接点
浅野亮子が俺の存在を知ったのは、自宅近くの公園に散歩に行った際、俺が浅野亮子の知り合いとベンチで話し合う姿を見かけたことがあるからだという。
「あなたの知り合いとは?」
「沼田さんよ」
俺には沼田という知人はいない。一体誰のことなのか。
「俺に沼田という知り合いはいませんよ」
「私が家に行く前に公園のベンチで話してたでしょ!白髪頭でテンコが禿げているおじいさんよ」
公園·····?
一瞬ホームレスなのかと疑ってしまう程、身繕いが行き届いていない老いた男の姿がおぼろげながら浮かんだ。
だがあれは知人ではなく、あの日ベンチに偶々座っていた俺の前を通り過ぎる時によろけたので、手を差しのべて支えただけだ。
ありがとうねと礼を言われた後、そのままベンチの隣に腰かけて来た。
あんたさんはおいくつかね?と歳を聞かれて答えたら、怒涛の如く彼の身の上話を一方的に聞かされる羽目になった。
それだけで互いに名は名乗ってはいない。
これまでも、見ず知らずの老若男女に唐突に一方的に話し込まれることは何度かあった。
君は話しやすい、あなたって話がしやすいよねとなぜかよく言われるが、聞き上手などでは決してない。
何度も繰り返すが、傾聴は嫌いなのだ。
「彼と会ったのはあの時が初めてで、知人ではありません。その沼田さんとはどのような間柄ですか?」
「······同じ病院に通っているの」
「それで親しくなったわけですね」
「一度も話したことはないし、挨拶もしたことないわ」
「······!?」
この肩透かし感。やはり一筋縄では行かない相手、手強そうだ。
どの程度を知人という扱いにするのかも人によって違うだろうが、顔と名前を知っているだけで、一度も話したことの無い人物を自分の知人とはあまり堂々とは言わないものなのでは。
個人的に親しくはないが、何度か話しをしたことはあるとか挨拶を交わすぐらいの関係を知人と呼ぶ俺からすれば、一度か二度見かけたことがあるレベルで、この女の知人扱いになるとしたら恐怖だ。
それだと毎日定時刻の同じ通勤電車や通勤通学バスで乗り合わせる互いを知らぬいつもの面々ともみんな知人という括りになってしまうじゃないか。
この彼女の認識、この異様な距離感に俺は戦慄するしかない。
「沼田さんなんかとも話してくれる人なら、私とお友達になってくれそうだと思って」
知人と容易く表現する割には、虫けらみたいな言い方で沼田さんなんかという表現を平気でする。
彼女の他者への感覚が理解できない。
想定内の回答だが、友達になってくれそうな相手の家に勝手に侵入はしないし、窓を破壊してまで乗り込みはしないものだ。
その事に対して、この母親も医師も諭すことはしないのだろうか?
普通それはやらないもの、いくらなんでもそこまではしてはいけないことなのだと。
彼女を怒らせない、刺激しない、興奮させないように······
とは言うが、こちらは何もしていなくても勝手に彼女は興奮するし、勝手に刺激を感じてしまうのをどうすればいいのか。
それを思うと気が遠くなる。
「あなたの行動の動機はわかりました」
「じゃあ、拓実先生はもう私のお友達ですよね?」
それは違うということを母親も医師も説明しない、説明しようとしないのはなぜなのか。
二人とも視線で俺に訴えて俺に丸投げするのは、あまりに無責任過ぎる。これは職務放棄ではないのか?
俺の身の安全を誰が守ってくれるのか?
俺の安全を保証できないのに、その患者に面会させる担当医師とは本当にプロなのだろうか。
傾聴とは、反論しない否定しない肯定する姿勢に徹することだ。
このシチュエーションで、本当にそれが最善策、最適解なのか?
自分が罠に嵌められて行く、何かに絡め取られて行くようにしか思えない。
今回限りでいい、一度でいいから話を聞いてあげて欲しいということだったのに、これでは全く終わらないじゃないか。
『味を占めたら、また来るよ』
あの里美の言葉がよぎった。
最後まで彼女の『友達』という言葉に頷くことも同意することもできなかった。
医師の立ち会いの元であろうが、その医師自体が胡散臭いとかポンコツだとどうしようもない。
精神疾患はまだまだ薬漬けが多い。精神疾患じゃなくても、薬を処方して儲けを出すのが医療業界の定石だ。
若干改善か現状維持で完治しないで長期間通院させるのが最も儲かるわけだよな。
まさに医療業界の闇。
内科、外科的なものは患部を手術できるが、心の患部は手術できない。
だからこそ、精神科医にこそ最も人道的かつ有能な医師が必要なのだ。
薬に依存しない名医に出会えないと悲惨この上ない。
オペが苦手、血を見なくて済むからという理由で精神科医になることを選ぶ者もいると聞く。
それで本当に病んだ患者を助けられるのだろうか。
「拓実先生、お友達からお願いします!」
四十代にしては子どもっぽく純真そうな笑みを浮かべているが、獲物を睨む猛獣のような輝きをその眼に感じてゾクリとする。
母親も医師も無責任極まりない愛想笑いを浮かべている。
自分の手に負えないものを綺麗事で誤魔化して、その責任から逃れようと二人で結託しているようにしか思えない。
───来なければ良かった。
今更後悔しても無駄だ。
こうして俺は猛獣との接点が否応なしにできてしまったのだった。
この精神科絡みのストーリーと登場人物はフィクションです。




