子供のまま大人になったヒロインの末路
それは、公爵令嬢エリザベス・アッシュベリーが十歳になり、王太子アンドリュー・ローズウェルと婚約した翌日のこと。
(ここは……前世でプレイした乙女ゲームの世界……! 私は、悪役令嬢エリザベス……!)
エリザベスは前世の記憶の夢を見た。
前世日本の平凡なOLだったエリザベスは、乙女ゲーム、声優、アニメ、漫画、ライトノベルが好きなオタクだった。
それ故、エリザベスは目覚めたらここが前世でプレイした乙女ゲームの世界で自分が悪役令嬢だと気が付いたのだ。
(どうしよう……!? もうアンドリュー殿下と婚約してしまった後よ……! 前世の記憶を思い出すのが少し遅かったわ……。せめて昨日、殿下と婚約が決まる前までに思い出していれば……)
エリザベスは鏡の前で大きなため息をついた。
鏡に映る自身の姿は、いかにも悪役令嬢らしい見た目をしている。銀髪縦ロールに真紅の目で、美人ではあるがキツめの顔立ちである。
原作ゲームのエリザベスは非常に傲慢な性格でアンドリューから辟易とされていた。そんな中、十六歳になり魔法学園に入学すると、ヒロインである男爵令嬢リーナ・ウォーラムが登場する。ヒロインのリーナは魔法学園でアンドリューを含めた四人の攻略対象達と出会い恋をするのだ。どのルートでも共通してエリザベスが悪役令嬢で破滅する運命にある。アンドリュールートでは、最終的に卒業パーティーでエリザベスはアンドリューから婚約破棄を告げられてしまうのだ。その理由はリーナへの陰湿な嫌がらせである。リーナはエリザベスとは違い心優しい性格なので、次第にアンドリューは惹かれていくのだ。それによりエリザベスは嫉妬の炎を燃やしリーナに陰湿な嫌がらせをするのである。
(アンドリュー殿下の声、昨日お会いした段階では私と同じ十歳で、まだ声変わり前だったけれど……ゲームでの殿下の声は前世で一番推していた声優が担当していたのよね。その声でこの先婚約破棄を告げられるのはとても辛いわ)
好きな声で告げられる婚約破棄。想像しただけでエリザベスは身を切られるような思いになった。
(この先どうなるかは分からないわ。だけど、原作のエリザベスのように傲慢にはならないようにしないと。ヒロインのリーナも絶対に虐めない。だけど、リーナは魅了魔法を持っていることが原作ゲームの後半で判明するのよね。原作ではリーナ自身、自分が魅了魔法を持っていることに気付いていない。でももしもリーナが転生者で、魅了魔法を使って、私が嫌がらせをしていると周囲に吹き込んだら……)
原作ゲームの設定を思い出し、鏡に映るエリザベスの表情は暗くなる。
(リーナに魅了を使われて婚約破棄されそうならば……修道院に逃げ込みましょう。私の個人資産全てを修道院に寄付したら、修道院に入った時それなりの扱いをしてくれるでしょう。そこで私は心穏やかに暮らすのよ)
エリザベスはそう意気込み胸の前でグッと拳を握った。
そしてエリザベスは自室のカーテンを開ける。
窓の外から、新しい朝の日差しが部屋に入ってきた。
「そうと決まれば、今から頑張らないといけないわね」
朝の日差しを浴び、エリザベスはそう意気込んだ。
◇◇◇◇
エリザベスが決心した朝から月日はあっという間に過ぎた。
いよいよ十六歳になり、エリザベスはアンドリューと共に魔法学園に入学する。
(ついにゲームが開始するのね。ヒロインのリーナは一体どのルートを選ぶのかしら? それとも、前世で読んだWeb小説みたいに彼女も転生者で、原作ゲームにはなかった逆ハールートを作り出すのかしら? 彼女、魅了魔法持ちだからそれも容易いわよね)
馬車に揺られながら、エリザベスの胸の中にある不安は次第に大きくなっていく。
「ベッツィ、どうしたんだい? 緊張しているのかい?」
エリザベスの隣から、低くて甘い、まるでとろける蜂蜜のような声が聞こえた。
その声にエリザベスの胸の中にときめきが生まれる。エリザベスの愛称であるベッツィ呼びは破壊力があった。
「アンドリュー殿下……」
エリザベスの婚約者であり、乙女ゲームの攻略対象でもあるアンドリュー。
金髪碧眼でいかにも王子様らしい見た目である。
すっかり声変わりをしたアンドリューの声に、エリザベスは思わずクラクラしてしまう。
「ベッツィ、大丈夫かい?」
アンドリューは甘く優しく、その中に憂いが混じっているような表情だ。エリザベスの身を案じてくれていることがよく分かる。
「大丈夫でございますわ。ありがとうございます」
「それなら良いんだけど。ベッツィは真面目で頑張り屋だから、無理をしていないかいつも心配になるよ」
夢で前世の記憶を思い出してから、エリザベスは傲慢な性格を改めた。そのお陰でアンドリューとの関係は良好である。
「そんな、私が真面目で頑張り屋だなんて、買い被りすぎですわ」
アンドリューに褒められ、再びクラクラしてしまう。
(でも、もしリーナが殿下のルートを選んだら……)
自分はいずれ婚約破棄されてしまう。
そのことを考えると、エリザベスは憂鬱だった。
アンドリューと交流していくうちに、声だけでなくアンドリューの為人にも惹かれていたエリザベスなのである。
「もしかして、ベッツィは私が魅了にかからないかを心配しているのかい?」
エリザベスの耳元で、低くて甘い、とろける蜂蜜のような声が響いた。
エリザベスはアンドリューに前世の話はしていないが、魅了魔法の話はしていたのだ。
アンドリューはクククッと愉快そうに笑う。
「心配性だな、ベッツィは。前にも言っただろう。王族に対して魅了魔法を使うことは重罪に当たる。それに私は魅了魔法を防ぐ魔道具を身に着けているんだ」
アンドリューはエリザベスに着用しているブレスレットを見せた。そのブレスレットが魅了魔法を防ぐ魔道具なのだ。
「あ……」
エリザベスはハッとする。
(そうだったわ。原作ゲームでリーナは無意識のうちにアンドリュー殿下に対してほんの少しだけ魅了魔法を使っていたけれど、この世界でそれをやったら重罪。いや、無意識で意図的でないならばまだ罪には問われないけれど。完全にゲームの世界と同じではないということなのね)
エリザベスは少しだけ肩の力を抜いた。
いざ、学園生活が始まると、エリザベスの心配は完全に杞憂であることが分かった。
確かに魔法学園には、ヒロインであるリーナがエリザベス達と同じ学年に存在している。ピンクブロンドの髪に空色の目で、いかにもヒロインらしい可憐な容姿である。
しかし、リーナは原作ゲームの攻略対象達に近付いている様子は見られない。リーナは原作ゲームとは無関係の者達と交友関係を持ち、穏やかで楽しそうに学園生活を送っているのだ。
そしてリーナは時々エリザベスを意識しているようだった。恐らくリーナも前世の記憶を持っているのだろうとエリザベスは予想した。
(だけど、攻略対象には本当に近付いていないわね。アンドリュー殿下にも。彼らに魅了魔法を使っている様子も見られないし)
エリザベスはリーナの様子を見て、少しだけ安堵した。この調子ならば、アンドリューから婚約破棄を告げられる可能性は低くなりそうである。
しかし、気になることもあった。
さりげなくリーナを観察していると、やはりリーナは魅了魔法を使用しているのではないかと思う場面がある。
リーナの周囲は、皆異様な程にリーナに優しいのだ。リーナが知らないことは、周囲が懇切丁寧に教えてくれるのだ。普通そこまで労力をかけることはない。しかし、リーナの周囲はリーナに対してあらゆる労力を割いてくれるのだ。
(リーナ様……見ていて確かにマナーや所作に粗があるけれど、周囲の方々はリーナ様が恥をかかないよう優しく教えているわね。……学園は、ある程度マナーがきちんとしていないといけない。普通、マナーや所作に粗があったら揚げ足を取られてしまうのに)
エリザベスはリーナを見てそう思った。
この世界は甘くない。
学園に入学する頃までには貴族としてのマナーや所作を完璧ではなくともある程度は仕上げていなければならない。リーナはお世辞でも及第点レベルとは言い難いのだ。しかし、周囲が優しく丁寧に教えてくれているお陰か、少しずつリーナのマナーや所作は向上している。
(それに、リーナ様は魔法薬学の実験では周囲にお膳立てしてもらってからしか動かないのよね……)
魔法薬学の実験は下準備などやることが多くあるのだが、リーナはそれらを同じ班の者達に任せきりで、いざ実験開始になってから動き出すのだ。周囲はそれを容認している。恐らくこれも魅了魔法の影響だろう。
(リーナ様は……受け身であまり自分からは動かない方なのね。魅了魔法で周囲に動いてもらっている……)
エリザベスはリーナを観察してそれが分かった。
(リーナ様は、まるで自分にとって都合の良い箱庭を作っているかのよう)
「ベッツィ、何を見ているんだい?」
エリザベスがそう考えていると、ふと隣から低くて甘い、とろける蜂蜜のような声が聞こえた。エリザベスの大好きな声である。
「アンドリュー殿下!」
ときめきながらも突然のことだったので、エリザベスは驚いてしまう。
アンドリューは甘く、そしてエリザベスを驚かせてしまったことにどこか申し訳なさそうな表情だった。
「すまない。ベッツィがそんなに驚くとは思わなかったよ」
「いえ、こちらこそぼんやりしておりましたので」
エリザベスは肩をすくめた。
アンドリューの存在がとても眩しかった。まるで自ら光を放つ恒星のようである。
甘い恒星が、更にエリザベスに近付いた。
「ベッツィ、何か気になることでもあったのかい?」
「いえ、その……」
今のアンドリューはリーナと直接関わりがない。エリザベスはリーナのことを話すかどうか迷っていた。
「ああ、あれは確かリーナ・ウォーラム男爵令嬢だね。彼女のことは私もとても気になっているよ」
その言葉に、エリザベスは青ざめる。
(まさか殿下……リーナ様のことを……)
婚約破棄されてしまうのではないかと不安になる。目の前に灰色の雨雲がどんどん広がるような気分のエリザベスだ。
「と言っても、悪い意味でね」
しかし、アンドリューは困ったように苦笑しそう言った。
「悪い意味……ですか?」
意外な言葉だったので、エリザベスは目を丸くした。先程まで心の中に広がっていた不安の雨雲は、一瞬にして霧散した。
「ああ。ベッツィ、彼女を見ていて君もおかしいとは思わないか? リーナ嬢の周囲は、皆彼女の都合の良いように動いている。彼女は魅了魔法を使っているとしか思えない」
アンドリューの美しい目は、冷たくなっていた。リーナを警戒しているような表情だ。
「……リーナ様をどうなさるおつもりですか?」
エリザベスはアンドリューに、リーナが魅了魔法を持っていることを告げていない。リーナの魅了魔法について話す場合は、エリザベスの前世の話もする必要があるのだ。流石に前世の記憶があることを話すと、頭のおかしな人間だと思われてしまうので、エリザベスはそれを避けたかった。
「今はまだどうもしない。どうも出来ないよ。リーナ嬢は王族に対して魅了魔法を使ったわけではないからね。でも、あんな使い方をされると、困る。多くを魅了して国家転覆を目論まれるとこちらは勝ち目がないからね。リーナ嬢が決定的な何かをしでかしてくれたら、こちらとしても魔封じの首輪を強制的に着用させられるんだけど。王族用の魅了魔法を防ぐ魔道具も、大勢には与えられないし」
アンドリューは相変わらずリーナに対して冷たく警戒した視線だった。
「左様でございますか……」
エリザベスはそう答えることしか出来なかった。
乙女ゲームのヒロインは、少し身勝手だったのだ。
◇◇◇◇
エリザベスはアンドリューや他の友人達と共に穏やかな学園生活を送っていた。
一方リーナも、原作ゲームとは無関係の者達と穏やかに楽しく学園生活を送っていた。
悪役令嬢のエリザベスとヒロインのリーナ。二人はまるで平行線のように関わることはなかった。
しかし、ある日の放課後。
(いけないわ。今日の最後の講義があった教室に、忘れ物をしてしまうなんて)
エリザベスは今日の放課後、王城へ行く予定があった。講義が終わり、アンドリューと共に王家からの馬車を待つ予定だったのだが、エリザベスは忘れ物をしたことに気付き急いで最後の講義があった教室へ向かっていた。アンドリューからは「焦らなくても大丈夫だよ」と低く甘く、とろける蜂蜜のような声で言われている。
アンドリュー言う通り、王家の馬車が来る時間はまだある。
しかし、アンドリューを待たせるわけにはいかないとエリザベスは足を速めていた。
馬車の待合所から教室まではそこまで距離はない。しかし、急いでいるといつもより教室までの道のりが遠く感じてしまう。
(ようやく着いたわ。私が座っていた席は……)
誰もいない教室に着いたエリザベスは、いそいそと自身が座っていた場所に行き、忘れていた筆記具を回収する。
その時、教室の扉が開く。エリザベス以外の誰かが教室に入って来たのだ。
「あ……!」
エリザベスは教室に入って来た人物を見て絶句した。
そこにいたのは、リーナだったのだ。
「エリザベス様……!」
リーナもエリザベスの姿を見て驚いた様子である。
(まさか今原作ゲームヒロインのリーナ様と二人きりになるだなんて……!)
話したことはないが、お互い転生者であることは予想出来ている。
しかし、お互い何となく避けて来たので、いざ二人きりになるとどうして良いか分からなくなっていた。
「エリザベス様も、転生者ですよね?」
リーナから警戒するように聞かれたので、エリザベスは首を縦に振る。
「ええ、そうよ。その質問をするということは、リーナ様、貴女も転生者なのよね?」
エリザベスは疑問系にしてみるが、リーナからの答えは予想出来ている。エリザベスの予想通り、リーナは首を縦に振った。
「そうです。やっぱり分かりますよね」
リーナはフッと笑った。
「あ、でも安心してください。私、誰のことも攻略する気はないですから。まあ、せっかく乙女ゲームのヒロインに転生したんだから、攻略対象との恋を楽しんでみたいとは思いましたけど、あの人達ローズウェル王国の中心にいるじゃないですか。そんな国の中心にいる人達の相手なんて、私には無理ですよ。特にアンドリュー殿下とかは王太子じゃないですか。エリザベス様から殿下を奪って王太子妃とか、私無理ですから。国の中心から程良く離れて緩く楽しく暮らしたいですし」
軽い口調のリーナである。
「だから、エリザベス様をざまぁする気はありませんよ」
ふふっと微笑みリーナ。その笑みはヒロインらしい愛らしさがあるのだが、エリザベスの胸の奥をざらつかせた。
「だから攻略対象達に魅了魔法を使っていないのですね」
「あ、そのことも知っているんですね。前世のWeb小説とかで転生ヒロインが王族に魅了魔法を使って処刑されるパターンあるじゃないですか。そうならない為に私も色々調べたんですよ。案の定、王族に対して魅了魔法を使うことは重罪でしたし」
「でも、リーナ様の周囲には、魅了魔法を使っているのですね」
エリザベスは気が付くとそう口にしていた。
「あ、気付いてたんですね」
リーナは悪戯がバレた子供のように、舌をペロリと出して笑う。
「だって便利じゃないですか。魅了魔法を使えば私、楽出来るんですよ。マナーとか知らなくても、きつい注意じゃなくて優しく丁寧に教えてもらえますし。前世の日本もこの世界も、少し常識を知らないだけで爪弾きにされちゃう。前世でもっと気を遣えって言われたんですけど、何をどうしたら気を遣ったことになるのか相手は教えてくれない。嫌になっちゃいますよね。それなら私に丁寧に優しく教えてくれたら良いのに。私が何をしたら良いか詳しく教えてくれたら良いのに」
リーナの言葉に、エリザベスは何となく嫌悪感を抱いた。
「だから、私は魅了魔法を使うんですよ。私が楽で快適に過ごせるように。魅了魔法を使えば、周りは私の思い通りに動いてくれるんです。分からないことがあっても、優しく丁寧に教えてくれる。最高じゃないですか」
「それは……教えてもらう相手から時間を奪っているとも言えるのでは?」
「え? 何ですか、それ? 私に優しく教えてくれるくらい、別に時間を使ったって良いじゃないですか」
悪びれもせず、リーナはヘラヘラと笑っている。
「ていうか、前世でもそうでしたけど、これは私の人生で、私が快適に過ごせることが何よりも重要なんです。私が不快な思いをすることは絶対にあってはならないんですよ。私が不快な思いをしない為に周囲は動くべきなんです」
リーナは平然とそう言い切った。
(ああ……リーナ様は……平気で他人の時間を奪うテイカーなのね。魔法薬学の実験だってそう。目に見えない準備は全て人任せ。精神的コストを相手に全て負担させるタイプなのだわ)
エリザベスはリーナに抱いた嫌悪感の正体が分かった。前世でもエリザベスはリーナのような時間泥棒が好きではなかったのだ。
「エリザベス様、私はエリザベス様を害するつもりはありません。もう一度言いますけど、アンドリュー殿下を攻略する気もありません。だから、私の邪魔をしないでくださいね。今魅了魔法で人間関係が超良い感じですから」
エリザベスはリーナの笑みを邪悪に感じてしまう。
もう関わりたくない。
その一言に尽きる。
「……分かったわ」
エリザベスは没交渉を決め、リーナの元を去り足早にアンドリューが待つ場所へと向かうのであった。
◇◇◇◇
リーナとの没交渉を決めた後、エリザベスはアンドリューと共に再び穏やかな学園生活を送った。
そして、いよいよ卒業パーティーである。
原作ゲームとは違い、エリザベスはアンドリューと婚約破棄をせず、卒業後そのまま結婚することになっている。
「ベッツィ、いよいよ私達も結婚だね。君との結婚生活は楽しみで仕方ないよ」
低く甘く、とろける蜂蜜のような声に、とびきり甘い表情のアンドリュー。アンドリューにリードされながらダンスをするエリザベスは、その言葉にときめいてクラッとしてしまう。
「殿下はナチュラルにそのようなことを仰るのですから」
「本当のことなんだけど、駄目かい?」
「殿下ったら。私も……楽しみですわ」
アンドリューにはドキドキさせられっぱなしで、エリザベスはまともにアンドリューの顔を見ることが出来なかっら。それでもアンドリューのリードは上手で、エリザベスは心地良くダンスが出来ている。
その時、ふとリーナの様子が目に入った。
リーナは原作ゲームの攻略対象ではない令息と楽しそうにダンスをしている。
(あれは確か、イーノック・グレイストーン伯爵令息ね。グレイストーン伯爵家は、そこそこ伝統と格式のある家。リーナ様と彼が婚約しているという話は聞いたことがあるわ。リーナ様にとって、国の中心から程良く離れて緩く楽しく暮らせる、丁度良い相手だったのね)
エリザベスは以前リーナに言われたことを思い出し、思わず苦笑した。
「ベッツィ、どこを見ているんだい? 私を見て欲しいな」
アンドリューのとろけるような声でエリザベスはハッと我に返った。
卒業パーティーは特にトラブルもなく、穏やかに過ぎていった。
もうリーナと関わることもないだろう。
エリザベスはそう思っていた。
◇◇◇◇
エリザベスが学園を卒業し、七年が経過しようとしていた。
王太子であるアンドリューとの結婚式が大々的に行われた時を懐かしく感じる程である。
あれからエリザベスは子供を三人生んだ。生んだのは王子、王女、王子の順である。
つい最近末の王子を出産したエリザベスは、現在体を休めていた。
「王太子妃殿下、殿下に謁見希望の手紙が届いておりますが……」
「私に?」
王城の使用人の言葉に、エリザベスは首を傾げる。おまけに使用人は少し戸惑ったような様子であった。
「何か問題のある相手なの?」
エリザベスはそう聞いてみた。
「問題と言いますか、謁見の手紙が……一部読めない言語で書かれておりまして……」
「読めない言語? 構わないわ。確認させてちょうだい」
エリザベスはそう答え、使用人から手紙を受け取った。
手紙の差出人の所には、リーナ・グレイストーンの名前が書いてあった。リーナはグレイストーン伯爵令息であるイーノックと結婚したので、リーナ・ウォーラムからリーナ・グレイストーンに名前が変わっているようだ。
(リーナ様……)
あの平気で他人の時間を奪う身勝手さがあるリーナの姿が脳裏に浮かび、エリザベスの心は複雑になった。しかし、一応封を開けてみる。
《夏の花が美しく咲く季節になりました。エリザベス様に謁見を求めます》
ローズウェル王国の言葉で、そう書かれていた。
雑ではあるが、季節の挨拶は書いてある。
そしてその下には、エリザベスにとっても馴染みのある言語――日本語で書かれている。
《エリザベス様、助けてください。前世の記憶がある貴女なら、私の状況を何とか出来ますよね?》
リーナに一体何が起こっているのかは全く分からない。リーナに会う義理もない。しかし、エリザベスは少しだけ気になってしまい、リーナに会うことにした。
「エリザベス様、助けてください!」
王城へやって来たリーナは今にも泣きそうな表情だった。
前世の話が絡むだろうと予測して、エリザベスは部屋の使用人や護衛を最小限に抑えていた。
「ご機嫌よう、リーナ様。一体何があったの?」
「魅了魔法が……魅了魔法を娘に奪われたのです! 息子達を生んだ時はこんなことなかったのに! まさかこんなことになるなんて!」
リーナはわぁっと泣き出した。
リーナの話をまとめると、どうやら魅了魔法は母親から娘へと受け継がれるものだったらしい。リーナが娘を妊娠している時からゆっくりと魅了魔法は娘へと奪われる感覚があったようだ。しかし、母体であるリーナに何かあれば娘も危険な状態になってしまう。それを避ける為に妊娠中はまだリーナの思い通りになっていた。
しかし娘が生まれて以降、リーナは魅了魔法を使えなくなってしまった。今ではリーナの娘が無意識的に魅了魔法を使って周囲に自分を守るよう仕向けているそうだ。おまけにリーナのようにかつて魅了魔法を使えた人間は、他人が使う魅了魔法に耐性があり効かないようなのだ。
「私が魅了魔法を使えなくなってから、みんな私に冷たいんです。夫のイーノック様も、学園にいた頃はあんなに優しかったのに、今では伯爵夫人としてマナーや所作を何とかして欲しいって冷たいことを言うんです。学園時代から付き合いのある友人達も、よそよそしくなってしまったんです。上の息子二人も、私に反抗的になるし」
泣きながらリーナはそう訴えている。確かに未来の伯爵夫人としては色々と不足しているリーナだ。しかし、泣き出しさえしなければ魔法学園に通う学生であるならばギリギリ許される程度のマナーや所作である。一応リーナも成長はしているようだ。
「私はみんなから優しくされるべき人間なのに、自分なりに少し頑張れば認められるべきなのに、どうして……!?」
その言葉を聞いたエリザベスは、やっぱり会うべきではなかったと後悔した。
(リーナ様、やっぱり完全なテイカーだわ)
エリザベスは軽くため息をついた。
しかしその時、リーナはピタリと泣き止む。
「そうだわ!」
リーナは何かを思い付いたようだ。
エリザベスは少しだけ嫌な予感がした。
「娘を使えば良いのよ。娘がもう少し成長したら、娘に、『みんなお母様に優しくして』と願わせたら良いのよ!」
妙案とでも言うかのような表情のリーナである。エリザベスはそんなリーナの表情が邪悪に見えた。
「エリザベス様、ありがとうございます! 話したことで解決策が見えました!」
リーナは軽い口調でそう言い、軽い足取りでエリザベスの元を去って行った。
(もうどうでもいいわ)
エリザベスは完全に呆れていた。リーナはとことんテイカーだったのだ。リーナとはもう二度と関わりたくない。そう思うエリザベスだった。
◇◇◇◇
嵐のようなリーナの一件以降、エリザベスは王太子妃として忙しくも、アンドリューや子供達と充実した日々を送っていた。リーナのことを思い出すことはほとんどなくなっている。
末の王子、ヘンリーも十歳を迎え、ローズウェル王国の社交界や他国へお披露目の時期が迫っていた。
そして、ローズウェル王国の社交界にヘンリーをお披露目する日、事件は起きた。
ヘンリーはグレイストーン伯爵令嬢、マーシャに魅了魔法をかけられそうになったのだ。もちろん、王族用の魅了魔法を防ぐ魔道具のお陰でヘンリーは無事だ。
「グレイストーン伯爵家……確か魅了魔法を持っていたリーナ嬢が嫁いだ家だね。リーナ嬢、いや、もうグレイストーン伯爵令息夫人か。彼女ではないけれど、ようやく決定的なことをしでかしてくれた」
アンドリューは達成感に満ち溢れた笑みを浮かべている。
魅了魔法による国家転覆を警戒していたのだ。
リーナの娘、マーシャが王子であるヘンリーに魅了魔法を使おうとしたことで、マーシャは魔封じの首輪を義務付けられた。おまけに王族へ魅了魔法を使うことは重罪であり、マーシャは一生幽閉されることになったのだ。
そこへ、リーナがエリザベスへ泣きついた。
「エリザベス様、お願いです! マーシャを助けてください!」
リーナは必死に懇願していた。
身勝手ではあったが、やはり娘は大切に思っているのかもしれない。
エリザベスはそう感じた。
(リーナ様も、何だかんだで母親になったのね)
エリザベスの心はリーナに対して少しだけ軟化していた。エリザベスは紅茶を音もなく啜り、静かにティーカップをソーサーの上に置く。
しかし、次の言葉でエリザベスの期待は裏切られる。
「マーシャがいなければ、私、みんなに優しくしてもらえないんです! マーシャがいなければ、みんな私の都合通りに動いてくれない! マーシャはね、王族にも私に優しくするようにって魅了魔法を使っただけなんです! 別に王族を害するつもりはなかったんですよ!」
エリザベスは思わず表情が硬くなった。
(リーナ様は……全く変わっていなかったのね。あの頃のままだわ)
少しでも期待した自分が馬鹿だったと思うエリザベスである。再び紅茶を飲むが、味が薄くなったように感じた。
エリザベスはため息をついた。
「リーナ様、私にはどうにも出来ませんわ。マーシャ嬢が私の息子ヘンリーに魅了魔法をかけようとしたことは変えようのない事実なの」
エリザベスはなるべく声の温度を消した。
「そんな……」
リーナの表情は絶望に染まる。
「リーナ様、貴女はもっと大人になるべきよ。何でも周りを思い通りにしようだなんて、子供じみた考えたはやめなさい」
エリザベスはずっとリーナに対して思っていたことを口にした。
するとリーナは泣き喚き、部屋にいた護衛に引きずり出されるのであった。
(子供のまま大人になってしまうと悲惨ね)
エリザベスはそうため息をついた。
紅茶を一口飲むと、再び花のような上品な香りを感じた。
その後、グレイストーン伯爵家は子爵位に降格となり、完全に魅了魔法を失ったリーナはその身勝手さと貴族としての出来の悪さ故離縁されてしまった。
生家であるウォーラム男爵家に戻るが、やはりその身勝手さで誰にも相手をしてもらえず寂しい生涯を送ることとなった。
しかしそれはエリザベスの知った話ではないのである。
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