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第一章:摂氏五十二度の街

ユウトは、朝四時に起きる。


それ以外の時間は、外に出られない。


午前九時には気温が四十八度を超え、

正午には五十二度に達する。


セミは鳴かない。


アスファルトは柔らかく、

靴底がわずかに沈む。


空は青い。


異様なほど、澄んだ青だ。


だが夕方になると、

西の空が黒く濁る。


酸性雨。


pH2.8。


傘は持たない。

溶けるからだ。


ユウトは水タンクを背負い、

地下配給所から三キロを歩く。


母は三年前、熱波で倒れた。

内臓のタンパク質変性。

医者はそう言った。


父は――南極にいた。


気象研究者だった父は、

「最後の氷床調査」に志願した。


ユウトは、ついて行った。


十四歳だった。


白い世界は静かだった。

音が吸い込まれる。


父は氷のコアを削りながら、言った。


「地球はな、怒らない。

 ただ、均衡を戻すだけだ」


そのとき、地鳴りがした。


氷が、鳴いた。


それは割れる音ではなかった。


軋む、というより――


目覚める音だった。




南極基地・極夜。


観測装置が一斉に異常値を示す。


海流速度、急減。

塩分濃度、変動。

メタン放出量、急増。


隊員の一人が発熱。


四十二度。


瞳孔が開く。


「外に出たい」と繰り返す。


吹雪の中へ歩き出す。


止めた隊員を、

笑いながら殴った。


骨が折れる音がした。


後に解析された脳波は、

異常な扁桃体活動を示していた。


攻撃性の暴走。


科学的には、説明可能。


だが、最後の映像に映ったのは――


氷の亀裂の奥。


光。


脈動する、淡い青。


まるで、


巨大な瞳のようだった





地上


ニュースはそれを


「未知の古代微生物」と報じた。


だが宗教団体はこう呼ぶ。


「神の封印」


地下都市の富裕層は移住を加速する。


再起動計画。


地球を捨てる準備。


だがユウトは、水を運ぶ。


摂氏五十二度の街で。


黒い雨が降る前に。


父の最後の通信は、

暗号化されていた。


復号された一文だけが、

世界ネットワークに流出する。


「氷の下にあるのは、

 病原体ではない。

 これは――地球の免疫だ」


その夜、

ユウトは夢を見る。


白い大地。


裂けた氷。


その奥から、声がする。


怒りではない。


悲しみでもない。


ただ、静かな問い。


「均衡を、戻すか?」


目が覚める。


窓の外は、青い空。


気温は、五十一・八度。


セミは、やはり鳴かない。


世界は、まだ崩れていない。


だが――


氷は、もう溶けきっている。

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