番外編 私の中は空っぽ③【菜緒】
拓実君への更なる復讐に燃えている時、私は短大生時代にパパ活していた男性にそっくりな人を通勤の途中で見つけた。
本人ではないとは思うけれど、気になったので彼の後をつけると、心療内科内科クリニックへ入って行った。
病んでいるようには見えなかったから、意外だった。
「おはよう」
「おはようございます先生」
彼は「先生」と看護師に呼ばれていた。
ふうん、ここの先生なんだ。
私はもう鬱状態はとっくに抜け出していたれど、その先生とお近づきなりたくて受診してみることにした。
東心療内科クリニックの院長の弟で、兄の東先生よりもだいぶ歳が離れていて若く見えた。
十代から搾取するどクズなあのおじさんよりも温和な感じで、白衣姿もカッコいい。
私はこの先生に一目惚れをした。
「私、別れた彼に心の中が空っぽだって言われたんです。それからその事が気になって不安でしょうがなくなってしまったんです」
「夜は眠れていますか?」
「眠れない時もあります」
声も優しくて素敵だ。なんだか拓実君みたい。
私はクリニック通いが楽しみになって、拓実君への復讐のことはあまり考えることはなくなって行った。
東先生に会うことの方が最優先事項なのよ。
診療時間が終わるのを待って、出待ちをするようになった。
先生はまだ独身のようだったから、お茶に誘うと「患者との個人的な交際は禁止されているんだよ、ごめんね」と断られた。
そんな先生の困った顔を見るのも好きだ。
「本を読んだり、音楽を聴いたり、映画や絵画を鑑賞したり、スポーツでも、何でもいいから趣味を持ってごらん」
「そうすれば、空っぽではなくなるんですか?」
「君の場合は空っぽというよりも、自分の心の所在を感じて見る、本物の感情というものを探るということを、何かで誤魔化して避けているようだから、それで他人には君の心が見えないと感じさせるのかもしれないね」
私は演技性パーソナリティーという状態に近いらしい。
親との関係、どんな育て方をされていたのかを聞かれたので、一応素直に答えた。
「よく頑張ったね」
私は初めて誰かに労ってもらった。
私は空っぽではない。今こんなに満たされているから。
「ゆっくりでいいから、無理せずにやってごらん」
彼は、私には「やって見て下さい」「試してみましょう」ではなくて、「やってごらん」と、まるで父や兄のように言う。
その方が私が喜ぶ、聞き入れるのを知っているからだ。
鬱ではないから投薬治療は受けていない。
「浅野亮子さん、どうぞお入り下さい」
母親らしき人に付き添われて、四十前後の女性が診察室に入って行った。
見るからに心が不安定そうな人だった。
私はあんな風にはなりたくない。
看護師に向かって、卑猥な発言をする患者もいるけれど、あれは鬱ではないわよね。
暴言は若い看護師がターゲットになるようだ。熟年の婦長には言わないから。
若いスタッフはすぐに見かけなくなる。あれだと続かないのかもしれない。
卑猥な暴言を吐く患者が私の方に寄って来た。
「あなたって、鬱じゃないわよね?」
そう言うとびくりと怯んで、もう何も言わなくなった。
自称鬱の人には色んな人がいる。私みたいに詐称する人もいるのだ。
鬱ではなくて統合失調症、その方が攻撃的になりやすいそうだ。
「先生、私は大丈夫なんですか?統合失調症ではないんですよね?」
「ああ、違うよ」
最近は拓実君への復讐どころか、拓実君のことすら思い出しもしなくなった。
私は先生に勧められて日記をつけるようになった。
「毎日じゃなくていいし、ズボラでいいんだよ」
ズボラでいいなんて、なんて楽なのだろう。今までの私はいつも緊張しながら生きてきた。
そうしないと、生きられなかったから。
ズボラでいいと、わかってから、私の空っぽはな分量は減ったと思う。
見ることはできないけれど、そんな気がするのだ。
「東先生は結婚しないの?」
「もうすぐするかもね」
「えっ?」
先生は照れ笑いを浮かべた。
そんな······、嫌よ、先生は私のものになってくれなくちゃ。
その日も、出待ちをして先生を待った。
*****
心中未遂を起こして私は入院した。
未遂にするつもりだったけれど、先生は本当に死んでしまった。
「先生に捨てられるのが嫌でした。だから一緒に死んでくれって迫ったんです。でも手首を切ったのは先生自身です」
本当は先生をいつかの拓実君と同じように眠らせた後に、私がやったの。
先生が目を覚まして、私を置き去りにされるのは嫌だったから。
でも私は、死ぬことができなかった。
先生がいなくなって、また私は心が空っぽになってゆくように思えた。
一時は廃人みたいになっていた。
だけど私には、復讐がまだ残っている。
それを思い出して、私は復活した。
富樫に再び連絡を取り、里美との状態を探った。
何年も前からレス状態、子どもの件でも揉めているから離婚するかもしれないと聞かされて、私は焦った。
離婚したら、今度こそ拓実君と結婚してしまうかもしれない。
「お子さんはいるんですか?」
「いや、いない」
「作らないんですか?」
「それが······」
里美は既に閉経していると言う。富樫は元々子どもはそれほど欲しくないらしい。
そうだったんだ。じゃあ、もし離婚して再婚したとしても、子どもは産めないかもしれないのね。
なんだ。良かった。あの人が拓実君の子どもを産むことはほぼ無いのね。
里美がタロット占い師をしていると知り、偽名で申し込んでみた。
東先生との相性と未来の関係を聞いてみた。
死者との未来なんかないんだから、占えない筈よね。
『その方との相性は、恋愛の関係にはなりにくいものです。学びの関係というところですね』
や、ヤバい当たっている。
『大変申し上げにくいのですが、その方との未来はありませんね。結ばれる可能性が低いという曖昧なものではなくて、完全なる別離、抹消に近い完全な関係性の断絶です』
う、嘘っ、この人、物凄く当たる人なのね。
「じゃあ、その人以外と未来はありそうですか?
『もちろんです』
「私、いつも相手に去られてしまうんですですけど、どうしてなんですか」
里美が原因を占い結果のメールが届くと私は愕然とした。
『あなたの心の中は空虚、空っぽのようです。
ごめんなさいねズバッと言ってしまって。
多分あなたは相手のことを見ているようで見ていないのです。自分の欲望には物凄く忠実で、それしか見ていないのではありませんか?
愛とか恋よりも、自分の欲求や欲望を通すことばかりに夢中な状態のようです。
それで相手は虚しく感じて離れてしまうのかもしれないですね』
その通りなのかもしれない。
「私はどうしたらいいんですか?」
『自分に寄り添ってもらうことを相手に求め過ぎるのではなくて、あなたの方がもう少し相手に寄り添ってみてはどうでしょうか』
───寄り添って欲しい人も、寄り添ってあげたい人ももういない。
私がその人の命を奪ってしまったから。
私はそれから何度もメール鑑定を彼女に依頼するようになった。
彼女の鑑定は的確で、厳しさもあるけれど優しさにも満ちていた。
これならリピートするよね。
私は里美のブログも全て目を通した。
拓実君の好きな人は、こんな人なんだ。
以前彼に片思いの人のことを教えて欲しいとせがんだ時、彼は心の健やかな人が好きだと言っていた。
里美は嫌になるくらい健全そうだった。
夫の富樫と上手くいっていないのに、何でこの人はこんなに真っ当でいられるの?
だから私はこの人を壊してやりたくなった。
彼女を揺さぶり、今みたいに真っ当ではいられなくするには、夫を不倫させたらどうだろうか。
そこで私は、富樫の同僚の女性社員との間を取り持つことにした。
「富樫さんのお知り合い何ですか?」
「そうです」
私は入院中だから直接会えない。
全部メールと電話を駆使して、不倫相手も、拓実君への嫌がらせをするための要員の浅野亮子と沼田も操った。
こんなに全て上手く行くなんて笑ってしまった。
みんな、馬鹿みたい。
私は拓実君に電話をかけて種明かしをした。彼は物凄く怒っていた。
私を悪魔と罵るなんて失礼ね。でもこれで復讐はやっと全部完結したわ。
私はやりきった。
入院中、ヘタレな父が見舞いに来た。でも私のことはやっぱり引き取る気はないみたい。
まあ、蒸発したきり行方不明の母よりかはそれでもマシかもしれないけど。
復讐が終わって満たされたのは一瞬で、すぐにまた心の中は空虚になってゆくようで嫌だった。
里美は占いを休止してしまったから、もう憂さ晴らしの話し相手にもなってもらえない。
浅野亮子から拓実君と里美が別れたみたいだと連絡が来た。
浅野は忠実な私の僕だ。
寂しい人、孤独な人は、操られやすいのよね。
私の復讐は完璧だ。
「ねえ、それで里美さんはどんな感じ?」
「いつも通りですよ。拓実先生も前と同じですね」
······あの人達って、どうかしているんじゃないの?
何で大事な人と別れてもそんなに冷静でいられるの?
そんなの、絶対におかしいわ。
私は折角復讐が終わったのに、その二人が気になって仕方がないの。
気になって夜も眠れない。
私はこっそり様子を見に行きたくてウズウズした。
そうだ、明日ここを抜け出そう。
私を見て驚きに歪む拓実君の顔を拝んで来よう。
私の空っぽだった心は、その事でまた一杯になった。
(了)
これで完結でございます。
お付き合いいただいてありがとうございました。




