第1話「断頭台と目覚めの朝」
登場人物紹介
◆スカーレット・ヴァレンティナ
本作の主人公。ヴァレンティナ公爵家の令嬢。1度目の人生では、王太子アルフォンスの婚約者でありながら、聖女リリアを虐げた罪で処刑される。しかし時を遡り、復讐を決意。悪役令嬢を演じながら、その実、驚異的な知略と行動力で自らの運命を切り開いていく。
◆ゼノン・アークライト
スカーレットのライバルであるアークライト公爵家の子息。冷静沈着で頭脳明晰。スカーレットの常軌を逸した行動にいち早く興味を抱き、彼女の最大の協力者となる。彼女の知性に惹かれつつも、その想いを表には出さない。
◆カイエン・グレイフォート
王国騎士団長の息子であり、自身も若くして騎士団で高い地位にいるエリート。1度目の人生でスカーレットの断罪に関わったことを深く悔いており、2度目の人生では彼女を守り抜くことを誓う。実直で正義感が強い。
◆レオ
学園に出入りする神出鬼没の商人。裏社会にも通じ、優れた情報網を持つ。スカーレットの先見の明に惚れ込み、彼女の計画に資金と情報を提供。陽気で飄々とした態度の裏に、ある秘密を隠している。
◆アルフォンス・クレスメント
クレスメント王国の王太子。スカーレットの元婚約者。1度目の人生ではリリアの言葉を鵜呑みにし、スカーレットを断罪した。2度目の人生では、以前とは違うスカーレットの姿に戸惑い、やがて自らの過ちに気づいていく。
◆リリア
平民出身ながら、聖なる光の魔法を使うことから「聖女」として崇められている少女。可憐で清純な見た目とは裏腹に、その裏には王国を揺るがす巨大な陰謀を隠している。
冷たい鉄の匂いが鼻腔を刺す。ざわり、ざわりと揺れるのは、私、スカーレット・ヴァレンティナを見下ろす大観衆の、悪意に満ちたささやきだ。
「あれが聖女様を虐げた悪女か」
「公爵令嬢たる方が、なんとおぞましい」
「ヴァレンティナ家の名も地に落ちたな」
石畳に膝をつかされ後ろ手に縛られた私の視線の先には、高くそびえる断頭台。その刃が、鈍い銀色の光を放っていた。
隣に立つ婚約者、王太子アルフォンス殿下の顔は見えない。ただ彼の凛とした声だけが、私の罪状を無慈悲に読み上げていく。聖女リリアへの嫉妬に狂い、彼女のドレスを汚し、階段から突き落とし、挙句の果てには毒を盛ろうとした、と。
すべて、身に覚えのない罪だった。
私は嵌められたのだ。あの純真無垢な笑顔を浮かべる少女、リリアによって。彼女が時折見せる氷のように冷たい瞳を、なぜ誰も気づかないのか。
「スカーレット・ヴァレンティナ。何か言い残すことはあるか」
アルフォンス殿下の声には、かつての甘さは欠片もなかった。憎しみと侮蔑、そしてほんの少しの失望。
私はゆっくりと顔を上げた。最後に見たかったのは彼の顔。愛した人の顔だ。
けれど、彼の隣で涙を拭うリリアの姿が目に入り、私の唇からは乾いた笑いがこぼれた。
「ええ、一つだけ。あなた方は、必ず後悔する」
私の言葉に、アルフォンス殿下の眉がぴくりと動く。リリアの肩がわずかに震えた。それで満足だった。
執行人が私の首を冷たい台座に固定する。木肌のごつごつとした感触が、不快に頬を擦った。
見上げた空は、皮肉なほどに青く澄み渡っている。
あぁ、もし。もしも、やり直せるのなら。
こんな愚かな結末は、決して迎えはしない。あの女の嘘も、殿下の盲目も、貴族たちの怠慢も、すべてを、すべてを暴き立て、この手で断罪してやるのに。
そんなあり得ない願いを胸に抱いた、その瞬間。
風を切る音と共に、世界が暗転した。
***
「お嬢様、スカーレットお嬢様! 朝でございます。本日は、王立魔法学園の入学式ですわよ」
懐かしい声に、私の意識はゆっくりと浮上した。重たい瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは見慣れた天蓋付きベッドのレースのカーテンと、心配そうに私を覗き込む侍女アンナの顔だった。
「……アンナ?」
掠れた声で彼女の名を呼ぶと、アンナはほっとしたように微笑んだ。
「ええ、お嬢様。うなされていたようですが、悪い夢でもご覧に?」
夢? 断頭台の冷たさも、観衆の憎悪も、刃が振り下ろされる瞬間の恐怖も、すべてが夢だというのか。
あまりに鮮明すぎる悪夢だった。私は混乱する頭でゆっくりと上半身を起こす。シルクの寝間着が、さらりと肌を滑った。窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえる。平和な、ヴァレンティナ公爵家の朝だ。
鏡台に映る自分の姿を見て、私は息を呑んだ。
艶やかな緋色の髪、勝気な光を宿す翠の瞳、まだあどけなさの残る白い肌。そこにいたのは、数々の罪を着せられやつれ果てた18歳の私ではなく、希望に満ちていた16歳の私だった。
「入学式……?」
そうだ。今日は王立魔法学園の入学式。アルフォンス殿下と同じ学園に通えるのだと、胸をときめかせていたあの日。すべての悲劇が、ここから始まったのだ。
「お嬢様、どうかなさいましたか? お顔の色が……」
「いいえ、なんでもないわ。少し、準備に時間を頂戴」
アンナを下がらせ、私は一人、鏡の前の自分と向き合った。頬をつねると確かな痛みがある。これは夢じゃない。信じられないことだが、私は処刑された瞬間、2年前の過去に、この入学式の朝に戻ってきたのだ。
神の気まぐれか、悪魔の戯れか。理由はわからない。けれど、一つだけ確かなことがある。
――チャンスが、与えられたのだ。
あの屈辱的な最期を回避し、私を陥れた者たちに復讐を果たすための、2度目の機会が。
込み上げてきたのは歓喜よりも、むしろ腹の底から湧き上がるような冷たい怒りだった。
1度目の人生。私はただ、公爵令嬢として、王太子の婚約者として完璧であろうとしただけだった。それなのに、どこで間違えたのだろう。聖女リリアが現れてから、すべてが狂い始めた。アルフォンス殿下の心は彼女に移り、周囲は私を悪役だと決めつけた。弁明しようとすればするほど状況は悪化し、誰も私の言葉を信じてはくれなかった。
あの孤独、あの絶望。2度と味わうものか。
鏡の中の私が、不敵に口の端を吊り上げた。
「上等じゃない。今度こそ、誰にも利用されない」
むしろ、利用してやる。
悪役令嬢? 結構だわ。その汚名を逆手に取り、私を陥れた者たち全員に、相応の報いを受けさせてあげる。
偽りの聖女リリア。あなたが見せたあの冷たい瞳、忘れてはいないわ。あなたの化けの皮、私が剥がしてさしあげる。
そして、アルフォンス殿下。あなたが私にした仕打ち、決して許さない。あなたがいかに愚かだったか、その身に刻み込んで後悔させてやる。
まずは、誰にも干渉されずに計画を進めるための環境作りからだ。
1度目の人生では、友人と思っていた令嬢たちに裏切られ、悪評を広められたのだ。愛想よく振る舞い人に囲まれることは弱みに繋がる。ならば、今度の私は。
「傲慢で、孤高の悪役令嬢」
その仮面を被ろう。自ら人を遠ざけ、誰にも心を許さない。そうすれば、私の行動を探る者も邪魔する者もいなくなる。孤独は、今の私にとって最強の鎧だ。
***
着替えを済ませ、入学式の会場である学園の講堂へと向かう馬車の中で、私は最初の計画を練り始めていた。
復讐を成し遂げるには力が必要だ。権力、財力、そして情報。そのすべてを手に入れるための最初の標的は決まっている。
学園の権力の温床であり、腐敗した貴族の子弟たちの巣窟でもある「学園運営委員会」。
1度目の人生で、彼らはリリアをちやほやし、私を貶める噂の拡散に加担した。彼らの多くが親の権力を笠に着て、裏で不正や汚職に手を染めていることを私は知っている。断罪されるまでの間に、様々な情報が嫌でも耳に入ってきたのだから。
その知識こそが、今の私の最大の武器となる。
学園の門をくぐると、新入生たちの華やいだ声が聞こえてきた。誰もがこれからの学園生活に胸を膨らませている。その中で私だけが、これから始まる戦いに静かに闘志を燃やしていた。
講堂に入ると、案の定、多くの視線が私に突き刺さる。ヴァレンティナ公爵令嬢スカーレット。王太子殿下の婚約者。その名は良くも悪くも知れ渡っていた。
私は誰にも目もくれず、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見据え、指定された席へと向かう。周囲のささやき声が聞こえるが気にしない。むしろ好都合だ。恐れられ、遠巻きにされるほど動きやすくなる。
やがて、アルフォンス殿下が入場してきた。隣には少し不安そうな表情を浮かべたリリアがいる。平民でありながら聖なる力を持つ彼女は、特待生としてこの学園への入学を許されたのだ。
アルフォンス殿下は壇上へ向かう途中、私の姿を認めて小さく微笑みかけた。1度目の人生なら、それだけで胸が高鳴っただろう。けれど今の私には、その笑顔がひどく白々しいものにしか見えなかった。私は表情一つ変えず、冷たい視線で彼を一瞥するだけにとどめた。
彼の顔に、微かな戸惑いの色が浮かぶ。それでいい。あなたの知っている健気で一途なスカーレットは、もうどこにもいないのだから。
***
入学式が終わり、各クラスでのホームルームが始まる。私の計画はここからが本番だ。
まずは運営委員会のメンバーを特定し、彼らの情報を整理しなくては。1度目の記憶を頼りに、一人、また一人と顔を頭に思い浮かべる。会計を担っていたマルクス伯爵子息は、父親の商会の金を横領していたはず。風紀委員の立場を利用して下級貴族に威圧をかけていたのは、エルンスト男爵子息。そして、委員長であるロベルト侯爵子息は、敵対派閥の令嬢とのスキャンダルを揉み消していた。
記憶は確かだ。あとは、その証拠をどうやって掴むか。
教室を出て、私は一人図書館へと向かった。これから始まる3年間は、私の復讐のための舞台。この学園にあるすべてを利用し尽くしてやる。
廊下の窓から差し込む陽光が、私の緋色の髪を燃えるように照らし出す。その光の中で、私は静かに、しかし確かに誓った。
緋色の陰謀は、今、始まったばかりなのだと。




