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家族  作者: つばこ
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家族が増えた日


 家族の話をしたいと思う。時に単調でつまらないこともあるかもしれない。時に悲しくやるせないこともあるかもしれない。それでもかけがえのない僕の家族の話を聞いて欲しい。


 僕には物心ついた時から父親はいなかった。赤ん坊の頃に交通事故でなくなったらしい。父親の姿を見つけることができるのは、いつもアルバムの中のフォトグラフだけだ。


 母親は一人苦労しながら僕を育ててくれた。その苦労は筆舌に尽くしがたいものだったろう。ただ、僕は物心ついた時から父親がいないことが当たり前だったし、それが苦痛に感じることもあまりなかった。


 世間は僕の境遇にひどく同情してくれた。ただ如何せん父親がいないことが当たり前の僕にとっては、世間がなぜそれほどまでに同情するのかあまり実感できなかった。世間は僕の可哀想レベルを10ぐらいに見ていたようだったが、僕自身は2,もしくは3程度にしか感じていなかったのだ。母親はとても僕によくしてくれたし、胸にいつも鍵をぶら下げて誰もいない家に帰り、洗濯物や掃除をしながらパートを終えた母親の帰りを待つことも至極当たり前のことだった。


 そんなある日、とても暑い夏の日曜日だったことを覚えている。僕は小学校4年生だった。母親は僕を連れ出し駅前の喫茶店へと連れて行った。


 僕はクリームソーダを頼み、アイスとメロンソーダをかき混ぜながら飲んでいた。ブクブクとストローで液体の中に空気を送り込む僕を、母親がはしたないと叱った。その時、店内の入り口から男性が現れた。


 男性は母親の姿を見つけると、嬉しそうに僕らの向かい側に座った。よく見ると男性の背中に隠れるように一人の女の子がいた。僕より年がひとつ下くらいのショートカットの女の子だ。彼女は男性の隣に座り、向かい側に座っている僕をじっと見つめた。あまり好意的な視線ではなかった。


 母親は男性を僕に紹介した。仕事先の上司らしい。その親しげな様子から僕はすぐに今、自分が置かれている状況を察した。母親に再婚の誘いが来ていることも知っていたし、母親から何度も「お父さんがいたほうが夏雄なつおも嬉しい?」と聞かれていた。その度に僕はどちらでも構わないと答えていた。


「はじめまして。夏雄くん」


 男性は僕に握手を求めて、僕はおずおずとその手を握った。力強くゴツゴツした手だった。僕が男性の大人の手を握ったのは、それが初めてだったと思う。


「夏雄、例えば、この人がお父さんだったら、どうかしら?」


 母親がおずおずと尋ねた。噂に聞いていた再婚相手の紹介の場面だ。いつかその日が訪れることを僕は覚悟していたように思う。そのためか、僕は相手の男性を見て深く頭を下げて言った。


「お父さん、母と僕のことを宜しくお願いします」


 僕はとても物分りの良い少年だった。だが、この場面ではもの分かりが良すぎる発言だったようで、母親も父親も慌てて「いや、まだ決まったわけじゃないんだけど」と動揺していた。


 目の前の女の子がふふんと鼻で笑った。僕を勝気な目で見つめている。まるで「あんたバカね」と言っているかのようだった。僕は自分の失言を後悔し、真っ赤になって俯いてしまった。


「夏雄はちょっと変わった子なもので…」


 母親はばつが悪そうに目の前の男性に頭を下げている。


「いや、いいんだ。気にしないで。気に入ってくれたなら幸いだよ」


 男性は母親をなだめるように言った。僕はじっと男性の顔を見上げ、しっかりと頭の中に記憶しようとつとめた。新しい父親の顔をしっかり覚えて、人ごみの中でも見つけられるように。


 そして暑い夏が過ぎ去ったころ、僕に新しい家族が増えた。正確には頼もしそうな父親と、生意気そうな義妹が増えた。



 僕は苗字が変わって上杉夏雄うえすぎなつおという名前に変わった。母親と二人で暮らしていた1DKのアパートを出て、男性の家に住むことになった。僕には2階の部屋が宛がわれ、自分の部屋を持つという素晴らしさを味わった。


 新しい父親は数年前に妻と死別したらしく、一人娘とこの広い家で暮らしていたらしい。娘は僕より1学年下で冬子ふゆこという名前だった。父親だけでなく義妹まで出来た。兄妹、一人っ子の僕にとっては夢ようだった。


 僕は新しい家族を壊さぬよう、とても良い関係にするために父親に懐いた。そのため新しい生活を楽しんでいるように日々一生懸命振舞った。母親は専業主婦になり、僕は鍵っ子から普通の子供にランクアップした。家に帰れば母親が手作りのお菓子を作ってくれたり、休みの日には父親とキャッチボールをしたりと、極々一般的な子供の生活を送ることができた。思えばこの頃が一番幸せな時期だったのかもしれない。


 僕は新しい生活にすんなり順応したが、冬子はそうではないみたいで、母親にも僕にもちっとも懐こうとしなかった。何がそんなに気に入らないのか僕には理解できなかった。何度も話しかけては関係を改善しようと努力した。母親は冬子の好きなケーキを焼いたりしたし、僕も冬子を何度も外に遊びに誘った。冬子はその全てを無視し、部屋に閉じこもることが多くなった。


 一体何が気に入らないというのか。冬子が家族と打ち解けなければ、理想の家庭が完成しない。父親も冬子の様子に参っているようだった。僕は家族の関係改善のために理由を考えた。母親は毎日のように冬子が好きだという人参入りのシフォンケーキを焼いている。それは見た目はあまり宜しくないが、味もそれなりに不味い。なんということだ。理由はここにあったのか。


「ねぇ。冬子ちゃん、母親の作るケーキは無理して食べなくてもいいんだよ」


 僕は冬子の部屋のドアを叩くが中から返事は返ってこない。


「ねぇ、いいんだって。ケーキなんて捨てればいいんだよ」


 ドン、と扉に何か当るような音が聞こえた。


「うるさい! あたしのことを冬子って呼ぶな!」


 中から冬子の怒鳴り声が響いた。


「だって冬子ちゃんは、冬子ちゃんじゃないか、他に呼びようがないよ」


 僕は当たり前のことを言うしかなかった。


「だまれ! 呼ぶなったら呼ぶな!」


 冬子の怒鳴り声と共に、また扉にドンという衝撃が走った。クッションでも投げつけているのだろうか。僕はカチンときた。人がせっかく家族関係を円満にするために日々努力しているというのに、その横柄な態度はなんなのだ。僕だって父親の腋臭とか、髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でられる癖とか、お前みたいな生意気な義妹とか、そんな様々なことを我慢して日々笑顔を作っているんだ。


「冬子ちゃーーーん。冬子ちゃん出ておいでーーー」


 僕はからかうように部屋の中に呼びかけた。またドンと扉に何かが投げつけられる。


「ふっゆこちゃん、あ、冬子っちゃんったら冬子ちゃん?」


 苛々するようなリズムで呼んでみた。もう投げるものがないのか扉には何も当らないが、中からもの凄い殺気を感じる。


「冬子ちゃん冬子ちゃん冬子ちゃん冬子ちゃん冬子ちゃん冬子ちゃんーー!!!」

「うがああああ!!」


 名前を連呼していると、中からもの凄い形相の冬子が飛び出してきた。僕の頬を引っ掻き、髪の毛をむしり取ろうと掴んでいる。痛さと怒りのあまり僕もやり返した。


「呼ぶなっていってるじゃない!」

「なんだよ! 生意気に! ブス! ブース! ドブス!」

「この! うがあああ!!」


 僕と冬子はお互い罵り合いながら廊下で大喧嘩を始めた。体格はほぼ同じくらいだったので、とても決着がつきそうにない。1階から騒ぎを聞きつけた母親が慌てて2階に上がってきた。


「あんたみたいなのに、気軽呼ばれたくないのよ!!」

「うるせぇ! ブス ドブス! ドブス!」


 僕にはあまり喧嘩における罵声のバリエーションが多くなかったようで、ひたすら「ドブス」を連呼した。母親は僕と冬子を必死で引き離し、僕の頬をグーで殴った。


「女の子に向かってドブスとは何ですか!? そんな子に育てた覚えはないわよ!」


 僕は廊下の端まで飛ばされた。もの凄いパンチだった。母親に叩かれのは初めてのことだった。しかもグーだ。あまりの傷みに僕はわんわん泣き出した。いつの間にか冬子も母親に抱かれて泣いている。


 人生とは不思議だ。その次の日から母親と冬子は嘘のように仲良くなった。冬子は相変わらず僕とはあまり口を利かなかったが、大喧嘩することもなかった。僕はあまり良い気分ではなかったが、父親も母親も冬子も幸せそうだ。これが家族関係なのかもしれない。僕はそう無理やり自分を納得させた。


 そんなある日、とても寒い雪が降りそうな冬だった。父親の車が事故に合った。居眠りしていたドライバーに後ろから追突されたのだ。助手席には母親も乗っており、二人とも即死だった。僕は夢のような家族を失った。 

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