拓実先生
「だからっ、先生とは呼ばない約束ですよね?」
浅野亮子の母親までもが俺を先生と呼び出すから堪らない。
浅野亮子は子どもの頃から元々親の言うことを聞かない、言いつけを守れない性格だったと言うが、そこをなんとか躾るのが親というものではないのか。
仕方がないのですという言い訳で全て逃げようとするこの母親にも内心苛立った。
「どうかよろしくお願いいたします、拓実先生」
なぜ姓の深町ではなくて、拓実という名前に先生をつけて呼ぶのか?
親しみを込めれば、距離感を詰めれば優位になる、何らかの融通や優遇をしてもらえる筈という浅ましい打算が透けて見える。
その馴れ馴れしさ、手前勝手な図々しさこそが、この親や家族の問題の根元、他者へのそもそもの虫の良い甘えではないのだろうか。
すぐに人を先生と呼び近寄って来る者は下心があるものだ。
親しくも無いのに、こちらの許可も得ずにわざと名を呼び捨てにしてすり寄って来る女と同じだ。
いいじゃないですか、いいでしょ、いいじゃんいいじゃん、というごり押し、何でもなあなあにしては自分の都合や要望を押し通そうとする人に良い人物はいない。
その点でこの親もおかしい。
真っ当ではない、そう感じずはにはいられない。
気安く『拓実』だなんて、俺の好きな相手にすら呼んでもらえていないのに、それをこうも簡単に気狂いの女とその母親に呼ばれるなんぞ、我慢ならない。
「なぜ俺なのですか?」
それでも気を取り直して質問してみることにした。
まともな回答が返ってくるとは思っていないが、聞くだけ聞いてみよう。
「拓実先生が優しそうだったから」
(拓実って呼ぶなよ!せめて深町と呼べ!)
名を呼ばれる度にゾワゾワする。
そうでなくても俺は実は傾聴が苦手だ。
一方的に相づちを打つしかない会話、鸚鵡返しに尋ねるしかないなんて苦痛でしかない。
取材の仕事では仕方がないが、それ以外では極力やりたくない。
俺はカウンセラーでもなければ、セラピストでもない。
一方的に寄り添うことを求められても応じる気が起きないからだ。
こちらに傾聴を期待し求めてくる奴は大抵面倒臭い人間が多い。だから仕事以外ではなるべく関わりたくない。
相手が自分にいつでも寄り添ってくれるのが当たり前とか、寄り添ってくれなければ我慢できないなんて、精神的に自立できていない証拠だ。
まあ、だから俺はモテないのだろうけど。
嘘でも何でも女の子にはとにかく同意してあげる方がモテるのだ。
わかっちゃいるが、どうにも同意できないこともある。
以前里美にそれを話したら、彼女は同感だと言った。
私もカウンセリングの極意が傾聴なんて信用していないよ。私もアレはおかしいと思っているし、私も傾聴は苦手だよと笑った。
「「思考停止だよ」」
お互い同時に言って顔を見合わせて吹き出した。
何でも専門家の言うこと、業界の基本や常識や通説などをすぐに鵜呑みにするのは危ないよねと。
一般論や多数派が間違っていることもあるし、少数意見が正しいとか適切であることもあるのだから。
自分の違和感には正直に反応する、多数派に迎合しない、そこが俺達は似ている。
自分が少数派であることを彼女は恐れない。それは昔から変わらない。
そんな頼もしい里美は友人であり貴重な同志だ。
「優しそうだから」「優しそうだったから」
それは、その相手を体よく利用しようとする者が良く言い訳に使うものだ。
そう言っておけば、相手は悪い気がしないだろう、自分を受け入れてくれるだろうと思うのならば、それは認識が甘い。自分寄りの勝手な判断でしかない。
優しそうと感じる相手を踏みにじる奴ほど、その言い訳を多用するものなんだよ。
優しい人を食いものにし、傷つけ蝕むのはいつもそんな奴らだ。




