第二話:仮面の下の素顔と、鋼の男の眼差し
ほんの一瞬の出会いだった。
けれど、誰にも触れさせたことのない心の奥が、確かに揺れた──
仮面の奥で、ふわふわと転がる令嬢の感情は、自分でも制御できないほどに膨らんでいく。
これは、完璧を演じる少女が、自分らしく恋に落ちていく第一歩。
再会の予感とともに、物語は少しずつ動き出します。
王都に響く鐘の音が、夜の静寂を切り裂いていた。
フィレア公爵家の屋敷の奥、ふわふわのクッションに囲まれたリディアの私室では、ドレスを脱ぎ散らかした令嬢が、ぬいぐるみに顔をうずめて悶えていた。
「ひゃあああああああああ〜っ! ちょ、ちょっと! あれって、あれって、まさかあの有名な団長さんだったのっ!? あたし、あんな顔されて、は、は、恥ずかしいぃぃっ!」
普段の優雅な令嬢然とした姿は跡形もなく、ふにゃふにゃ声を上げてベッドの上を転がるリディア。
その顔は真っ赤に染まり、いつもどおりの“仮面の自分”ではいられなかった。
──レオン・クラウス。
魔獣討伐隊を束ねる、王国最強と名高い男。
その厳つい風貌から「鋼鉄の熊」などと恐れられる存在で、貴族の夜会などにはほとんど顔を見せない。
その彼が、よりにもよって自分を助けてくれた。
「手……引かれちゃった……」
その瞬間の手の温もりを思い出し、顔を隠すようにぬいぐるみにしがみつく。
この感情が、何なのかはまだわからない。ただ──自分の仮面ではない“素”の部分が、初めて触れた誰かのぬくもりに、ほんの少しだけ反応した。
翌朝、朝食の席で家族に取り繕うも、心ここにあらずな様子に兄のジークが怪訝そうに眉をひそめた。
「……昨夜、何かあったのか?」
「な、なんにも……ないですっ」
仮面をかぶりなおし、微笑んで取り繕う。だが、その裏ではふわふわの姫が大慌て。
心はすでに、次にあの団長に会える機会を考えていた。
その願いは、意外にもすぐに叶う。
一週間後、王立魔導学会の新設式典が行われることとなり、魔獣討伐の功労者としてレオン団長も来賓として招かれるという。
そして──式典の補佐役を命じられたのが、他ならぬリディアだった。
「や、やばい……あの人と、また会っちゃう……! ていうか、お話……するかもしれない……かもしれないぃぃぃ〜!」
屋敷の裏庭でこっそり悲鳴をあげていたリディアの後ろから、くすりと笑う声がした。
「……いつもの“完璧な令嬢”はどこにいったのかしら?」
「アナベルぅぅぅ! 見てたの!? やめてーっ!」
現れたのは、幼なじみの伯爵令嬢アナベル。彼女だけは、仮面の下のリディアを知る数少ない一人。
その笑顔はどこか楽しげで、けれど温かい。
「リディア、あなた……顔がほころんでるわ。たぶん、もう気づいてるでしょ?」
「……なにが?」
「“仮面のままでいられない”相手に出会ったってことよ」
言葉を失い、リディアは黙って頬を赤く染める。
──式典当日、彼女は再び、仮面をかぶってその場に立つ。
けれどその心の奥では、ひとつの想いが芽吹いていた。
「もう一度、あの人に会ったら……今度は、少しだけ、本当の自分を見てほしい」
鋼の団長に、ふわふわなお姫様の姿を見せる日が来るのか。
恋の行方は、まだ始まったばかり。
お読みいただきありがとうございました。
リディアの「仮面」と「素顔」の狭間で揺れる心が、少しずつ色づいていく様子を描かせていただきました。
まだ彼のことを何も知らない。けれど、自分を守ってくれたその手の温もりだけが、確かに胸に残っている。
次回はいよいよ、再会の場。
リディアの心は仮面を保ちきれるのか、それとも──
どうぞ、次話もお楽しみにお待ちくださいませ。