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俺が愛したゲームの世界で、攻略対象が全員こっちを向いていた

掲載日:2026/06/26

【第1話 好感度MAX、異世界転移スタートです】


 桐島渉が初めて「星詠みの騎士」を手に取ったのは、小学三年生のときだった。

 姉の部屋からこっそり借りてきた乙女ゲームのパッケージには、きらびやかな騎士たちと、柔らかく微笑む主人公の少女が描かれていた。「男子が遊んじゃダメかな」と思いながら起動したあの日から、渉は十年間、密かにこのゲームを愛し続けた。


 攻略対象は五人。

 凛々しい女騎士のアリア・シルヴァン(22歳)。

 天才魔術師のリリィ・クロエ(21歳)。

 第一王女のエレナ・アルバ(22歳)。

 謎めいた暗殺者のシャノン・ノワール(20歳)。

 天真爛漫な聖女のミア・ルーチェ(21歳)。


 全員のルートを把握し、分岐条件まで暗記している渉にとって、「星詠みの騎士」はほぼ生きがいと言っても過言ではなかった。

 ただし、それを口に出せる友人は一人もいなかったが。


 高校三年生の四月、深夜二時。

 渉はベッドの上でタブレットを操作しながら、久しぶりにゲームを起動した。引退してから一年ぶりの起動だった。理由は特にない。ただ、無性に懐かしくなったのだ。


 タイトル画面が映し出される。満天の星と、湖面に映る騎士たちのシルエット。テーマ曲が流れ始めた瞬間、渉の胸にじんわりとした温かさが広がった。


 ――プレイヤーデータ読み込み完了。

 ――好感度引き継ぎオプション:ON。


「……あれ、こんな設定あったっけ」


 渉がそう呟いた瞬間、タブレットの画面が白く爆発した。


◆


 気づいたとき、渉は草の上に倒れていた。

 体中に感じる違和感。重い。動きにくい。でも痛くはない。

 ゆっくりと上体を起こして、渉は自分の手を見た。

 ――でかい。

 確かに自分の手のはずなのに、筋肉がついていて、指が長くて、何より骨格そのものが高校生のものじゃない。


「どういうこと……」


 声が低い。鏡がないのが惜しいが、声の感じからして、二十歳は超えているかもしれない。

 あたりを見回すと、広大な平原が広がっていた。遠くには石造りの城。空には双つの月。


「……あ。」


 渉は悟った。

 この景色を、渉は知っていた。ゲームのオープニングマップ、王都郊外の平原だ。草の種類まで一致している。


 そして次の瞬間、聞き覚えのありすぎる声が背後から飛んできた。


「――渉! 無事か!?」


 振り向いた渉の目に映ったのは、銀色の長髪をなびかせ、騎士甲冑を纏ったまま全力疾走してくる女性だった。

 顔立ちは精緻で、どこか誇り高い。だが今この瞬間、その顔には純粋な安堵と、隠しきれない喜びが浮かんでいた。


「アリア……?」


「ああ、よかった……! 召喚陣が予想外の場所に出たから、心配した!」

 アリアは渉の目の前にしゃがみこみ、顔を覗き込んだ。距離が近い。近すぎる。

「体に怪我はないか? 顔色は? 気分が悪いとか……」


「な、なんで……なんで俺に、そんなに心配してんの?」


 渉が戸惑いながら言うと、アリアはきょとんとした顔で首を傾けた。

「何を言っている。お前のことが心配じゃない騎士がどこにいる」

 そして少し照れたように目を逸らし、「……特に、私は」と付け加えた。


 渉の脳内で、何かが盛大にエラーを吐いた。


 アリア・シルヴァンの好感度ゲージが最大値のはずがない。ゲームでは二十時間かけて丁寧に育てるキャラクターだ。


 だが、アリアの目は、疑いようもなく渉を求めていた。


◆


 王都へ向かう馬車の中で、渉はなんとか状況を整理しようとしていた。

 「星詠みの騎士」の世界に転移した。それは明らかだ。

 自分の体は高校生ではなく、二十二歳の青年のものらしい。

 そして、なぜかアリアの好感度が最初からMAXに近い状態になっている。


(……まさか本当に全員?)


 渉が恐る恐る考えていると、馬車が城門に差し掛かった。

 兵士たちが扉を開き、渉が外に出た瞬間、王城のエントランスで三人の女性が待ち構えていた。


 一人は水色の法衣を纏った銀縁眼鏡の女性。リリィ・クロエだ。

 もう一人は豪奢なドレスを着た金髪の女性。王女のエレナ・アルバ。

 最後の一人は、白い聖女服を着てぴょんぴょん飛び跳ねている茶髪の女性。ミア・ルーチェだ。


「渉さん! もう、遅すぎですよ! 心配しました!」

 リリィが早口で言いながらどこか顔を赤らめている。

「お戻りになったのね、渉……本当によかった」

 エレナが淑やかに微笑むが、その頬がわずかに染まっている。

「わたーし! ずっと待ってたんですよ!!」

 ミアが渉に飛びつこうとして、アリアに首根っこを掴まれた。


「あの……みんな、俺のこと覚えてるよな?」


「何を今更言っているの?」とリリィ。

「勿論ですわ」とエレナ。

「大好きだもん!」とミア。


 渉は静かに空を見上げた。

 双つの月が、満面の笑みで輝いていた。


(……詰んだ。いや、詰んでないかもしれないけど、これは確実に一筋縄ではいかない。)


 最後の一人、シャノンの姿が見当たらないことに気づきながら、渉は王城への第一歩を踏み出した。


========================================


【第2話 シャノンは扉の向こうで待っていた】


 与えられた部屋は、王城の西棟にある客室だった。

 石造りだが内装は豪奢で、窓からは中庭が見える。ゲームの背景と寸分違わぬ部屋だ。渉は思わず「本当に再現度高いな……」と呟いてしまった。


 着替えを済ませ、ベッドに腰掛けた渉は頭を抱えた。

 状況が整理できていない。自分がゲームの世界に入り込んだのは分かった。体が二十二歳のものになっているのも分かった。全ヒロインの好感度がMAX状態というのも、嫌というほど分かった。


 問題は「なぜ」だ。

 そして――このゲームには、世界崩壊のイベントがある。


(第三章中盤、「星の断絶」イベント。攻略に失敗すると全ルートでバッドエンド。俺はあれを七回見た。)


 攻略法は頭に入っている。だが、それはゲームとしての知識だ。現実として機能するかは別の話だった。


「……とりあえず、まず状況把握だ」


 渉は立ち上がり、廊下に出た。

 夜の王城は静まり返っていた。松明の灯りだけが壁を照らしている。


 渉が角を曲がった瞬間、何かに足を引っかけた。


 ドスン、と地面に倒れ込む。その勢いのまま、何か柔らかいものに覆いかぶさった。


「……ッ」


 声がした。女の声だ。渉は慌てて顔を上げる。

 そこにいたのは、黒い軽装の女性だった。黒髪を後ろで結び、細い目に冷たい光を湛えている。

 シャノン・ノワール。暗殺者。


「……どいてくれる?」


 声が低くて静かだ。感情が読めない。だが、その頬がうっすら赤くなっているのを渉は見逃さなかった。

 自分がシャノンの上に覆いかぶさっていることに気づき、渉は飛び起きた。


「ご、ごめん! 暗くて見えなくて!」

「……気にしない。夜に無警戒で歩くあなたが悪い」

「それはそうなんだけど!」


 シャノンはゆっくり立ち上がり、渉を無表情のまま見下ろした。そして小さく、本当に小さく言った。

「……無事でよかった」


 渉は硬直した。


 シャノンルートは全攻略対象の中で最も難易度が高い。感情表現が乏しく、本音は最終盤にならないと解放されない。初対面でこんな言葉を言うキャラじゃない。


「シャノン、お前……俺のこと、ちゃんと知ってる、よな?」

「……あなたを知らない人間が、王城にいると思う?」

「なんで俺が帰ってきたことで、そんなに――」

「うるさい」


 シャノンは渉の言葉を遮り、背を向けた。

「あなたの部屋のそばで見張りをしていた。それだけ」

「なんで!?」

「……全員がそう思っているから、私がやる必要もないと思っていたけど」


 シャノンが少し間を置いて、続けた。

「全員があなたのそばにいたら、逆に窮屈でしょう」

 それだけ言って、闇の中に溶けるように立ち去った。


 渉はしばらく廊下に立ち尽くした。

「……なんで暗殺者が一番気遣いできるんだ」


 心臓がうるさかった。


◆


 翌朝。

 渉がまだ半分眠りながら扉を開けると、目の前に全員が集合していた。


「「「「「おはようございます(おはよう)(よ)(ございます)(!!)」」」」」


 渉は扉を閉めた。

 三秒後にもう一度開けた。

 全員がいた。


「……なんで全員いるの?」

「朝食のご案内に」とエレナが優雅に微笑む。

「一人はつまらないかと思って」とリリィが眼鏡を押し上げながら言う。

「私が呼んだわけじゃない」とアリアが腕を組む。

「わたしが集めました!」とミアが元気よく手を挙げる。

「……」シャノンが無言で端に立っている。


 渉は天を仰いだ。

 これが全員好感度MAXの朝だった。


(ゲームより十倍密度が高い。これを一日中やるのか……。)


 だが、不思議と悪い気はしなかった。


========================================


【第3話 剣の稽古で距離が縮まりすぎた】


 渉のゲーム知識によれば、「星詠みの騎士」の主人公は戦士系のステータスを持っている。

 確かに、今の自分の体には相応の筋肉がある。だが、実際に剣を振ったことはない。


「渉。今日から稽古をつける」


 朝食後、アリアが剣を二本携えて現れた。真剣な表情だ。訓練場に連れて行かれ、渉は木剣を手に取った。


「振ってみろ」

「こう?」

「体の使い方が素人だ。……まあ、当然か」


 アリアは渉の後ろに立ち、手を添えて剣の正しい持ち方を教え始めた。


 近い。

 とにかく近い。


 アリアの腕が渉の腕に沿って伸びてきて、手首の角度を直してくれる。首筋にアリアの吐息がかかる距離だ。

「力が入りすぎている。もっと柔らかく持て」

「は、はい……」

「手首だ。ここ」


 アリアがぐっと渉の手首を握った。渉の心臓が跳ねる。

「……顔が赤いな」

「暑いだけです」

「今日は涼しいぞ」

「内側から暑いんです!」


 アリアが小さく笑った。珍しい。ゲームでも序盤にアリアが笑うシーンはほとんどなかった。


◆


 一時間の稽古の後、渉は水を浴びるために浴場へ向かった。

 王城の浴場は大きく、時間帯によって男女が入れ替わる。今は男性の時間のはずだ。


 渉が扉を開けると、湯煙の中に人影があった。


「……あれ?」


 渉が目を細めると、人影がこちらに気づいて硬直した。

 リリィだった。眼鏡を外しているせいで時間を確認し損ねていたらしく、慌てて両腕で体を隠す。


「み、見ないでください! 時間を間違えてて……!」

「お、俺が出る! 出ますから!!」

「でも扉が! なんで開かないんですか!!」

「な、なんで!?」


 バタン、と外から声がした。

「あーごめん、扉の修理してるからもうちょっと待ってー」

 兵士の声だった。


 渉とリリィは、湯煙の中で沈黙した。


「……見てないから安心して」渉がなんとか言った。

「見ていないとしても! この状況は! 問題あります!!」

「俺も困ってる!!」


 しばらく後、扉が開き二人はそれぞれの方向に全力で逃げ去った。

 夕食の席で二人はひたすら目を合わせなかった。


 アリアだけが「二人とも何かあったのか?」と首を傾けたが、渉は「何でもないです」と全力で言い張った。


◆


 その夜、リリィが渉の部屋の扉をノックした。


「……あの。昼のことですが」

「謝らなくていい。俺こそごめん」

「私も謝っておきたかったので……」


 リリィは扉越しに少し間を置き、「でも」と続けた。


「……あなたが来てくれて、よかったと思っています」

「え?」

「ただの……感謝です。おやすみなさい」


 足音が遠ざかり、渉は扉に背を預けた。

 眼鏡をかけていないリリィの顔が、脳裏をよぎった。

 消えてくれない。


(……ゲームで見た顔と、全然違う。)


 生きている人間の顔は、画面の中の顔より何十倍も鮮やかだと、渉は初めて知った。


========================================


【第4話 王女との茶会と、知られてはいけない秘密】


 エレナ・アルバが渉を私室のサロンへ招いたのは、転移から三日目の午後のことだった。


 白を基調とした優美な部屋に、二人分のティーカップが並んでいる。エレナは窓際に立ち、庭園を眺めながら渉を待っていた。


「来てくれたのね」

「呼ばれたし……来ない理由もないかな、と」

「ふふ。正直な人」


 エレナは渉の向かいに座り、紅茶を注いだ。華奢な手つきだが、迷いがない。


「渉。あなたは、この国のことをよく知っている、そうね?」

 渉は一瞬固まった。「……まあ、少しは」

「少し、ではないでしょう。昨日の軍議で、あなたは北部の街道に関して的確な指摘をした。地図も見ずに」

「……それは、移動中に覚えただけ」

「嘘が下手ね」


 エレナはカップを置き、真っすぐに渉を見た。

「別に詮索するつもりはないわ。ただ……あなたが普通じゃないことは、みんな薄々気づいている。でも誰も聞かない」

「なんで?」

「あなたが帰ってきてくれた事実の方が、大事だから」


 渉は言葉を失った。


 エレナが窓の外に目を向ける。

「私はね、渉……あなたがいなかった二年間、とても……しんどかった」


 声が、少し揺れた。


「王女という立場は、感情を見せることを許してくれない。父王は政務に忙しく、妹は幼い。相談できる人がいなくて……そのうち、誰にも本音を言えなくなってしまった」


「エレナ……」


「でも、あなたが帰ってきた」エレナは微笑んだ。今度は取り繕いのない、本物の笑顔だ。「それだけで、また頑張れる気がする。変でしょう」


「変じゃない」


 渉は静かに言った。


「……俺も、みんながいるから頑張れると思ってる。それと同じだから」


 エレナがほんの少しだけ目を潤ませ、すぐに逸らした。

「……紅茶、冷める前に飲んで」


 渉は苦笑いしながらカップを持ち上げた。

 温かかった。


◆


 夕方、中庭のベンチでひとり座っていた渉のそばに、ミアが駆けてきた。


「渉さーん! エレナさまとお茶してたんですか?」

「うん」

「いいなー! わたしもしたい!!」

「するか?」

「するします!!」


 ミアが隣にどかっと座り、渉の腕を掴んだ。


「ねえねえ、渉さんって、うちの国に来る前はどこにいたんですか?」


 渉は少し考えた。

「……遠いところ。こことは全然違う場所」

「どんなとこ?」

「魔法がなくて、剣もなくて、でも別の不思議なもので溢れてる場所」

「なんか楽しそう!」

「……うん。楽しかったよ」


 渉は空を見上げた。双つの月は、昼間は見えない。

 元の世界の空は、月がひとつだった。


 あの空に、もう戻れないかもしれない。

 でも不思議と、今この瞬間は、そんなに悲しくなかった。


「渉さん」

「ん?」

「ここにいてくれてよかったです」


 ミアは無邪気に、真っすぐに言った。


「わたし、渉さんのこと大好きですから。ずっとそばにいてほしいです」


 渉の胸が、ぐっと締まった。

 彼女はゲームのキャラクターじゃない。

 渉の前で笑い、渉のためにそう言っている、本物の人間だ。


「……俺も、そう思う」


 渉が静かに言うと、ミアは嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、渉は初めて「ここが悪い場所じゃない」と、心の底から思えた。


========================================


【第5話 図書館の魔術師は眠れない夜を過ごしていた】


 「星詠みの騎士」において、リリィ・クロエは夜型人間というキャラクター設定を持つ。

 ゲーム内ではちょっとした小ネタとして語られるだけだったが、現実のリリィは本当に深夜まで図書館に籠もっているらしかった。


 渉がそれを知ったのは、夜中に目が覚めて水を取りに行ったついでに図書館の前を通ったからだ。扉の隙間から光が漏れていた。


 ノックすると、少し間があって扉が開いた。

 リリィが眠そうな目で立っていた。眼鏡をかけているが、髪が緩く乱れていて、いつもの整った印象ではない。


「……渉さん? こんな時間に」

「水を取りに行く途中で。リリィこそ、まだ起きてたの?」

「研究が途中で……あと少しだけと思ったら三時間経っていました」


 渉は呆れ半分で苦笑いした。「入っていい?」


 図書館の中は温かかった。魔術式の暖房が効いているらしい。テーブルの上に大量の本と羊皮紙が広がっていた。

 渉は椅子を引いて座り、リリィが元の席に戻るのを見た。


「何の研究?」

「……星の魔力流動の解析です。近ごろ、北部の魔力脈が不安定で」


 渉の背筋がざわっとした。

 それは知っている。「星の断絶」イベントの前兆だ。ゲームでは第三章、リリィが最初にその異変を察知する。


「リリィ。その不安定さって、どのくらい続いてる?」

「……三ヶ月ほどです。なぜ?」

「理由があって聞いてるんだけど、詳しくは後で話す。今は続きを教えて」


 リリィがじっと渉を見た。

「……あなたは本当に、何でも知っているのね」

「知らないことの方が多い。ただ、いくつか当たりをつけてることはある」


 リリィが少し間を置いてから、羊皮紙を一枚渉の前に広げた。

「これが現状の魔力流動図です。赤い部分が異常域」


 渉は図を見て、静かに息をのんだ。

 ゲームで見た図と、ほぼ一致している。


(やっぱりそうか。時間があまりない。)


 渉が考え込んでいると、隣に座ったリリィが頭をこつんとこちらの肩にぶつけた。


「……え?」

「眠い、です。少しだけ」


 渉は固まった。リリィの重みが肩にかかっている。

 三秒後、すうっと静かな寝息が聞こえ始めた。


「……リリィ?」


 寝た。完全に寝た。


 渉は動けなかった。

 窓の外は深夜の星空だった。双つの月が静かに浮かんでいる。


(……起こすのは、もう少し後にしよう)


 渉は眠れなかった。

 理由は肩のせいだけじゃなかったと、翌朝になってから気づいた。


◆


 翌朝、図書館で目を覚ましたリリィは、渉が傍で別の本を読んでいるのを発見した。


「……渉さん、もしかして私が起きるまでいてくれたんですか?」

「寝顔、見ていたわけじゃないよ」

「そんなことは聞いていません!」


 リリィの顔が真っ赤になった。

「あと……私の顔を見ている時の目が、さっきから優しすぎます!」

「本を読んでる顔だよ」

「嘘です!!」


 渉は笑った。

 こういう顔を、ゲームのリリィはしなかった。


========================================


【第6話 祭りの夜、五人が騒がしく笑った】


 王都では年に一度、「星祭り」が開催される。

 ゲームでは各ヒロインルートの中盤イベントとして登場し、渉はすべてのルートで祭りのシーンをプレイしていた。だが、それはあくまで一人のヒロインと二人きりで過ごすイベントだった。


 現実では、五人全員が渉と祭りに行くことになった。


「これは……予想していなかった」

「何がですか?」エレナが首を傾ける。

「五人まとめて来ることは……ゲーム通りじゃないっていうか」

「ゲーム?」

「何でもない!」


◆


 王都の大通りは屋台で溢れ、人々が笑顔で行き交っていた。夜空には魔術で作られた星型の光が飛び交い、地上の祭りと相まって夢のような景色を作っている。


「わー!! すごいすごい!!」ミアが子供のように走り出した。

「ミア、はぐれるぞ」とアリアが追いかける。

「こちらの屋台も気になりますね」リリィが眼鏡を光らせながら立ち止まる。

「渉、何か食べたいものは?」エレナが渉の隣を歩きながら聞く。

「……何でも食べる」

「では串焼きを」


 エレナが屋台から串焼きを二本買って、一本を渉に差し出した。渉が受け取ると、エレナが静かに微笑む。


「二人みたい、ですね」

「……まあ、そうかな」

「嫌?」

「嫌じゃないです」


 エレナは満足そうに串焼きを口に運んだ。


◆


 一方、リリィは魔術細工の露店の前で動かなくなっていた。

「これ、どういう術式で光っているんでしょう……」

「楽しんでるのか研究してるのか、どっちだよ」

「両方です。同時並行できます」

「そこは否定しない」


 リリィが渉の袖を少しだけ引いた。

「……人混み、少し苦手で。隣にいてくれますか?」

「いるよ」


 リリィが安堵したように小さく息をついた。


◆


 ミアが屋台のくじを引いて、三回連続で最下賞を引いた。

「えー!! なんで!? 渉さんが引いてください!」

 渉が引くと最上賞だった。

「すごーい!!」

「運だから何とも言えないけど……」

「渉さんに引いてもらった賞だから大切にします!!」


 もらった賞品の小さなぬいぐるみを大事に抱えるミアを見て、アリアが「子供みたいだ」と言い、ミアが「アリアだって羊串三本も食べてたじゃないですか!」と言い返し、祭りの人波に二人の口喧嘩が消えていった。


◆


 夜も更けたころ、渉はシャノンが群衆の外れに一人立っているのに気づいた。


「……一人でいいの?」

「私は群衆が苦手」

「だろうと思った」


 渉はシャノンの隣に立った。二人で遠くの賑やかさを眺める。


「楽しそうね、みんな」

「シャノンは?」

「……私は」シャノンが少し間を置いた。「こっちの方が、楽しい」


 渉とシャノンの視線が、少しだけ交わった。

 シャノンが目を逸らした。


「……言い過ぎた」

「いや、俺も同じだから」


 シャノンが黙った。それ以上は何も言わなかったが、少しだけ渉との間隔が縮まった気がした。


◆


 帰り道、五人は笑いながら王城へ向かった。

 ミアが「また来年も行きましょう!」と言い、アリアが「来年の話をするな」と言い、エレナが「でも素敵な夜でしたね」と締めた。


 渉は星空を見上げた。

 双つの月。見慣れてきた空。

 ここが自分の場所になっていく気がした。


 嬉しいような、少し怖いような。

 そのどちらもが、確かに本物だった。


========================================


【第7話 アリアが泣いていた理由を、渉は知っていた】


 アリアが珍しく訓練を欠かした日があった。


 渉は気になりながらも何も言わなかった。ゲームの知識で言えば、この時期にアリアが一日だけ姿を消すイベントは覚えがある。


 四年前、アリアの師匠――老齢の騎士、カルロ・シルヴァンが戦傷により亡くなった。その命日だ。


 夕方、渉は城外の小高い丘へ向かった。ゲームで彼女が一人で行く場所だ。


 案の定、アリアはそこにいた。

 草地に膝をつき、剣を地面に立てて、その柄に額を当てている。


 渉は声をかけず、ただ隣に腰を下ろした。


 しばらく沈黙が続いた。夕日が遠くの山際に沈んでいく。


「……なぜここが分かった」

「当てずっぽうだよ」


 アリアが鼻で笑った。「嘘が下手だな、お前は」


「……師匠の命日、だよね」


 アリアが少し固まった。

 やがて、静かに「ああ」と言った。


「強かった?」

「最強だった。あの人の背中を追って、私は剣士になった」

「どんな人だった?」

「……口が悪くて、酒好きで、でも誰よりも正義を信じていた人だ」


 アリアが剣の柄から額を離し、空を見上げた。


「お前と、少し似ているかもしれない」

「俺が?」

「理屈よりも感覚で動いて、誰かのために体が動く。……そういうところが」


 渉は何も言わなかった。


「私は怖かった」アリアが続けた。「あの人が死んでから、私は何年も……守れなかった自分を許せなかった。剣の腕が上がるたびに、あの人がいれば助けられたかと思う」


「アリア」

「…………」

「師匠は、お前が自分を責め続けることを望んでいたと思うか?」


 アリアが、ゆっくりと息を吐いた。


「……望んでいない、だろうな」

「そうだと思う」


 二人の間に、風が通った。草がゆれる。


 アリアの頬を、一筋の涙が伝った。

 彼女は拭わなかった。ただ静かに、空を見続けた。


「渉」

「うん」

「……ありがとう。来てくれて」


 渉は、何も答えなかった。

 ただ隣にいた。


 それで十分だと思った。


◆


 帰り道、二人は並んで歩いた。


「お前は、師匠を持ったことがあるか?」とアリアが聞いた。

「剣の師匠はいないけど……好きなものを教えてくれた人なら」


 渉はゲームのことを思い出した。姉が部屋に置き忘れたパッケージ。あの日がなければ、今ここにいなかった。


「その人に、感謝してる」

「会えるのか?」

「……難しいかな。でも、その人がいたから俺はここにいる」


 アリアが少し間を置いた。

「それなら……いい出会いだったのだろう」


 渉は微笑んだ。

「うん。最高の出会いだったよ」


 双つの月が、夜空に浮かび上がった。


========================================


【第8話 暗殺者の正体と、知られたくない顔】


 渉が「シャノンについてちゃんと話したい」と思い始めたのは、転移から二週間が経ったころだった。


 シャノン・ノワールはゲームの中でもっとも謎めいたキャラクターだ。表向きは王城に仕える影の情報員だが、実際のルートを攻略すると、その過去には相当に重いものが明かされる。


 だが、それはゲームの話だ。


 現実のシャノンが何を考えているかは、渉にも分からなかった。


◆


 ある夜、渉は城の東翼で不審な人影を見た。

 シャノンの部屋から出てきた人影が、すぐに消えた。後を追うと、裏庭の木の上にシャノンが座っていた。


「……何してるの、木の上で」

「木に登るのが好き」

「暗殺者って木が好きなの?」

「高いところが好きなだけ」


 渉は木を見上げた。「俺も上がっていい?」

 シャノンが少し間を置いた。「どうぞ」


 渉は何とか木を登り、シャノンの隣の太い枝に腰を落ち着けた。王城の庭が一望できる。


「いい眺めだな」

「でしょう」


 しばらく沈黙。


「シャノン、聞いてもいい?」

「何を?」

「お前のことが、よく分からない」

「……暗殺者について何を知りたいの」

「暗殺者じゃなくて、シャノン個人のことを」


 シャノンが枝の上でわずかに動いた。


「……私のことを知りたい人間はあまりいない」

「俺は知りたい」

「なぜ」

「なんとなく……お前の笑った顔を見たことがないから」


 シャノンが黙った。


 風が木の葉を揺らした。


「……笑わない訓練をしていた時期がある」

「なんで?」

「感情は隙になるから。情報員は感情を持つべきでないと教わった」


「それ、今でも守ってる?」

「……守ろうとしている」


 渉は少し考えてから言った。「じゃあ、守れなかった瞬間はある?」


 シャノンが長い間を置いた。


「……あなたが帰ってきた日」

「え?」

「城の門で、あなたの顔を見た瞬間……少しだけ笑ってしまった」


 渉の心臓が、ぐっと跳ねた。


◆


 その夜、木から降りる際に枝が折れた。


 渉が落ちた。シャノンが反射的に腕を伸ばした。二人は地面に倒れ込み、シャノンが渉の下敷きになった。


 完全にデジャヴだった。第二話と同じ状況だ。


「……またか」シャノンがぼそりと言った。

「ごめん!! 全力で謝る!!」

「…………」

「シャノン?」

「……動かないで」


 渉が固まった。


「今、顔が見られたくない」


 渉の胸の下で、シャノンが小さく、困ったように笑っていた。


 渉は気づかないふりをして、ゆっくり離れた。

 シャノンはすぐに平静を取り戻し、何事もなかったように草を払った。


「……木から落ちるなら一人で落ちて」

「善処します」


 渉は全速力で自室に戻り、毛布に顔を埋めた。

 シャノンの笑顔が、頭から離れなかった。


========================================


【第9話 聖女の力が暴走した夜】


 「星詠みの騎士」において、ミア・ルーチェは稀代の聖女として世界に知られている。

 だが、ゲームで詳しくプレイした人間なら知っていることがある。

 ミアの治癒魔法は、感情が激しく揺れると制御を失う。


 それが起きたのは、渉が転移して三週間が経った夜のことだった。


◆


 ミアの部屋から、深夜に白い光が漏れた。

 廊下を通りかかった渉がそれに気づき、扉を開けると――部屋全体が淡い光に包まれていた。


 ミアが床に膝をつき、両手から制御の効かない治癒光を放出していた。

 顔は青ざめ、歯を食いしばっている。


「ミア!」


 渉が駆け寄ると、ミアが弱々しく顔を上げた。


「……渉さん、ごめんなさい。うまく止められなくて」

「怪我は? 痛いところは?」

「大丈夫……でも、力が止まらなくて……」


 治癒魔法の暴走は、本人のエネルギーを急速に消耗させる。ゲームでもこのシーンは存在した。


 攻略法は、感情の高ぶりを鎮めること。外から声をかけ、体温を伝えること。


 渉は考えるより先に行動していた。

 ミアの背後に回り、両腕でそっと抱きしめた。


「渉……さん?」

「大丈夫。ゆっくり息して」

「でも、わたしの力が渉さんに当たったら……」

「治癒魔法で俺が死ぬことはない。落ち着いて」


 ミアの体が小刻みに震えている。

 渉は静かに背中をさすった。


「何か怖いことがあったの?」


 ミアが少し黙った。


「……夢を見ました」

「どんな夢?」

「渉さんが、いなくなる夢」


 渉の胸が、ぎゅっと痛んだ。


「また急にどこかに行ってしまう夢で……起きたら、手が震えていて……」

「ミア」

「ごめんなさい、変なこと言って……」

「変じゃない」


 渉はより強く、ミアを抱きしめた。


「俺は今ここにいる。いなくなったりしない」

「……本当に?」

「……できる限り、ずっとここにいる」


 ミアの震えが、ゆっくりと収まっていった。

 光が、少しずつ弱まった。


 やがて部屋が暗くなり、二人は静寂の中に残された。


◆


 ミアが完全に落ち着くまで、渉は傍にいた。

 夜明けが近づくころ、ミアはようやく床に横になった。


「渉さん……」

「ん?」

「わたし……渉さんのことが大好きなんです」

「知ってる」

「ゲームみたいな言い方ですね」


 渉は苦笑いした。

「ゲームじゃないから、ちゃんと言う。……俺も、ミアのことが大切だ」


 ミアがふわっと笑った。目に薄く涙が光っていた。

「よかった。おやすみなさい、渉さん」

「おやすみ、ミア」


 渉は廊下に出て、扉を静かに閉めた。

 朝の空気が、少しずつ冷たさを失いつつあった。

 渉は拳を軽く握った。


(ゲームの知識が、現実で役に立った。でも次は……もっと大事なことが来る。)


 「星の断絶」まで、おそらく時間は多くない。


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【第10話 王城の湯殿で繰り広げられた大混乱】


 渉が転移して一ヶ月が経った。

 徐々に王城の生活に慣れてきた渉だったが、一つだけどうしても慣れない問題があった。


 王城の浴場に関する、構造的な欠陥である。


 男女入れ替え制なのだが、時間の掲示板が古くて読みにくいらしく、誰かしらが時間を間違えるのが週一回ペースで発生していた。


 今日がその日だった。


◆


 渉がいつも通り浴場を利用しようとすると、扉が半分開いていた。


「あれ? いつもは閉まってるんだけど」


 渉が首を傾けながら入ると、中に先客がいた。


 エレナだった。


 王女は優雅に湯船に浸かっていたが、渉が入ってきた瞬間、その表情が固まった。


「…………」

「…………」


 三秒後、エレナが静かに言った。

「扉の外で待っていなさい」

「はいっ!!」


 渉が飛び出した直後、中からアリアの声も聞こえた。

「私もいるぞ!? なぜ一言言わない!!」

「渉が悪い!!」というミアの声。

「認識ではなく構造の問題では」とリリィの冷静な指摘。


 全員いた。


 渉はしゃがみこんで廊下の壁に頭を預けた。


「……なんで全員いるんですか」


◆


 五分後、渉は廊下に正座させられていた。

 五人が並んで渉を見下ろしている。全員が湯上がりでローブ姿だ。


「弁解を聞きましょう」とエレナ。

「扉が開いてたから……」

「それはあなたが入っていい理由にならない」とリリィ。

「私は二秒見ただけで出た!!」

「二秒でも見た」とアリア。

「アリアはさっき私に向かって来てたじゃないですか!」とミア。

「お前がいきなり叫ぶからだろう!」

「…………」シャノンが無言でお茶を飲んでいる。


「シャノン、なんで飲んでるの?」

「こういう場は眺めていた方が楽しい」


 渉はもう一度頭を壁に当てた。


◆


 一時間後、笑い話として全員が笑っていた。

 エレナが「でも渉が一番慌てていたから許す」と言い、アリアが「次は鍵をかけておくが、お前の弁解は認める」と言い、リリィが「私は全員に謝罪文を要求する権利があると思います」と言い、ミアが「渉さんって顔が赤くなると耳まで赤くなるんですね!」と言い、シャノンが「……知ってた」とだけ言った。


「シャノン、いつそんな細かいとこ観察してるの!?」

「暗殺者だから」

「それで何でも許されると思ってる!?」


 騒がしい夜だったが、誰もが笑っていた。


 渉はこの世界に転移してから初めて、腹の底から笑った気がした。


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【第11話 「星の断絶」の予兆、そして渉が打ち明けた秘密】


 北部から伝令が届いたのは、深夜のことだった。

 「北の要塞付近で魔力の大規模な乱れが発生。周辺村落に影響あり」


 渉はその報告を聞いた瞬間、立ち上がった。


「来た」


 緊急会議が招集され、五人と渉が集まった。


 リリィが調査データを広げ、淡々と説明する。

「北部の魔力脈が三ヶ月で急速に不安定化しました。このまま進行すると……」

「「星の断絶」が起きる」


 渉がリリィの言葉に続けると、全員の視線が集まった。


「……なぜ知っている?」リリィが静かに問う。


 渉は椅子を引いて座り、しばらく黙った。

 ここが潮目だと思った。


「話す。全部話す」


◆


 渉は一時間かけて、できる限りの真実を話した。


 異世界から来たこと。

 元の世界では「星詠みの騎士」というゲームが存在し、渉はそれをプレイしていたこと。

 この世界の出来事、人物、イベントをある程度知っていること。

 「星の断絶」という世界崩壊に近いイベントがこの先に待っていること。

 そして、それを防ぐ方法を知っていること。


 誰も話の途中で遮らなかった。


 全てを話し終え、渉が顔を上げると、五人が様々な表情で渉を見ていた。


◆


 最初に口を開いたのはアリアだった。


「……ゲームというのが何か、私には分からない。だが、お前が我々の知らないことを知っていたのは事実だ」

「信じてもらえるとは思ってない。でも、知っておいてほしかった」

「信じるかどうかは別として」アリアが続けた。「お前が正直に話してくれたことは、受け取る」


 エレナが微笑んだ。「私も同じよ。あなたが嘘をついていないことは、ずっと分かっていたわ」


 リリィが眼鏡を押し上げた。「……ゲームのデータと私の研究が一致しているなら、逆に有益な情報源です。詳しく聞かせてください」


 ミアが涙目で言った。「渉さん、ずっと一人で抱えてたんですか? それは……大変だったね」


 シャノンは無言だった。渉が視線を向けると、少し間を置いてから言った。

「……出身地なんて、どこだっていい」

「シャノン……」

「あなたが今ここにいることが、事実でしょう」


 渉の目に、じわりとぬくもりが広がった。


◆


 会議は夜明けまで続いた。

 「星の断絶」を防ぐための作戦を立て始めたとき、渉は初めて「俺はここにいていい」と思えた。


 五人は渉の話を信じた。

 完全には理解できなくても、渉を信じた。


 それだけで、十分すぎた。


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【第12話 第一期最終回・北へ、星の断絶を止めるために】


 出発は翌朝早くに決まった。

 北の要塞へ向かい、魔力脈の源に「封鎖の核」を設置する。これがゲームにおける「星の断絶」回避の第一手だ。


 渉、アリア、リリィの三人が向かうことになった。エレナは王都の政務を維持するため残る。ミアは聖女として王都の護衛魔法を維持する必要がある。シャノンは先行して周辺の偵察に出た。


◆


 出発前、エレナが渉の前に来た。


「渉」

「エレナ」

「……必ず戻って」


 それだけ言って、エレナは渉の手を一瞬だけ握り、離れた。

 振り向かなかった。


 ミアが目を真っ赤にしていた。

「いってらっしゃいですッ……! 絶対帰ってきてくださいッ……!!」

「そんな大げさな……」

「大げさじゃないですッ!!」


 渉はミアの頭を軽く撫でた。

「待ってて」


◆


 馬で三日かけて北部に近づくにつれ、空気が変わった。

 魔力の乱れが体で感じられる。風が変な方向から吹き、草木の色が僅かに歪んでいる。


 リリィが道中ずっと魔力観測を続けていた。

「……予想より早い。渉さん、ゲームでは到達まで何日かかりましたか?」

「プレイヤーの選択次第で変わったから……でも最速だと四日以内に源まで到達しないとまずかった」

「今何日目?」

「……三日目」


 三人の間に緊張が走った。


「急ぐぞ」とアリアが馬の速度を上げた。


◆


 二日目の夜営。


 焚き火を囲んで、三人は少し話した。


「渉」アリアが言った。「一つ聞いていいか」

「何?」

「……お前は、元の世界に戻れたとして、戻りたいか?」


 渉は火を見た。

 しばらく考えた。


「……分からない」正直に言った。「戻りたい気持ちもある。家族もいるし、友達も……まあ少ないけどいる」


「だが?」


「でも……ここにいる人たちのことが大切になった。お前たちのことが。この世界のことが」


 アリアが静かに頷いた。「それを聞けた」


「アリアは? 俺に戻ってほしくない?」

「……聞くな、馬鹿」


 アリアが顔を逸らした。

 リリィが「私も……その、帰らないでほしいです」と小声で言い、「言葉にしてしまった……」と呟いた。


 渉は苦笑いした。

「……俺も、そう思ってる」


◆


 三日目の夜明け前。

 要塞の近くまで来たとき、シャノンが合流した。


「偵察完了。魔力の源は要塞の地下、封印室だ」

「予想通りだ」とリリィ。

「入れる?」と渉。

「私が入れる。三人を案内できる」


 シャノンが渉を見た。珍しく真剣な顔だ。


「……危険かもしれない」

「知ってる」

「それでも行くの?」

「行かないと、みんなが危ない。そんなの選択肢じゃないよ」


 シャノンが少しだけ、目を細めた。

「……そういうところが、好き」


 それだけ言って、シャノンが先を歩き出した。


 渉はその背中を見つめ、一歩踏み出した。


◆


 四人が要塞の地下に踏み込んだとき、天井まで届く巨大な魔力の柱が立ち昇っていた。


「……でかい」

「これが「星の断絶」の核か」リリィが緊張した声で言う。

「封鎖の核を設置する。場所は?」とアリアが渉を見る。


 渉はゲームの記憶を手繰った。

「中央の台座だ。ただし設置の際に魔力が爆発的に放出される。その瞬間、全員で魔法防壁を展開しないといけない」


「問題ない」とアリア。「やれる」

「私が魔法防壁を維持します」リリィ。

「案内は私が」シャノン。


 渉は頷いた。


「行こう」


 四人が中央へと歩き出す。

 遠くで双つの月が昇り始めた。


 この先に何が待っていても、渉は逃げないと決めていた。


 この世界は、ゲームの中の世界じゃない。

 渉が愛した世界が、ここで息をしている。


(――絶対に、守る。)


 第一期 了 / 第二期へ続く

【第13話 封鎖の核、設置――そして崩落】


 要塞地下の中央台座まで、あと二十歩。

 魔力の乱流が壁や床を震わせ、石片が天井から降り注いでいた。


「リリィ、防壁は持つか!」

「……あと五分が限界です!」


 リリィが歯を食いしばり、両手を広げて魔力防壁を維持していた。額に汗が光っている。渉はその前を走り、封鎖の核を抱えて台座へ急いだ。


 封鎖の核はゲームでは「古代魔術師が作った封印装置」という設定だった。だが現物は、拳ほどの大きさの石の球だ。表面に細かな術式が刻まれ、持つだけで手がじんじんする。


「渉! 右!」


 シャノンの声と同時に、渉は反射的に跳んだ。

 直後、床が爆発するように割れ、魔力の奔流が吹き上がった。


 渉は転がりながら何とか台座に手をかけた。


「設置する!!」


「魔力放出は台座に触れた瞬間だ! 全員防壁の内側へ!!」とリリィ。


 アリアがシャノンの腕を掴み、三人がリリィの防壁の中に滑り込んだ。


 渉は台座に封鎖の核を置いた。


 一瞬の静寂。


 次の瞬間、目が眩む白光が地下室全体を埋め尽くした。


◆


 気づいたとき、渉は瓦礫の中に埋まっていた。

 体が動く。頭が痛いが、大きな怪我はない。


「アリア! リリィ! シャノン!!」


「こちらだ!」アリアの声。

「無事です!」リリィの声。

 間があって「……問題ない」シャノンの声。


 全員生きている。

 渉は大きく息を吐いた。


 瓦礫を押しのけて這い出ると、天井に開いた穴から朝の光が差し込んでいた。

 魔力の流動が、嘘のように静まり返っていた。


「……成功、か?」


「魔力流動、正常化を確認」リリィが端末を確認しながら言った。「封鎖の核、作動しています」


 渉はその場に座り込んだ。


◆


 地上に出ると、シャノンが渉の腕の傷に気づいた。

 瓦礫で切ったらしく、じわりと血が滲んでいる。


「手を出して」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない。出して」


 シャノンが無言で渉の腕を掴み、懐から取り出した薬草を傷口に当てた。指先が器用に包帯を巻いていく。


「……ありがとう」

「暗殺者は治療もする。そういう仕事だから」

「シャノン」

「なに」

「怪我なかった?」

「……少し」

「見せて」

「自分でできる」


 渉がシャノンの手首を取った。シャノンが目を細める。


「頑固だな、お前は」

「あなたの方が頑固」


 二人で黙って傷の手当てをした。

 アリアがそれを遠くから見て、小さく笑った。


◆


 四人は帰路につきながら、空を見上げた。

 双つの月はまだ遠くに薄く見えていた。


「渉」アリアが言った。「星の断絶、止まったな」

「第一段階はね。まだ続きがある」

「何段階ある?」

「ゲームでは三段階だったけど……現実でも同じかは分からない」


 リリィが「また研究します」と静かに言った。


「みんな、ありがとう」渉は三人を見た。「お前たちがいなかったら、ここまで来られなかった」


 アリアが「礼を言われるほどのことじゃない」と言い、リリィが「当然の協力です」と言い、シャノンが「……私は自分でやりたかっただけ」と言った。


 それが三人なりの「どういたしまして」だと、渉は分かった。


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【第14話 帰還と、王都で待っていた二人】


 王都への帰還は三日後だった。

 城門を馬で通り抜けた四人を、エレナとミアが出迎えた。


 ミアが駆けてきて、渉に全力で飛びついた。


「帰ってきたーーー!!!」

「わっ!? ちょっと、ミア!?」


 ミアが渉の首に腕を回し、ぎゅうと抱きついた。

 体重を受け止めながら渉は踏ん張り、何とかそのまま立っていた。


「離れない!! もう離さない!!」

「息できないんだけど!!」

「知りません!!ずっと心配だったんですよ!!」


 エレナが近づき、落ち着いた声で「ミア、渉が窒息している」と告げた。

 ミアが渋々腕を緩めたが、まだ渉の服を掴んでいた。


「……無事でよかった」

 エレナが静かに言い、渉の顔を見た。目が少し潤んでいる。

「エレナ……」

「何でもないわ。さあ、中に入りましょう」

 エレナが踵を返した。その背中が、わずかに震えていた。


◆


 入浴のため渉が浴場へ向かうと、脱衣所の入り口でミアが待ち構えていた。


「お背中、流しますよ!!」

「い、いや、それは……!」

「お礼です! 心配してたお礼!!」

「お礼の内容がおかしい!!」


 ミアがずんずん入ってこようとする。渉が必死に押し返す。

 その押し問答が続いていると、後ろからエレナの声がした。


「ミア、いい加減にしなさい」

「でもエレナさまだってお礼したいでしょう!?」

「……した、いけれど」エレナが珍しく詰まった。「それが適切な形かどうかは別の話でしょう」

「えーーー」


 渉はこの機に全力で扉を閉めた。内側から鍵をかけた。


「二人とも、外で待っててください!!」

「渉さんのけちー!!」というミアの声。

「渉……お帰りなさい」というエレナの小さな声。


 渉は扉に額を当てた。

「……ただいま」


◆


 夜、全員が食堂に集まり、久しぶりに六人で食事をした。

 アリアが北の要塞での出来事を話し、ミアが「すごい!」「怖い!」と交互に反応し、エレナが「詳しい報告書をいただく必要がありますね」と言い、リリィが「もう書き始めています」と答え、シャノンが黙々と食べながらたまに一言だけ加えた。


 渉はその光景を眺めながら、静かな幸福感を覚えた。


 ゲームでは一人のヒロインとしか経験できなかった食卓が、今は六人分の声で満たされている。


(……このために来たわけじゃなかったけど。来てよかったと思う、今は)


 渉が内心でそう思っていると、ミアが「渉さん、何ニヤニヤしてるんですか?」と言い、全員の視線が集まった。


「ニヤニヤしてない」

「してます!!」

「してます」とシャノン。

「……少し」とリリィ。

「まあ」とアリア。

「嬉しそうね」とエレナが微笑んだ。


 渉の顔が赤くなった。

 全員が笑った。


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【第15話 リリィの研究室に忍び込んだら大変なことになった】


 渉が「第二段階」の準備をしたいと思ったとき、最初に相談したのはリリィだった。


 ゲームでは、「星の断絶」第二段階への対処法は「古代魔術師の遺した封印書」に記されている。その本は王立図書館ではなく、リリィの個人研究室にある稀覯本棚に保管されているはずだった。


 問題は、リリィが「研究室は完全に私のスペースです。無断侵入禁止」と固く言い渡していたことだ。


 渉は最初から了承を取るつもりだったのに、リリィが出かけていて捕まらなかった。


 仕方なく、渉は「少し覗くだけ」と自分に言い訳しながら、開いていたリリィの研究室の扉を押した。


◆


 室内は想像以上にカオスだった。

 本が積み上がり、羊皮紙が散乱し、魔術実験の器具が所狭しと並んでいる。床にも本がある。道がない。


 渉が慎重に足の踏み場を探しながら奥の本棚へ向かっていると、後ろで扉が開いた。


「…………」

「…………」


 リリィがいた。


 渉とリリィは一秒見つめ合い、渉が先に口を開いた。

「ちょ、ちょっと待って、説明する!!」

「無断侵入禁止と言いましたよね!?」

「扉が開いてたから!!」

「開いていたら入っていいということにはなりません!!」


 リリィが全力で渉の腕を掴んで引っ張ろうとした。渉が足を取られ、重心を失ってリリィの上に倒れ込んだ。


 どさっ、という音と共に、二人が本の山の上に倒れた。羊皮紙が舞い上がる。


「……いたた」

「……渉さん」

「ごめん、大丈夫?」


 渉が顔を上げると、リリィが真下で眼鏡を曲げながら硬直していた。


「……大丈夫ですが」

「よかった、眼鏡は……」

「曲がってます」

「直せる?」

「直せますが、今それより渉さんが私の上にいる問題の方が」

「あっ、ごめん!!」


 渉が慌てて離れ、二人は本の山の上に並んで座った。

 リリィが眼鏡を直しながら、ため息をついた。


「……何を探していたんですか」

「古代封印書。第二段階の対策のために」

「……それなら最初から言えばよかった」

「言おうとしたんだよ! 捕まらなかっただけで!」


 リリィが少し間を置いた。

「……分かりました。一緒に探しましょう」

「怒ってないの?」

「怒っています」リリィがきっぱり言った。「でも、重要なことでしょう。怒ることと協力することは別です」


 渉は苦笑いした。「……リリィって、合理的だよな」

「褒めているんですか?」

「もちろん」


 リリィが少し目を逸らした。

「……本棚は、右の奥から三列目です」


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【第16話 エレナ王女と、一夜の逃避行】


 エレナが「少しだけ、城の外に出たい」と渉に言ったのは、珍しいことだった。


 理由を聞くと「王族会議が続いていて、疲れてしまった」と短く答えた。エレナが弱音を吐くのは珍しい。渉はそれ以上聞かず「行こう」と言った。


◆


 変装したエレナは、普段とはまったく違う雰囲気だった。

 豪奢なドレスの代わりに質素なワンピース、金髪は帽子の下に収めている。横を歩いていると、どこにでもいる二十代の女性に見えた。


 王都の夜市を二人で歩く。


「こんなに賑やかなのね」エレナが目を丸くする。

「城の中からは見えないからな」

「あの露店、何を売っているの?」

「焼き菓子だよ。食べる?」

「……いただいても?」


 渉が二つ買い、一つをエレナに渡した。エレナが口に入れた瞬間、小さく「美味しい」と言った。その顔が、城の中とは全然違う。


「エレナ、今の顔」

「どんな顔?」

「子供みたい」

「……失礼ね」

「褒めてる」


 エレナが少し頬を染め、もう一口食べた。


◆


 川沿いのベンチに二人で座った。

 夜風が水面を揺らし、魔術灯の明かりが川に映っている。


「渉、聞いていいかしら」

「うん」

「……あなたは、この先もここにいてくれる?」


 渉は少し考えた。


「分からない、が正直なところ。でも……逃げたいとは思ってない。それは本当」

「逃げたい、というのは?」

「ここが嫌だとか、みんなと離れたいとか。そういう気持ちはない」


 エレナが静かに川を見た。


「私は、父王から縁談の話が来ていて」

「……知ってる」

「知っているの?」

「ゲームに、そういう展開があった。エレナが政略結婚を迫られるシーン」


 エレナが小さく笑った。「私の人生が、そのゲームに書いてあったの?」

「大筋は。でも、全部が一致するとは限らない。ゲームと現実は違うから」


「ならよかった」

「え?」

「私が望む結末が、ゲームに書いてないかもしれないでしょう」


 エレナが渉を見た。

 その目に、揺るぎない意志があった。


「私は、自分の意志で誰かの隣にいたい。命令ではなく、自分で選びたいの」


「……選べるよ」渉は言った。「お前が選んでいいと思う、絶対に」


 エレナが長い息を吐いた。

「……ありがとう。そう言ってくれる人が、あなただけだから」


 川の水が、静かに流れていた。


◆


 帰り道、エレナが渉の袖をそっと掴んだ。

「もう少しだけ、このまま歩いていいかしら」

「いくらでも」


 二人は並んで、夜の王都を歩いた。

 エレナは終始無言だったが、渉の袖を離さなかった。


 王城の門が見えるまで、ずっとそのままだった。


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【第17話 ミアの秘密と、聖女になった理由】


 ミア・ルーチェは、いつも明るかった。


 どんな状況でも笑顔で、どんな人にも優しく、「大好き!」を惜しみなく言える人間だった。

 ゲームでも彼女のルートは「明るい聖女の天真爛漫ラブコメ」という印象で、渉は何度も笑いながらプレイしていた。


 だが、ゲームのミアルートには、中盤に一度だけ重いシーンが存在する。


◆


 渉がそのシーンを思い出したのは、ミアが珍しく一人で礼拝堂にいるのを見かけたときだった。


 声をかけようとして、足が止まった。

 ミアが祭壇の前でうつむき、静かに泣いていた。


 渉は少し迷ってから、扉を開けた。


「ミア」


 ミアが振り向いた。涙を拭いて「あ、渉さん! 見ましたか!? 今の!?」と言う表情が、無理やり明るくなろうとしていた。


「見た」

「えーー恥ずかしい……」

「何かあった?」


 ミアが少し固まった。

 やがて「……座りますか」と言い、祭壇前のベンチに並んで座った。


「渉さんには言ってなかったですけど」ミアが静かに言った。「わたし……故郷の村が、魔物の被害で壊滅してるんです。十三歳のとき」


「……知ってる」

「知ってたんですか?」

「ゲームに書いてあった。でも、お前の口から聞きたかった」


 ミアが少し間を置いた。


「みんな逃げて、でも怪我した人が何人もいて……わたしの治癒魔法で、助けられた人もいたし、間に合わなかった人もいた」


 ミアの声が、少し掠れた。


「聖女になったのは、もっと上手くなりたかったから。もっと早く、もっと多く、助けられるようになりたかったから」


「……立派だよ」

「立派じゃないです。わたしは、怖かったから逃げ出したかった。でも逃げたら誰かが死ぬから……そうしたら一生後悔するから、やるしかなかっただけで」


 渉は黙って聞いていた。


「わたし……強くないんです、本当は。いつも怖くて、でも怖いって言えなくて、だから笑ってる。笑っていると楽になるから」


「ミア」

「はい」

「怖くていい。強くなくていい」


 ミアが渉を見た。


「ただ、生きてここにいてくれ。それだけでいい」


 ミアの目から、また涙が零れた。


「……渉さんって、ずるいです」

「なんで?」

「そういうこと言われたら、泣いてしまうじゃないですか」


 渉は苦笑いして、ポケットからハンカチを出してミアに渡した。

 ミアが受け取り、思い切り顔を埋めた。


 しばらく礼拝堂は静かだった。


◆


 ミアが泣き止んだあと、二人は並んで礼拝堂を出た。


「渉さん」

「ん?」

「わたし、渉さんがいてくれると……また頑張れる気がします」

「ゲームのヒロインが言いそうなセリフだな」

「失礼ですね!?」


 ミアがぽかっと渉の腕を叩いた。渉は笑った。


 ミアも笑った。

 今度は、ちゃんと本物の笑顔だった。


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【第18話 シャノンが初めて料理をした日】


 渉が体調を崩したのは、転移から二ヶ月が経ったころだった。

 この世界の食事や気候に体が慣れてきたはずだったが、夜に急に熱が出た。


 翌朝、渉がふらふらと部屋から出ようとすると、廊下にシャノンがいた。


「……熱がある顔をしている」

「少しだけ」

「戻って」

「でも今日は――」

「戻れと言った」


 渉は押し戻され、ベッドに横にさせられた。


「全員に連絡する」

「しなくていい、大げさになる……」

「もう連絡した」

「早い!!」


◆


 一時間後、渉の部屋は全員がいた。

 ミアが「治癒魔法かけます!」と張り切り、エレナが「まず静かにさせてあげなさい」と止め、アリアが「ちゃんと飯を食べているか」と眉を寄せ、リリィが「解熱の薬草ならあります」と取り出した。


 シャノンだけが「少し席を外す」と言って、部屋を出た。


「シャノン、どこ行くの?」とミアが聞く。

「……厨房」

「シャノンさんが料理するんですか!?」と全員が驚いた。


◆


 一時間後、シャノンが戻ってきた。

 手に小さな椀を持っていた。湯気が立っている。


「……粥。体に当たりにくい材料だけで作った」


 全員が静かになった。


「シャノンが料理……」とミアが感動した声を出す。

「おかしいか」

「おかしくない!! むしろすごい!!」


 シャノンが渉の枕元に来て、椀を渡した。

 渉が一口食べた。


「……美味い」

「本当に?」

「本当に。ちょうどいい塩加減だ」

「……そう」


 シャノンがほんの少し、目を和らげた。

 アリアが「私も作れる」と言い始め、エレナが「私も」と言い、ミアが「わたしも!!」と言い、リリィが「順番に、ですね」と調整し始めた。


 渉は椀を抱えながら「全員作ってくれなくていいからね……?」と言ったが、全員聞いていなかった。


◆


 その夜、シャノンが最後に部屋を出る際、扉の前で立ち止まった。


「……早く治して」

「うん」

「みんなが心配している」

「……お前は?」

「……」


 シャノンが少し間を置いた。


「私も」


 扉が静かに閉まった。

 渉は天井を見上げて、ゆっくりと微笑んだ。


(熱が上がった気がする。シャノンのせいで。)


 それは解熱薬より効いた。


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【第19話 アリアが渉に「勝てない」と気づいた日】


 訓練が始まって二ヶ月。

 渉の剣の腕は、アリア曰く「素質がある」程度には上達していた。


 その日の訓練は、実戦形式だった。

 木剣を持った二人が向かい合い、アリアが「来い」と言った。


◆


 渉は負けた。当然だ。アリアは王国最強の騎士だ。

 だが、渉が転んだ際に体勢を崩したアリアが重心を失い、渉の上に倒れ込んだ。


 甲冑ではなく訓練着だった。

 アリアの銀髪が渉の顔にかかる。


「…………」

「…………」


 アリアが即座に立ち上がった。

「……戦闘中に転ぶとは何事だ」

「それは俺のセリフでは?」

「うるさい! もう一本だ!!」


 アリアが真っ赤な顔で木剣を構えた。


◆


 五本勝負して、全部渉が負けた。


 アリアが訓練終了を告げ、渉が水を飲んでいると、アリアが隣に来た。


「……渉」

「うん?」

「剣では私に勝てないが……他のことでは、お前に勝てないかもしれない、と思っている」

「他のこと?」

「人を安心させることとか、言葉で人の心を動かすこととか」アリアが腕を組んだ。「私には……そういうものが、できない」

「十分できてるよ」

「お世辞は結構だ」

「本当のことを言ってる。アリアの言葉はまっすぐだから、誰もが信じる」


 アリアがじっと渉を見た。


「……お前は」

「うん?」

「……なぜそう言えるんだ。自分が見られているというのに」


「え?」

「お前と話していると……どうも、心臓がうるさい。剣で斬られたわけでもないのに」


 渉は完全に固まった。


 アリアが渉の反応を見て、さらに顔を赤くし「言い方が悪かった! 言い方だ!!」とフォローしようとして余計に赤くなった。


「アリア、落ち着いて」

「落ち着いていない!!」


 渉は笑った。

 アリアが「笑うな!」と言い、渉がさらに笑い、二人は訓練場に残って日が暮れるまで話した。


 どんな話をしたかは二人だけが知っている。


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【第20話 古代封印書が解読できた夜と、二人きりの時間】


 リリィが「古代封印書の解読が完了した」と言ったのは、深夜のことだった。


 渉が呼ばれて研究室に行くと、テーブルに羊皮紙が広がっていた。


「見てください、これが第二段階の対策です」

 リリィが図を指差す。「第一段階で北の魔力脈を抑えましたが、第二段階は王都の地下に眠る古代の封印炉が問題です。封印炉が弱体化しているため、そこに新たな魔力を注入する必要がある」


「魔力の注入方法は?」

「書によれば……複数の魔術師が同時に「共鳴詠唱」を行う必要があります。一人では不可能な量の魔力が必要で、かつ完全に息を合わせないといけない」


「リリィ一人で難しい?」

「私一人では不可能です。最低でも三名。理想は五名」


 渉は頷いた。「全員に声をかける」

「……一つ問題があります」


「何?」

「共鳴詠唱は、術者同士の精神的な繋がりが必要なんです。互いを深く信頼していないと、魔力が干渉し合って暴走します」


 渉は少し考えた。「それ、全員なら大丈夫だと思うけど」

「……そう思いますか?」

「お前たちが互いを信頼してないとは思えない」


 リリィが少し黙った。そして「渉さんも、ですか」と小声で言った。


「俺も?」

「共鳴詠唱に、渉さんにも参加してほしいんです。魔力の使い方を教えます」


「俺が? 魔法なんて使えるか分からないけど……」

「できます」リリィが静かに断言した。「あなたには、才能がある」

「どうして分かる?」

「……あなたが北の要塞で、封鎖の核を設置した瞬間に少し魔力が流れていました。気づいていませんでしたか?」


 渉は思い返した。確かに、あの瞬間、手がじんじんしていた。


「……気づいてなかった」

「でも、私は気づいていた」リリィが渉を見た。「だから、ずっと一緒に研究していたんです。あなたの可能性を確かめながら」


◆


 その夜、二人は深夜まで魔術の基礎を学んだ。

 渉が呪文を唱えると、小さな光が手のひらに灯った。


「……出た」

「出ましたね」リリィが微笑んだ。「本当に才能がある」


 渉は手のひらの光を見た。

「リリィ」

「はい?」

「お前に信頼してもらえてるって分かって……嬉しい」


 リリィが少し目を逸らした。

「……当然です。渉さんは信頼できる人だから」

「そう言えるって、すごいと思う」

「……渉さんの方が、すごい」


 二人で、深夜の研究室で笑った。

 窓の外には、双つの月が並んで浮かんでいた。


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【第21話 王族会議と、エレナが下した決断】


 王族会議が終わった夜、エレナが渉の部屋の扉を叩いた。


「話がある」


 エレナが椅子に座り、渉が向かいに座った。エレナの表情は穏やかだが、どこか覚悟を決めた顔だった。


「縁談を断ったわ」

「……そうか」

「父は怒っていた。政治的な損失だと言われた。でも、私は断った」


 渉は静かに聞いていた。


「渉、あなたに聞かなければならないことがある」

「何?」

「……あなたは、私を好きか?」


 真っ直ぐな問いだった。

 エレナらしかった。


 渉は少し間を置いた。正直に答えようと思った。


「好きだよ。みんなのことが大切で、エレナもその中の一人だ」

「……一人、ね」エレナが小さく笑った。「正直ね、あなたは」

「嘘つくより、ちゃんと伝えたかった」


「分かった」エレナが頷いた。「それで十分よ。私は、あなたのことを……誰よりも大切に思っている。でも今はそれだけでいい」


「エレナ……」

「世界を守ることが先でしょう。第二段階の対策が終わったら、その後でゆっくり話しましょう」


 エレナが立ち上がった。

「一つだけ言っていい?」

「どうぞ」

「……あなたと出会えてよかった。異世界から来たゲームの知識を持つ変な人と知り合えたこと、今は心から感謝しているわ」


 渉は笑った。「変な人って言ったな」

「変でしょう。でも、私は変な人が好きなの」


 エレナが扉に向かった。

 扉を開ける直前に振り向いた。


「……必ず、一緒に守りましょう。この国を」

「ああ。一緒に」


 エレナが出ていった。

 渉は部屋に一人残り、天井を見上げた。


(この世界には、こんなに真っすぐな人間がいる。)


 それが、渉にとって何よりも帰れない理由になっていると気づいたのは、少し後のことだった。


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【第22話 共鳴詠唱の前夜、六人で過ごした時間】


 翌日に迫った「星の断絶・第二段階」対策。

 封印炉への共鳴詠唱が実施される前夜、渉はみんなを中庭に集めた。


「何もしない夜にしたい。ただ話して、笑って、それだけ」


 誰も反対しなかった。


◆


 六人は毛布を持ち寄って、中庭の芝の上に寝転んだ。

 双つの月が天頂近くにある。星が多い夜だった。


「ねえ」ミアが言う。「みんなが最初に渉さんと話したときのこと、覚えてる?」


「覚えている」アリアが答えた。「城門で倒れているところを見つけた。正直、世界崩壊のイベントかと思った」

「それは違う」渉が苦笑いした。


「私は浴場です」リリィが静かに言い、一拍置いてから「忘れてください」と付け加えた。

「覚えてる」

「忘れてと言いました!」


 全員が笑った。


「私は木の下で」とシャノン。

「廊下で足踏まれたやつね」と渉。

「……あなたが踏んだ」

「そうだった、ごめん」


「私は…」エレナが少し考えた。「城の門で渉が立ち上がった瞬間に、顔を見たわ。それが最初ね」

「どう思った?」

「……疲れた顔をしていると思った。でも目が優しかった」


 渉が空を見上げた。

「俺はみんなのことを、ゲームで知ってた。でも……実際に会って、全然違うって思った。みんな、俺の想像より、ずっと人間だった」


「ゲームでは人間じゃなかったの?」ミアが聞く。

「絵と声と設定だから……そこに命が宿ってない。でも、ここにいるお前たちは全然違う。怒るし泣くし、笑って、迷って、疲れる」


「……それは当然でしょう」とエレナ。

「当然なんだけど、その当然がすごく嬉しかった。俺にとっては。お前たちが本物だって分かったから」


 誰も喋らなかった。

 夜風が草を揺らした。


 しばらくして、ミアが「渉さん」と言った。

「うん?」

「わたしも、渉さんのこと……ゲームの登場人物じゃなくて、ちゃんと本物の人間だって思ってます」


 渉の胸が温かくなった。


「ありがとう」


 六人は、そのまま空を見続けた。

 双つの月が、静かに弧を描いていた。


◆


 夜が深くなって、みんなが部屋に戻り始めた。

 最後に残ったシャノンが、渉の隣に座ったまま言った。


「……明日、怖い?」

「少しは」

「私も」

「シャノンでも怖いことがあるんだな」

「ある。でも……あなたがいるから大丈夫だと思っている」


 渉が隣を見た。シャノンが空を見上げていた。


「俺もそう思ってる。お前がいるから大丈夫だと」


 シャノンが小さく目を細めた。

「それを言えるのは、あなただけ」


 二人は月が沈むまで、そこにいた。


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【第23話 封印炉への共鳴詠唱――六つの声が重なった】


 王都地下二十メートル。古代の封印炉は、巨大な石の部屋の中心に存在した。


 壁面に刻まれた術式の紋様が弱々しく光っている。本来なら強烈な輝きを放つはずのそれが、今は消えかけのろうそくのようだ。


「ここが封印炉か」渉が周囲を見回す。

「書の記述と一致します」リリィが確認する。「中心の台座に六人で立ち、詠唱を合わせる。魔力が満ちると炉が再起動します」


「失敗したら?」アリアが聞く。

「炉が完全に消滅します。その場合、都市全体の防護結界が機能しなくなります」


 沈黙。


「失敗しない」ミアが言った。「みんなで一緒にやるから」


◆


 六人が台座を囲んで立った。

 リリィが詠唱の手順を全員に確認させる。


「渉さん」リリィが渉を見た。「魔力の流れを感じてください。詠唱は言葉ではなく、魔力を動かすイメージです」


「分かった」

「最初は私に合わせて。感じたら、自然に広げていく」


 リリィが目を閉じた。口から、低く静かな音が流れ始めた。

 アリアが続いた。エレナが続いた。ミアが続いた。シャノンが続いた。


 渉は目を閉じた。


 手のひらに、あの感覚が戻ってきた。

 じんじんする。体の中に何かが流れる感じ。


 声を出した。

 言葉ではない。音だ。だが、確かに魔力が動いた。


◆


 最初は六つの声がバラバラだった。

 だが、少しずつ重なっていった。


 アリアの声が、岩のように安定している。

 リリィの声が、精密な術式のように流れる。

 エレナの声が、深く静かな川のようだ。

 ミアの声が、光のように明るく広がる。

 シャノンの声が、影のように静かに包む。


 渉の声が、その全てをつなぐように流れた。


 封印炉が、うなりを上げた。


◆


 光が台座から爆発するように広がった。

 壁の術式が次々と点灯し、炉の中心が青白く輝き始めた。


 渉は目を開けた。

 六人の間に、青い光の柱が立ち昇っていた。


「……成功、してる?」

「成功です!!」ミアが声を上げた。「炉が動いてる!」

「魔力充填、七十パーセント……八十……」リリィが震える声で読み上げる。「完全充填確認!!」


 光が最大になり、部屋全体が満たされた。


 そして静かになった。


◆


 六人が地上に出ると、王都の夜空が見えた。

 星が鮮やかに輝いている。以前より多く見える気がした。


「……終わった」渉が言った。

「第二段階、完了ですね」リリィが確認した。


 アリアが渉の肩を叩いた。「やったな」

「みんながいたから」

「俺たちがいたからじゃない」アリアが珍しく真っすぐに言った。「お前がいたから、俺たちが動けた」


 渉は返す言葉がなかった。


 ミアが渉に飛びついた。

「やったーーー!!!」

「わっ!?」

「今日は飛びついていいでしょう!!」

「まあ……今日だけな」


 エレナが小さく笑い、リリィがため息をつき、シャノンが静かに「よかった」と言った。


 渉は六人で空を見上げた。

 双つの月が、並んで輝いていた。


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【第24話 第1期最終話・この世界が、俺の世界になった日】


 封印炉の再起動から三日後。

 王都は静かな祝祭に包まれていた。魔力脈の安定を民も感じ取ったらしく、街のあちこちで笑顔が増えた。


 渉は城の屋上から、その光景を見下ろしていた。


◆


 「元の世界に戻る方法を、調べた」


 渉が六人に告げたのは、その日の夕方だった。

 全員がいる食堂で、テーブルを囲みながら。


 誰も驚かなかった。

 みんな、薄々分かっていたのだろう。


「方法は?」リリィが静かに聞く。

「ゲームでは……特定の条件下で転移の術式が発生する。でも今のところその条件には程遠い」


「つまり、すぐには帰れない」とアリアが確認する。

「ああ」


 沈黙。


「……帰りたい?」ミアが小声で聞いた。


 渉は六人の顔を見た。

 アリアが腕を組んで渉を見ている。リリィが眼鏡の奥で静かに待っている。エレナが穏やかな表情で微笑んでいる。ミアが今にも泣きそうな顔をしている。シャノンが無表情だが、その指先がテーブルの端を握っている。


「俺には……家族がいる。元の世界に。心配してると思う」


「……そうね」エレナが言った。

「帰る手段が生まれたとき、考える」渉は言った。「でも今は」


 渉は全員を見回した。


「ここにいたい。お前たちと一緒に、この世界を守りたい」


 ミアが顔を覆った。

「……もう、泣いていいですか」

「泣いていい」

「泣きます!!」


 ミアが泣いた。

 アリアが「馬鹿」と言いながら目を逸らした。

 リリィが眼鏡を外してそっと目を拭いた。

 エレナが静かに微笑んだままだったが、頬が少し光っていた。

 シャノンはテーブルの端を握ったまま、ゆっくりと「……そう」とだけ言った。


◆


 夜。

 渉は屋上に一人で出た。


 双つの月が、大きく空に浮かんでいる。

 この月を見るようになって三ヶ月が経った。最初は違和感があったのに、今はこの空が当たり前になっていた。


(元の世界の空は、月が一つだった。)


 渉は目を閉じた。

 家族の顔を思い出した。友人の声を思い出した。あの小さなアパートの部屋を思い出した。タブレットの光の中で、ゲームの世界に没頭していた夜を思い出した。


 帰りたいか、と聞かれたら、まだ分からない。

 でも、今この場所を離れることは考えられなかった。


◆


 後ろで扉が開く音がした。

 全員だった。


「一人で考え事?」とアリアが言う。

「少しね」

「邪魔したか?」

「邪魔じゃない」


 六人が並んで、空を見上げた。


「渉さん」ミアが言った。

「ん?」

「ここに来てよかったと思ってますか?」


 渉は少し考えた。


「うん。来てよかった」


 本当のことだった。


「それでよかった」アリアが静かに言った。


 リリィが「第三段階の対策も、一緒にやりましょう」と言い、エレナが「もちろん」と頷き、シャノンが「逃げても追いかける」と言い、ミアが「一生ついていきます!!」と言った。


 渉は笑った。


「よろしく。……みんな」


 双つの月が、夜空に輝いていた。

 星がいつもより多く見えた。


 この世界が、渉の世界になった夜だった。


――第1期 完  第2期へ続く――

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