第二章:免疫
南極の氷床が崩壊してから、九十日後。
感染者は爆発的に増えた。
ウイルスは空気感染ではない。
水系感染でもない。
媒介は――人間の「接触」と「感情反応」。
宿主の扁桃体を刺激し、
恐怖と怒りを増幅させる。
暴力衝動が連鎖する。
都市は、自壊した。
感染者は高熱を出す。
四十二度を超える。
その後、極端な攻撃性。
だが三日目、
突然静かになる。
そして、海を見る。
どの都市でも同じだった。
感染者は海へ向かう。
地球
海洋循環は停止しかけていた。
メタン濃度は臨界域。
大気中CO₂は急増。
人類が引き起こした温暖化は、
引き金でしかなかった。
南極深層から検出された未知微生物は、
既知の系統樹に属さない。
RNAでもDNAでもない。
第三の自己複製機構。
増殖は、
宿主の“社会的不均衡”が高い地域で加速した。
暴動都市、戦争地域、格差の大きい国家。
感染率は比例した。
科学者は言う。
偶然だ。
宗教者は言う。
審判だ。
父の残したデータは、さらに冷酷だった。
「これは病原体ではない。
生態系の調整因子だ」
地球は、発熱していた。
人類は、炎症だった。
内陸でも、川を目指す。
検死解剖で判明した事実。
血中ナトリウム濃度の異常上昇。
体液組成の変化。
まるで――
海水に近づいていく。
ユウト
摂氏五十二度。
給水列で殴り合いが起きる。
感染者の目は、濁っていない。
むしろ、澄んでいる。
怒り切ったあとの、静寂の目。
ユウトの隣で、男が倒れる。
高熱。
その男は笑っていた。
「やっと……静かになる」
三日後、男は海へ向かった。
黒い酸性雨が降る。
pH2.8。
皮膚が赤くただれる。
誰も空を見ない。
地下都市は封鎖。
再起動計画、可決。
地上は切り捨てられる。
選挙は延期された。
民主主義は、熱で蒸発した。
南極:接触
極夜。
氷床下三千メートル。
音波探査で、空洞が確認される。
構造は規則的。
人工物に近い。
だが素材は、生体。
巨大な網目状構造。
惑星規模の神経網。
研究者が言う。
「これは……器官だ」
何の?
答えは出ない。
だがデータは一致する。
感染拡大のピークと、
氷床下構造の活動電位が同期している。
地球は、考えていた。
いや、
反応していた。
ユウトの夢
白い大地。
裂けた氷の奥。
声がする。
言葉ではない。
感覚。
重力のような圧。
「均衡」
「過剰」
「是正」
ユウトは叫ぶ。
「俺たちは、病気か?」
沈黙。
そして、
「局所的炎症」
世界の平均気温がさらに上昇する。
五十三度。
セミは、絶滅が宣言される。
感染者の最終段階が判明する。
彼らは海中で死亡し、
分解され、微生物の栄養になる。
そして微生物は、
炭素固定を加速させる。
CO₂濃度が、わずかに低下し始める。
人類の減少と比例して。
地球は悪意を持たない。
怒りもない。
ただ均衡を回復する。
ならば――
善悪はどこにある?
ユウトは気づく。
この免疫機構は、
“完全排除”をしていない。
一部の人間は感染しない。
統計的に、
攻撃性が低い個体。
共感指数が高い者。
社会的協調性が高い者。
父の最後の解析。
「地球は選別している」




