもしれないな、と感じた。


 百花との半同棲生活を過ごしていたある日、もうすぐ店仕舞いする直前に一組の客が入ってきた。中年の親父と水商売風の女だった。この界隈では珍しくない光景だ。僕はお通しを二人に出した。中年の男はかなり酔っていて意識が曖昧だったため女に注文を伺うことにした。


「何をおつくりいたしますか」


 濃い化粧の女はパーマを当てて明るい髪の毛をしている。そして驚いたように僕の顔を見て何も答えない。


「何かご注文はありますか」

「あ、あ、じゃあ、日本酒を」

「こちらに一覧がございます」

「じゃあ…これで」

「かしこまりました」


 僕が日本酒を用意している間も、女は自分の顔を見つめている。何かおかしなことでもあるのだろうか。僕は訝しく思いながらも、酒を女の前に差し出した。


「はい、こちらになります」

「あの、もしかして、夏雄、さん……?」


 女は僕の名を呼んだ。知り合いだったろうか。僕は記憶を辿ったが水商売の女に知り合いはいない。


「あの、あたし、冬子です」

「ふゆこ…?」

「上杉、上杉冬子です……」


 上杉という苗字を聞いて思い出した。冬子だ。一時期家族になっていた義妹の冬子だ。


「冬子ちゃん!? 冬子ちゃんて、あの冬子ちゃん!?」

「ああ! 夏雄くん! 久しぶり!」


 驚いた。もう冬子と離れ離れになって約10年経っていた。


「冬子ちゃん、何だか変わったね」

「いやだ、夏雄くんは全然変わらないのに。あたし変かな」

「いや、大人っぽくなったって意味だよ」

「そう? それならいいけど」


 僕と冬子は久々の再会に乾杯した。冬子の連れは潰れて眠ってしまったので、僕らは夢中になって離れ離れだった約10年間のことを話した。


「高校出て東京に出たの。こっちに来て1年ちょっとになるわ」

「そうか、僕は中学出て東京に出たんだ。もう5年以上になる」

「どう? 東京での暮らしは?」

「色々あったけど、彼女も出来て順調だよ」


 懐かしい感覚だった。僕と冬子は互いの空白の時間を埋めるように会話に没頭した。閉店時間を大きく過ぎるまで話し込んでしまった。


「あたし、この近くのスナックで働いてるから、また来るわね」


 冬子は連れの中年を起こすと店を出た。


 それから深夜に冬子が店に顔を出すことが多くなった。ほとんどはスナックの客と一緒だったが、一人で飲みに来ることもあった。僕は冬子が過ごした北海道の話を興味深く聞いた。


「北海道の親戚は凄く良い人で、高校まで出してくれたの。でも、何だかこのままずっと居座るのが居心地が悪くて東京に出たのよ」

「それ分かるよ。僕は中学卒業するまでが限界だった」


 冬子も親戚の家には居心地の悪さを感じていたようだった。そんな妙な自分との共通点が何だかおかしく嬉しかった。


「ねぇ、あの頃、夏雄くんが家族になった時、ホントは凄く嬉しかったのよ」

「そんな風には全然見えなかったけど」

「だって、凄くお兄ちゃん欲しかったもん。照れてたのよ」

「そっか。僕には生意気な義妹だなぁ、と思ってたよ」

「あはは。ひどーい」


 冬子は手を叩いて笑った。髪も伸びて化粧も濃いが、笑い方にはあの頃の面影があった。




「最近、夏雄くん楽しそうね」


 百花は僕を見て嬉しそうに言った。


「最近、義理の妹と10年ぶりに再会したんだ」

「わぁ、夏雄くんに妹さんがいたんだ」

「うん。意外と兄妹に再会すると嬉しいものだね」

「いいなぁ。そういうの羨ましい」


 僕は勇気を出して言った。今思うとあの時ほど緊張したことはないような気がする。


「いつか…百花の妹になるかもしれないじゃないか」


 百花ははっとして僕を見つめた。僕はあまりに照れ臭くて百花から視線を逸らした。


「まぁ、貯金とか貯まったら、だけどさ」


 百花は何も言わない。不味いことを言ったかなと思い百花を見つめると、百花はぽろぽろと泣き出していた。


「も、百花、何か不味いこと言ったかな」

「ううん」


 百花はかぶりを振ってぎゅっと僕にしがみついた。


「嬉しい。ずっと夏雄くんと家族になりたいって思ってた」


 僕は百花をそっと抱きしめた。


「きっと、素敵な家族になるよ」

「うん」

「いつか引越して、大きな家に住もう」

「うん」

「庭には百花の好きな花でいっぱいにしよう」

「えへへ、嬉しい」

「ずっと、いつまでも一緒にいよう」

「うん。ずっと、ずっと夏雄くんと一緒…」


 百花は泣きじゃくりながら僕を見上げて嬉しそうに笑った。


 それが僕が見た百花の最後の笑顔だった。



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