第四話:仮面を脱いだ、ほんのひととき
完璧な仮面の裏で、本当の自分を隠し続けてきたリディア。
けれど、鋼の団長──レオンの言葉が、胸の奥に届いたあの日から、彼女の中で何かが静かに変わり始めていました。
怖がりながらも、初めて見せる素顔。
それは、ほんの少し勇気を出した“自分自身”への第一歩。
優しさに触れるたび、仮面はそっとほどけていきます。
王立魔導学会の式典から数日。
リディアは自室の窓辺に座り、膝に抱えたクッションをぎゅっと抱きしめていた。
思い出すのは、あの言葉。
「──俺は、その仮面の奥にある目を、見たいと思う」
誰にも見せたことのない本音に、まっすぐに触れてくるあの人。
レオン・クラウスという男は、厳つい外見とは裏腹に、心の奥深くを静かに覗き込むような目をしていた。
(もう、ダメかもしれない……)
とろけるような顔でベッドに倒れ込み、頬を真っ赤にしながら転がる。
王都の令嬢とは思えないその姿は、フィレア家の誰にも見せられない“ふわふわ素顔のリディア”そのものだった。
そんな中、翌週に開催される魔導騎士団の報告会に、再びリディアが招待されることとなった。
そこには当然、レオン団長の姿もある。
(また……会える)
期待と不安が入り混じった心を胸に、リディアはその日を迎える。
報告会は、騎士団の実績紹介と今後の展望を語る場。
主賓席の一角に座ったリディアは、胸の高鳴りを押し殺しながら、いつもの「完璧な令嬢」の仮面を被っていた。
レオンの報告は、端的で無駄がなく、まるで彼の性格そのもの。
場にいた誰もが「さすが」と頷く中、ただひとり、リディアだけが──彼の声の余韻に、胸を締めつけられていた。
式が終わり、会場を後にしようとしたその時だった。
「フィレア令嬢」
振り返ると、レオンがひとり、扉の影から現れた。
「……お時間をいただけますか。少しだけ、お話がしたい」
ふたりで話すには、あまりに格式張った場。けれど、なぜだかリディアは頷いていた。
案内されたのは、騎士団本部の奥庭。
夕刻、花壇には金色の光が差し込み、魔法で手入れされた草花が静かに揺れていた。
「こんなところがあるんですね……知りませんでした」
「一般には開放していません。ここは騎士団の“静養庭”で、誰かを連れてくるのは……はじめてです」
「……まぁ……」
リディアは思わず足を止めた。
仮面の奥の“ふわふわな自分”が、もう一度、顔を出しそうになっていた。
「……フィレア令嬢。あなたは、ずっと誰かの“理想”を生きてきたのですか?」
その問いに、リディアははっとした。
微笑みを浮かべる唇が、震える。
「そう、かもしれません……誰もが、私に“完璧であってほしい”と……そうすれば、誰かに必要とされるって、そう信じていたから……」
「なら──」
レオンは、ゆっくりとリディアの前に立ち、少しだけ距離を詰めた。
「今夜だけ、その仮面を外してみませんか?」
「……え?」
「俺は、完璧なあなたじゃなくても、見ていたい。あなたがあなたでいる姿を」
リディアの喉が、小さく鳴った。
こわい。
でも、それ以上に──嬉しい。
それは、誰にも見せたことのない本当の自分を、受け止めてくれようとする人が目の前にいるという事実。
「……そんなこと言ったら……きっと幻滅しますよ? 私、お部屋ではぬいぐるみだらけですし、ふわふわのクッションに埋もれてごろごろするのが幸せなんです。笑い上戸で、ちょっと泣き虫で、甘えん坊で……」
「それの、どこがいけないんです?」
レオンの言葉に、ほんの少し、笑ったその顔は、いつもよりずっとあたたかくて、柔らかかった。
「じゃあ……これからは素顔を見せてくれますか?」
「はい。……これが素顔の私です」
ふたりの距離が、さらに一歩、縮まった。
仮面の奥に隠されていた笑顔と、鋼のように無骨な優しさが、静かに交わる、やわらかな夜だった。
お読みいただきありがとうございました。
ふたりきりの庭で、リディアがほんの少しだけ仮面を外し、自分の言葉で心を開いた今回。
レオンの不器用ながらも真っすぐな優しさが、彼女にとって初めての“安心できる居場所”になりつつある様子を描きました。
甘く静かな夜の時間は、ふたりの関係を確かに前に進めてくれたはず。
次回は、この小さな幸福に影を落とす“貴族の現実”が立ちはだかります──どうぞ引き続き、お楽しみいただければ幸いです。